第四部 第六章 第二話(3)『落花光臨』
角獅虎とは、水牛、虎、ライオン、サイといった複数の動物を混合させた合成生物鎧獣である。
ヘクサニア教国の主戦力であり、角獅虎を保有しているのも、そのヘクサニアのみ。
数に至っては一〇万騎と、尋常でない大きな群れとなっている。
ただし魔獣兵器と呼ばれるだけあり、通常の鎧獣とは異なって外見も含めた個体差などはほぼなく、見た目も何もかもが画一的で同じあった。他の鎧獣との一番の大きな違いは、或いはそれかもしれない。
鎧獣とは通常、野生の〝神之眼持ち〟から採取された神之眼一個につき、一体だけが生成される。その際、同じ動物、同じ製作者、同一の手順や方法を使っても、個体ごとにどこか差異が生じるものである。いわばワンオフのみしか存在し得ない兵装といったところか。
ところが角獅虎はその常識さえも外れ、外見も性能も、あまつさえ獣能すらも全く同じ個体で統一されているのだ。それもこれも、魔導士集団エポスが導いた知恵と技術、それを天才的な頭脳で発現させたヘクサニアの国家最高錬獣術師イーヴォの手腕によるところであろう。
却説、その魔獣兵器の中にあって異様な一群がある。
元より角獅虎は灰色や黒灰色といった無彩色を基調としている。
しかしその一群だけが、他より明らかに黒々としているのだ。
だが色彩が問題ではない。
通常の角獅虎が巨牛のツノを生やしているのに対し、その黒い角獅虎は、大きく太い一本角を前に向かって生やしていた。つまりサイに近いツノだが、サイのそれとは異質なものがある。
それに尻尾と表皮。角獅虎の尻尾は牛やライオンのものに近いが、黒い角獅虎のものは長大で太かった。はっきり言えば、トカゲの尻尾を彷彿とさせる形状をしている。
加えてサイの如き表皮には、装甲のように全身を覆う鱗。
それらを見れば鎧化前の姿は、魔獣というより地を這うドラゴンを想起させる。
この漆黒の角獅虎がいるのが、ヘクサニアの後軍五万。
その五万の内の半数近くになる。
その内の四分の一、つまり五〇〇〇ほどの異形が戦場を大きく横切っていた。
数にすれば連合の半数を上回る勢力になり、戦力はそれを遥かに凌駕する。これに密かに合流し指揮をとっているのが、十三使徒の一人、呂羽だった。
戦線を大きく迂回する形で進軍させ、王都を貫くケーニヒス川の河口に近い南側から攻めようというのが彼の策。
迂遠にも思われる行軍だが、元より角獅虎は動物の形態でも鎧獣騎士に近い運動性能を誇る。それが統一された動きで進むのだ。進軍速度は並みの騎士団より、遥かに速やかだったと言えるだろう。
やがて南の城壁が近付いてくる。
勿論、ここに連合軍が部隊を配置していないはずはなかった。けれども他と比べれば、見るからに手薄。それは戦況を読んだ上での判断もあるが、何よりヘクサニア軍と連合との数があまりに開きすぎているため、どうしても連合側の配備が偏らざるを得なかったというのがあったのだ。
だからこそ、ここが防衛側の最大の弱点となっていた。
けれども連合側とて、無為無策に防御を手薄にしたわけではない。
この南側は、火山灰製コンクリートの城壁が他と比べて非常に厚く、通常ならば王都を攻める際に最も攻め難い方角となっていた。
いくら角獅虎が強力でも、この城壁を前にすればほんの僅かでも時が稼げる。もしこちらから攻められた場合、その少しの猶予が連合の体勢を整わせるのに大きな意味を持つと連合軍師のブランドは判断したのだった。
ただそれは、先ほど通常ならばと述べたように、通常のヘクサニア軍、今までの角獅虎であれば、の想定だった。
「よし、全騎鎧化しろ」
呂羽が命令をくだす。
凄まじい勢いの白煙が立ち昇った。
あらわれる、巨大な一本ヅノを持つ、黒の魔人獣。
これこそヘクサニアの後軍に配備された、都市制圧用の魔獣兵器。
〝偽竜・角獅虎〟。
漆黒の擬似人竜の群れ。それが凶猛な牙を剥く。
手にするは、破砕槌。
これで分厚い城壁を叩き破ろうというのか。
ところが黒の魔獣達はそれを振るうのではなく城壁に殺到し、己の爪をたてて、強靭な壁を斬り裂こうとする。
耳障りというにはあまりに不快で大音量な摩擦音を響かせ、爪が壁に痕を残していった。しかしさすがの魔人獣でも、それだけで砕ける城壁ではない。爪を立てた際の摩擦で血でも混じったのか、斬り裂こうとした痕跡には液体のようなものがこびりついていた。
その時――。
轟音が王都を震わせた。
爆発。
まるで火山が火を噴いたかのような音をたて、途轍もない爆破が王都南の城壁で起こる。
濛々と土煙が視界を遮る中、崩れ去る石塊の音。
堅牢堅固な城壁が、一瞬で粉々に崩れているではないか。
報せを聞いた連合軍師のブランドが、驚愕したのも無理からぬ事。
――そうか。あれがジェジェンを一夜で滅ぼした兵器の正体……!
同時に彼は、すぐさま事態の緊急性を鑑みて、連合指揮の中央陣から王都南へと駆け出す。
全体指揮をとる彼以外、もう動ける騎士は残されていなかったからだ。
しかしブランドが辿り着くよりも、偽竜・角獅虎によって王都南の城壁が跡形もなく消し飛ぶ方が遥かに早かったのは言うまでもない。
爪撃を放つ際、爪先から可燃性の液体に変容した体液を漏出させ、攻撃と同時にそれを対象に付着させる。
仮に爪撃を凌いでも、その液体がかかっていればそれが大気に反応して大爆発を引き起こす事になるのだ。
それが偽竜・角獅虎の獣能。
〝爪痕〟。
先に述べたように、偽竜・角獅虎は都市制圧に特化させた生きた兵器である。これらは飛竜への変異能力を排除した代わりに、広範囲で物理攻撃を行う異能を付与された局地戦仕様の魔獣。加えて通常の角獅虎を上回るどころか、ゾウやサイすらも超えた皮膚装甲も与えられており、破壊活動においてこれを上回る兵装は他になかった。
対・鎧獣騎士との戦闘に主眼を置いてない分、広範囲に渡っての破壊活動において、その威力は今目にした通り。
もはやそれは、遥か未来の爆撃にも匹敵するだろう。
むしろそれほどの威力があれば、都市制圧のみならず通常戦闘でもこれに対抗しうる騎士が限られたのは言うまでもない。
「相変わらず……凄まじいものだな」
指揮をとる呂羽本人が、しばし呆れるほどであった。
その破壊力はジェジェン首長国を殲滅させる際にも目にしていたが、それでもやはり圧倒されるのは仕方がなかった。何より、これがあればこそ、たった数日だけで一国を平らげる事が出来たのだ。
攻撃を受けた後で連合軍師のブランドが気付いたのは仕方がない事かもしれない。あまりに常識外れなうえ、ジェジェン陥落から今日に至るまでの日数が短すぎたからだ。そのため、情報を齎す側の精度と速度が遅れてしまったのである。
しかし本来この偽竜・角獅虎は、制圧の最後に出すためのもの。
その秘蔵戦力を、こうも早く投入する意味。それは呂羽自身が一番よく分かっていた。
――左翼の異変は、おそらく〝あいつら〟だ。
己の予想が確かならば、むしろそこに追加戦力を投入し、立て直しに注力するのは愚策も愚策。
そうでなくとも当初の想定より手間取っているのが今の冷静な状況分析だ。ならば別方向で打開策を用いるのは当然の論理。
それを呑んでくれたファウスト王の決断も見事と言いたいが、何よりこんな〝兵器〟を生産可能にさせたエポス達こそ、恐るべきだと言う他なかった。
ともあれ、これで戦況は大きく傾く。
左翼にいる〝あれ〟が急ぎこちらに来ようとも、広範囲に被害をもたらす偽竜・角獅虎ならば、こちらが殲滅される前に王都へ多大な損害を与えられるのは必定。
それによって北の〝援軍〟を手間取らせる事が出来れば、今度はその間に左翼や中央の軍が王都に雪崩れこめるはず。
しかもファウスト王ならば、ハーラルとレオポルトの両者が相手でも、程なく決着が付くのは言うまでもない。
なるほど、戦力がどれだけ強大でも、戦の盤面を読み違えれば個人戦の勝利などどうでも良くなるもの。それが戦場だし、戦の本質なのだ。
鎧獣騎士という超常の武装が、戦の概念を長い間支配していたこの世界で、そういった用兵の本質を忘れてしまったのは当然と言えるかもしれない。だからこそ、呂羽という男が暗躍出来るとも言えるが、それは彼にとってどこか皮肉にも思えるところがあった。
それはさておき、王都南はまさに地獄の蓋が開いたような有様だった。
避難をしていなかった人々は逃げ惑い、迫り来る魔獣の群れに市民が恐慌をきたすも、魔獣に慈悲などない。
瓦礫と化した壁を乗り越え、王都の中へ侵入した偽竜・角獅虎のいくつかが、都市に殺戮という名の血塗られた祭りを開こうとしていた、その矢先だった――。
黒の魔獣の目の前に――
落ちてくる光。
ひらひらと、ゆらゆらと。
水に揺蕩う水草のようなそれは、雪にも似ていた。
けれども雪ではない。
それは光る花びら。
本当にそうなのかは分からないが、敢えて言うならそのように形容出来るだろうか。
錯覚? 幻?
そのどれでもない。
足を止めた偽竜・角獅虎たち全騎が、それを認識していたからである。そしてそれは、黒の魔獣たちだけでなく、数多の人獣騎士たちにも降り注いでいた。
当然ながら、呂羽もこれを目にしている。
――何だ? これは。
空から舞い降りる、光の花びら。
手を伸ばし触れると、幻のように砕けて消える。
降り注ぐ先――空を見上げてみる。
同時に、視界が暗く遮られた。
「何……だ……」
空から、陽の光が消えていた。
暗闇。
そうではない。
何か得体の知れない巨大な幕が、王都の空を覆っているのだ。
気付いた誰もが、理解不能で呆然となる。
何が起きているのか。連合側はヘクサニアの仕業かと思い、ヘクサニア側は連合の仕掛けかと考えた。けれども敵味方双方が息を呑むところを見れば、そのどちらでもない事は瞭然。
空を翳らせる蓋。
そう形容するしかない何かだと、どこかで誰かが気付く。そこから更にこの闇の〝正体〟に真っ先に気付いたのは、セリム=ウルヴァンのような、視界の広い鎧獣騎士たちであろうか。
この闇の正体が、闇ではない事に。
「鳥……? これは、巨大な鳥……なのか……?」
あまりに巨大――いや、むしろ広大という方が近い表現かもしれない――すぎて全容がまるで掴めなかったが、頭上を大きく巡らせ、その上でグルリと視野を広げれば分かってくる。
空を覆うこれが、鳥の形をしている事に。
光の花びらは、この巨大鳥から降り注いでいるのだ。
その時、戦場のあらゆる動きが止まった。
突如あらわれたこの巨大な鳥に、誰もが意識を持っていかれていたからだ。
最早それは天変地異と言うに相応しい出来事だった。
人はあまりに巨大すぎるものを前にすると、ただ大きいというだけで圧倒され、恐怖を覚えるように本能的に出来ているらしい。生存という意味でそれは正しく、だからこそいかなる勇者でも足が竦み、身を固くして動けなくなっていたのだ。
しかしその中にあって暴挙を行うものもいる。
飛竜もどきとなった角獅虎たち。
これを駆るのは人間ではない。人型をした爬虫類とでも言うべき、竜人である。
別種の生物なだけに人類とは精神構造が違っていたからか、いきなり空を翳らせた巨鳥に対し、無謀にも攻撃を仕掛けようとしていた。
ただし彼我の大きさは、豆粒と巨人並みの開きはあったが。
が、巨鳥へ辿り着くより前、その手前の空中で、何かにはじかれたように飛竜もどきが動きを止め、次々と地上へ墜落していった。
これを見ていたアルタートゥムのロッテが呟く。
「ハン、阿呆どもが。攻撃能力がないからといって防衛機構までオミットしているわけがないだろう。あの防壁は、〝竜〟でなければ破れはせん」
「やっと来たね。良かったぁ、じゃあ全部上手くいったんだ」
同じサーベルタイガー種を纏うニーナが、これに答えた。
「当たり前だ。このボク様が認めた逸材たちだぞ。神であろうと、認めぬわけがないだろう」
やがて空一面を覆っていた巨鳥がその両翼を動かすと、とんでもない風圧が大地に巻き起こる。その暴風の中、最も風を受けた偽竜・角獅虎たちですら、吹き飛ばされる瓦礫と共に押し戻されるほど。
あちこちであがる悲鳴。
何だ。これは何なんだ。
敵か味方かも分からぬ正体不明の天災に、人々が混乱しそうになったその瞬間――。
突如――巻き上がっていた全ての風が止んだ。
唐突と言えば唐突。あまりの急な凪に、一帯全ての騎士が呆然となった。
あの光る花びらも、消えている。
同時に、視界も明るくなっていた。
空――。
さっきまで太陽すら見えなくしていた巨鳥が、一瞬で姿を消していたのだ。
「何だ……? 何が起きている?」
立て続けに起きた理解不能の超常現象に、誰もが当惑を超え、恐怖すらしかけた時だった。
鎧獣騎士となって王都南へ向かっていた連合軍師のブランド・ヴァンの後ろから、複数の気配がした。
混乱する王都の空――その中で彼の見上げる宙空のそこからだけ、光る花の渦が竜巻状に降りてくるではないか。
それは先ほどから降っていた花びらと同じもの。
呆気に取られ、その場で動けなくなるブランド。
花びらの竜巻は王都の大通りに着地し、それは花吹雪となって一帯を光の色で染めていく。
視界を奪うほどの花のシャワー。
それが止んだ時、ブランドの目の前に複数の人影がぼんやりと見えた。
そしてそこには、獣の影もあった。
息を呑み、声を失うブランド。
知略で大陸随一とされ、覇獣軍師のカイから後を託された彼ですら、読めないものもある。
それ以上に、縋りたい希望も。
その人影達がブランドに気付き、近付いてきた。
サーベルタイガーを伴う、金髪長身の美女。
それとは別種のサーベルタイガーを連れた、傷跡が猛々しい青年。
ライオンに似た猛獣を連れるのは、趣味に凝った服装の女性。
そして――
銀髪の少女と――
巨大な銀狼を連れる――
緑金色をした髪と瞳を持つ――青年。
「ああ……」
嗚咽のような声が、ブランドの喉から漏れた。
来てくれた。間に合い、やっと来てくれた。
それはどこか信じられなかった。
きっと来ると信じていながら、そんな希望に縋りかける自分を叱咤し、己達だけで何とかしようとしてきた。
自分だけでなくこの連合軍の全員が、王都の民に至るまで全員が、そうであった。
そんな思いが――希望に縋る思いが――天に届いたのだろうか。
けれどもいいのだろうか。
そんな風に縋っていいのだろうか。
でも――でも、もう――
もう限界なんだ。
そんな思いがブランドの胸腔から声となってこぼれそうになる。
緑金の髪の青年が、ブランドに近付いてくる。
「遅くなりました」
片マントに染め抜かれた、月と狼の紋様。
その下に羽織る上着は、焦茶色をした由緒あるもの。
ブランドなら分かる。それがこの世で最強の騎士にのみ受け継がれてきた、頂点の衣服だという事に。
「もう、ヘクサニアの好きにはさせません」
帰ってきた。
あの銀狼を連れて、彼が帰ってきた。
「イーリオ……イーリオ・ヴェクセルバルグ……」
人獣のブランドに、イーリオが微笑む。
「きっと来ると……信じていた……待っていました」
「はい」
「ザイロウの再生に、成功したんですね」
彼の後ろに控える巨大な銀狼を振り返り、ブランドが言う。
その言葉に少し戸惑うような素振りを見せた後、イーリオが複雑な顔で答えた。
「〝彼〟はザイロウではありません。新しくなったザイロウ――とでも言ったらいいでしょうか。〝彼〟の名は、〝ディザイロウ〟」
「ディザイロウ――」
確かに大きさだけでなく、タテガミや尻尾、それに金色の模様が体毛に見えるところなど、大狼とは言い難い。
「僕達にお聞きしたい事は山ほどあるでしょう。けれども今は、こちらの詳しい状況が知りたいです。教えてください。戦況がどうなっているかを」
言葉と目つきを変え、イーリオが鋭く問いかける。
即座に対応したのは、さすが知恵者のブランドというべきか。どれほど心揺さぶられても、彼の冷静さはまだ失われていなかった。
ブランドの説明を聞き、イーリオは頷く。
「まずはこの王都南ですね。あの黒い角獅虎をなんとかしないと」
「しかし他もかなり良くないのが現状です。この南がどうにかなっても、全局面でどうするか」
「んなの簡単じゃねえか。南とかここら全部は俺に任せて、イーリオはあっちこっちでぶっ潰せばいいだけじゃねえの」
後ろから、ドグが口を挟む。
不敵な発言。
ドグの事を知らないブランドが怪訝に目を細めるも、その紹介より先に、もう一人がそこに割って入った。
「イーリオ、ここはあたしとディザイロウに任せて」
銀髪の聖女。
シャルロッタだった。
「シャルロッタ……?」
「あたしももう、守られるだけじゃないから」
微笑む彼女へ、当然だと言わんばかりにディザイロウが顔を寄せる。
思わずイーリオがレレケを見るも、彼女もさあ、と首を傾げるだけ。
騎士でも術者でもない彼女が、何を為そうというのか――。




