第四部 第六章 第二話(1)『黒母神』
目に映る色は、緑。
揺らぎ、揺蕩い、ぼやけている。
己が再生タンクの中にいる事に気付いたロードは、溶液から上半身を起こした後で、〝器〟が新調されたのだという事を思い出した。同時に、前と同じ肉体である事実に、妙な違和感も覚えてしまう。
神聖黒灰騎士団・十三使徒・第二使徒ロード・イゴーの肉体は、ヘクサニア教国・国家最高錬獣術師のイーヴォ・フォッケンシュタイナーによって生み出された複製人間のものである。
普通であれば遺伝子の解明、利用――そういった超科学は、天才とされるイーヴォでも理解が出来るはずがなかった。しかしそれらは全て、魔導士集団エポスが彼をそのように導き、場合によっては知識のヒントを与える事で実現させていた。
複製人間の大元となった人間は、かつての第二使徒ロドリゴ・デル・テスタである。
そもそもこの複製人間は、竜人という存在とは全くの別のもの。大量に生産・投入される角獅虎の駆り手を確保するため、簡易人造魂魄だけで創り出された大量生産品としての、〝人造人間〟だった。
ようは騎士の量産品だ。
彼らエポスはそれを、〝灰化人〟と名付けている。
同時に灰化人はエポスの器にもなれるように設計されており、元々適合率の高かったロードことアンフェール・エポスは、容れ物としてこれを使っていたのだ。
では違和感とは何か。
これまで彼らエポスは、前の器である肉体を失った場合、新たな〝器〟となる人間を用意し、別の人間、別の人格として生まれ変わっていた。ロードも二つ前の器では、神聖黒灰騎士団の前身である灰堂騎士団の総長ゴーダン・オラルであったし、それどころか歴代総長の何名かも、彼が器としていた人間である。
彼らエポスはそうやって別の人間、別の魂を乗っ取り、千年間という悠久の時間の中、延々と生き続ける事を繰り返してきたのだ。
目覚めるたび、違う肉体、違う人間となって――。
だからこそ全く同じ人間で目覚めるという事に、違和感があったのだろう。一度失ったはずの肉体であるにも関わらず、再びその同じ肉体で眼を覚ますという感覚が、どうにも奇妙に思ってしまうのかもしれない。
だが新しい肉体に慣れるまでの〝馴らし〟を必要としない分、やはりこれはこれで好都合だと、ロードは思っていた。
同じ十三使徒でもあるエヌ・ネスキオーことヘルヴィティス・エポスも、ロードのような複製人間のものに近しい器ではあるのだが、あれはヘルヴィティスが目覚めるまでに準備が間に合わず、念の為にと用意しておいたツギハギの肉体を器にしたもので、原理はともかく根本的にロードと同じではなかった。
そんな己の肉体を確かめながら、前の器で見た最後の瞬間を思い出す。
ロードはイーリオ・ヴェクセルバルグの始末に行ったのだ。しかし予想外の乱入者によって、それは失敗に終わってしまう。
その際見た、最後の映像――。
己を返り討ちにした人獣騎士。
あれはまさに――。
間違いない。アルタートゥムの騎士だ。
だがあの種類のサーベルタイガーは、千年前に滅ぼしたはずだった。
なのにどうして、まだいるのか。
とはいえ、アルタートゥムとて一騎や二騎ではない。数を減らしたのは自分達エポスも同様だが、それでもかつての中であの種の生き残りがいても怪訝しくはないとも考える。
同じサーベルタイガー――確か大剣牙虎だったか――と言えど、記憶を辿れば千年前とは明らかに異なっていた。細部は勿論の事、装備も全く違っていた。動きの洗練度合いも千年前とは段違いであったと思える。
いずれにしても千年という時間があれば、前と違っていて当然なのだろう。
それよりも、エポスやオプス神と敵対するアルタートゥムが姿を見せたとなれば、いよいよ自分達も〝魂の庭園〟を実現させる時が近付いてきたという事に他ならない。
おそらくアルタートゥムがあらわれた事は、他のエポスらも知ってはいようが、具体的な情報までは知り得ていないはずである。何せ今は、ヘレ・エポスの管理する彼らの霊子ネットワークが、使用不可になっているのだから。
それにもう一つ。
これは霊子ネットワークでなくとも感じ取れる信号。
――〝座標の巫女〟と〝月の狼〟が目覚めたな。
それは即ち、エール神までもがこの世界に介入したという事。つまりこちらの求める条件が、全て果たされた事も示唆していた。
まずはこの話を共有すべきと考え、目覚めた直後にも関わらず、ロードは早速にも他のエポス達に会おうと身を乗り出す。
そのロードが訪れたのは、エポスのみが立ち入る事を許されたヒランダル黒聖院の最奥の一つ。
だが――。
そこで彼は、信じられないものを目にする。
スヴェイン・ブク――つまりはディユ・エポス。
ドン・ファン・デ・ロレンツォ――つまりはアルナール・エポス。
エヌ・ネスキオー――つまりはヘルヴィティス・エポス。
その三人のエポスが、恐怖に身を竦ませるように、跪いていたからだった。
何が起きている――。
その問いを口にするより先に、彼の魂にも刻まれたプログラムが、当然のようにロードすらも強制的にその場へ膝をつかせたのだ。
全身を襲う、畏怖と恐怖と重圧。
何をしているのだ。何が起きているのだ。
訳も分からずただ冷や汗だけが、滝のように己の肌を濡らしていた。
「これで揃ったな」
声がした。
男でも女でもない、性別不詳の声。なのに艶やかな声。
どこか蠱惑的で威圧的。なのに聞き入ってしまう声。
だが顔を上げる事が出来ない。
何だ。何が起きている。この自分が、この〝破壊と闘争〟のエポスである自分が――まるでこれでは、奴隷ではないか。
「構わん、面を上げろ」
さながら呪縛による支配が命じるまま、言葉通り頭を持ち上げるロード。
他の三名も、全く同じ動きをしていた。
目の前に飛び込んできたのは、黒と白。
黒く艶やかな、地面にまで垂れている長い髪。
瞳は黒く、唇も黒。しかし肌は絵の具のように白く、体温を感じさせない純白さだった。例えるならそう、白蛇のような白さとでも言おうか。
華奢にも思える細長い手足は、よく見ればしなやかで無駄のない筋肉がついており、骨ばった骨格は男性的なのだが胸には膨らみがあるように見える。
声と同様、信じられないほどに美しい男なのか、それとも妖気漂わせる美女なのか、中性的すぎて判別がつかなかった。
年齢は外見から判断した場合、二〇代前半といったところに見えるが、果たしてそれも合っているかどうか。
だがそんな事よりも、もっと奇異なところがある。
この中性的な人物の指先など一部の皮膚に、うっすらとウロコのような質感が見えるのだ。
瞳の黒も、瞳孔の奥に細長い形が見える。
明らかに人間ではない瞳。おぞましさすら感じる、異質さ。
なのにそれすらも――美しかった。
さながらそれは、太古より人類が渇望し続けた神なる存在が、天上から降りてきたとでも言おうか、はたまた地の底から這い出てきた悪魔の王か――そんな風に見える、超然とした美と醜。
その異様な美しさを持った何者かは、エポス達を見下ろす形で深々と椅子に身を沈めている。彼らの王か皇帝でもあるかのように。
「これ……は……?」
かろうじて絞り出すようなか細さで、ロードが呟く。
その問いに、目の前の黒白が無表情のまま答えた。
「我はオプス」
時間が止まる。そんな沈黙。
「は……? え……?」
「ヘルを母体に、ヘレの因子を吸収して産まれた、黒き母神オプスの化身。それこそが我。――我これは、オプスそのもの」
黒白は一旦言葉を区切る。
「我の名は、オプス・ザ・インカネーション」
四名ともに、声すら出ない。
「またはこう呼べ、ヘルオプスと」
四人にあったのは、魂に刻まれた本能だけ。
これ以上の説明も何も必要としないほど、圧倒的な理解だけがあった。
己らの人造魂魄が認めている。彼らの根源が間違いないと囁いている。子が無条件で親を認識するように、涙すら流れさせるほどの他愛なさで、四人のエポスは理解した。
「我らの母神……」
「何という……何という……」
四人が共に、感動に総身を震わせていた。ロードも同じである。
オプスの命に従い、オプスの声なき声を常に感じながら、彼らは悠久の時を永らえてきたのだ。ただオプスのためにだけ――。それだけが彼らの盲信さの全て。絶対無比で揺るがないもの。
その根源的存在そのものが、目の前にいる。しかも直感以上、遺伝子も魂も何もかもが、それを間違いないと認めているのだ。
これで昂らぬはずがない。
ただ一人――ディユ・エポスのみを除いて。
スヴェイン・ブクでもある彼だけが、感動とは別の感情を、目に宿していた。それに気付いたロードだが、相対するヘルオプスも気付かぬはずはないだろうとも思った。
しかしヘルオプスはそんな事など露ほども気にかけず、性別不詳の声で語り出す。
「条件は全て整った。故に我は、受肉した」
「受肉の条件……?」
「一つ目は月の狼に施された九つの鍵の解放。これにより封印として規制されていた全てが、解除された。二つ目が虹の橋の使用と天の山の追跡による星の城の中枢――ソロモンの座標の捕捉。そして最後にして最も重要な条件――」
「まさか……」
「そうだ。座標の魂の完全複製。遂にこれが完成した」
「では――!」
「千年間……。我にとっては一〇年だが、それでも膨大な時間だ。この歳月を費やして、ようやっと巫女の魂魄を完全解明した。お前達ですらエッダ――いや、アート・エポスが我らから離反したと思っていただろう? それを我が黙認したと。そうではない。それもこれも全て計算の内。そもそもアートに巫女の起動キーを与えたのも、あれを終始巫女に張り付かせるため。お前達に与えたようなプログラムではなく、感情的にも狂信してもらうため、あれに己の意思でエポスを脱け出したと思い込ませ、千年間巫女を観察させた。そのお陰で最後の〝揺り動かし〟を経て、何もかもが確定した」
突然のシャルロッタの目覚め。
イーリオとの出会いと恋心。
別れと愛。
魂の成熟と変化。
これらも全て、オプスの狙い通りに働いた〝検証結果〟でしかない。そう言っているのだ。
「結果、最終的に巫女の複製体であったヘレの因子を取り込む事で、我の存在は完全なものとなった。最早巫女がいなくとも、魂の庭園は実行可能である」
おお、と四人が感嘆する。ディユですらも同じくであった。
まさか失敗や偶然すらも女神の考えの内であったなど、想像出来るものではあるまい。
「九つの封印である〝科学技術の規制〟も解かれた。巫女も完全には必要なくなった。いや、むしろ今はただの障害だ。あれらを始末し、最後に星の城さえ手に入れれば計画は果たされる。分かるな? 〝竜〟でもって、目的を完遂する。我が受肉したのも、まさにそのためである」
エポスたち異世界の存在は、こちらの世界を遥かに超越する超々科学を持っている。この世を意のままにしたいのなら、その知識と科学を使い、一気に征服でも何でもすればいいだけではないか――。
そんな風に思うのが普通だろう。
だがこれまでエポスたちは、それが出来なかったのだ。何故か。それは彼らの存在の根が、この世界ではなく異世界にあるからだ。
異世界――彼らにとっての元の世界。
そこが課したルールの一つに、現地の知的水準やそのレベルと同等の干渉しかしてはならない、というのがある。もし水準を大幅に超える知識などを用いて、現地の人間に影響を及ぼしてしまった場合、それは即座に異世界側の取り締まりに見つかり、こちらの世界への干渉が出来なくなるのは勿論、最悪、エポスらがその存在ごと抹消されてしまう事さえあった。
だからエポスたちは今まで、圧倒的な知識と技術を行使しなかったのである。
ようはオーバーテクノロジーすぎる力は、それそものの使用が禁止されており、その知識を現地の人間に直接与えてはならないという規約があった、というわけである。
それが九つの封印であった。
それを設けられたのが、巫女の守護者ザイロウ。
九つの鍵と門。
守護者とは、世界と彼らのエポスの監視者でもあるのだ。
九つの段階に応じ、それぞれの水準の科学や技術などの使役許可が降りるというもので、その全てが解放された時、エポスやアルタートゥムといった異世界存在は千年前と同じレベルの〝力〟を使う事が可能となる。
つまりイーリオがザイロウの新たな力を得れば得るほど、エポスたちにとって世界は望ましい方向へと近付いていった――そんな皮肉な事実もあったのだ。
だから黒騎士は、イーリオが巫女のつがいに相応しくなくとも、彼を排除せず、むしろ成長を促しさえしたのであった。
封印を解くのに、こいつは打ってつけだと。
それは正しく、目論見通りになったという事。
「では、ヘルオプス様自ら、〝竜〟を使役なさると?」
「我はオプスであるが、ヘレの因子を持ったヘルでもある。両方の存在でもある我に相応しいよう、竜神ヤム=ナハルと金剛竜王を合成し、次元を超越した竜を生成しよう。既にイーヴォへ、その手配は済ませてある」
ドン・ファンことアルナールの問いに、ヘルオプスは彼らの想像を超える答えで返した。その言葉に、再びエポスらが瞠目する。
「お前達も既に気付いただろう。エールがこの世界に直接介入した事を」
ロードがこの場に来た目的。
エポス達がオプス神の後ろ盾を得て存分に介入するには、敵対関係にあるエールもこの世界に直接介入してもらう必要がある。
それが為されたという事実。
「五本の聖剣を核に生み出した竜の〝剣〟。そして竜そのものの再生。――即ち、お前達もこれらを存分に使えるという事だ」
立ち上がる異形の両性具有神――ヘルオプス。
いや、破壊神にして創造神の化身か。
「我の子らよ、今こそこの世界を魂の楽園にすべき時ぞ」
四人のエポスも立ち上がる。
母にして父、王にして創造主。
この世に彼らの望む安息を創り出すため、その神が本当の使徒に最後の使命をくだした。
「〝装竜〟を出せ」
神話で呼ばれる〝破滅の竜〟。
その名を〝装竜〟。
黄金竜王
青銀竜王
紅玉竜王
水晶竜王
四騎の竜が、遂に目覚める――。




