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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第四部 第六章「破滅の竜と竜の魔導士」
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第四部 第六章 第一話(1)『傷王出陣』

ラストイヤー! 年末年始特別企画 毎日投稿週間 6日目!


 時間は少し遡る――。


 二万の角獅虎(サルクス)の大軍を率いたヘクサニア軍が、メルヴィグ王国軍に敗れ帰還した、その直後の事。


 報告をつまびらかに聞くため、教王ファウストは聖座の広間で十三使徒やスヴェイン枢機卿、イルデブラント大司教らを召集していた。


 とはいえ、十三使徒も全員がいるわけではなかった。

 軍事大元帥である第一使徒の〝黒騎士〟ヘルは、〝百獣王〟カイゼルンとの戦いによる傷の療養のため空席。第二使徒のロードも同じく手傷を負ったとの事で治療中。第六のジュリオの他、十、十二、十三の使徒は既に戦死。半数近くの席が空いている状況だった。


 それも忌々しいところではあるが、何よりこの時のファウストにとって不愉快だったのは、二万の自国軍が敗走した事である。

 戦力としての角獅虎(サルクス)に、何ら不足点はない。個々の強力さについては、信頼を通り越えたものがある。だが何よりも信頼出来るのが、その数だった。


 二万!


 二〇〇や二〇〇〇ではなく、鎧獣騎士(ガルーリッター)の数としては史上最大規模の二万という脅威の数である。しかも大軍を指揮したのはファウスト自身が一目を置く戦士の中の戦士。第五使徒・呂羽(ルゥユー)なのだ。


 これだけの威容と軍勢で攻め入ったにも関わらず、まるで不出来な使いっ走りのように、目的となる王都を陥落させられなかったどころかその手前で敗退し、おめおめと戻ってくるという体たらく。


 信じられない、悪夢だ――そんな使い古した嘆きすら通り越して、最早笑い話のようですらあった。


 が、ファウストも以前の彼ではない。


 彼自身が、今までさんざん苦難を経験してきたからというのはあるだろう。

 だがそれ以上に、イーリオという宿願の相手を倒した事、神女に認められた(と思っている)事、彼にとってのこの二つの大きな出来事が、かつてはなかった心の余裕を齎していた。とりあえず呂羽(ルゥユー)の報告に耳を傾けるくらいの度量があったのは、確かだった。


竜人(ドラグーン)たち――つまりは角獅虎(サルクス)の制御権を奪われたから、か」

「あのまま無理に戦いを続ければ、戦に勝利は出来たと思いますが我が軍の被害もより甚大であったと推察されます。むざむざ引き退っておきながら申し上げるのも汗顔の至りですが、二万の内、八割がたが無傷である現状のまま帰還する方が、得策だと判断した次第にございます」

「お前ほどの将が申すのだ。その通りなのだろう」


 ファウストの冷え切った声は、静かな怒りがどれほど猛り狂った豪火を孕んでいるかをあらわしているようだった。その怒気を敏感に察知した呂羽(ルゥユー)以外の使徒達は、顔面を蒼白にして俯いたままでいる。

 それに気付いていながら臆さない、オリンピアのような者もいないわけではなかったが、むしろそれは厚顔というより心臓に剛毛が生えている類いであろう。


「この敗北の責は重い。勝敗は兵家の常とは言うが、此度の軍がただの軍でなかった事は言わずもがなである。むざむざ、と先ほどお主は言ったが、まさにその通りだ。何も成し得ずに戻ってきて、よくも私の前にその顔を向けていられる。到底許し難いものだな」

「陛下」


 ファウストの言葉に、第三使徒ドン・ファンが何かを言おうとした。

 しかし道化化粧のこの使徒が続ける前に、ファウストはそれを片手を上げて制する。


 ところが――王は怒りにその身を震わせているかと思いきや、表情は血が通っていないように無機的なままだった。

 その目の鋭さに相手を射竦める剣呑さはあったものの、どこか怒りを御しているようでもある。実際ファウストの心の内は、彼自身が驚くほど冷め切っていた。


「しかし、だ。そもそも契約の角笛が敵の手中に落ちていた事、それ自体を軽んじたのは私でもある。それに力押しの軍勢に任せ、敵の鎧獣術士(ガルーヘクス)や策を甘く見たのも私をはじめ、ドン・ファン、エヌ、我々戦いに赴きもせず、国にいた者らだろうな」


 予想外の発言に、一同が目を丸くする。


「責を問うのなら、まずこれの責こそを償うべきであろう。真に敗北の責任をと言うのなら、それが奈辺であるのかは言うまでもない。つまり此度の失敗は、指揮をとったお主達のみならず、誰あろう私の失敗でもあるという事だ。故に、帰還した一同への申し渡しの一切は、これを不問とする」


 敗北についてのお咎めはなし――。


 思いもよらぬファウストの下知に、全員が驚きを隠せなかった。


 専横には遠いが、時に感情的になるのがこの王の気質である事は、誰もが分かっていた。だからどのような怒りの矛先がくだされるかと思っていたにも関わらず、この寛大な措置である。

 むしろ第三使徒ドン・ファンと、使徒以外で同席を許されているスヴェイン枢機卿や大司教らといった面々は、鼻白んだ顔で視線を交わすほどだった。


 それを汲み取ったわけではないだろうが、第四使徒のエヌ・ネスキオーが王の言葉に疑問を投げる。


「陛下の寛大なご措置、臣のみならずここにいる一同、誠にもって感服仕った事でしょう。しかれど、何もなしで不問にするというのは、軍規の乱れを生むやもしれませぬ。陛下のご鴻恩は有り難く承るとして、それとは別に彼らの処置については、軍法に従うのが後々のためにも禍根を残さぬ事になりましょうや」

「もっともな言だな。ならばこうしよう。此度の遠征の指揮をとった呂羽(ルゥユー)をはじめとした使徒らには、次回の遠征で前線に立ってもらう。いち騎兵としてな。それを以って死地となるか、雪辱をはらすかは己ら次第という事だ。どうだ?」

「次回――? それは――」

「既に準備は整っている。再度、メルヴィグ王国への侵攻を行う」


 十三使徒たちの顔色が変わった。空気もざわりと震える。


「それは、一体いつ」

「すぐにだ。準備は整っているといっただろう。全員に周知してはおらなんだが、先の遠征もあくまで先遣部隊でしかない。元より本軍としていずれは投入する予定だった。それが早まっただけの事」


 先の敗戦の傷も癒えぬ内に、立て続けに再度の遠征を行うなど――。


 国事として看過できるものではない。

 いくら軍備にその用意があっても、戦争には数多の費用がかかる。国内の生産も費やすのだ。ましてやあれだけの軍勢となれば、補給も含めてどれだけの費えが必要になるか。それに前回の敗走も、ある意味においてそれが原因であるとも言えるのだ。


 補給にかかる算段と費用が甚大なため、なるべく拙速に侵略すべしと命じられたのが先の遠征だ。それがなくば、あのように敵にとって有利な地形など、進軍の道に選ばなかっただろう。なのにまたその愚を犯そうというのか。


「補給も含め、国内の事情も全て分かった上での決定だ。案ずるな。それについても全て問題はない」

「と、仰いますと……?」

「まずはジェジェンを完全に堕とす。その上で補給路を確保する。実はその地ならしも、既に済んでいるのだ。なあ、ドン・ファン?」


 第三使徒ドン・ファンが、道化化粧の顔で恭しく首肯する。


 地理的に言えば、ヘクサニアからメルヴィグには直接向かえるのだが、直線距離にした場合、間にジェジェン首長国が存在する。ただ、大陸の屋根とも謳われるヴォロミティ山脈がジェジェンとメルヴィグの国境にあるため、あまりジェジェンを攻める利点がこれまでのヘクサニア側にはなかったのだ。

 けれども、角獅虎(サルクス)の変じた飛竜(ワイバーン)を使い空路を取ることで、補給にかかる時間的距離的な負担を解決しようというのである。

 ジェジェンを占領するのは、その中継点としてのためであった。


 聞けば壮大に過ぎると言えるかもしれないが、今のヘクサニアなら何よりも現実的な手段であろう。

 

 ドン・ファンの説明の後、ファウストが続けた。


「それに今回の遠征は前回とは違う。本軍での侵攻だ。つまり指揮を取るのはこの私――王自らが出陣する」


 今度は声に出してどよめきが起こった。


 皇帝騎〝赤熱の鬣(ロング・レッド・ヘア)〟ベリィを駆ってより無敗を誇る教王自身が、出陣するというのだ。


「今度は何があろうとも、メルヴィグを平定する。勝利など当然の事。問題はどう勝利するかだけだ」


 薄く笑うファウストに、呂羽(ルゥユー)がおそれながらと尋ねた。


「帰還した二万近い軍をも再度投入されるのですか? 総数はいかほどになるので」


 もう一度ファウストは笑った。その笑みに邪悪なものはない。

 彼らは正義を為す神の軍。ならば己の行いを疑うはずもなく、その思いも目的も、どこまでも澄み切ったものだと信じていたからだ。



「一〇万」



「――え……?」

「一〇万騎の角獅虎(サルクス)で、メルヴィグをはじめとした諸国を、全て我が手中に収める」


 大陸支配という絵空事を、それ以上に現実味のない数で現実にしてしまおうというのか。

 エポスらを除く使徒達は皆思った。我々はヘクサニアで良かった。少なくとも、確定的な死だけは、免れる事が出来るのだから――と。



※※※



 陽の落ちる王都のみちを、供を連れたハーラルが騎乗で進んでいた。彼の真横には、寄り添うように愛騎のティンガルボーグが随行している。


 供周りは一〇名ほど。

 ヴォルグ六騎士のソーラ、グリーフ騎士団団長のギオル、ゴゥト騎士団副団長のアネッテらの他七名。イーリオの父であり元ヴォルグ六騎士のムスタのみ「片っ苦しいのは任せた」といって、一人その他のゴート騎士らと宿となる騎士団堂に残っていた。


 彼らがメルヴィグ王都にいるのはヘクサニアの襲撃を受けた王国への助勢のためであり、辿り着いてから既に数日が経っている。


 今はこのハーラルも含めた諸王や主要騎士らによる軍事会議からの帰路であり、騎士団堂へそのまま帰る前に、王都の様子を改めて見ておきたいとハーラルが言ったため、迂回して散策しているのであった。とはいえ、全員が鎧獣(ガルー)を連れてぞろぞろ進むのは憚れるのもあり、鎧獣(ガルー)連れはハーラルを除けばアネッテのみになる。


「良い王都みやこだな」


 ハーラルの言葉は都市そのものではなく、そこに住む人々の明るさ、彼ら彼女らの持つ活気のようなものを指していた。


 むしろ景観だけで言えば、ヘクサニアからの襲撃に何度も晒された事で、各所に被害や破壊の爪跡が見受けられ、痛々しさすら感じるほどなのだ。


 王都は広く、災害を受けたような箇所だけが目につくわけではないものの、どうしてもそこに目がいってしまうのは仕方がない事だろう。


 けれども人々の目の色に、重く澱んだ色は見えなかった。誰もが燻んだ眼差しをしていないどころか、暗く沈んですらいなかったのだ。

 ゴートの帝都も凄まじい被害に遭い、帝都民たちは誰もが絶望に打ちひしがれていたのに、何が違うというのか。


 一番はヘクサニアからの襲撃に対し、国家騎士団である覇獣騎士団(ジークビースツ)が迅速に対処したからであろうか。それはひとえに、他国が先に急襲を受けていたが故、対処や準備を整えられたからではあったが、それによって王都だけに限れば被害に対する死傷者の数は驚くほど少なかったのだ。

 ただそれは王都だけに限っての話であり、王国全体での被害規模を見れば、かなりのものになるのは容易に予想がつく。元よりそれはメルヴィグのみならず、各国とて似たような惨状ではあったが。


 それだけにこのメルヴィグでの攻防が、大陸の行末を左右する大きな分岐点になるのは間違いないと各国も感じている。だからこそハーラルをはじめとした諸王や諸侯が、他国の王都に集っているのである。


「我らをはじめとした連合が集っている、その心強さというのもあるでしょう」


 ギオルの返事に、ハーラルは頷く。

 実際、信じられない事ではあるのだ。

 いくら〝銀の聖女〟シャルロッタが見せた奇跡のような幻像まぼろしがあったからとはいえ、他国の都市を守るために大陸中の王侯と精鋭が集うなど、前代未聞の事である。


 それだけヘクサニアの脅威が、大陸中の国々にとって看過出来ぬものとなっているのは確かだが、それでも国それぞれに事情はあるだろう。

 むしろこれほどの混乱なのだ。どの国も問題は山積しているのは言わずもがな。少なくともゴート帝国はそうだった。

 それを棚上げしてまで他国に助力するなど、普通であればまともな判断とは言い難い。けれども誰もがシャルロッタの願いを聞き入れ、王都を守らんとしていたのだ。



 おそらくその理由こそが――イーリオだった。



 聖女から運命を託され、今も伝説の地に赴いている青年。

 ――そう、騎士とはいえ、ただの一人の若者なのだ。皇帝でも王でもなければ、聖職者でもない。なのに何故誰もが、彼に希望を見ているのか。

 しかし直接口に出す者はいないが、彼の存在があるからこそ、誰もが手を取り合っているのは事実である。


 皇帝ではないと言つつも、実はゴート帝国皇族の血をひくとか、そういう事は関係なかった。むしろ己の出自を彼は放棄しているのだ。権威や身分が背景にないのは明白だった。


 では何と言えばいいのだろう。


 百獣王の高弟として、自由傭兵として、傭兵騎士団の団長として、或いはただの一人の騎士として――数年に渡り、大陸中、東西南北至る所でその剣を振るってきたにも関わらず、彼はどこまでも平凡そのもの(・・・・・・)、普通だった。

 その穏やかな優しさ、ひたむきさ、我欲や欲得ではなく、常に誰かや何かのために獣を纏ってきた姿を、誰もが知っている。

 それは王侯のみならず、いつしか巷間で民草が口の端にのせるくらい、人々に知れ渡っていたのだ。



 魔獣から人々を救う、銀狼の騎士。


 その名はイーリオ――と。



 気付いていないのは本人ばかりだろう。

 そのイーリオの存在こそが、銀の聖女と並び、この王都の――そして人々の希望の象徴になっていたのだ。




 ふと気付けば、王都の屋根は既に濃い暗さを帯びている。空の茜色は濃紺の外套を広げつつもあった。


 さてそろそろ帰途につきませぬか――そうギオルが口を開きかけた時だった。

 不意にハーラルの馬が、歩みを止めたのである。


「陛下?」


 怪訝な目を向けるギオルとソーラ。

 見れば、ハーラルの顔が氷のように強張っている。視線は前方の、ただ一点のみに硬く向けられたまま。

 それを目で追えば、そこにいたのは初老の女性。

 ギオルもソーラも、それが誰かは分からない。勿論、アネッテも。


「どうなされましたか? あれなる者に、心当たりがございますので?」


 しかし再度ギオルが問いかけようと、ハーラルは答えなかった。驚きで呆然となっているのは言うまでもなかったが、それだけではない様子なのも明らかだった。


「……先に行け」

「は?」

「お前達は先に館に戻っておれ。余はあれなる者に、少し用がある」


 唐突に放った言葉に、供の全員が慌てた。戯れや揶揄いで言っているのではなく、抜き身の刃のように張り詰めた声だったのが、尚更に彼らを困惑させる。


「いや、陛下、何を一体――」

「いいから言う通りにしろ。余の身についてなら案ずるな。ティンガルボーグは連れていく」

「いえ、いくらそうだと言えど、陛下をお一人にさせるなど、家臣として我らが認めるわけには参りませぬ。人が多いのなら、せめて私を含め数を減らしてでも」

鎧獣(ガルー)を連れているのは余とアネッテだけだ。アネッテの〝アウロラ〟と余のティンガルボーグ、どちらが身を守るに充分かは言うまでもないであろう。ならば危険など何もないに等しい」

「し、しかし――」

「くどい」

「ならば――ならばせめてアネッテだけでも――」

「何度言わす。お前達は先に館に戻っておけ。いいな」


 まるで氷の皇太子(イクプリンス)と呼ばれていたかつてを思わせる、冷徹なまでの言い様。

 一体どうしたというのか。それを問う事さえ許さぬほどの有無を言わせぬハーラルに、全員がどうしようもなく狼狽した。


 結局ただ何も言えず、そのまま立ち去っていくギオル達。だがギオルとソーラが互いに目を見て頷くと、二人は密かにアネッテへ合図を送った。

 彼らの意図に気付いたアネッテが、無言で首を縦に振る。


 そして誰にも気づかれぬよう、帰路に着く彼らから、そっと列を離れていった。


 そんな部下達の挙動を知ってか知らずか、ハーラルは距離を取っていた初老の女性に、馬上のまま近付いていった。


「このような往来で、大胆だな――」


 ハーラルの声が、僅かに震えていた。

 恐れるものなど何一つないはずの〝氷虎帝〟の声が。


「どういうつもりだ、サリ」


 かつての養いおや


 幼い頃のハーラルが求めた、温もりだった存在。


 だが今は、敵対するヘクサニア十三使徒の一人となった女性。


 その彼女が、血の繋がらぬかつて息子だった青年を、無表情のまま凝っと見つめていた。

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