第四部 第六章 第一話(3)『大戦黎明』
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ヘクサニア再来――。
ハーラルと養母サリの予期せぬ邂逅から、二週間後の事。
その報が齎された時、ハーラルを含めた連合諸王は慄然とした。
ただその報せとは別の意味でハーラルの顔色が優れない事に、諸王代表であるレオポルト王や、いつもはいがみあってばかりのジョルトの二人だけは気付いていた。
年齢の割に堂々とした振る舞い。数々の戦場で鍛えた騎士としての誇りと実績。それらこそ若き北の帝国の君主には相応しく、覇気のない顔は彼らしくないように見えたのだ。
しかし告げられた来襲の脅威によってその疑問は有耶無耶になってしまう。結局サリが行ったハーラルへの工作も、誰にも告白されないままとなってしまった。
「どうやらヘクサニアは、軍を二つに分けての行軍をしている模様。前軍の数は五万。後軍の数も五万。計一〇万騎の角獅虎が、王都に向けて進んでおります」
伝令の声は最早悲鳴に近く、耳にした全員も、言葉にすらならない。
バッハウ峡谷の戦いでは、二万のヘクサニア軍を撃退するのに成功したが、今度はその五倍。それも全騎が角獅虎とあっては、信じられないというより信じたくないという思いの方が近かった。
緊急招集された連合を代表する諸王や騎士達が、軍師であるブランドに目を向けるも、そのブランドすら首を横に振っている。
「そんな……」
ブランドにしてみても、予想外どころの話ではなかった。
いずれ再度仕掛けてくるのは読めていたが、あれだけの規模の軍など、そうそう動かせるものではない。ましてやつい二週間ほど前に、ヘクサニアはジェジェンと争い、これを攻め滅ぼしたばかりなのだ。物資の調達や準備など諸々を鑑みて、どう見積もっても数ヶ月から半年は時間を稼げるだろうと踏んでいたのである。
それがほんの二ヶ月未満で、しかも前回を遥かに超える規模の軍勢で攻めてくるなど、いくらブランドでも、いや、亡くなったカイであっても読めはしなかっただろう。
「どうやってこんな事を可能にしているのか……。正直、分かりません」
「打つ手はないのか」
「奪った角笛についても、流石にもう対策をしているでしょう。おそらく前の手はもう使えません。それにこの数となると、仮にこちらの角笛で敵軍を操ろうとしても、数に呑まれてしまう可能性すらあります。まさかこんなに早くもう一度攻めてくるなど――完全に予想外です」
ブランドと彼の主であるクリスティオのやりとりに、全員が押し黙る。
「だがどうであれ、指を咥えて黙って滅ぼされるわけにもいかないよ。今我々は、我々に出来る最善の事をしていくべきだ。違わないかな」
皆の塞いだ気持ちを振り払おうとでもするように、レオポルトが声を張って告げる。
連合代表の彼の言葉は正しい。
そうだ。恐ろしさに狼狽える暇などないのだ。
けれどもさすがに、こうなっては取るべき方途すらないのではないか。どれだけ気持ちを奮い立たせようとしても、現実はどこまでも残酷だと思えた。
「打つ手がないのはそうかもしれない。けれども本当に何一つ策はないのかな? どうだろう、ブランド?」
「……どこまで有効かは分かりませんが、こうなっては敵の指揮を直接潰す以外、残された手はないかもしれません」
「五万ずつの大軍という事は、指揮を取る者はそれぞれ別にいると考えた方が良さそうだな」
ブランドの答えに返したレオポルトの言葉に、答えた当人が頷く。
だが実際は、口にするほど簡単なものでないのは明らかだった。
指揮を取る者を倒す前に、数で押し切られるのは言うまでもない事。〝数の論理が通用しない〟のが鎧獣騎士の戦であるが、ヘクサニアはその戦いの根本原理すら覆しているのだ。
「となると、時間との勝負になるだろうな」
セリムの独白に、横のヤンが首肯した。
押し切られる前にどれだけ早く敵の指揮官を倒せるかどうか。けれども前回の呂羽同様、おそらく今回もかなりの強者が指揮を取っているのは明白。情報を持ってきた伝令に、レオポルトが敵の指揮官が誰かは分かるかと尋ねる。
伝令は首を横に振りながらも、
「はっきりと確認出来た訳ではございませんが、前後どちからかの軍を、ヘクサニアのファウスト王自らが指揮をしていると聞き及んでおります」
再び全員が、声を詰まらせる。
敵国王自らが出陣。それはまさに国を挙げての総攻撃であり、それだけ敵も本腰を入れてきたという事。
だが同時に、それはこちらにとっても好機であると言えた。
先ほどレオポルトは、前後それぞれの軍の指揮官を潰さねばならないと言ったが、王がいるとなれば話は別だ。
王こそが国の要。
ファウスト一人を倒せば、敵の侵攻は止まらざるを得ないだろう。つまり標的とすべきは、たった一人だけに絞られた事になる。
「奇策でもなくば、ファウストがいるのは間違いなく後ろの軍でしょう」
ブランドの言葉に、全員が頷いた。
「よし、では一点突破の無謀に近い策だが、これに賭ける。誰も異存はないね」
レオポルトの一言で方針は決まった。
しかし対策を決めた事以上にこの場で最も重要だったのは、誰も「降伏」の二文字を言わなかった事だったかもしれない。
言葉にはせず、ブランドは密かにそれを思った。
どんな状況になろうとも、ヘクサニアに――いや、エポスにだけは屈してはならない。
それが連合全員の不文律になりつつあった。
※※※
そして更に二週間後――。
ヘクサニアは遂にメルヴィグへの侵攻を開始。
王都へ向かっている事は言うまでもなく、何とかそれを食い止めようと連合軍は立ち向かっていった。
しかし、そのどれもが敗退。
ここに至るまで、連合は各国が集まった大所帯にも関わらず、敵の規模からすればささやかと言えるほどのゲリラ戦を繰り返してきたのだが、そのどれもが足止めにすらならず。
遂に王都の近くにまで、ヘクサニアの侵入を許してしまう。
連合側の抵抗が小規模になってしまったのは出し惜しみしたからではなく、今述べたようにヘクサニア側があまりに大軍すぎただけである。単純に数だけで圧倒されたのだ。
つい先ほども、何とか後軍に辿り着こうとして返り討ちにあった、クラウス率いる覇獣騎士団が帰還したところであった。
そのクラウスの部隊も含めた連合軍九〇〇〇が、王都北西に広がる平野地帯に陣列を広げていた。だが彼らの目の前を埋め尽くすのは、己の一〇倍以上の数となる、黒々としたヘクサニア軍。
一騎一騎があの魔獣兵器角獅虎なのは言うまでもなく、さながら巨人、巨獣の津波が、王都を呑み込まんとしているかのようにも見えた。
一方で連合側が総力戦を行わずゲリラ戦で各個に立ち向かったのは、勿論ファウスト王唯一人に標的を絞ったからである。
とはいえ、それが上手くいかない事は、誰の目にも明らかだった。ヘクサニア側とて、王一人を狙ってくる事を読んでいないはずもない
結果、連合側はただ無為に味方を疲弊させてしまうだけにすら見えた。にも関わらず、連合がそれを繰り返したのは、万策尽きたからだろうか。
いや、そうではなかった。
それも、ブランドの策だったのだ。
いわく――
こちらが数的に不利なだけに、敵もその数の差を逆手に取った攻撃をこちらが行ってくると考えるだろう。実際に前回はそれを利用し、総力戦に見せかけた奇襲と奇策で勝ちを拾えたが、最早それも通用しない。ならばここは定石に則って、あえて個別の奇襲攻撃をかける。それも幾度となく。それによって敵を心理的に誘導する。
いくら数の有利で打ち払おうとも、うるさい小蝿のようにしつこくいやらしく攻撃をかければ、どんな大軍でも――いや、大軍だからこそ苛々は募るもの。そうなれば一気に潰してしまおうと全軍での総攻撃を仕掛けてくる可能性が高くなる。
そうしてファウストを引っ張り出し、何とか誰か一人でも敵本陣まで肉薄すれば、あとはその騎士次第。大勝負の賭けに相手も乗せられる。
果たしてブランドの思惑通りに進んだのか、ヘクサニアは前後の軍を纏めて一つ所に展開し、連合に大攻勢をかけてきたのであった。
だが問題は、誰がどうやって、ファウストにまで辿り着くことが出来るか。そして何より、あのイーリオとザイロウでさえ圧倒した炎の教王相手に、勝てる者がいるかどうか。
それに名乗りを上げたのが、ハーラルだった。
「兄の仇は、弟が取る」
イーリオとハーラル二人の因縁については、諸王達も知っている。
ゴート帝国は対外的にそれをおおやけにしてはいないし、公式記録にも残されたものはほとんどない。にも関わらず、一部の者にとってそれは周知の事実であったのだ。
それよりもハーラルならばファウストに勝てるか否か、重要なのはそこだった。
こればかりは何とも言い難い
けれども一方で、三獣王に推挙までされたほどの彼ならば、誰もが或いはとも考えた。
結果、運命の趨勢はハーラルが担う事になる。
あとはどうやって、ファウストにまでハーラルを送り込むかだけであった。しかも敵軍にはあの十三使徒とているのだ。
「ヤン殿下、セリム陛下率いる重量級に先陣をきってもらいます。そして我らアクティウム軍とジョルト様のジェジェン軍で敵を撹乱。その隙にゴート帝国軍が敵陣奥まで深く入り込んでもらいます」
ブランドはそう言ったが、果たしてそう上手くいくだろうかと小首を傾げる者がほとんどだった。それを分からぬ仮面の軍師でもない。
「――と、ここまでは敵も読んでくるでしょう。しかしそのゴートの軍に、レオポルト王を潜ませます」
「何?」
「まさか最前線にまで、連合の代表自らが乗り込んでくるとは敵も考えますまい。けれどもそれは〝エサ〟」
「レオポルト陛下に、囮になれというのか」
「はい。命懸けの大役です」
思わず声を荒げたクラウスに、落ち着き払った声でブランドが答えた。
「囮というのはその存在が大きければ大きいほど食いつきもよくなります。数の有利を覆すため、代表自らが敵本陣に切り崩しをかけてきた――敵にそのように見えるよう、こちらもそれに同調した動きを取ります。その連携に関しては、鎧獣術士がいるので心配ないでしょう」
「しかしそれはあまりに――」
「大丈夫、ボクなら心配ないよ。ボクの〝覇王獣〟ならね」
それでもと疑義を口にしようとするクラウスに、レオポルトは柔らかく「大丈夫さ」と遮った。
「そして敵の動きから本陣を補足し、そこへギオル殿とミハイロ殿の二騎で空から一気にハーラル陛下を運びます」
無謀極まれり――。
そんな言葉が浮かんできそうな、無茶すぎる作戦だった。
「あとはハーラル陛下とファウストとの一騎打ちに、全ての運命を委ねます」
けれどもこれ以外に何かあるかと問われても、出てくる策などたかが知れてくるだろう。元よりこの戦い自体が、無謀と無茶を百年煮詰めてもまだ足りないほどの無茶苦茶な戦いなのだ。
全ては賭け。
けれどもハーラルは「いいだろう」と不敵な笑みを浮かべた。
「余の働きに全てがかかっているというのが面白い。余に異論はないぞ」
「し、しかしハーラル陛下――」
「みなまで言うな。帰れぬ事くらい、余も分かっている。しかし敵の王と差し違えるのだ。これほど愉快な舞台もあるまい?」
仮にハーラルがファウストを倒せたとしても、その後連合側に戻って来られる保証など何一つないのだ。いや、敵の包囲網によって、確実に亡き者になるだろう。
勝っても死。負けても死。
まさに死地へ向かう片道切符そのものだった。
けれどもサリとの出来事もあり、今のハーラルは、己が思う以上に悲壮な覚悟を持っていたのだった。
その危うさに気付く者もいたが、むしろブランドは、それを分かっていてあえてこの役をハーラルに任せようとしていた節があった。
ともあれ一世一代の無謀な戦いは、こうして幕を開けたのである。
だがこの戦いは、やがて誰もが予想していなかった結末へと、転がる事となっていく。
それを雄弁に語っているのが、後世に付けられたこの王都攻防戦の名称であろう。
巨竜大戦。
その名に相応しい舞台が整うまで、一体どれだけの血が流されるのであろうか。
それはこの戦争を画策したかもしれない〝神々〟ですら、まだ知り得ぬ事であった。




