第四部 第六章 第三話(2)『大術士帰還』
王都攻防の中でも、最も激戦かもしれない空の戦い。
そこへ突如響く、予期せぬ声。
声の主は、レナーテ〝レレケ〟・フォッケンシュタイナー。
――話は強制紐付けで聞いていました。時間がありませんから詳しい説明は後にしますが、今から私がそのガボールさんを〝捕まえ〟ます。ミハイロ君、貴方はそのガボールさんの乗る飛竜だけを倒し、彼を落としてください。後は下にいる人に受け止めてもらいますから。いいですね?
――捕まえる……? 一体、どうやって。
――説明は後と言ったでしょう。ドリー、少しの間貴女を〝借り〟ますから、それが開始です。いいですね?
――え、いや、ちょっと。
――愚図愚図しない。ミハイロ君は助けたい、ドリー、貴女もどうにかしてあげたい、そうでしょう? ではいきますよ!
唐突に、ドリーの体に奇妙な感覚が訪れる。
全身を纏う〝フリッカ〟が、まるで別の意思を持った様に固まってしまったのだ。まるでそう――同化しているはずの理鎧獣だけが、乗っ取られてしまったように。
――え? これは……。
――質問も説明も後と言ったでしょう。いいですか、今から貴女を通じて私が遠隔で術をかけます。ミハイロ君は牽制しながら確実に敵に術を当てる事が出来る様に誘導してください。
遠隔で獣理術を? そんな事が可能なのかと耳を疑いたくなるも、今は黙って言う通りにするしかないと、ドリーも即座に決断する。
――環舞陣法は〝紗縛の燈〟〝乱烏の流れ〟〝砂金の水〟に〝八種の老草〟です。出来ますね、ドリー。
環舞陣法とは、鎧獣術士が獣理術を放つ際に行う舞踏のような動きの事である。
魔法――そんなものが現実に存在するならばだが――で言うところの呪文や魔法陣に相当するものがこの環舞陣法である。
そして魔法でいう魔力に相当するものが、駆り手である理術師が仕込んだ様々な動物の〝眼之灰(神之眼から採取した粉末)〟になる。
つまりその踊りと術の素との組み合わせで、どういう獣理術をどれほどの威力や範囲で放つかが決まるのだ。
――はい。
ドリー=フリッカが舞いの動きを行った。
同時に、ミハイロ=ジムルグが仕掛けようとする。
しかしそこへ、数騎の飛竜もどきが割って入ろうとした。
が、神速の放つ閃光。
刻まれて墜落したのは、飛竜もどき。
「ギオル様!」
「征けっ。お前はお前の為す事をしろ」
思念通話はギオルにも届いていた。
決断しろと彼は言ったが、最善の手を無視してまでそうしろとは言わない。
そんな自分を甘いと思うし、主君に報告すればまた笑われもするだろう。部下のグリーフ騎士団の連中からも、同じく笑われるかもしれない。
けれども己はそれでいいとギオルは思う。
俺は露払いであればいいのだ。
己の主の、ミハイロの、あらゆる若き者達にとっての最強の露払いであれば。
「〝翼人変化〟」
ギオル=カラドリオスの翼の下から、二本の腕が生える。巨翼と合わせて腕部四本。
自在に操る細剣が、異名通りの神速と化した。
その隙にジムルグが急上昇。ガボール=アーヴァンクの乗る飛竜もどきの直下から途轍もない速度で迫る。
それに気付く敵だが、ジェジェンの至宝〝蒼天の覇者〟ジムルグの速さはその反応速度すら上回っていた。
――今です!
レレケの合図で、フリッカの口から光の猫科猛獣が放たれた。
それは矢となり空に放たれ、一直線にアーヴァンクを直撃する。――と同時に、光の鎖となって目標を縛りつけた。
その勢いで、古代巨大ハイエナの人獣が飛竜もどきの背中から落ちていく。
即座に身を捻らせようとする魔竜。
そこへ斬り上げの一閃。
ジムルグの武装は両足に装着した足甲刀。
空中で宙返りをする動きの後、飛竜もどきが左右真っ二つにされていた。
落ちていくガボール=アーヴァンク。
捕えたのはいいが、墜落してしまう。
誰か受け止めなくては――そう思う間もなく、立て続けにレレケの声。
――まだですよ、ドリー! 今から少し……乱暴なのをしますから。動きは〝黒鳥の白〟〝神明の闇〟〝対価の天秤〟そして、〝魔空の宵枯れ〟です!
――それって……!
――極大獣理術〝絶対強制終了〟です! 集中ですよ! 呼吸を合わせて!
激しく、素早く踊るドリー=フリッカ。
口中から黒く光るライオンが吐き出されるや否や、それは地上から空へ、重力に逆らう形で注がれる雨となり、墜落するアーヴァンクへと突き刺さっていった。
直後に起きる白煙。
それを見定めたように、銀月獣士団の巨躯、コーカサスバイソンを纏うカシュバル=ヘルモードが跳躍し、煙の中へ飛び込む。
「ガボール!」
叫ぶミハイロ。
白煙を突き破って出てきたバイソンの騎士を見て、思わず息が詰まった。
その両腕に抱えられていたのは、ぐったりとなった青年と鎧獣のつがいだったからだ。
「ガボール!」
もう一度叫ぶミハイロ。
――大丈夫。彼は生きています。安心なさい。
そこへ、思念によるレレケの優しい声が待ったをかけた。
――今すぐに会いたいでしょうが、ここはドリーや他の仲間に任せて。貴方は目の前の戦いに戻りなさい。
――でも……!
――為すべきを為す。ギオル様も仰いましたよね。私とドリーも己の為すべきを果たしたのです。今度は貴方が、貴方の為すべきをしなさい。出来ますよね? 偉大な大首長・アールパードの息子、そして誰よりも強い兄ジョルトの弟にして、七代目百獣王カイゼルン・ヴェクセルバルグの一番弟子であるミハイロ・ジャルマトなら。
それでも――とミハイロは言いそうになった。
そうだ。彼はまだ一三歳なのだ。大人の決断なんてまだ早い。幼さの残る彼に、一体誰が、どれだけの苦渋を呑み込めと言えるのだろう。
彼がどれほど辛い生き方をしてきたか。
故国を滅ぼされ、実の家族を殺され、新たな故郷すらも転々とし、家族よりも大事な人の安否さえ、まだ心配もさせてはくれないと言うのだろうか。
それでも、と彼は涙を拭わず呑み込み、胸の痛みを堪えて顔を上げる。
――……はいっ。
その返事に、誰もが申し訳なさと眩しさを見た気がした。
だがギオルだけは分かっていた。
ミハイロならばそのように返すだろうと。
少年はもう、人の上に立つべき人間になっていると、分かっていたから。
そのやりとりに何とも言えない気持ちでいたドリーだったが、感慨に耽る間もなく、そこへ再びレレケの声がかかった。
――感動するのは後ですよ、ドリー。
――は、はい。ガボールさんの容態ですね。
――それは他の者に任せて。貴女の出番はむしろこれからです。
――は、はいっ?!
何の事だと尋ねる間もなく、再度レレケは術を指定した。
再び放たれた光のライオンは、翼を生やしてどこかへ消えていく――。
やがて何かの手応えが、ドリーに伝わってきた。
――今のは……?
――ヘクサニアの鎧獣術士に、術をお返したんですよ。
――え、ええ?
――はっきりとは言えませんが、ガボールさんという方は敵に操られていたんです。
――それは、獣理術で、ですか?
――ええ。ですからその紐付けを切断するために、術を焼き切ったんです。
鎧獣騎士を操るというだけでも、とんでもない術を使う敵なのに、ドリーの師であるレレケはそれを見破り、あまつさえ相手を特定して返り討ちにしたというのである。
そもそも鎧獣術士は、騎士の補助に回る場合が多い。
直接攻撃をしたり、それに近い術を得意とする術士もいるが、それでも主になるのは戦闘補助である。つまり術士同士で術の掛け合いというのもあまり発生し辛いのだが、レレケはそれを行なって、いとも容易く相手を制圧してみせたのだ。
何より恐ろしいのが、その全てをドリー=フリッカを介した遠隔で行った事にある。
――すごい……。
そんな言葉すら、陳腐になってしまう。
だが、弟子のドリーが感動している事すら一顧だにせず、レレケは矢継ぎ早に更なる指示を出した。
――感心するのは後と言ったでしょう、ドリー。
――は、はい?!
――本番は、むしろこれからなんですから。
そして指示通りの術を受け、レレケの媒介となって術を発動した結果――
連合軍の騎士、数十騎が翼を生やして空へ飛んだのであった。
翼も空も比喩ではない。
これはずっと以前にレレケが見せた〝翼化〟という術の拡大版。
高難度に位置するその術を、まさかこれほどの数、しかもこれもまたドリー=フリッカを通じての遠隔で行ったのである。
当然だがドリーはこれほどの規模でこの術を使えないし、そもそも己のフリッカに、こんな術式を仕込んでなどいない。
ではどうやってこれを可能にしているのか。
彼女もさっきまでは全く分からなかったが、ここにきてやっと気付いたのだった。
おそらく、術の〝素〟はレレケによるものであり、離れた地にあるレレケが指定の術を発動。それを術の通り道である伝環路を使ってドリー=フリッカに送り、フリッカから再度対象に術を放っているのだろう。
何故そんな回りくどい方法をしているのか。
直接レレケがければいいのではと思うかもしれないが、獣理術とて万能ではない。距離があれば術の効果も弱まるし、第一、感知して敵に放つのと、視認して放つのとでは精度に差が出るのは当然だろう。
それに、この空を飛ぶ術に至っては、術者が放ったまま術を維持し続ける必要があるのだ。
となれば、戦闘区域にいるドリーにそれを担当してもらうのは、理に適っていると言って間違いなかった。
しかしである――。
レレケの行った術の多彩さと、あまりの規模や凄まじさに、ドリーはしばし呆気に取られてしまう。
そんな彼女の様子にも気付いたのだろう。
思念通話で、レレケから注意を受けるドリー。
――ぼうっとしてはいけませんよ。術は貴女を起点にしていますから、貴女が気を緩めれば術も解除になります。今はそれを維持する事に集中しなさい。
――は、はいっ。
身も心も引き締まるドリー。
けれども――
改めて思った。
帰ってきた。
偉大なお師匠様が。
私が心より敬服する、最高の大術士レレケが、と。




