第四部 第五章 第五話(2)『集結』
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ヘクサニア教国がメルヴィグ連合の返り討ちに会った、バッハウ峡谷の戦いより三週間後の事。
二万という大軍は、そのほとんどが無傷だったからか。それとも彼らの侵略計画に修正があったかは分からない。
しかし敗走より僅かその三週間後という異例の速さで、再び別の攻勢を仕掛けてくるとは、大陸のどの人間も予想していなかった事であろう。
〝覇獣軍師〟カイより後任を受けたブランドですら、その速さには驚きを隠せなかった。
だが今回ヘクサニアが攻め入ったのは、メルヴィグではなくジェジェン首長国。
この予期せぬ目標もまた、大陸中を震撼させた原因の一つだった。
メルヴィグとの間に挟まる形であったジェジェンだが、今まではヘクサニアよりまるでどうでもいいとばかりに無視されており、だからこそ国の命脈を保ってこられたとも言えた。
けれどもここにきて、突如ヘクサニアはジェジェンへの大攻勢を開始。かつてない規模の大軍により、瞬く間にジェジェン全土がヘクサニアの手に落ちたのだった。
過ぐる年、アンカラ帝国よりの侵攻を受け一度は亡国の憂き目に会ったが、その数年後にまたもや国を失う事になろうとは、首長陣は元より、国民の誰もが思っていなかった事であろう。ましてやアンカラよりも苛烈な改宗の強制に迫られるなど、余計にである。
ジェジェン側も抵抗はした。
しかしというかやはりというか、そこは焼石に水。
ただ無駄に戦士達の屍を増やすだけであった。
また友好国や同盟を結んでいるどの国も、ヘクサニアからの侵略行為によって国内が疲弊しており、最も頼りになるはずだったメルヴィグですら、峡谷戦の直後だったため増援を送る余裕さえなかった。それがジェジェンにとっては最も不幸な点であったろう。
「親父は、大首長は無事か?」
ジェジェンの国境間際。
平原を黒く埋め尽くす怪物の群れを睨みつつ、馬とシマウマの混合種・馬縞馬を纏ったジョルト=アリオンが、目まぐるしく戦場を駆けている。
敵の猛攻を凌ごうと奮闘する赤毛の擬似一角人馬の声に、味方の人馬騎士が答えた。
「大首長は既に抜け出ておられます!」
「よし! ならばこのまま俺とクルサーン、それにサボーの三騎で殿軍を務めながら後退。イジーの右翼は出来る限り保たせろと伝えろ」
「ジョ、ジョルト様」
「何だ」
「イジー様は、先ほど飛んできた飛竜もどきの攻撃で討ち死になされております……!」
返事と同時――
黒が視界を横切った。
訃報を告げた当人の上半身が、ヘクサニアの侵略魔獣兵器・角獅虎の一撃によって吹き飛ばされたのだった。
「クソっ」
吐き捨てるジョルトの声に、悲壮な響きが混じる。
〝銀の聖女〟シャルロッタの見せたお告げで、ジョルトもまたメルヴィグが滅ぼされぬように力を貸して欲しいと願いを受けていた。なのに今迄メルヴィグに駆け付けなかったのは、対ヘクサニアがジェジェン国内で緊張感を増していたからであり、その最前線に立つため、彼は友であるイーリオが苦境に陥っていても、自国から動けなかったのだ。そしてその懸案は、今こうして現実のものとなっている。
一本角の飾りが擬似・一角人馬のように映るアリオン。
その紅き人馬闘士が、拳と蹴りで襲いくる角獅虎の凶剣を払い除けようとする。
しかし勢いを殺しきれず、ジョルト=アリオンは体ごと後方へ吹き飛ばされてしまった。
分かっている。
自分の実力とアリオンでは、ヘクサニアの怪物を止められない事は。
それでもここから逃げ出す事は出来ない。ジェジェンのためとか父のためとか、そういうものではない。ましてや誇りがどうというつもりもなかった。
ジェジェン人が奉るのは天上神。それほど信仰に篤いとはお世辞にも言えない自分だが、それでも生まれた時より信じてきた神を変えろと言われて、納得など出来るはずがない。
それがジョルトが抗う理由だった。
神を信じる、神を祀るとは、人の思惑を超えたものであるはずだ。そうジョルトは思う。ましてや国の力にものを言わせて信仰を強要するなど、蛮族の行いでしかない。
ゴート帝国もメルヴィグ王国も、信じる神は違う。けれども両国ともに、己の神を強要する事はなかった。
そこには、相手と相手の国に対する、最低限度の礼儀があったと思う。だからジョルトは、そういった国々に反発心など起きなかったのだ。
けれども、かつてジェジェンを蹂躙したアンカラ帝国のジャラール大帝もだが、ヘクサニアもそうではなかった。
異教の神を、一切認めない。
そういう傲慢さが、ジョルトは許せなかったのだ。
しかし、気持ちだけで状況は変わらない。どれだけ不屈の想いがあろうとも、それで戦力差が覆る事など、現実にはなかった。
不覚をとった隙をつき、数騎の角獅虎がジョルトの方へ殺到しようとしていた。
彼の駆るアリオンは、ジェジェンにおける王家鎧獣とも呼べるほどの一騎である。だがその真骨頂は、他の追随を許さない桁外れの体力であり、力や速度、特異な異能といった、明確に角獅虎を倒せる類いのものではなかった。
この場合、彼の危機を救うのに体力ではどうにもならない。
――くそっ、こんなところで。
無様に自分は死んでしまうのか。
いや、諦めはしない。俺はジェジェンのジョルトだ。どんな時にも自分の決めたスジは通す。それが俺だ。
心の諦念を自らの奮起で払い除けると、ジョルト=アリオンは立ちあがろうとする。
しかし一騎一騎が強力な角獅虎が同時に四騎。
特別な防御も風のような脚力もない人馬に、これへの対処法があるはずもない。
ジョルトは足掻く。
魔獣の牙は容赦なく襲う。
しかし生死を決したのは、そのどちらでもなかった。
「〝火霊〟」
予期せぬ角度、予期せぬ位置から、予期せぬ声がした。
同時に四騎の魔獣が、横方向へ吹き飛ばされる。
呆気に取られるジョルト。
何が起きたのか、理解も思考も追いつかない。
その目の前に、陽光を反射させた透明色があった。
それは氷の色をした鎧。
氷の鎧の下にある、青味がかった灰色が告げる。
「蹴散らせ」
声と共に、見慣れぬ鎧獣騎士たちが戦場に躍り出てくる。
強者だ。姿を見せた人狼も、人羊も、人熊も、どれもがヘクサニアの魔獣を相手に一歩もひかなかった。
それどころか、空を飛ぶ飛竜にも、巨翼の人鳥がこれを斬り払っていた。
「な――何が――」
氷の鎧が振り返る。
「お前は――」
灰色に黒の縞模様。
有り得べからざる毛色をした、幻想的な人虎。
ジョルトは忘れない。忘れるわけがない。
かつてこいつの帝国で、自分は親友と共に三ツ首の人獣と戦い、これに勝利したのだ。
北の大帝国。その騎士の頂点にして統率者たる皇帝。
ハーラルと、彼の纏う灰色虎の〝ティンガルボーグ〟であった。
「借りは返したぞ」
ハーラル=ティンガルボーグが、振り返りもせずに言い放った。
「借り……?」
「四年前。アケルスス城での戦いだ。お前が助けに来なければ、余とイーリオはあの三ツ首の化け物に殺されていた。だが今のこれでもう貸し借りなしだからな」
アケルススとはゴートの帝城の事である。まさにジョルトが想起した、四年前の出来事。
「いや……何でお前がここに」
「……聞き及んでいるだろう。余の帝国は、このヘクサニアの邪教徒どもに踏み躙られた。その屈辱と怒りをそのままになど出来ん。だからメルヴィグに赴き、彼の国に助力して雪辱を晴らすため。ここにはその途中で立ち寄ったまでの事」
「銀の……シャルロッタちゃんの願い、だな」
「イーリオの願いでもある」
ジョルトが人馬の顔で頷いた。
つまりメルヴィグに向かう途中でジェジェンに立ち寄り、ジョルトらを助けたという事だろう。
しかしそれはそれで疑問でもある。メルヴィグの王都に行くのなら、何もジェジェンに立ち寄る必要はない。回り道を通り越えて大きく逸れているとさえ言えるだろう。
それについて、ハーラルはこう答えた。
「報せが入ったのだ。ジェジェンがヘクサニアの手に落ちようとしていると。だから少しでも敵を降して溜飲を下げてやろうと、迂回してここに来たのだ。丁度、大首長の無能な息子とやらが息も絶え絶えに苦戦していると聞いたからな。借りも返せて一石二鳥だと思ったまでの事」
「てめ……誰が無能なバカ息子だって?!」
「ほう。余は別にバカという形容詞は付けてなかったのだがな。自らが低脳であると認めるとは、愚か者なりに分をわきまえる知恵は身に付いたようだな」
「おめえなぁ……このクソ生意気な若白髪ガキジジイのくせに……!」
灰色虎の顔ごしでも、ハーラルの額に青筋が立ったのが分かるようだった。人虎の口部をひくつかせながら、ハーラルが睨みながら応酬する。
「貴様……誰に対してそのような口をきく……?! ヘクサニアの邪教徒どもの前に、まずは貴様から膾にしてやろうか?」
「おう、やれるもんならやってみやがれってんだ。大体、誰がてめえみてえなクソ若白髪に助けてくれなんて言ったよ? こんな奴等、俺と俺の仲間だけでひと捻りしたっつうの」
「無様に尻餅をついていた分際でよく言う。己の非力さも分からぬとは、やはりバカはバカのようだな。いや、大バカ者と言った方が正しいか」
その時――。
今にも味方同士で斬り合いを始めそうな瞬間だった。
「グウオゥッッ!」
二人の口喧嘩を隙だらけだと判断した一騎の角獅虎が、これに襲い掛かろうとしたのだ。
が――
「うるさいっ!」
黙っていろと言わんばかりにハーラルとジョルト、二人が同時に吠えると、息を合わせた一撃を横殴りに繰り出した。
人虎と人馬、二騎の凄まじい直撃を受け、一瞬で絶命する黒灰色の魔人獣。
しかしそんな敵の様子などまるで眼中になく、再びハーラルとジョルトは互いに対し罵りをはじめだす。
そんな二人の様子に、グリーフ騎士団のギオルなどはハラハラしていたが、ゴゥト騎士団のアネッテのみ、「仲の良いご友人なのですね、陛下」とにこやかに微笑んでいた。
だがそれを耳聡く聞きつけた二人が「友人ではない!」と同時に叫ぶも、その姿を見て余計にアネッテは、誤解を強めたようにニコニコしていた。
……ともあれ、突然の介入とその介入をした軍の精強さに圧される形で、ヘクサニア軍はジョルトの部隊から手を引く事となる。
そうして敵の撤退を確認したハーラル率いるゴート帝国の遠征部隊は、そのままジェジェンの一団と共にメルヴィグ領内へと入っていった。
アンカラ帝国の侵略からわずか五年。再び国を失う形でメルヴィグの土を踏む事に、ジェジェン側はどれほどの悔しさと絶望があっただろうか。
同じく国を蹂躙されたハーラルは、それが痛いほど分かるように思えた。
だがこうしてメルヴィグ王都レーヴェンラントに、イーリオ所縁の騎士達がまた一人、二人とその数を増して集ってくる。
ジェジェンのジョルト。
ゴートのハーラル。
ハーラルが率いた遠征部隊の数は、帝国騎士の中から選りすぐった三〇〇名。
それぞれヴォルグ六騎士のソーラ、グリーフ騎士団団長のギオル、ゴゥト騎士団副団長のアネッテ、そしてイーリオの父であり元ヴォルグ六騎士でもあったムスタによって率いられていた。
尚、帝国本土にはヴォルグ六騎士のヴェロニカを皇帝代理にして、エゼルウルフや北央四大騎士団がこれの守りについている。
やがて遠からず、最後にカディス王国からも救援軍が派遣される形となり、まさに大陸中の王侯のみならず、大陸中の主要な騎士と軍が、ここレーヴェンラントに集結していったのであった。




