第四部 第六章 第四話(終)『天才末路』
イーリオとドグが先陣を切って敵を蹂躙していく中、他の部隊も目を見張る活躍を繰り広げていた。
それもこれも、イーリオ=ディザイロウと、シャルロッタの加護があればこそである。
更に言えば、加護を受ける前より角獅虎とも互角かそれ以上に渡り合っていた騎士団長級の鎧獣騎士達に至っては、その二つの加護もあってまさに鬼神の如き戦いぶりだった。
〝疾風ゼフュロス〟がヘクサニアの傷王ファウストとの戦いに敗れ再起不能になった今、事実上の大陸最速と言えるのはクリスティオ=ヴァナルガンドである。〝狐閃王〟の異名を持つヴァナルガンドもこの加護によりさらに速度を増し、目に捉える事さえ出来ない閃光となって敵軍を駆逐していく。
〝神の騎獣〟ウルヴァンを駆るアンカラ帝国のセリム帝も、二つ名の通りかそれ以上の圧倒的武力で、次々に死体の山を築いていた。
ハーラルやレオポルト、ムスタやソーラ、クラウスはじめとした強者達は、今や誰もが敵なしの状態。誇張でも比喩でもなくそのままの現実として、言葉通り〝一騎当千〟そのものだった。
そんな中、奇妙な行動をとる者もあった。
ディザイロウの出した擬似霊狼が、加護を与えるためにその者の背後から飛び掛かろうとするのだが――。
構えをとった直後、「待て」の制止。もう何度目か分からない。
擬似生体だから生き物ですらないのだが、まるでおあずけをくらっているように「きゅうん」という顔をする分身体の狼。
待ったをかけたのは、翠緑色の体表をした筋骨逞しい――いや、逞しすぎる人牛だった。
迫り来る角獅虎の群れを、その人牛は武器で、そして拳や蹴りで、悉く粉砕している。
右に薙げば魔獣の首が宙を飛び、左に突けば胴体に大穴を空けて倒れる巨体。
土塊と草々が舞い上がり、へし折られた武具が地に突き刺さる。
膂力。
純粋無欠の筋力。
ただ剛力のみで、数えきれぬ魔獣兵器を地に沈めているのは、トクサンドリア王国から来たヤン王子。
そして彼の駆るペロロヴィス・アンティカスの〝エアレ〟。
異常なまでに無口な彼は、擬似霊狼に対しても何も言わない。
「待て」をするたびに「む」と唸るだけ。
それにしても目の前の光景は凄まじかった。
他の者とてかなりの強者だが、加護によってそれが倍化しているお陰なのは間違いない。
ところがこのヤン=エアレは、シャルロッタからの〝神色鉄の加護〟を受けたのみで、ディザイロウからのそれは受け取らずにこの戦果なのだ。受ければ一体どれほどの力になるか、想像するだけで味方でさえも背筋が凍る。
しかし何故、ヤンはディザイロウの加護を受けないでいるのだろうか。
これについては無口すぎる故に誰にも分からない。
ただ本人の中では当然ながら明確で――
自分は加護なしでも戦える。だからそれは別の者に与えて欲しい。もしどうしてもなら、その力が必要になってから与えてくれ。
――というものだった。
説明をしてさえくれれば、何とも剛毅な意見だと多少なりとも周りも理解してくれただろう。
しかし何度も言うが、残念な事にヤンは異常なほどの無口――実は異常な口下手だったのだが――なのである。周りにいる者達には、擬似霊狼にずっと待てのお預けをしているようにしか見えず、凄いというのを通り越えて滑稽にしか見えなかったのであった……。
却説――。
それらの活躍もだが、当然ながらアルタートゥムの三騎も、昨日に続き全くもってヘクサニア軍を寄せ付けない圧倒的なまでの実力を見せている。
ヘクサニア側は王都へ近付けないどころか、彼女らのいる、いや、彼女らの制圧圏内にいる悉くが、一歩たりとも踏み込めないでいるほど。彼我にあまりの戦力差がありすぎて、その圏内だけぽっかりと空いた空間のようになっていた。
つまり、戦局はどう見ても霊獣王軍に傾いていたのだ。
「これは……」
全体を見渡し、ヘクサニア軍の十三使徒・呂羽が呻き声を漏らす。
数では向こうの一〇倍以上。話にならないくらい差は歴然としているのに、質というか加護と協力の後押しによって、ヘクサニア軍の数も戦力も、何もかもが意味を失っている。
このまま何も打開策を見出せずにいれば、万が一の結果さえ起こるかもしれない。少なくとも、消耗率が激しいのは攻めているヘクサニア側なのは火を見るよりも明らか。
だがそれは、呂羽のようにそこまで明文化出来るほどでなくとも、十三使徒をはじめとしたヘクサニア軍全ての指揮官が感じていた事でもあった。
つまりは言うまでもない、という事。
もしかして――もしかすると――
最悪の事態になるのかも――
そんな想像が、ヘクサニアの軍全体の足元にまで忍び寄っていた。
決断の時は今しかないのかも――。
決意しかける呂羽。だが味方が総崩れになった後では、それすら危険になってしまう。であればすべきなのは、己への保険である。
近くにいたヘクサニア軍の鎧獣術士を捕まえ、呂羽はファウスト王へ繋げと命令する。
ところがそれを命じた直後、その鎧獣術士が呂羽に驚きを混じえた声で呼びかけた。
「ル……呂羽様」
「どうした」
「その、通話です。教王陛下より、呂羽様へ、お話があると」
こちらと似た考えをしていたのか。
数瞬だけ驚きの間を示した後、呂羽は「繋げろ」と告げる。
そしてファウスト王と会話をした後、彼はしばしの間黙考した。
王の器――。
果たして今の命令をそのように呼んでいいのか。
しかし己が仕える王の、覚悟のようなものだけは確かに伝わってきた。
それが英断であるか愚行であるかは、何とも言い難かったが――。
呂羽とファウストが会話を交わして間もなくの事、戦場の全方面で、ヘクサニア軍に動きが起きる。
攻撃の手が徐々に勢いをなくし、気付けば攻勢を完全に停止し、退いていったのである。ただし、撤退はしていない。軍をひき、遠巻きに陣を布く形となっていた。
何が起きたのか? 何をしようとしているのか?
力押しで攻めていた敵軍のこの変化に、霊獣王軍こと連合が戸惑わぬはずもない。
「これは一体、どういう事でしょうか……?」
中央の陣地で戦局を見ていたレレケが、全体の指揮を取る軍師のブランドに尋ねるも、彼も黙したまま。
やがてしばらくすると――。
敵陣の真ん中から、人影がこちらに進んでくるのが見えた。
「あれは……」
ブランドが瞠目する。
大型の獣を連れたその影の傍らには、人牛の術師らしき者もいる。そして術を使ったものだろう、その影から放たれたのだとはっきり分かる形で、戦場全域に届く声が響いた。
「我はヘクサニア教王ファウスト・ホーエンシュタウフェン」
敵味方共に、騒然となる。
「メルヴィグの者ども、そしてこの愚かな国に与する大陸の愚昧な王らよ。そなたらが頂きに掲げる、かのイーリオ・ヴェクセルバルグ、我に敗れし、負け犬の騎士よ。――これより我から、そのイーリオ・ヴェクセルバルグに申し渡しがある」
何を言おうというのか。軍を引いて、何の目的か。
もしかすると――と考えたのはブランドだけ。それ以外の者には見当もつかなかった。
ファウストの声を耳にしたイーリオが、そちらに向かって移動をする。
そして、鎧化を解除した。
鎧化をしていないファウストに対する、騎士としての礼儀である。
「僕に用があるって?」
イーリオの横には、人獣のままのドグがいる。
念の為というもので、ファウストの横に鎧獣術士がいる代わりだった。
「イーリオよ。今から貴様との、一騎打ちを所望する」
戦場の空気が、ひどくざわついた。
「こう見えてな、実は俺も無益な争いは好まぬ。だが貴様らが、援軍もあって闇雲に抵抗を重ねれば、互いに無駄な被害も増す一方になろう。だが大将同士一対一で決着をつけ、それを以ってこの戦の勝敗を決めれば、被害も抑えられるというものだ」
一方的に侵略を仕掛けておきながら、何をぬけぬけと――。
そんな声が連合から聞こえてきそうなファウストの発言。
しかし間を置かず、イーリオは「構わないよ」と返した。
「それで本当に戦いが終わるのなら、それに越した事はないね」
「俺の言葉を疑うか」
「事実だよ。君の後ろにいる全員が、それで納得出来るなら。って意味だよ。――でもどちらにせよ、僕は構わない。いいさ、受けるよ。一騎打ち」
最後に剣を交えた際に敗北したのはイーリオなのに、まるで挑戦を受ける勝者のような言動。
ファウストの顔が怒りで青くなり、火傷痕にじくじくとした痛みが疼くも、彼は暴発する心をかろうじて抑えた。
まだだ。こ奴を嬲るのはまだ後だ――と。
「よし。ならばそいつを退がらせろ」
言った後、ファウストは己の隣にいる術士に後ろへ行くよう命じる。
イーリオも、ドグに頷きで返した。
「いいのか」
「ディザイロウの千疋狼も解除出来てるしね。言っちゃ悪いけど、まあ、ね」
イーリオの答えに、サーベルタイガーの顔でドグが微笑んだ。
イーリオの言う通り、一旦、停戦に近い状況なだけに、加護の力は解かれている。つまり温存出来るという意味であったが、それはファウストにとって、何よりもの侮辱であっただろう。
ドグが去り、イーリオとディザイロウ、ファウストとベリィ、それぞれが単騎で向かい合う形となる。
「貴様との因縁、今度こそ灼き尽くして、完全に終わりにしてやろう」
鎧獣騎士になってもいないのに、ファウストの口からは火が噴き出そうなほど、重々しい怨嗟が漏れ出ているようだった。
一方のイーリオは、それを向けられても平然としたもの。悪意や敵意など、まるで眼中にない涼しげな顔をしていた。
「一つ、言っておくよ」
「――?」
「僕はディザイロウの獣能は使わない。特殊なそういうのは、一切ね。今からの戦いで、僕は自分の騎士としての技だけで、君を倒してみせるよ」
ファウストの顔反面、火傷痕が赤くなる。
怒りの灼熱。それが傷跡を破って地獄の業火と化す、一歩手前と言ったところか。
「貴様……! ……いや、そうか。騎士としての一騎打ちとう意味か。良かろう。ならば俺も、ベリィの獣能を封じ、剣と獣騎術だけで、貴様と決着をつけてやる……!」
「いやぁ、それはどうかなぁ」
「……?!」
「君は獣能とか全部、使った方がいいよ。でないと、その、納得しないだろうから」
「納得しない? どういう意味だ?」
「いや、すぐに勝ち負けがはっきりしちゃうからさ。そんなのだと、納得出来ないでしょ?」
ファウストの血管が切れたかに思えた。
もういい。もう戯れ言は充分だ! という声にもならない憤怒。
返答は、ただ鎧化の合図だけであった。
ファウストが叫ぶ。
「白化!」
イーリオも、即座に応じる。
二つの白煙が、静止した闘争の中央で、柱となって立ち昇っていった。
※※※
ヘクサニア教国にある、黒母教の聖地ヒランダル黒聖院。その地下深く――。
誰にも知られていない奥殿の更に底。あの怪盗騎士ゼロが侵入し、崩落させた場所のもっと下に、その空間はあった。
緑や紫、青の光が明滅する中、明るいわけではないのに、何故かぼんやりとした光のようなものに満たされた、大広間。
いや、それは異質で異様な祭壇とでも言うべきか。それとも、無機的なのに有機的な研究施設と言った方が良いのか。
そんな広大な空間に、年齢の割には老けた男が、何かを操っている。
未来的な操作盤。巨大なパイプオルガンのようなものの前で、懸命にそれを叩いていた。
「進捗はどうだ?」
一心不乱なだけに、背後に立った存在にまるで気付かず、イーヴォ・フォッケンシュタイナーは全身をぴくりとさせた。
慌てて振り返った後、彼の顔に浮かんだのはほっとした安堵ではなく更なる緊張だった。
「オ、オプス様……」
背後にいたのは、黒騎士ヘルと神女ヘスティアの融合によって誕生した、黒母の男女神ヘルオプス。
妖艶で神聖、不可侵にして絶対の存在が、すぐ間近くにいる事の畏れ多き事。
思わずイーヴォは、椅子から転げ落ちるように膝をついた。
「は、はい! ご命令は、全てつつがなく。あとはオプス様が命じられた〝空白〟のみで、それ以外は完成しております」
畏まるイーヴォを見もせず、ヘルオプスは、背後に黒々と広がる洞穴のような空間に目を向けた。
それは底なしの巨穴。
そこからは、何かが蠢いている気配が漂っていた。
「それは私も感得している。私が聞いたのはあ奴らの動きだ」
思わず顔を上げ、しかし再び顔を下げてイーヴォは弁明をした。
「も、申し訳ございません……! ア、紅玉竜王が先行致しましたが、やはり黄金竜王が先に着くものと思われます。青銀竜王と水晶竜王はそれぞれ行路が別とはいえ、後発のため、少し遅れるものと思われます」
「一日と一八時間か……。予想通り位相空間跳躍を使わずとも、それぐらいの移動は出来るな。おおむね良しといったところだろう」
「あ、あの……」
ヘルオプスが、爬虫類じみた瞳を向ける。怖気を覚えるほど美しく、全身が凍りつくほど恐ろしい目を。
「ご、ご命令通り、金剛竜王も、出しましたが、その……知らせぬままで良かったのでしょうか」
しかしイーヴォの問いに、ヘルオプスは何も言わず、冷たい目を向けるのみ。
ほんの数秒が、永遠の快楽と恐怖に染められていくような心持ちだった。
不意に――
項垂れて床を見つめるイーヴォの視界に、白い何かが映った。
柔らかく、だが強引すぎる強制的な力で、イーヴォの顔が上に向けられる。
それはヘルオプスの、白魚のような長い指。
それがイーヴォの顎を、押し上げていた。
「お前はよくやった」
「は……はい……」
「何も案ずる必要はない。全てはこのヘルオプスのため」
この神秘と魔性の化身の前には、命すらも雑草のように摘み取られてしまうのかもしれない。それはあまりに無惨であるが故、どこまでも恍惚に溢れているようにさえ、イーヴォには思えた。
今の彼には、ヘクサニア教国最高の頭脳、国家最高錬獣術師としての矜持や責務もなければ、名門フォッケンシュタイナー家のとしての誇りも、家族への想いすらもなかった。
ただただ弄ばれる命である事の愉悦のみが、彼を支配していた。
「勿体なきお言葉……」
「なればお前に、褒美を与えよう」
顎に指を添えたまま、まるで糸繰り人形のような容易さで、イーヴォを立ち上がらせるヘルオプス。そのまま、背後の大穴へと、彼を導いた。
「私にとって、我々にとって最大の収穫は、お前という時代を超越した頭脳と巡り会えた事だ。お前がいたからこそ、私は私の望んだ世界にこの世を導く事が出来たのだ」
「そんな、滅相もない……」
「お前はこの世の誰よりも、世の真理を知りたいと願った。この私でさえ、お前の知的好奇心の前には、ただ欲求を満たすためのもの。だがそれがいい。それだから、いいのだ。――だから、な」
大穴の縁にまで、二人は近付いた。
しかしイーヴォは分かっている。
どれほどこちらが恐怖を感じようとも、穴にいる〝これ〟は人を襲わないと。
そこは鎧獣と同じなのだ。そのように、己が創ったのだから、何も怯える必要はなかった。
なのに――。
どうしてだろうか、イーヴォの足は、震えている。
「お前の功績に報いるため、私はお前が求める最大の褒美を、お前に与えようと思う」
「褒美……ですか?」
「そうだ。〝知〟を永遠に満たし続けられる場所。何かを知り、生み出そうとする人間にとって、それを永遠に満たせる所へ、お前を誘おう」
直後。
イーヴォの背中を、衝撃が叩いた。
強制的で、躱す事など出来ない衝撃。
それにより、大穴へと突き飛ばされるイーヴォ。
手を伸ばしても空を掴むだけ。
自分の身に何が起きたのか分からぬまま、もしくはそうなるであろう事を最初から予感していたかのような表情で、彼は光のない闇の穴へと吸い込まれていった。
やがて――何かの音。
泥を弾いた時のような、肉を打ち据えた時のような、生々しさのある音。
昏き闇穴を見つめ、ヘルオプスは呟く。
「お前の頭脳の、最後の使いどころだ。お前という最後のパーツを組み込んだ事で、私の半身は完全なものになった。本当に、心の底から礼を言うぞ」
艶笑を浮かべるヘルオプス。
その声に応えるかのように、穴の底から唸り声が響いた。猛獣のような、低い声。
るるるるる……。
それは、地の底からこの世に生まれ出でんとする地獄の何かのようにも聞こえた。
何か――それは分からない。
この世で最高峰の頭脳であると、他ならぬ神が讃えたあのイーヴォですらも、それの本当の正体は、知り得なかったであろう。
「さあ、人の頭脳も組み込み、これでお前は完成した。ヤム=ナハルよ」
それは神話に出てくる、破滅の竜の名。
では大穴のそれは、この世を滅するその竜なのか。
ヘルオプスは笑みを浮かべて言葉にする。
「いや、〝次元竜神〟よ」
大穴の縁に、巨大な爪が伸びてきた。
穴から、何かが姿を見せようとしている。
「我らの時が、遂に来たぞ」
穴の底から、光が見える。巨大な、二つの光。
神でもあり、悪魔でもある、目の光。
そしてその後で灯る、無数の光。無数の目。
その一つは、イーヴォの目の光、そのものだった。
来週水曜、4月24日〜5月3日までGWスペシャル 毎日投稿ウイーク開始!
よろしくお願いします!




