第四部 第六章 第一話(終)『大牙』
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セリム、ヤンといった豪傑達が刃を振るい、敵なしと言われた魔獣兵器たちを薙ぎ倒していく。
クラウスたち覇獣騎士団もそれに負けてはいない。
また他方、銀月獣士団とユキヒメも、規格外の戦力で少数ながら敵の攻撃の津波を堰き止める働きを、存分にしていた。
特にユキヒメの駆る軍荼利の力は凄まじかった。敵が攻めてくればくるほどそれらは異能によって創られた樹界の養分とするだけでなく、それにより味方を回復さえしていったのだ。
数では不利なのに、戦巧者の戦法に阻まれ、まだひと息に攻めきれていない。
そんな印象を後方の陣より眺めながら、ファウストは抱いていた。
またそれ以外にも、彼を苛立たせている要因がある。
第二、第三、第四といった上位階の使徒達が、挙って戦闘に参加せず、遅れてくると言った事である。
上位階――つまりはエポス達だ。
一体どういうつもりなのかと問い詰めようともしたが、元よりファウストが、彼ら魔導士集団エポスの傀儡である事は、他ならぬ自分自身がよく理解している。それでも、その説明だけで納得出来るものでもない。
だが己の感情に任せても、事態が好転するはずがない事は、彼も分かっていた。それくらいの分別がなくば、大陸を統べる大王になどなれはしないだろうという事も。
気を鎮めるように息を吐き、自ら陣頭に立って指揮を取る。
「呂羽に伝えろ。敵は少数。踏ん張る者には数で囲み動けなくすればいい。その間に別の流れを作り、一気に敵本陣を叩けと。本陣を潰してしまえばどれだけ威勢がよくとも糸も切れはする。そうすれば後は俎板に乗せた魚でしかない」
方法は違えど、奇しくもこの時くだした命令は、連合の狙いと近しいものがあった。
だが何よりメルヴィグ軍を中核にした大陸連合にとって悪い意味で想定外だったのは、ファウストの用兵振りであろう。
強力な騎士達には無理に拘泥せず、綻びとなり潰せそうなところから的確に相手を潰していく。その指揮は非常に的確で且つ鋭い。
やがて会戦して半刻も経たぬ内に、ヘクサニア軍が連合を押し潰そうとしていったのも当然と言えた。
してみればファウストという男には、大局的に大軍を動かす事よりも、局地的な戦術の才能の方があったのかもしれない。本人がそれを喜ぶかどうかは別にして、その指揮は個別に行っている内は、実に見事なものであった。
だがこれが、連合側にとって予想外の痛手となる。
各個の戦闘での犠牲が増えてくれば、数的に劣る連合が不利になるのは自明の理。数の論理とは、いわば消費の論理とも言える。絶対数で負けている以上、いずれ選りすぐりは生き残るかもしれないが、気付けば残されたのは自分一人――。そんな事になっても怪訝しくはないという事でもある。
ここですかさず、ブランドがゴート帝国とジェジェン両軍の合同部隊を投入した。
ジェジェンの人馬騎士らが速度で撹乱し、そこをムスタやソーラといった歴戦の勇士に率いられたゴートの精鋭揃いが飛び込み、爪痕を刻んでいく。
その手際は集団戦に慣れたゴート帝国軍ならではの戦法も相まって、着実に戦果となっていった。
だが類例のない巨大な戦場は、更に予期せぬ展開へと向かっていくのである。
ゴート・ジェジェンの合同部隊の前に、突如、鎧獣騎士ですら抗えぬほどの猛火が巻き起こったのだ。
「何だ?!」
思わずソーラとムスタが叫んだのは、無理もない事だろう。
その火炎の主が戦場に立った時、誰もが声を失い、慄然とした。
連合だけでなく、ヘクサニア側も。
ヘクサニアの総指揮を取るファウスト王自らが、敵の真っ只中に躍り出たからだった。
異能の業火を操り、何もかもを灼き尽くす灰の王。
近寄れはしない。近寄る敵あらば、それは操る炎で消し炭にされるだけ。
だがこれは、連合にとって好機が訪れた瞬間だとも言えた。
「ギオル!」
「はっ!」
ハーラルが叫ぶ。
人虎騎士となった騎士皇帝が、人鷲に持ち上げられて戦場の空を翔ける。
しかしその主従の行手を、いくつもの灰色の翼が遮った。
ヘクサニアの飛竜もどき。
角獅虎が異能によって人竜となった姿である。
が、そんな事があるくらい、ハーラル達も見越さぬはずがない。
もう一つの巨翼が人竜の前を掠め、ハーラル達の進路を切り拓いたのだ。
それは銀月獣士団のミハイロと、彼の纏うジムルグである。
「今の内です!」
「助かる!」
ミハイロ=ジムルグの翼は、ヘクサニアの飛竜もどきすら超える大きさをしていた。何せ史上最大級の巨鳥アルゲンダヴィスの鎧獣なのだ。威嚇で隙を作るのに、これほどの適任はいない。
それに一番年少の彼でも、潜り抜けた修羅場の数は歴戦の騎士すら追いつかないほどのものがある。最早、泣き虫で虚弱だった非力な御曹司は、そこにはいなかった。
逞しい一人の騎士として、ミハイロも羽ばたいていたのである。
敵の包囲を突破して、ティンガルボーグを纏ったハーラルが、ファウストの近くに降下される。
「ほう」
氷に見紛う美麗な鎧を身に帯びた、この世にただ一騎の灰色虎の人虎騎士。
その姿に、人獣の目を細めるファウスト。
「貴様は話に聞くゴートの皇帝か。会うのは初めてになるな」
「そうだな。そしてこれが最後の出会いになるだろう」
「如何にもそうだ。残念なのは貴様の素顔を見れず、丸焦げにしてしまう事だろう。せめて大国の君主同士、一度は直接会ってみたかったものよ」
「それならば安心しろ。余が死体となった貴様の首を刎ね、物言わぬ貴様の傷顔をとっくり拝んでやるからな」
「出来もせぬ法螺など、面白さの欠片もないものだ。皇帝などと吠えたところで、所詮貴様は紛いものの簒奪者という事だろう。貴き者の慈悲すら解せぬとは、卑賤の者らしい発言だ。もういい、言葉は要らぬ。燃やしてやるからさっさと来い」
それを皮切りに、緊張の水位が一気に高まる。
だがそれに反応したのは、ファウストとハーラル、そのどちらでもなかった。
予期せぬ角度からの別の槍。
後方だったにも関わらず、天賦の反射速度でこれを防ぎきるファウスト。
ファウストの纏う〝ベリィ〟の大剣と白の刺突槍が火花を散らしたのも一瞬、炎による反撃がなされる前に、槍の主が身を転じて跳躍し、ハーラルのいる側に降り立った。
「〝覇王獣〟! レオポルトか!」
ハーラルと並んで立つのは、ホワイトライオンとホワイトタイガーの混合種。
世にも稀な白色獅子虎の鎧獣騎士。
メルヴィグ連合王国の武の化身であり、王の象徴。
〝覇王獣〟リングブルムを纏うレオポルトだった。
「面白い。メルヴィグとゴート、両国の王と皇帝が俺に向かってくるか。いいぞ! いい! とてもいい! 無益な戦いは俺も好まぬ。ここで大将決戦と洒落込み、この戦争の幕引きをしようじゃないか! ええ?!」
新たな強敵が増えたにも関わらず、ファウストはむしろ興奮を露わに喜びの声を上げていた。
一方で今の攻防だけでも片鱗を見せたその実力に、ハーラルとレオポルトの表情は、獣の中で固いものに変わっていく。
同時に、史上かつてない共闘がここに生まれる。
メルヴィグの獅子群王と、ゴートの氷虎帝。
まさかこの二騎が並んで戦うなど、一体誰が予想出来た事であろうか。
何より、ファウストとハーラルの一騎打ちの予定が、よもや二騎で相手取れるとは――。予想外の好機である。
ただ、予期していなかった展開になった事で、戦場は更に混迷の度合いを深めていく。
別の戦線では、いち早く連合側がヘクサニアに呑み込まれつつある状況が生まれ出していたのだ。
それはさっきまでファウストが直接指揮を取った事による副次効果と、今の状況による混乱した戦線による影響だった。どちらにせよハーラル達が早期に決着をつけねばならない状況に、拍車がかかったとも言える。
その結果でろうか、あちこちで連合軍の騎士達が次々に倒れていった。
数も質も圧倒的なのだ。踏ん張りが効かなくなれば、そのどちらもで劣っている方が雪崩式に脆くなるのは当然だろう。
その屍を踏みつけ、いよいよ王都に迫らんとするヘクサニアの魔獣兵器たち。
こうなっては、もうハーラル達が勝ったところで、敵の勢いを止める事など、出来はしないのではないのか。そんな絶望が味方の足元に忍び寄らんとしていた時――。
この戦いでの最初の異常事態が、ここで起きる。
広がった戦場のとある場所に、場違いな人間が突如としてあらわれたのだった。
うら若い、女性二人。
どこかの軍の女性騎士だろうか。
いや、そんな風に見える風貌ではない。
ともに露出の多い衣服を身に纏い、ここが激戦の最中だという事がまるで見えていないかのように、悠然と戦場を横切っていく。
あまりの違和感に、目にした敵味方双方が、呆気に取られてしばし唖然となってしまうほど。
――何だあの二人は?
例え無力な存在でも、水を差す以上の異質は、興奮状態を凍らせるものらしい。
けれどもまず真っ先に、ヘクサニア側がいち早く反応する。
感情の乏しい魔獣兵器なのだ。駆り手もほぼそれに等しく、そうなるのもこの場合当然だろう。むしろ邪魔な虫ケラを潰してしまえとばかりに、無防備なただの人間二人に対し、容赦のない凶剣を猛然と振るった。
「危ない!」
誰かが叫ぶ。連合の騎士の一人か。
が、粉微塵に裂かれてしまったはずの女性が何故かそこにおらず、角獅虎の刃はただ空を通り過ぎるのみ。
――?!
いつの間にか消えた、二人の女性。
誰にも何も、起こされた事態が分からなかった。
寸鉄すら帯びてないような女性二人は、むしろ敵軍の目の前にその身を移動させているではないか。
今さっきと違うのは、それぞれが猛獣の背に跨っている事か。明らかに大型猫科猛獣と分かる、鎧獣の背に。
一体いつ呼び寄せたのだろう。どうやってあらわれたのか。それすら見当もつかなかった。
思わず条件反射的に驚きを見せる角獅虎たち。
その狼狽えをみて、女性の内、年少そうに見える一人が嘲笑いながら言った。
「見ろ。出来損ないのヘッタクソな複製人間でも、実に人間的な反応をする。しかしこう改めて見ると、遺伝子操作に生体改造など、規約違反もいいところじゃないか? 全く、異界倫理の審査もガバガバだな」
「だってぇ、それって向こう側の実用年代順が基準じゃん。高出力分子モーター搭載のナノマシンが実用されてるのに、遺伝子改造はまだにならないって事でしょ~。まあそれもヘンだけどさ~」
「ンな事は言われなくても分かってる。ボク様が言ってるのはその年代順規定がそもそも間違ってるという事だ。大体だ――」
女性二人が侵略者の目の前で、場違いなまでにのんびりとした言い争いをはじめている。あまりに露骨な侮辱か。
それを理解したかどうかは分からぬものの、複数の角獅虎が、牙を剥いて小さな体に殺到する。
四方八方からの嬲り殺し。
先ほどの不可思議な回避があっても、そして女性二人がどのように腕の立つ騎士であっても、この包囲網を抜け出す事は絶対に無理。即座に鎧化をしても、窮地を脱する事さえ不可能に思えた。
が――
まさに飛びかかったその瞬間に、魔獣達の動きがピタリと止まる。
呆気に取られたのは連合側の騎士達の方。
その異様な光景にもだが、それだけではない。
襲った者達だけではなく、その外側にいる周囲の軍勢も丸ごと、動かなくなったのである。その戦場だけが、時間が止まったかのようにまばたきひとつすら動く事をやめ、一切の動きを停止していた。
何が――?
一体何が起きているというのか。
一秒。
二秒――。
数拍後の事。
女性二人を囲っていた魔獣達が、ゆらゆらと動き出す。
いや、動き出したのではない。
安定感をなくした巨体が、倒壊する建物のように崩れていったのだ。
文字通り、体をいくつも輪切りにされて。
それだけではない。倒れる角獅虎の数は連鎖的に増えていき、動きを止めたヘクサニア軍の全てが、体を幾重にも膾斬りにされて崩壊していく。
血飛沫すらも、崩れた死体の後に噴き上がる始末。
ヘクサニアが驚嘆し呆然となったのは勿論、むしろ助けられた恰好になった連合側こそ、それ以上に驚いていた。
「いくら出来損ないちゃんでも、いーっぱい数があれば敵っちゃうって思ったのかな? ゴメンねえ、それってムリムリのムリちゃんだから。とりあえず死んどいてちょーだいね」
「おい、バカ乳女、相手はマインドコントロールを脳味噌の芯までズブズブに漬け込んだ木偶の坊の複製人間だぞ。お前の間抜けな言葉が通じると思ってるのか。このムダ乳アホ女」
「ひどぉい、ロッテちゃんひどぉい。そんな事ロッテちゃんに言われたら、ニーナ泣いちゃうよぉ」
女性二人がいたはずの場所。
そこに、見た事のない人獣騎士が二騎、立っていた。
立って、実に緊迫感のない会話をしていた。
巨大な犬歯を剥き出しにした、サーベルのような牙を持つ二体の猫科猛獣。その鎧獣騎士。
連合の部隊にいた鎧獣術士の一騎が、その姿を目にした瞬間、驚きの声をあげる。
「サーベル……タイガー……?」
鎧獣術士を駆る理術師は、ほとんどが錬獣術を修めた者になる。またはレレケやホーラーのように、実際に錬獣術師である者が多かった。それだけに、錬獣術を学ぶ時に必須の書である諸獣目録を精読している者は多く、この理術師もそうだったのだ。
名前と記録、写し絵だけならば目にした事はあるが、実物を知る者は皆無とさえ言われる伝説の古代絶滅種。
それがサーベルタイガー。
その鎧獣騎士が、目の前にいる。
あの場違いな女性二人の声を響かせて。
だが驚いてるばかりではない。
恐怖という概念があるのかどうかはわからないが、角獅虎の鎧獣騎士がこれで尻込みをするような殊勝さを持ち合わせていな事くらい、今更説明するまでもないだろう。
むしろ怒りの火に油を注いだのか、先ほどの倍以上の数が、二騎のサーベルタイガーへと向かっていった。中には飛竜もどきに変異し、これを潰そうとする者さえいるほど。
一〇万の大軍の内、一体どれほどの数がここに集っているのかは分からない。
どうであれ、向かって来る総数は二騎だけでどうにかなる数ではなかった。
例えレオポルトの覇王獣やヤンのエアレ、ユキヒメの軍荼利で以ってしても、体勢を立て直そうとして一旦引き退がる規模の数。
目にした連合軍が助けに行くことさえ躊躇うほどの、人獣による津波が押し寄せんとしていた。
しかし標的になった二騎は、慌てもしないどころかそれをろくに見てもいない。大軍を一瞥し、ただそれだけ。再び間の抜けた会話を続けていた。
「おい、雑音がひどいぞ。罰としてお前がうるさい奴らを片付けろ」
「え~、またニーナがするのぉ。こういうお片付けは、ロッテちゃんの方が得意じゃん」
「黙れ、バカ女。四の五の言ってないでさっさとやれ」
片方のサーベルタイガーの方が、立場が上なのだろうか。
もう片方が渋々肩を落として言う通りに頷く。
けれどもすぐに「よし! じゃあニーナがキレイに刻んであげるね♡」と気を取り直したように明るい声をあげて向かってくる敵軍の方に向き直る。それを前向きと言うには、口にした内容があまりに血生臭いものだったが。
それに見た目は厳ついサーベルタイガーの人獣騎士なだけに、声や喋り方との温度差が著しいどころではない。いや、発言そのものが、そもそも場違いすぎると言えるだろう。
踊るような手つきで、サーベルタイガーの両手が華麗に大きく動く。
一瞬――
目にした連合軍の内、数人だけが、何かの光が煌めくのを見たような気がした。
と思ったのも束の間。
向かい来る敵軍、その全てが、一瞬で動きを止めた。
一秒――二秒――
誰もが息を呑む。
まただ。
またさっきと同じだ。
やがて――景色が歪んだ。
いや、そうではない。
敵軍全てが、斬り裂かれていたのだ。
解体された畜肉のように、目に映る全ての魔獣が、輪切りにスライスされたのだった。
血流が大地を泥濘に変え、その上にどしゃどしゃと音を響かせて落ちていく人獣たちの肉体。一〇騎、二〇騎どころではない。数十騎、いや、一〇〇騎近い数の敵が、一瞬で肉塊と化していった。
と、その難を逃れた人竜が、それでもとばかりに凄まじい勢いで、二騎の方に滑空をかけようとする。
「あ、お空の方は届かなかったのね。テヘ」
「テヘ、じゃねえ。ウザイしウルサい」
溜め息を吐きながら、微動だにしていなかったもう一騎のサーベルイガーが、そちらを見もせず、飛来する人竜の方に向けて片腕を掲げた。
何をするつもりか。武器など持っていない。構えですらない。
パチン。
指を、鳴らした。
何を――
そう疑問を持つ間もなく、人竜が空中で爆散する。
刹那、何かが内部から人竜の巨体を突き破ったかのように見えたが、よくは分からない。
凄まじいなどという言葉で形容出来る惨状ではなかった。
桁外れもいいところ。
普通ならば、突如出現した謎の助太刀に、連合の士気が沸き立つところだろう。
しかし最早次元が違いすぎて、明らかに味方であるにも関わらず、恐怖に近い感情すらこの時の連合騎士たちは抱いていた。
「ふん。いくら〝もどき〟だろうが、紛い物の出来損ないなど、どれだけ数を揃えても無駄だな。そんな事は千年前から知っているだろうに」
片方のサーベルタイガー――ロッテ・ノミが吐き捨てる。
「でも千年前の小っちゃな竜とは違うよ。何だかこっちの方がドラゴンって感じ」
もう一騎――ニーナ・ディンガーが答える。
「どっちでも違いはない。このボク様が創った牙の前に、相手になる有象無象などありはせん」
地上に降りた、神の騎士団の先陣。
「まあそうだよねぇ」
「ああ。破滅の竜との決戦用L.E.C.T.――それがボク様たちだからな」
古獣覇王牙団の二人が、今ここに、その力を見せようとしていた。




