第四部 第六章 第三話(4)『七代目百獣王』
死傷者の数は二千人以上。
王都内で被災した一般の民草も合わせれば、被害者数はその数倍になるだろう。
倒壊した建物の数は、見当もつかない。
特に王都南部の防衛用外壁はほぼ全壊に近かった。
事前に救護の手配や他国、それにエール教からの支援がなければ継戦能力は一日で失われていたに違いない。それほどの惨状。
それでも、王都は歓喜に溢れていた。
一〇倍以上のヘクサニア軍を追い払った事実。騎士達の活躍。
何よりも、彼が帰ってきたからだ。
「イーリオ! イーリオ!」
路地を埋め尽くす人だかりに、イーリオは我が目を疑う。
一体いつから、自分はここまで有名になったんだ――と。
それを隣に並ぶハーラルに問うと、若き北の皇帝は呆れたように言った。
「お前……自分を客観的に見た事はないのか」
「いや、客観的に見てそう思ったんだけど……。だって、僕はカイゼルン師匠でもなければ君のような一国の主でもないんだよ」
今度は心底呆れた溜め息を吐くハーラル。
「あのな、傭兵騎士として大陸を渡り歩き、かつては恐炎公子などという二つ名まで持っていたのはどこの誰だ。それに四年前のクルテェトニクの戦いで、今はヘクサニアの教王となったファウストを一度は退け、そのすぐ後に我が帝国の窮地を救って銀の聖女に認められた事もそうだ。そのうえこの四年間、大陸各地でヘクサニアの魔獣どもの被害から国の分け隔てなく救ってきたのは一体どこの誰だ? お前だろう。自分など大した事はないと思ってるのは、この世界でお前一人だ。この大陸で、いや大陸の外までもお前の名前を知らぬ人間など、誰一人おらん」
「それはちょっと大袈裟っていうか……」
「もう一つ言えば、お前がゴートの皇帝家の人間だという事は、まあ公然の秘密に近いというのもある」
「は? ……はあ?!」
「余も無理に隠し立てなどしておらんからな。誰かにそうかと問われれば、全て包み隠さず話している。一応、あまり言いふらすなよと言い添えてはいるが。だからまあ、大体の者はお前の出自も知っている。――これだけあって名を知られてないなど……よくまあ今まで思っていられたな」
途中まではともかく、最後の事実はイーリオにとって初耳だった。それだけに「もう、何なんだよ」と怒っていいやらどうしていいやら分からない顔になってしまう。
とはいえハーラルの言った事は、むしろ君主として最良の選択をしたにすぎないのだったが。
上に立つ者、何かを為す者にとって、隠し事があるのは〝隠している〟というその事実だけで致命傷になりかねない弱味になってしまう。何故なら隠すという事は、往々にして隠す側にやましさがあるからだし、例えそうでなくとも、受け手側にはそのように見えてしまうものだからだ。
しかしその隠し事をあえて自ら曝け出してしまえば、当たり前だが秘密は公然の事実となる。それがどのような醜聞でも一度人口に膾炙されてしまえば、誹謗する際の材料以外、何の効果もなくなってしまう。つまり弱味として無意味になるという事だ。
だからハーラルは、己の出自を隠していないのであった。
ゴート皇帝家の嫡流ではないという事実を――。
だがそれは必然的に、イーリオの事にも触れざるを得なくなる、というわけだった。
とはいえ事情を知らなかったイーリオからすれば、傍迷惑に近かったかもしれない。
周りはそんなイーリオの身悶えする姿を、微笑ましく眺めていたのだが。
するとそこへ、ジョルト・ジャルマトが騎馬を寄せてきた。
「おいおいイーリオ、んなジジ臭い男と話してねえで俺と話せよ。つか、友達でもねえ偉っそうにしてるような奴が、イーリオに寄ってくんじぇねえよ」
羽虫を追い払う手つきでしっしっとやるジョルトに、剣呑な目でハーラルが睨む。
「友人は選ぶべきだぞ、イーリオ。それに仮にお前がイーリオの友であったとしても、余は友人以上、兄弟なのだ。お前如きが間に入れると思うな」
「ああん?! 誰が兄弟だよ。てめえがさっき自分で言ってたみてえに、血は繋がってねえじゃねえか」
「同じ宮廷で産まれた兄と弟だ。お前が何と言おうと兄弟は兄弟だぞ」
お互いにいがみあうハーラルとジョルトにイーリオが呆れていると、今度はセリム、ヤン、レオポルトに銀月獣士団といった面々まで、彼の元に寄ってくる。
そのまま皆の輪に囲まれつつ、獅子王宮へと入城していく一行。
その様子に、レレケやドグは微笑みを浮かべていた。
「あいつの一番すげえところは、あれかもな」
「ですね」
確かに血統的には高貴な生まれになるが、イーリオ自身はその権利の全てを放棄しているし、そもそもその自覚もない。貴き血の誇りを持てと言われても持つつもりもないし、帝国皇帝家なのだと言われてもそれを権力紛いに翳した事もなかった。
つまり感覚的にはただの一騎士。
それは昔も今も変わっておらず、周りもそんな彼をよく知っている。
また、イーリオを知る誰しもが、彼をそんな風に扱った事もなかった。
なのに、王侯貴族から身分卑しき者に至るまで、誰もがイーリオを受け容れ、彼を囲んでいる。友のように、家族のように――本当の意味で、分け隔てなどなくなるのだ。彼の前では。
それこそが、イーリオの持つ〝力〟なのかもしれなかった。
却説、戦勝の喜びもあったし、末端の騎士らはもう祝いをはじめる者も後を絶たなかったが、上に立つ者や主戦力となる者まで浮かれた気分になるには、まだ早かった。
念の為、夜襲の警戒の手配もしておかねばならないし、まずすべきなのはこれからの事。明日以降の備えや準備、その他作戦まで詰めておかねばならないのは、指揮する者の務めである。
そのためにも何より初めにすべきなのは――
「話を、聞かせてくれるかい」
諸王や諸侯、主だった騎士達を集めた広間で、メルヴィク国王レオポルトが、イーリオに告げる。
「はい」
皆の視線が彼に集中する中、イーリオはレレケとシャルロッタを呼び、王都を出てから今に至るまでの経緯を話しはじめた。
レレケを呼んだのは、難しい部分になれば彼女に補足をしてもらうためで、さすがに異世界の話や神というべき異世界人、その超科学までも具に話す事が出来なかったからだ。
そんなレレケの補足も含めて説明出来たのは、あくまでかいつまんだもの。
まず――先ほど戦場で全員が見た巨大な鳥。
あれこそが天の山で、あれに乗ってこの戦場まで一気に来たと話すと、もうそれだけで大きなどよめきが起きる。
更にその天の山で、神の騎士団〝古獣覇王牙団〟に会った事。そのまま伝説の神々の地、星の城に行ってディザイロウを受け取り、シャルロッタを目覚めさせ、地上に降りた事などを語ると、最早どよめきではなく理解不能すぎて、諸王や諸侯らはどう反応していいかすら分からなくなっていた。
荒唐無稽で信じられないのは当然。それが普通だろう。
けれどもあの巨大な鳥を目にしたのは紛れもない事実だし、その前後のイーリオやディザイロウにアルタートゥム、そしてレレケの活躍、更に聖女シャルロッタの起こした奇跡を思い返せば、そんな法螺話などと笑い飛ばす事も出来なかった。
むしろどれだけ現実味がなくとも、それが紛れもない現実なんだと受け容れるしかない。
「そしてこの方々が、今言った神の騎士団――古獣覇王牙団です」
オリヴィア・シュナイダー
ロッテ・ノミ
ニーナ・ディンガー
それと
ドグ・ヴォイト
全員が彼女らをまじまじと見る。
とても神の使い、神の騎士団には見えない容姿と出で立ちだが、実力も戦場の姿も大半の者が目にしている。
何よりドグとは既知であるレオポルトやクリスティオらは、様変わりした彼の姿と頼もしさに、他よりも一層の驚きを浮かべていた。
ともあれ、これで戦局は大きく変わる。
一体どれほどの戦力をイーリオらが有しているかは分からないが、百獣王や獣王殺しといった三獣王級の切り札であるのは間違いない。しかもそれが六騎もいるのだ。
暗かった皆の顔が、希望と期待に変わったのは言うまでもない事。
そこへ、よろしいでしょうかと声を上げる者がいた。
銀月獣士団のシーザー・ラヴロックである。
「シーザー」
久々の仲間の顔に、イーリオも相好を崩す。
シーザーは他の銀月団とは別行動を取り、少し前までカディス王国にあるエール教の聖地に赴いていた。だが王都攻防戦の少し前に帰還し、銀月団の一人として彼も戦いに加わっていたのだ。
では、彼が聖地に行った理由とは何か。
「お久しぶりです、イーリオ団長」
「シーザーこそ」
「私も皆様同様に団長と懐かしい話をしたいものですが……今はそれよりもここで果たすべき、私の使命があります」
シーザーがレオポルト王に目配せをする。
それに頷いたレオポルトは、ハーラルやセリムら他の王達へ視線を送り、諸王もこれに頷きで返した。
「先だって、私は聖地コンポステーラに行っておりました。銀月団としてではなく、勿論、故国のアクティウムの騎士としてでもありません。一人の司祭として、私は聖地へ足を運びました」
シーザーは騎士でもあるがエール教の司祭でもある。
それは服装もそうだが、彼の鎧獣の装備にもあらわれていた。
「そこで教皇猊下に拝謁し、ここにいるイーリオ・ヴェクセルバルグを正式に三獣王の一席、七代目百獣王として認める勅令をいただいて参ったのです」
息を呑む広間。
それが数拍の静寂の後――
おお、というどよめきが波になって広がった。
「え……僕が、正式に……?」
「そうです。これで貴方は、公的にも七代目を継いだ事になります」
最強の鎧獣騎士の称号である三獣王。
それの認可を発行するのはエール教の教皇からと決まっている。
かつてハーラルが三獣王に推挙された時もそうだったし、あの黒騎士とて本人が望んだかどうかは別に、エール教の認可で三獣王となっているのだ。
その許しを、イーリオが受けた――。
つまりそれは、あのカイゼルン・ベルの正式な後継者となったという事。
即ち――
「七代目――〝カイゼルン〟・ヴェクセルバルグ」
どよめきが歓声に変わる。大きな、喜びの声たちに。
「いや、でも……僕はそんな……」
「六代目より、託されましたよね。俺はあの場にいましたから、この目で見て、この耳で聞いています。はっきりと。俺はそれを公のものにしただけ」
砕けた口調になったシーザーだが、その目は笑っていなかった。
シーザーの発言は何も間違っていない。
六代目のカイゼルン・ベルが亡くなる時、イーリオは彼から任せたぞという言葉を受けている。
けれどもイーリオにとって、それは最後の弟子としての〝後〟であり、いわゆる比喩表現的な意味においてカイゼルンから託されたのだと思っていた。
その後も似た様な言葉を受けた事はあったがどれも同じ、カイゼルンの意思を継ぐ的な意味だとイーリオは捉えていたのだ。
まさかそれが、本当に百獣王の七代目になれと言われるなど――。
「形式なんて――と団長は言うかもしれませんが、形式こそ大事なのです。時として人には、形式で奮い立つ勇気というものもあるのですから」
「でも……」
「それに忘れてちゃいないだろ、イーリオ」
今度はアクティウム王クリスティオが言った。
「お前はガリアン血盟によって定められた、俺達王を束ねる王。獣王の王なんだ。その王の王が、何の肩書きもないってわけにはいかないだろう? 七代目・百獣王。いいじゃないか。最強の獣王の称号を持つ者こそ、獣王の王に相応しい」
ガリアン血盟の事は、イーリオも忘れてはいない。天の山に向かう前、その事をレオポルト王より告げられたのも記憶に新しい。
そして王の王と言っても、お飾りでいいんだよ――。
そんな風に言ったのは、他ならぬクリスティオなのだ。再び同じ事を、彼は繰り返したのである。
「それについてですが、もう一つ皆様にお話がございます」
もう一度、シーザーが言った。
今度は、声を張りあげて。
「私が教皇猊下より賜ったのは、七代目カイゼルンの称号もありますが、もう一つもあるのです」
「もう一つ……?」
「これは、この場にいる皆様だけでなく、出来るならば大陸中に広く知らしめていただきたい。最強の称号である百獣王だけでなく、この大陸を守護する者、エールの神々の御使いにして導きの騎士。そして三獣王すら超えた頂きに立つ〝名〟も、彼、イーリオ・ヴェクセルバルグに贈ると、教皇様は仰ったのです」
実はこれについては、教皇がそのようにすると言ったのではなく、シーザーが提案してこれを捻じ込み、半ば強引に認めさせのであった。
それを知っているのはレオポルトと他数名だけだが、勿論そんな裏事情は決して口にしない。
先ほどシーザー自身が言ったように、形こそ重要なのだ。
「イーリオ〝カイゼルン〟・ヴェクセルバルグ。私が教皇コッラディーノⅧ世の名代として、貴方に獣王の王としてこれを与えます」
シーザーが、エール教の作法に則り叙勲の構えを取る。
「大陸諸国家全ての皇族、王族がこれに従う者。三獣王すらもこれの前には従うべきとする、王の王としての称号」
いきなりの事に戸惑うイーリオだが、反射的に右手を胸に、左手を後ろにして頭を垂れた。
叙勲を受ける際の、礼法の一つである。
「〝霊獣王〟――それが貴方に贈られる名です」
霊獣王イーリオ・ヴェクセルバルグ。
そして
七代目百獣王カイゼルン・ヴェクセルバルグ。
それは二つの名を持つ血盟の王が、ここに誕生した瞬間だった。
今度は先ほどとは比べものにならないほどの大歓声が起こる。
霊獣王イーリオ! カイゼルン・イーリオ!
そんな声が広間を超えて王宮中にまで響いていきそうな勢いだった。
一人、おろおろしているのは当の本人のみ。
「いや、僕がそんな名前を持つなんて……。ちょ、ちょっと待ってよ。さすがにそれは――」
歓喜の声にイーリオの抗議はほとんど掻き消されていたが、そこへ、彼の肩に置かれた手。
振り向いたそこに、ドグ、レレケ、シャルロッタ。そしてアルタートゥム達。
「いいじゃねえか。受けてやれよ」
「いや、それはでもさすがに身に余りすぎるというか――」
「シャーリーを目覚めさせる事は世界と向き合う事。だろう? こいつはその責任の一つさ。お前ぇは神さんの前で啖呵を切ったんだ。その覚悟がないなんて言わせねえぜ」
ドグの言葉に、何も言えなくなるイーリオ。
レレケも観念しろとばかりに頷いていたし、シャルロッタも微笑んでいた。更にアルタートゥムのオリヴィアも、ドグに続けてこんな事を口にする。
「いいじゃないか、霊獣王。ディザイロウは霊狼なんだ。まさにお前とディザイロウにこそ相応しい名前だと思うぞ」
ニヤニヤとした笑いを浮かべている辺り、アルタートゥムの三人だけは面白がっていると思えたが、それはともかく、こうなればイーリオも腹を括るしかないと息を深くつく。
「……分かりました。その二つの称号、お受けします」
再び起こる大歓声。
思わずイーリオが、自分の耳を塞ぐほど。
これにより、連合軍の頂点はレオポルトよりイーリオに移譲される事となったが、それはやはり形式上の事。今まで通り指揮系統に変化はないし、レオポルトが全体を統括するのも変わらずだった。
しかしそれでも、旗頭が違えば皆の気持ちも変わってくる。
それほどまでにイーリオという存在は、この未曾有の大戦の救世主になりつつあったのだ。
そんな若者達の姿に、オリヴィアが目を細める。
「良かったよ」
「何がだ?」
尋ねたのは同じアルタートゥムのロッテ。
「あいつらが三賢紋、そして原初の三騎――〝罪狼〟〝罰虎〟〝刑獅〟の継承者になってくれて」
フ、とロッテが笑みを浮かべた。ニーナも微笑んでいた。
「そうだな」
「そうだね」
「思い残す事は、もうないという事だ」




