第四部 第六章 第二話(4)『聖女覚醒』
「分かった。お願い出来るかな?」
イーリオの答えに、シャルロッタが微笑みで返した。
その後で、彼女はブランドに神色鉄は持っているかと尋ねる。
神色鉄。
イーリオがカイゼルンより託され、ブランドに預けていた伝説の金属。その最後の一欠片とも言うべき球体。
その金属をもって武具を打てば、如何なる神威であろうとも斬り裂けると言われる、神の与えた希少物質。
ブランドはそれを錬獣術師らをはじめとした研究者に預け調べていたが、結局今まで埋蔵場所や手掛かり、量産方法のみならず加工手段に至るまで何一つ分からず仕舞いとなっていたのである。どうしてそれを、今この場にいるブランドが持っていたのか。それについてはただの偶然でしかない。
本来ならばそのまま研究者らに預けておくべきなのだろうが、大半の有能な錬獣術師は理術師として理鎧獣を駆り戦場に出ている。だから調べを続けようにも研究がはかどるはずもなく、ならば自分が一旦預かっておこうと考えたに過ぎなかった。
強いて言えばそんな、勘のようなもの。
ただ、もしイーリオがこの戦いが続く内に帰還することがあれば、それでこの金属についても進展があるかしれない――などという、根拠のない予測も内心抱いていたのは確かである。
一度鎧化を解き、生身となったブランドが懐から黒い球体を取り出す。
お礼を告げながらシャルロッタが受け取ると、彼女は金属球を捧げ物のように恭しく胸の前で掲げ、それをディザイロウに近付けた。
何かを探るように、球体を鼻先でスンスンとするディザロウ。
「お願いしてもいい?」
まるで同じ人間に語るように、シャルロッタが柔らかな声で言った。
果たしてそれは返事だったのか。ディザイロウが頭を下げ、前に向けて体軸を屈ませる。
その動きがあまりに自然で息が合っていたため、誰も何も疑問には思わないほど。
シャルロッタがディザロウの背にまたがり、祈るように両手で金属球を掲げて目を閉じた。
「シャルロッタの魂の外殻であるシエルは、いわば鎧獣と同じようなもの――というのは覚えているか」
イーリオ達全員の後ろにいた古獣覇王牙団のオリヴィアが問いかけた。それにイーリオが頷く。
「彼女は我々やドグとも違う、全く別種の霊的改造を施された存在だ。それこそがシエル。人造魂魄である〝シエル〟をその身に宿す事で時を封じ込め、それによって不老という〝奇跡〟をその身に起こしている。今までお前が目の当たりにしてきた彼女が起こした様々な奇跡の数々――それもシャルロッタが起こしたのではなく、シエルによるもの。つまり座標の巫女それ自体はシャルロッタだが、聖女という奇跡そのものの〝本体〟はシエルであるのさ。ただ、お前が目にしたものはあくまでシエルの力が漏れ出てしまったようなもので、本来シエルの力そのものはシャルロッタを不老とする事に全てを傾けるようにしてあった。――今まではな」
「今まで?」
「肉体と魂を〝凍らせる〟には途轍もない力を必要とする。だから今まで、シャルロッタが覚醒している時はシエルが眠り、シャルロッタが眠る時はシエルが目覚めていた。八年前にシエルが覚醒してから四年の間、彼女の肉体ではシャルロッタが眠りシエルの魂が目覚めている状態だった。そのためシエルへの負担が大きくなり、不老に割くための力が弱まった。だから今まで歳を取らなかった彼女が少し大人に成長したのも、それが原因だ」
確かに、とイーリオは振り返る。
一〇〇〇年以上歳を取らずに眠っていた彼女が、どうして四年間だけ成長したのか不思議ではあったのだ。それがまさかそういう事情であったとは。
「だが今の彼女はそのどれでもない。彼女は今、シエルと本来の〝駆り手〟であるシャルロッタが、はじめて一つの意志で統合されている――つまり二つの意識が同時に覚醒しているのが、今の彼女だ」
「一つの……? じゃあ――」
「形は違うが、いわば今の彼女は鎧化しているのに等しい、という事だ」
「どうして今までは同時に意識を持てなかったのですか?」
すぐさま内容を理解した唯一の人物――レレケが疑問を投げかける。
「さあな。一つの肉体に二つの魂を共有させる事自体、一人の人間で距離をとった右と左の両方から綱を引かせるようなものだからな。つまりは不可能という事だ。しかし今は一つの意思で、両立出来ぬはずの意識が完全に統合されている」
「一つの意思?」
「イーリオ、お前への想いだ」
突如名指しされた事で、イーリオは思わず変な声をあげてしまう。けれどもオリヴィアの表情に、冗談の色は混ざっていなかった。
「だから〝お前だった〟んだよ。シャルロッタとシエル、異なる二つの魂が共に心の底から惚れた男。――陳腐すぎる言い回しをすれば、まあ、愛の力というヤツだろうな」
説明しているオリヴィア自身が、面白そうに笑っている。
けれどもそんな会話も束の間、シャルロッタの額に神之眼が浮かび、彼女の両目が光と共に見開かれた。
「これは――?!」
眩さに目を閉じる一同に、オリヴィアが続ける。
「シャルロッタの獣理術――そんなところか」
「獣理術?!」
「言っただろう、シャルロッタにとってシエルは鎧獣のようなものだと。つまりシャルロッタは、鎧化をせずに異能を使えるこの世で唯一人の人間。紛れもなく本物の――〝聖女〟なんだよ」
その〝聖女〟が、両手に掲げた黒の金属球を、祈るように頭上へと持ち上げる。
黒々としていた神色鉄の球体に、虹色の発光が生じた。
それはまるで地上に出現したオーロラ。
それと同時に――
オオォォォン
ディザイロウが、狼の遠吠えを上げた。
それは大音量であるにも関わらず不快な大きさではなく、まるで教会の鐘の音のように厳かで心に沁み渡るような、そんな深い声音だった。
その咆哮がどういう原理でそれを可能にしたのかは分からないが、戦場のほぼ全域にいる全連合騎士の耳に、この遠吠えは届いた。当然、誰もが何の報せだと疑問に思っただろう。
しかし間髪を入れずにその直後、うら若い乙女の声が彼らの頭の中に響いてきたのだ。
――皆さん、聞こえますか。
何だ? 誰の声だ?
誰もが疑問と戸惑いを持つ。
けれども皆、何故か確信を抱いていた。この声は、何かを変える声だと。
不思議な事に、誰一人としてそれを疑わなかった。
――今、皆さんの持つ武器に、私から〝祝福〟を与えました。
戦場にいる鎧獣騎士、鎧獣術士、全員が己の武器を見る。
――この声が届いている全員に、神の色をした祝福を与えました。これで誰であろうと、目の前の悪意に、刃が通るはずです。
耳にした全員が、当惑したのも当然だろう。
けれどもこの声が届いているのは、連合の騎士だけである。聞こえた全員が、この声をクルテェトニク会戦であった獣理術のようなものだと理解したのかもしれない。実際、それは大きい意味で間違ってはいなかった。
一方で声が届いたのが連合だけならば、ヘクサニア側でそれに気付くはずもない。
連合騎士が戸惑う中、荒々しく襲いくる魔獣兵器の猛攻に、どこの騎士達も反撃の構えを取ったのは当然の事。
ところがそこで、今までにない事が起きた――。
サイやゾウ並みの硬皮を持った魔獣・角獅虎。それが変化した飛竜。
どちらも尋常ならざる防御を備えている。だからこそ、連合軍は押し留めるだけで精一杯だったのだ。
攻撃が効かない。それのどれだけ恐ろしい事か。
明確に通用するのは、クラウスの〝覇雷獣〟やセリムの〝神の騎獣〟など、鎧獣騎士の中でも尋常ならざる破壊力を備えた騎士のみ。
しかしそれが今、大きく変わる。
連合各国どの人獣騎士達も、その手に持つ――
剣が――
槍が――
斧が――
武器の全てが――
反撃と共に、魔獣の硬皮を斬り裂いたのである。
戦う全ての場所で、今まで有り得なかった光景。ヘクサニア軍の側から、血飛沫が舞い上がっていた。
突然の変化に敵は当然の事ながら、反撃した連合軍の側ですら、己らの手にした感触に戸惑うばかり。
けれどもそれは、紛う事なき現実なのだ。
僅かな躊躇いの後、気付いた者達から順に、敵軍へ踊り向かっていく。
この瞬間、攻防主客が逆転した。
通じない。騎士長級でなくば倒す事など不可能。そう思っていた敵の魔獣に、己の刃が通る。
末端の騎士であろうと通じる。
武器が通る。何だそれだけか――などとは言わせない。
戦いにおける騎士達に取って、これほど劇的でこの上ない協力があろうか。
連合騎士全員の士気が、かつてないほど跳ね上がったのは言うまでもないだろう。
あちこちの戦場で絶望が希望に変わっていくのが、ありありと伝わってくる。一瞬で、この巨大な戦況そのものが塗り替えられたのだ。
これを為した美しい乙女が、己の信じる青年に目を向ける。
瞳の光は消えているが、額に神之眼は輝いていた。
今の彼女はシャルロッタとシエル、どちらなのか――。
この中でイーリオのみ、そのどちらでも一緒だよという思いを込め、微笑みを彼女に返す。
「これが神色鉄の使い方なの」
口調――。
力はシエル。
けれど中身はシャルロッタ。
イーリオにはそれが分かった。
「使い方……? 一体何を――」
驚いてばかりのイーリオに、オリヴィアが補足する。
「オレがドラ息子に預けた神色鉄は、精神感応物質というヤツだ」
「精神……? 何ですか。それ?」
「ようは個別の武装を創るために使う素材ではなく、預けたそれを触媒にし、指定した範囲内の物質に対しコーティングをする――つまり武器の上から力を与えるようなものだな――そいつを行う核となる反応物質が、神色鉄だ。シャルロッタはディザイロウの助けを借り、シエルの異能でそれを防衛軍全域に行ったのさ」
「つまりそれって――」
「ああ。もう援軍はいらないって事だ」
満面に笑みを浮かべたのはイーリオ達だが、一方でこれを耳して即座に頭脳を働かせだしたのは、連合軍師のブランドだった。
今まで対抗出来たのは、騎士長、隊長級の騎士だけ。
そんな魔獣に、一般の騎士、末端の騎兵までもが対抗しうるというのだ。勿論、数の不利は何も変わってないが、それでも打つ手が一変するのは当然の事。
「この南の守護、貴方がたにお任せしてもよろしいですか?」
想定を遥かに超える状況の変化に、ブランドは喜びをあらわすのも押し殺して、すぐさま指揮に戻りここをイーリオに託していいかと聞いた。
「安心してください。多分、任せてもらってもお釣りがくると思いますよ」
明るい笑顔を向けるイーリオ。
むしろ言葉だけなら、侮りにも聞こえただろう。
だが、彼が角獅虎の恐ろしさ、それが群れとなっている事の恐怖を分かっていないはずがない。何せ〝銀月獣士団〟として、最も数多くの魔獣を倒してきたのは、他ならぬイーリオなのだから。大陸の誰よりも、その脅威を理解しているはずだ。
しかも王都南にいるのは通常の角獅虎ではなく、より強力な偽竜・角獅虎という改造亜種である。
それにも関わらず、イーリオは庭の野草を摘むような軽やかさで、これを請け負っているのだ。
その声と表情に、ブランドの背筋が震えるのは当然であったろう。
イーリオの返事を横で聞き及んでいたシャルロッタが、ディザイロウの背から降りた。
彼女の額の神之眼は未だにそのままだったが、それは術を継続している証なのだという事を、後になってイーリオは聞かされる。
イーリオが後ろを振り返り、ドグとレレケ、オリヴィアに問いかけた。
「いいかな」
自分一人だけに任せてくれ――。
それを含んだ言葉だった。
ドグもレレケもオリヴィアも、心配する素振りすらない。
シャルロッタだけは微笑んでいたが、イーリオは無言で首を縦に振った。
「じゃあ、あれを全部片付けてくるね」
イーリオの声に、ディザイロウが反応する。
緑金の髪の青年と、白銀の霊狼が向き合った。
イーリオが半身たる黄金の瞳を見つめた。
何度も告げた言葉――けれどもディザイロウとしてははじめての言葉。
全てを理解し覚えていながら、それでもはじめてという奇妙なつがいの魂が、物言わず共鳴した。
「いくよ」
ディザイロウが、イーリオの背に回る。
「白化」
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★シャルロッタ
シャルロッタの最終バージョン。
全身のカラー絵はまたいずれ掲載。




