第四部 第六章 第二話(2)『後軍』
剣の柄から下がっているのは、刃ではなく鞭のようなもの。
光を帯びたそれは、おそろしく長いリボンのようにも見え、薄くヒラヒラと頼りなげですらあった。
しかし二騎のサーベルタイガーの内の一騎がそれを振るうと、一瞬で二桁の単位の角獅虎や飛竜もどきが細切れになっていく。
よく見ればそのリボンには目盛りのようなものが刻まれていたのだが、それが何を意味するものかは分からない。目に見て分かるのは、何が起きたのか理解も出来ずに大軍が数を減らしていく事だけ。
それとは別にもう一騎のサーベルタイガーが手にするのは、細剣のような武器。
しかし細剣にしては刀身が太く、何やら刺突槍にも見えた。何とも形容し難い外見の武器だが、敢えて何かに例えるなら、巨大な糸巻き棒とでも言えばいいだろうか。
こちらはこちらで、それが閃くたびに魔獣兵器の巨体が次々と吹き飛ばされ、まるで玉突き遊びをしているように他愛なく魔獣たちが蹴散らされていった。
また、糸巻き棒が繰り出されると同時に、いくつもの光の筋が周囲に走る。そのたびに一〇を超える単位で、角獅虎が細切れにされていった。
どういう原理なのか。
あれらの武器が凄まじいのか。
それとも正体不明の獣能が繰り出されているのか。もしくはその両方なのか。
いずれにせよ、たった二騎の鎧獣騎士によって魔獣の大軍が圧されはじめていた。いや、明確に押し戻されていると言っていいだろう。
位置で言えばハーラル、レオポルトらが戦っている南西とはかなり離れた、王都北側になる。
サーベルタイガー達のいる戦場に一番近いのは覇獣騎士団のクラウス総騎士長だが、それでも視認出来る距離ではない。ただ、戦場の雰囲気が明らかに変わった事は、指揮を取る彼とて分かる。先ほどまでの迫力が見るからに薄れていった敵勢に、彼も戸惑いを覚えざるを得なかった。
――敵の様子が怪訝しい?
戦況の変化が敵の策であるかどうかの見極めが難しいところだが、そもそも策を用いる必要性が敵軍にあるとも思えない。しかもまさかそれを引き起こしているのが、たった二騎の仕業だとは夢にも思わなかっただろう。
いずれにしても戦場に起きた異変は、万を超えるヘクサニア軍の間を波紋のように広がり、毒のように蝕んでいった。
「おい、乳女」
「もぉ、なによぉ〜。ロッテちゃんったらそんな呼び方しないで〜」
「うっさい。無駄に〝力〟は使うなと言ったのに、バカスカ使ってるような脳足りんは乳女で充分だ」
その二騎のサーベルタイガーは、動きに微塵の疲れも見せずに戦っている。
いや、戦いというより、口調だけならまるで買い物途中でもあるかのようであった。
「そんなの、ニーナの〝セルヴィヌス〟はロッテちゃんの〝レイドーン〟と違うことくらい知ってるじゃない。これくらいじゃあ消耗にもならないんだから〜」
「このアホ乳女」
「ひどぉい」
「まだ〝竜〟は影も形もないんだぞ。いくら大した事なくても、くだらん消費の仕方はせず、なるべく計算して戦えってボク様は言ったよな。大体消耗率はセルヴィヌスの特性じゃなくお前自身の――って、おい! 聞いてるのか」
光のリボンを振るうサーベルタイガー、三日月刀虎を纏うロッテ・ノミの言葉を無視するように、もう一騎が飛び跳ねて敵を蹂躙している。
糸巻き棒を使うのは、別種のサーベルタイガー、斬砕豹である。大きさはロッテの〝レイドーン〟より一回りほど小さい。
それを纏うニーナ・ディンガーはといえば、恐るべき力を振るいながら、人虎の頬をまるで拗ねたように膨らませていた。
表現のしようがないほどの場違い感である。
「だってぇ、ロッテちゃんのお説教、長いんだもん。それにニーナの事、すぐにイジめるみたいに言うし」
「セルヴィヌスでスネても不気味なだけだぞ……。それにイジめるみたいにじゃなく、イジめてるんだ。状況を捻じ曲げるな、バカ乳女」
「またそんな事言う〜」
彼女らの足元に広がる、文字通りの屍山血河。
会話とは裏腹に、既に数百に近い数の敵軍が、肉片にされた後だった。
情景だけなら、さながら地獄絵図。
それでも当の本人たちの声はどこまでも呑気で、それが異様さを一層際立たせていた。
鎧獣騎士における数の論理を覆した角獅虎に対し、その真逆、一騎の鎧獣騎士で戦場を引っ繰り返すそれ自体が、もはや超常を超えた超常と言えるかもしれない。直接目にしていた連合の騎士らは呆然となるばかり。これが喜びに変わっていったのは、誰がどう見ても敵が劣勢になりつつあると実感出来てからだった。
そしてこの事は遂に、反対の戦場にいるファウストすらも気付く事になる。
自軍の様子が、明らかに浮き足立ちはじめていた。落ち着きがなく、僅かながら取り乱しているような空気感を覚えたからだ。
――何だ? 何が起きている?
まさか圧倒的なはずの自軍が押し込まれているなど、さすがのファウストでも気付けるはずがなかった。
彼の見立てでは、目の前のハーラルとレオポルトを倒すより先に、自軍が王都の守りを破壊し尽くすだろうと考えていた。しかる後、絶望に打ちひしがれるこの両君主を亡き者にすればそれで決着はつく――。
ほぼ確信に近い見積もりだったが、その読みが崩れつつある。
何かが起きた事で。
ここからでははっきりとした事態も把握出来ないし、自軍に配備してある鎧獣術士に思念で尋ねても、これまた返答が不明瞭だった。おそらく北側で、大規模な混乱を招くような事が起きているのだろうが、予想もつかないだけに彼も判断をしかねていた。
どうする? 放っておいて俺は目の前の二人をさっさと片付けるか? それともこいつらは無視して、北の左翼にまで俺が出向くか?
総大将があちこち陣を飛び回るのは愚挙にもほどがある行いに思えるかもしれないが、こと鎧獣騎士の戦場でその常識は当て嵌まらない。
ファウストの駆る〝ベリィ〟なら、それほど苦もなく往復さえやってのけるだろう。
その時、彼の思念に叫びにも似た報告が入ってきた。
いや、これは彼だけでなくヘクサニアの指揮者全員への信号だった。
――こちら左翼! 敵が! 見た事のない敵があらわれ、次々に味方を……! う、うわぁっ。
悲鳴と共に術による通信が途切れる。
どうあれ、ファウストが決断するには充分だった。
自軍の術者に、これを呂羽へ繋げろと命令する。
――聞こえるか、呂羽。
――は、陛下。いかが致しましたので。
――今のは聞いたな。
――は。届いております。
――ならば今すぐ俺のところに来い。ここの指揮と俺の獲物をお前に任せる。俺は左翼に行ってその敵とやらの始末と立て直しを行う。
命令を聞いた呂羽は、瞬時に考えた。これを受けるべきかどうか。
そもそも呂羽たち十三使徒は先の敗戦の責を負うため、今回の遠征で先攻に立つという罰則を命じられていた。しかしそれは、ここに来るまでのジェジェン攻略戦で果たされている。
またそのようにジェジェン首長国を短期間で制圧出来たのは、十三使徒らが先陣を切ったその働きによるところが大きかったからでもあった。
絨毯爆撃よろしく、攻め込んだジェジェンを圧倒的物量と破壊力で角獅虎が蹂躙したのは言わずもがなだが、先陣に立った十三使徒がジェジェン側の主要戦力を的確に潰していった事で、進軍と侵略計画に遅延を出さなかったのである。それ故、今は十三使徒も罰則を解かれ呂羽も指揮を取っているのだが、ここにきての急な教王の要請であった。
疑問でもあるし、それに彼にだけ気付いている事がある。
この異変の正体――。
敵味方合わせ、それに気付いているこの戦場でも数少ない一人。
それを分かっていながら、王の命令を受ける事は正しいと言えるのか。
王の命令は絶対だ。しかしその王を死地へ送ると分かっているのなら、話は違ってくる。
――この感覚は、おそらく……。
自分の想像が正しいなら、ファウストがそこに向かえば間違いなく王の命はなくなるだろう。いかな怪炎を操る灰の王〝赤熱の鬣〟ベリィといえど、勝てるどころか生き延びる可能性すら万に一つもないはずだ。
それを分かった上で、選択肢は二つ。
あえて王を死地に追いやりそれを傍観する。
それとも王を向かわせず、被害を静観する。
ここで王を見限るのは自分にとって得策か否か? それが呂羽が返事を躊躇う全てだった。
――どうした、早く来い。
見限るのは容易い。
自分の本来の〝目的〟を考えれば、いつかはその時が来る事も、充分考慮にいれていた。
しかし少なくとも、今がそれではないはずだ。
最終的に呂羽が出した答えは、それだった。
――ファウスト陛下。今から左翼に向かっては時間が無駄になりましょう。
――ベリィの速度なら問題ない。
――されど異変はあまりに急。状況が不確かな今、無闇に動くのは下策かと。
――何もするなと言うのか。
――いえ、それも違います。今すべきは陛下御自らが渦中に向かう事ではなく、軍を動かす事。
――何?
――五万の後軍を動かすのです。虎の子である〝偽竜・角獅虎〟を。
――後軍を、だと? それを左翼に向かわせるのか。
――いえ、混乱状態にある左翼で何が起きているか不分明な今、そこに戦力をつぎ込むのは良いやり方とは申せませぬ。
――……お前の策という事か。どうするつもりだ?
――後軍は幸い、私のいる所に近うございます。迂回にはなりますが、回り込む形で南から王都を一気に攻めれば、攻略というほどもなく攻め落とせましょう。これは数で遥かに上回る我らだからこそ出来る策。それに左翼でいくら予想外の事態が起きていようと、王都そのものを落としてしまえば敵は退路を絶たれ自壊していくのは明らか。それを狙います。
呂羽の進言は、大軍を率いる力の論理には程遠いものに聞こえた。少なくともここで策を用いるとは、あまりに慎重すぎるのではないか。
そのような考えが思念に割り込みそうになったが、それをファウストは思いとどまる。
戦いとは常に〝よもや〟の連続なのだ。
圧倒的な実力差を自覚していながら、〝よもや〟足元を掬われて一命を落としかけた過去。それは他ならぬ自分であり、その身をもってファウストは経験している。
策を献した呂羽も、先の敗戦があったからこそ石橋を叩くような進言をしているのかもしれない。
最も警戒すべきは敵ではなく己。
それを見誤れば、こちらに待っているのはあり得ない敗北で、敵にとっての奇跡の逆転劇を己自らが呼び込んでしまうかもしれないのだ。
奇跡とは偶然で起きるものではなく、冷静さを欠いた者が悪運を招き、希望を捨てなかった者に好運が訪れた結果、起きるもの。
そんなくだらない〝奇跡〟を、また敵に与えていいはずがなかった。
――よかろう。その指揮、貴様に任せる。
――は。かしこまりました。
戦いの最中に意識を他所へやっていたファウストだが、決断した以上、目の前の獲物に集中出来る。
ハーラルとレオポルト。
どちらもこの連合の中枢にして要。
どちらかを倒せば連合の痛手は相当なものになるだろうし、二人まとめてであればこの戦における勝利を手にしたに等しくなるだろう。
いずれにせよ、呂羽の策が万一上手くいかなかった場合でも、ファウストが二人を葬りさればいいだけであるのは事実。勝ち方がどのようになるかだけで、敗北などおよそ有り得ないとファウストは確信していた。
それは慢心ではない。
少なくともこの状況でこれを驕りというのは、不適切だった。
傷付き動けなくなった野兎を、空腹の獅子が殺し損ねるだろうか? 答えは否だ。
つまりはそういう事であった。
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★ロッテ・ノミ
古獣覇王牙団の一人。
※全身絵は後に掲載予定。
☆レイドーン
ロッテの鎧獣。画像は鎧獣騎士のもの。
ホモテリウム・ラティデンス、 または三日月刀虎というサーベルタイガー。
周囲に浮いている物体は今回は出ていません。鎧の背中にくっついてる状態。
※見ての通り仮画像なのでデザインが変更されるかも。
★ニーナ・ディンガー
古獣覇王牙団の一人。
※全身絵は後に掲載予定。
☆セルヴィヌス
ニーナの鎧獣。画像は鎧獣騎士のもの。
ゼノスミルス、または斬砕豹というサーベルタイガー。
※こちらも仮画像なので正式掲載時にはデザインが変更されるかも。




