第四部 第五章 第五話(終)『誕生』
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見た事のない姿の、獣だった。
白銀の体毛。優美な四肢。誇り高い口吻。
そのどれもが見知った形なのに、どこか見知らぬかたち。
大きい――。
最初に抱いた感想は、それだった。
大狼も、オオカミ種の中では最も巨大である。大きさはゆうにライオンほどにはなるだろう。
けれども目の前の姿は、それを遥かに超える大きさだった。
肩高だけで人の背丈近くはあるだろうか。
大型の馬か大柄な水牛ほどの大きさであり、普通に乗騎になりそうな体つきをしていた。
だが大きさに圧倒されるばかりではない。というより、大きさは見知った姿より遥かに巨大だから直感的に受け取っただけで、最も目を惹くのは明らかな外見上の違い。
タテガミと、尻尾だった。
両方共、オオカミというには、あまりに豊かな毛房を波打たせている。
首周りのそれはまさにタテガミそのもので、一見すると白銀のライオンかと見間違えそうになるほどの雄々しさがあった。
そして尻尾。
大きく長く、まるで毛皮の塊のような、豊かな毛房をした尻尾だった。
およそ体長の半分ほどはありそうな巨大な尻尾は、オオカミ種、いやイヌ科のどの動物にも当てはまるものではないだろう。
「ザイ……ロウ……?」
水槽のガラスのような前面が、静かな音と共に開いてく。
既に中を満たしていた液体はなくなっていたが、ほんのりと残った水分の跡が、ぴちゃりぴちゃりと音をたてた。
巨大な銀狼が、ゆっくりとした歩みで水槽の中から出てきた。
液体が消えてしまったとはいえ、さっきまでは水槽の中いっぱいが満たされていたのだ。しかしその中から出てきたにも関わらず、どういうわけか銀狼の体毛は濡れていないように見えた。
「見ての通りだ」
固唾を飲むイーリオ達の意識を戻すかのように、エール神が呟く。
「これはもう、ザイロウではない。勿論、神話の狼、月の狼こと罪狼でもない。ザイロウではあるがザイロウでないもの。そうだな、こう――呼ぼうか」
一呼吸置くエール神。
「ディザイロウ」
銀狼の瞳が、応えるように金色にゆらめく。
「ディザイロウ……」
まるでそれが自分の名だと言わんばかりに、ディザイロウがイーリオの目の前まで近付いた。
目の前にすると、大きさがより顕著に分かる。
イーリオの身長は五・九フィート(約一八〇センチ)ほどになるのだが、頭高だけでそれを上回っていた。ましてやタテガミと尻尾の雄々しさが相まって、一層巨大に見える。
またよく見れば、体毛もただの銀毛ではなかった。タテガミの毛先など、体毛の一部が、僅かながらに金色に色付いていたのだ。
見れば見るほど、うっとりとなった。最早生物を通り越え、美術品の最高傑作のようにすら思えるほどの優美さである。
イーリオはゆっくりと、だがおそるおそるではなく互いの距離を確かめ合うような緩やかさで、銀狼の首筋を撫でた。
タテガミには、力強い弾力があった。しかしただの強い体毛ではなく、指に触れる感触は絹のように滑らかで、イーリオの手が吸い込まれていくようだった。
銀の巨狼は声の一つもあげず、ただ黙ってイーリオのするがままにしている。
ディザイロウもどこか、これを懐かしんでいるのかもしれない。そんな風に見えた。
やがて唐突に、ディザイロウがイーリオの頬を舐める。
驚きの顔を浮かべるイーリオ。
――ああ、そうか。
この瞬間、全てを理解した。
これはザイロウだけど、ザイロウそのものだけど――ザイロウじゃない。
ザイロウの記憶も全て持っているのだろう。その経験も何もかも。イーリオの事も当然のように知っている。けれどもザイロウではない。
感情も、性格も、クセも全て、ザイロウなのに、ザイロウとは違う。決定的に違う。
言うなればそう――。
記憶も経験も全てを共有している双子の片割れとでも言おうか。
見た目も何もかが全く同じだから、それは最早同一と言っていいのに、それでも違う。
何故なら二体、いるから。
ザイロウはいた。かつていた。
でももういない。
ここにいるのはザイロウそのものだけど、ザイロウでない存在。
ディザイロウなんだと――。
それが分かった時、涙がイーリオの頬から流れ落ちた。
もういないザイロウへの悲しさなのか。
それともディザイロウとして蘇ってくれた事への喜びなのか。
自分でも分からない。
悲しくて切なくて、でも嬉しくて――胸が痛くなる。
そんなイーリオの思いを察したかのように、ディザイロウが彼の流した涙を舐め取った。
「ザイ……ディザイロウ……」
優しいんだな、と思った。
黄金の瞳は、どこか苛烈さもたたえており、むしろ超然とさえ見えるのに――。
ゆっくりと、ディザイロウが頭を下げる。
まるで突き出すように、己の頭部をイーリオの目の前に向けた。
「結印を……?」
結印とは、騎士が鎧獣を自分専用のものにする、契約のようなもの。それは騎士が望み、鎧獣が認める事で為される。
それをしろと、ディザイロウは示していた。
イーリオは黙って己の親指を噛んで傷を付けると、血の玉が浮かぶその指を、ディザイロウの神之眼に押し当てる。
血を介し、イーリオの魂とディザイロウの魂が結びつく。
金剛石のような神之眼から指を離すと、ディザイロウの瞳の輝きが、尚一層深くなったようにイーリオは思った。
そしてそれが終わるのを待っていたように、シャルロッタもディザイロウに近付いていく。
彼女は躊躇わず、ディザイロウの首筋に優しく抱きついた。
「久しぶり。そして初めまして、ディザイロウ」
ディザイロウはイーリオの時よりも優しく愛おしげに、シャルロッタの頬を舐めた。
「見ての通りだ。最早種別すら、大狼とは言えないだろう。だが現生のどの狼……いや、生物にも当てはまらないだろうな。言ってみればそう――霊狼とでも呼ぶべきだろうか」
「〝霊狼〟……」
エールの言葉を反芻するイーリオ。
この世にあらざる狼。
これほどディザイロウに相応しい種別はないように思えた。
「〝ディ〟……。理鎧獣と同じ、女性をあらわすディなのでしょうか」
そこへふと、レレケが呟く。
鎧獣術士になる理鎧獣は、元々ヘクサニアの技術が原型にあり、彼らは灰巫衆と呼ばれる女性術士集団を中心に実験を繰り返していた。それ故に技術の基礎が雌型を基準にしていたところがあり、女性を指すディを名称に付けたのだ。
「そうだね。今のザイロウ――ディザイロウは雄なんだけど、雌の力も有しているし、駆り手が女性に変われば自動的に雌型にもなれる。わざわざ雌型に創り変える必要がないのさ。その意味もあっての〝ディ〟だ」
通常、鎧獣が騎士に合わせて雄雌を変更する際、再生と同じ工程を踏まなければいけないものだ。けれどもディザイロウは、その必要がないという。
なるほど、〝ディ〟ザイロウなのも納得だと、レレケは思った。
「それじゃ次は、装備だね」
エール神が告げると、オリヴィアが己の騎獣であるサーベルタイガーも借りて、如何にも大掛かりな鎧装備を運んできた。
白銀に、黄金の色が着いた見た事のない形状の装備。
手にしてみると不思議な事に、授器には有り得ない軽さをしていた。普通はどんな素材であれ、鎧獣が身に着ける前の授器は、とてつもなく重いもののはずなのだ。
しかしディザイロウの鎧は、人間の手で持っても、羽毛のように軽かった。
「これは……」
「それは授器のように見えるが、根本的に授器とは異なる全くの別物だ」
「授器じゃない?」
「そうだ。授器とは煉獄の崩落以前の文明でこの世の至る所にあった未来の生体が化石化に近い状態になったものが元になっているのだが、ディザイロウのものはそういったものではない。これは我々の霊子理論を構造の中に織り込んだ、全くの新しいもの。霊子の結晶体とも言える霊化玉を核にして生み出した、授器ではなく〝霊授器〟と呼ばれる装備だ」
「霊授器……」
「そしてディザイロウ専用のこの霊授器の名を――」
全ての装備を着け終わる。
優美で幻想的ですらあった白銀の巨狼に、神秘さと霊妙さが加わった。
「狼霊剣〝ウルフガンド〟」
頭部を覆う兜の左右には、オオツノヒツジのような巻き角があった。
初見で目がいくのはまずそこで、その他の形状も見た目も、他のどの授器とも全く異なっているように見えた。そしてもう一つ目立つのが、体の側面に吊るされるように見える恰好で装着している、二本の剣の柄のようなもの。まさにそれは、軍馬のようであった。
そのウルフガンドの一部に、紋章が入っている。
三日月と狼を形どったような印。
どこか銀月獣士団の隊章を思わせるような形。目に留まったそれを見てイーリオが尋ねると、エール神は答えた。
「これは三賢紋の一つ〝月の狼〟の紋章だ。ディザイロウは紛れもなく、月の狼を継承した存在だからな。これを持つべきなのは当然だ」
原初の三騎が持っていた三つの紋章。
ディザイロウ以外の二騎は既に消滅しており、これを継承する最後の一騎というわけである。
しかし――
「それなんだがな、もう二つの紋章は、レレケとドグ、お前達の鎧獣に継承させようと思う」
「え――」
突然の申し出と不意に向けられた話の矛先に、レレケとドグが戸惑いを見せる。
「最早かつての三騎など遠い過去だ。ならばエポスと破滅の竜に対抗する力として、この二人の騎獣が、それになればいいと思う」
「私達の……」
「勿論、それぞれに私からのささやかな〝力〟を授けようとも思っている。新たな三騎に相応しいだけの力をね」
戸惑いながらも、レレケは力強く言った。「お願いします」と。
こうして、ディザイロウの復活と共に、竜に戦う新たな三騎の超常の騎獣が、ここに誕生した。
ディザイロウ――新たな〝罪狼〟
レンアーム――新たな〝刑獅〟
ジルニードル――新たな〝罰虎〟
「それに鎧獣だけではないよ。イーリオ、レレケ、それにシャルロッタ。君達もそれに相応しい身なりをしなくてはね」
こうしてドグを除く三人が、新たな衣服に身を包むが、最後にイーリオに差し出されたものを見て、彼は思わず声を詰まらせた。
オリヴィアが差し出したそれは、焦茶色のジャケット。
見慣れた――見忘れるはずがない上着。
「これは……師匠の……」
「そうだ。オレの息子のものだ」
百獣王カイゼルンのジャケット。
別に、このジャケットが百獣王の証というわけではない。そんなしきたりはなかったが何故だか暗黙の了解で、それは三代目以降、代々受け継がれていったものらしい。
それが今、目の前にある。
「同じもの、同じ上着だ。イーリオ、お前に合うように誂えてはいるが、カイゼルン・ベルの着ていたものと同じだと考えて、問題ない」
「でも……僕は――」
「お前はあいつから、七代目を受け継いだんだろう? そして今、ディザイロウというそれに相応しい〝半身〟も手に入れた。この世の誰も、お前が七代目である事に、文句は言わないさ」
手渡されたそれに、おずおずと袖を通すイーリオ。
オリヴィアの言う通り、何の違和感もなくぴったりと体に合っていた。
自分の姿を、反射したガラス映しに見つめる。
似合っているのだろうか。
見た目ではない。
このジャケットに相応しい騎士に、自分はなれたのだろうか?
いや、そうは思わない。でも――ならなきゃいけないんだ。
「今日からお前が、新たな百獣王だ。七代目カイゼルン。カイゼルン・ヴェクセルバルグ」
胸に去来する思い。
その称号を受け継いだ責任感なのか。それは分からなかった。
けれども確かにこの瞬間、自分は本当の意味で、生まれ変わったんだと思った。
そう、ザイロウがディザイロウとしてあらわれたように。
「イーリオ」
シャルロッタが、微笑みながら体を寄せた。
その肩を、優しく抱きしめる。
そんな彼らを包みこむように、ディザイロウも二人に寄り添っていた。
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イーリオ、シャルロッタ、ディザイロウ、それぞれの最後の姿。ちゃんとしたビジュアルの公開はいずれまた。




