第三章 第七話(2)『救出』
地下へと降りて行ったドグは、ここの構造が、いくつかの部屋で区切られた、蟻の巣のようなものだと理解した。身を隠すような場所は殆どなく、誰かに鉢合わせでもすれば一巻の終わりだが、躊躇っている時ではない。おそらく自分の行く先には、レレケと、先ほどの男がいるはず。なるべく慎重に、奥へ奥へと足を運んで行くと、薄明かりの向こうに、人の声らしき響きがする。足を早めて目的の部屋の扉まで来た。木製で鉄枠の施された扉に隙間はなく、中を覗く事は出来ない。扉に耳を押し当て、中の物音、話し声を、細大漏らさず聞き拾おうとする。
くぐもった音。扉のせいだ。だが、はっきりとはきこえないが、間違いなく、先ほど司祭と呼ばれていた男の声。
レナーテ、君も強情だな。言ったろう、――ではない
――なんだって? レナーテ? レレケじゃないのか? ところどころが聞き取れない。
では、――は誰?
――この声、レレケだ! 間違いねえ!
ドグはすぐさま呼び笛を出そうとする。だが、さっきのレナーテと呼んだのは何だ? ただの聞き間違いなのか? 妙な違和感に、呼び笛を取り出したままの恰好で、そのまま会話を聞き続ける。
――は、言っては行けない事だがな、君になら教えてやろう。この国はもうすぐ滅びる
扉の向こうで固まるドグ。何を言ってるんだ?
何を言ってるの?
本当だ。我々――が、そして、――が、この世の――全てを支配する。そうだ、君も望んでいた――だ。知りたがっていただろう?
何だ、よく聞こえない。
肝心の部分が聞き取れない苛立ちに、ドグは周囲への警戒を思わず忘れていた。
「誰だ! そこにいるのは?!」
自分が来た方に、影が立っていた。横幅のある形と太い声から、男性だとわかる。
――しまった!
思わず扉の向こうの声に集中しすぎていた。通路は一本。逃げる場所も隠れる隙間もない。
となれば、ここは!
ドグはすぐさま決断する。呼び笛を咥えて吹きつつ、扉の中へと踊り込む。
いきなりの闖入者に、驚愕の面差しのスヴェイン。そして、その傍らには――
「レレケ! 助けに来たぜ!」
「ドグ君!」
レレケもまさかと思ったのだろう。思わぬ成り行きに、両目を開いている。そう、はっきり両目を開くのがわかった。つまり、眼鏡をしていない。瞬時に部屋を見渡すと、部屋の隅に、レレケの道具類が一式――眼鏡も一緒に――置かれてあった。
「何だ、君は……?」
いささか驚きはしたものの、部屋に飛び込んで来たのが子供だと判ったので、スヴェインは落ち着きを取り戻していた。やがて間をおかず、先ほどドグを見とがめた男も、部屋に駆け込んで来る。原色をかけあわせたような、悪趣味な服装。おそらくこの屋敷の貴族だろう。地下室の調度品と、妙に親和性のある服装だ。
「ロ……司祭様!」
「リッペ殿、何ですかな、この子鼠は」
「し、知りません! おそらく、その女を助けに来た者では?!」
咄嗟に思いついた事を言っただけだが、事実その通りだった。この場合、そう捉える以外に考えようもないのだが。
ドグは再び呼び笛を口に当て、息を吹き込む。懸念すべきは、ここが地下だという事。果たして地下に居て、カプルスにこの音が届くのか――?
「ドグ君、何で君がここに……」
さすがのレレケも、まさかドグが助けに飛び込んでくるとは考えてなかった。来るとすれば、話を聞いたイーリオとリッキー達、覇獣騎士団の人間だろうと推察し、何とか外部への連絡手段が取れないかと知恵を巡らせていたのに、まさか、ドグがやってくるとは。しかも単身で。その無謀さと勇気に、呆れ、感動し、そしてほんの少し、怒っていた。
「どうして、こんな無茶をしたんですか?! リッキーさん達は?!」
「へへ、俺がそんな間抜けに見えるか? ちゃんと考えてあんぜ。それによ、無謀なのはあんたも同じだぜ。俺とシャーリーを庇って、一人で捕まっちまうなんてよ」
言葉をなくすレレケに、不敵に笑ってみせるドグ。
すると、地下室の向こうから、何やら騒がしい物音がしてくる。荒々しく階段を駆け降りる靴音。姿は見えないが、声は届く。
「リッペ様! リッペ様! いずこにおわしますか?! 大変です!」
予想だにせぬ賊の侵入に続いて、今度は何事かと、リッペは顔を蒼ざめて答える。
「何じゃ? 何事か?! それどころではないのだ、こちらは!」
声は、地下に降りず、谺を響かせて聞こえてきた。
「ここですか! 大変です、国家騎士団が、覇獣騎士団の次席官なる男が、屋敷に踏み込んで、こちらを検分したいと申しております! い、いえ、もう中に入って――!」
言葉はそこで途切れた。その意味するところを察したリッペは、スヴェインの方を振り返る。スヴェインは既に駆け出していた。今ここでレレケに構っている場合でないと判断したのだろう。
それを目で追いつつ、ドグはレレケに駆け寄り、手にしたナイフで四肢の拘束を解いていく。
手足が自由になったレレケは、直後、ドグに抱きついた。
「な、何だよ、レレケ……」
思わぬレレケの行為に、戸惑いを隠せない。
「ありがとうございます。助かりました」
レレケは、ドグの頬に軽く接吻をした。レレケの頭にいつもの羽飾りの帽子はない。豊かな黒髪が、夜色の紗幕のように流れ、いつもの仕掛け付きの丸縁眼鏡をかけていない双眸は、アーモンドのように形の良い輪郭と、長い睫毛で覆われていた。奇妙な風体をしていなければ、思いのほか美人だという事に気付いたドグは、予期せぬ感謝に、顔を赤らめる。
だが、ドグの感動もどこ吹く風、レレケはすぐに机に駆け寄ると、自身の道具を手際良く身に着けていく。すっかりいつもの大道芸人のような格好に戻ったレレケ。
「さ、こんな所に長居は無用です。行きましょう、ドグ君」
「あ、ああ……」
面食らった表情を元に戻し、ドグは部屋を出ようとするも、二人の前には、リッペが肥満気味の体を奮わせて、行く手を阻んでいた。
「か、勝手に出て行かせぬぞ!」
声は震えている。荒事向きの人間ではないのだろう。それでも、二人に向かおうとしているのは、相手が女子供だと高を括っていたからだ。その思いが透けて見えたドグは、リッペの迫力のない威圧声を鼻で笑う。
「いいのか、貴族のおっさん。そこにいたら、俺の相棒が来るぜ?」
ドグの親切な警告だが、リッペには更に仲間が来るのかというくらいにしか想像出来なかった。その想像力のなさを笑う事は出来ない。何せ顔を出入り口側に向けた次の瞬間、目の前に凶暴な牙を剥き出しにした大山猫が、飛びかかってきたのだから。
「ひゃひぃ!」
奇妙な叫び声を上げ、リッペは後ろ向きに倒れ込んでしまう。その衝撃で後頭部を強く打ち、彼はそのまま気を失ってしまった。
自分を捕らえていた一味の一人が、何とも情けない話ではあるがとレレケは思いつつも、呆れているよりも先に、出口へと向かっていった。




