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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第四部 第六章「破滅の竜と竜の魔導士」
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第四部 第六章 第三話(終)『一夜』

 激戦の後の夜。

 星々が空を飾り、月明かりが主役となる、夜陰の中。


 夜まで続いた会議の後、レレケから離れミハイロの元に行ったドリーだったが、そこで彼女は、浮き立つ心もすぐに消えるほど重苦しい空気に出会う事になる。


 傷病人を休ませる部屋に立ち竦む、二つの影。


 一人は銀月獣士団のミハイロ。

 少年は先ほどの会議にも参加しておらず、そこへ会議が終わって立ち寄ったギオルがいた。


 声をかけ辛い二人の姿に、ドリーは思わず部屋に入るのを躊躇ってしまう。


 二人の前にある寝台で横たわるのは、彼らが戦いの中で救い出した――または捕えた――ガボール・ツァラ。


 ミハイロの従者にして守護騎士だった青年。


 ところが、本来ガボールはまだ二〇代後半という若さであるはずなのに、昏睡したままの彼の見た目は、窶れ果てた中年のもの、いや、老人にさえ見えるほどであった。

 頭は水気をなくした白髪で、眼窩はひどく落ち窪み、肌にも生気はない。息をしていなければ死人と間違えられても怪訝おかしくなかっただろう。


「どうだ、容態は?」


 ギオルの問いに、ミハイロは首を左右に振った。


「そうか……」

「お医者様の話だと記憶がほとんどなく、植物状態に近くなっているとの事でした。鎧獣騎士(ガルーリッター)として戦ったと話したら、それは有り得ないとも……」

「ヘクサニアどもの仕業なのか?」


 再び、ミハイロが首を振る。


「いいえ、おそらくはガボールの使う鎧獣(ガルー)、アーヴァンクの影響でしょう」

「どういう事だ?」

「彼の纏っていたアーヴァンクは、僕のいたトゥールーズ公国で封印されていた鎧獣(ガルー)なんです。失敗作として」

「失敗作?」

「はい。光の聖剣を使う太公専用の鎧獣(ガルー)として制作されたのですが、人を襲う凶暴性を制御出来ず、ずっと公国の地下に封印されていました。それを公国が滅びる際、僕を助けるためにガボールが駆り手になったんです。どうして駆り手になれたのかは僕も分かりませんが……その後、力を使えば使うほど記憶を失い、人間性も消えていくという代償がある事を知ったんです」

「駆り手の記憶を奪う鎧獣(ガルー)だと……。馬鹿な」

「アーヴァンクの騎士になれたのはガボール唯一人ですから、そんな事になるなんて僕も本人も知らなかったんです。ガボールがこんな事になったのは、おそらくアーヴァンクの力を使い続けたからでしょう……。もし知ってたら、僕だって……! 僕だって……!」


 肩を震わせるミハイロに、ギオルがそっと手を置く。


「彼は生きているんだ。きっと良くなるだろう。お前がそれを祈らないでどうする」


 寝台に横たわる青年は、意識も何もなく眠り続けるだけ。

 その横で、歴戦の騎士の胸に顔を埋めて泣く少年騎士の嗚咽だけが、暗い寝所に響いていた。



※※※



 こんな豪華な部屋で寝た事ねえや。


 ベッドの上で仰向けに寝転がって呟く声も、広い寝室の天井に吸い込まれそうだとドグは思った。


 盗賊を生業としていた八年前とは、随分変わってしまったなとしみじみ思った。それは彼にとってどこか肩の凝るもので、戦いよりも疲れを覚えてしまう。深い溜め息を吐き、ドグは今までの事、これからの事に思いを馳せた。


 ――これから、ね。


 しかし今までと言っても、目を閉じて思い出す記憶のほとんどが天の山(ヒミンビョルグ)での日々。

 それは仕方ない。八年もそこにいれば、彼の人生の大部分を占める事になるのは当然だった。

 ただ、たった一年でも、イーリオ、レレケ、シャルロッタと過ごした旅の記憶は、今でも鮮明に覚えている。

 思えば、イーリオとの出会いで全てが変わったのだ。そうでなければ、自分は今でもド底辺の盗人稼業をしていたに違いない。


 まさにドグにとって、イーリオは救い主であるのだろう。けれども面映さや気恥ずかしさもあるし、またそれ以前に、そんな風に思えないのも確かだった。


 ――やっぱ相棒、だよな。


 そんな相棒の思いにどれだけ報いる事が出来るか。それを考えても仕方がないと分かっていても、広々とした空間に一人でいれば、考えてしまうもの。


 ふと、目を開ける。


 そこに天井はなく、人の顔があった。


 本来ならば驚きで声をあげるところだろうが、気付いていた彼は、凝っとその顔を見つめていた。


「何してんスか、姐さん」


 口を重ねられた事で、語尾が曖昧になってしまう。

 唇を離した後、もう一度ドグが同じ事を言った。


「だってぇ、ロッテちゃんも〝ドゥーム〟もアタシたちのL.E.C.T.(レクト)を調整するって言って忙しそうなんだもん。ヒマなのはドグっちだけだから来ちゃったの」

「いや、姐さんも行かなくていいんスか。セルヴィヌス、見なくて」

「そういうのはロッテちゃんに任せてあるの。アタシ、そっちはダメなの知ってるでしょう~?」


 ピンク色の髪に、長い睫毛と垂れ目気味の大きな目。

 そこにいたのは同じアルタートゥムのニーナだった。


 ドグが呆れるのも束の間、まるで当然の様に、ニーナが上着を脱ぎ出す。


「ちょ、ちょっと、姐さん、何してんスか」

「何? 何って、何よ? ナニするんじゃない」

「いや、最後の試練の時、さんざんしたでしょ――って、わっぷ」


 強引に組み伏せられ、ドグはそのまま寝台に沈められる。



 数時間後――。



 夜もすっかり更けた頃だった。

 上半身を起こしたドグは、癖の強い己の頭髪を掻いて窓の外を眺めていた。


「どうしたの、ドグっち?」


 裸のニーナが、寝台に横たわったままのしどけない姿でドグに尋ねる。


どれくらい(・・・・・)ッスかね……」

天の山(ヒミンビョルグ)はインビジブル・モードにしてあるから、ほとんどスタンドアローンだしそんなに長くないよね。でもぉ、今日みたいなのだけなら、結構保つと思うけど――」

装竜ドラーケ……」

「想定継戦時間は一日から半日かな。〝ドゥーム〟だけは別になるけどね」

「まあ、俺は八年前に死んだ命だから。こうしてられるのも、一番最後に一番重要なとこで一緒にいられるのも、感謝しかねえのはわかってるんですよ。でも――」


 呟いたドグの背を、ニーナの柔らかな体が優しく包み込む。


「怖さは克服したんじゃなかったの?」

「怖いんじゃないですよ。寂しいっつうか……。いや、やっぱ怖いのかもな。これから先がないのもそうだけど、普通の時間をあいつと過ごせねえ事が」

「じゃあ、やめる?」


 ニーナに向き直るドグ。月明かりが逆光となって、その顔は暗い。


「たまには俺からでも、いいですよね」


 そのままニーナを押し倒すドグ。

 ニーナは「あん」と言いながら、慈母の様に優しくドグの体を抱きしめた。



 残された時間は多くない。

 それがアルタートゥムとしての宿命。



 何度も覚悟はしたし、だからアルタートゥムなのだ。それでも、最初からアルタートゥムの彼女らと、人間からアルタートゥムになったドグとでは、違うのかもしれない。



 それでもニーナは少し分かったような気がした。

 まるで震える仔猫のようなこの若者を思う気持ちが、自分にある事に。


 それが多分、愛おしいというものなのだろう。


 それを愛と呼ぶべきかどうかは分からなかったが、ただ、その感情がどことなく寂しいものだという事も、彼女は気付いていた。



※※※



 じゃあ、と言って意を決した様に二人で部屋に入るイーリオとシャルロッタ。


 しかし入室してからも所在なげにするばかり。

 とりあえずはと、何故か一つしかない寝台に二人は腰を下ろす。


 そのまましばらくは無言のままだったが、やがてイーリオが口を開いた。


「その……シャルロッタも疲れてるよね。先に湯浴みでもして、休んだら、どうかな……?」

「あ……うん……」


 また、沈黙が流れた。

 シャルロッタも、何故か動こうとしない。


 これはどうすればいいんだ……! どうしたらいいんだ……!


 どんな戦いでもどんな窮地でも怯まなかったイーリオが、情けないほどに狼狽えている。それを分かっていても、頭の中は真っ白と混乱とが交互に訪れてどうしようもない。

 ただ己の心音だけが、やかましいほどに聞こえていた。


「ありがとう」


 不意に聞こえた言葉に、思わず大袈裟なほどの動きで顔を上げるイーリオ。

 そこには、こちらを見つめる、美しい少女の顔。


「え……」

「あたしを守って、って言ったの、ずっと守ってくれて」


 出会った時の事。

 今でも忘れないし、永遠に忘れない。

 生涯忘れるはずがない。


 山の中で出会った彼女を助けて介抱した後、目覚めた彼女が自分に願ったもの。


 それが〝あたしを守って〟という言葉だった。


 彼女との出会い、ザイロウとの出会い、そして彼女のその言葉から、全てがはじまったのだ。


 思い返せば、それはある意味呪いだったのかもしれない。

 これほど愛しい呪いはなかったが。

 だからこそ、今の自分は人生で一番幸せなんだと改めてイーリオは思う。それを口に出して伝えたかったが、吸い込まれそうな瞳を前にすると、何も言えなくなってしまった。


「約束したからね。僕が守るって。ずっと……これからもずっと」


 それだけが出せた言葉だった。

 けれどもそれで充分だった。


 彼女はこの世で最も愛おしい笑顔を向け、「ありがとう」ともう一度言いながらイーリオに抱きついた。


 まるで出会った時の様にイーリオは一瞬どぎまぎしてしまうが、前とは違い、今度は優しく彼女の体をそっと包み込む。



 長い抱擁の後――出会いの記憶からザイロウを思い出したせいか、ずっと気になっていた事がイーリオの頭をよぎった。


 抱き合った体を少し離し、イーリオがシャルロッタを見て尋ねる。


「その……ザイロウが最後に言ってたんだけど、僕を一目で好きになったのって、どこがそうだったの?」


 ファウストに燃やされ命を失ったザイロウが、最後に幻の中、イーリオに言った記憶。


 一目惚れしたから、お前が選ばれた――。


 納得はしたけど、少し気になっていた事でもあった。


 けれどもその説明を聞いても、シャルロッタはきょとんとするばかり。大きな瞳をまん丸にして、僅かに驚いたような表情を浮かべていた。


「ザイロウが言ったの?」

「え……うん。最後、幻っていうか、意識の奥みたいな、そんな感覚の中で、あいつが教えてくれたんだ」

「私が、って?」

「う、うん……。って、そうじゃない……の?」


 どこか申し訳なさそうに、シャルロッタが首を縦に振る。

 思わずイーリオが、「ええ?」と声にしたのは仕方がない事だろう。


「ど、どういう事……? ザイロウが嘘をついた……?」

「嘘っていうか……まあそうなんだけど。何ていうか……それ、違うよ」

「違う……? じゃあ一目惚れとかしてないって事……?」

「いやその……それは本当っていうか――」


 自分はシャルロッタに好きになってもらえている。自分がそうなように。


 そんな風に思っていたのが実は違っていたかもしれないと思い、イーリオは恥ずかしさで身悶えを起こしそうになっていた。


「一目惚れはしたの。でもそれは、あたしじゃなくってザイロウ」

「え――?」

「その、ザイロウがね、あたしに言ったの。〝あいつはいい。自分はあいつに一目惚れした。だからお前もあいつに委ねろ〟って。だからあたしは、その言葉に従ったっていうか――」

「は、はああ?」

「その、言われたから好きになったとかじゃないよ。あたしも好きだよ。でもね、あの時はあたしもぼんやりしてたっていうか……子供みたいな意識しかなかったから、ザイロウに言われた事が全部だった、みたいな……」


 思わず腰が砕けそうになるイーリオだったが、どこか腑にも落ちた。


 ただ、最後の最後にザイロウがついた嘘がそんな照れ隠しだった事に、驚きと呆れる気持ちで一杯になる。

 その後、イーリオは「あいつめ……」と苦笑を浮かべた。


「だからその……言いたくなかったんだけど……最初、イーリオは自分だけでザイロウを鎧化(ガルアン)出来なかったでしょう? 力もそうだけど……。それって、まだその時はちゃんとイーリオを分かってなかったっていうか……」

「好きじゃなかった……?」

「好き……だったよ……! 多分……。でも、まだそんなにっていうか……。でも、でもね、その後ちゃんとそれが分かってきて、あたしも段々と感情が追いついてきたっていうか――だから、ザイロウの事も変わっていったっていうか……全部の力を、イーリオに渡せたんだと思う……」


 語尾が消え入りそうになって、シャルロッタは俯く。


 一方でイーリオは、すごく納得していた。


 出会ってからしばらくの間、何故かザイロウは力を徐々にしか解放しなかったのだが、それについては今の今まで分からなかったのだ。おそらくそれはザイロウの神秘が由来してるのだろうと考えていたのだが、それにしても回りくどいし、どうにも謎の一つだったのだ。


 けれどもそれが、シャルロッタの心――好きになっていった気持ちと繋がっていたというなら、全部納得出来る。同時に、自分が自惚れていた様で途轍もなく恥ずかしくもあったが……。


 けれどもお陰で、気持ちが強くなれた気がした。



 申し訳なさそうに俯いたままの彼女の頬に、そっと手を差し伸べるイーリオ。


 おずおずと顔をあげたその瞳は、少し潤んでいた。



 そこへ、何も言わずに唇を重ねる。



 優しいキスが離れた後で、イーリオが聞いた。


「気にしないで、シャルロッタ」

「イーリオ……」

「ちょっとね、ちょっと嬉しいんだ」

「嬉しい……? どうして?」

「僕はずっと、君が僕に一目惚れしたんだと思ってた。ザイロウに聞かされる前から、ずっとそう思いこんでたんだ。でも、そうじゃないって分かって、嬉しいんだ」

「どうしてそれが、嬉しいの?」

「だって、僕の方が先に、君を世界で一番好きになったんだもの。君よりも僕の方が、君の事を好きなんだよ。嬉しいに決まってるじゃないか」


 シャルロッタの頬を、すう――っと、涙が溢れた。

 宝石の様な、大粒の涙が。


「あたし……あたし……」



 違うの。きっとそれは違うの。だってあたしの方が、貴方の事をずっと好きだから。


 そんな事ないよ。僕の方が好きに決まってる。分かるだろう。



 言葉は交わさず、再び唇を重ねた。

 それは、幾百万、幾千万の言葉よりも、お互いへの想いで満ちていた。



 そのままどちらとも言わず、互いに寝台へ横たわる二人。



 お互いがお互いの全てに、口付けをする。



 それぞれの夜が――



 最後の夜が――



 こうして更けていく。

 



 それは〝座標の巫女〟である彼女の座標に、初めて変化が起きた瞬間であった。


 同時にそれは、終焉の合図でもあった――。

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