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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第一部 第三章『獣使師と獅子の王国』
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第三章 第七話(1)『侵入』




 屋敷の邸内は、思ったより広くなかった。思ったよりというのは、ドグの思う勝手な貴族の館の想像であり、一人で目的のレレケを捜索する事自体は、困難以外の何物でもない。だからといって、カプルスを鎧化ガルアンして侵入すれば、見つかった時の言い訳も出来ないし、何より六フィート半以上ある鎧獣騎士(ガルーリッター)の姿は、目立って仕方ない。盗賊稼業の一人働きの時でも、屋敷に侵入する時などは、外にカプルスを待機させ、ドグが単身、潜入するというのが殆どだった。その際、捕まりそうになったり、身の危険を感じた時のみ、今回のように、訓練した呼び笛で、カプルスを呼び出す。呼び笛の音は、特殊な音域になっており、人間の耳には聞こえない。いわば犬笛と同じ原理だ。


 さて、潜入したはいいが、手がかりと言っても、ザイロウがこの屋敷にレレケがいると示してくれたのみで、まるでないに等しい。とりあえず邸内の人の動きを見て、怪しそうな場所や人を片っ端から探っていくしか手段はなかった。


 物陰を巧みに利用しつつ、音を殺し、息を潜めながら、ドグは屋敷の中へと侵入していく。時間はそうない。部屋という部屋を見て行くと、ある場所で、彼は立ち止まった。


 二階へと続く中央階段の上に見えた人影。チラっとだけであったが、それは正しく、あの時現場に居た銀眼鏡をかけた女殺し屋の姿である。特徴的な姿形は、見間違えようはずもない。


 ――間違いねえ。ここにレレケがいる。


 狩猟者ハンターとしての勘が、そう言っている。後は、どこにレレケが捕らえられているか、だ。

 すぐにカプルスを呼び出したい所だが、マテューが言っていたように、それではレレケを別の場所に移されてしまう危険がある。そうなると事態は絶望的だ。


 ――何としても、今晩、この場で、レレケ(あいつ)を助けねぇと……。


 ドグは決意を新たに、女殺し屋の後を追おうとするが、中央階段を使って二階に向かうのは、一見、困難のように思われた。踊り場付きのそれには死角が全くなく、加えて屋敷の用人達も、よく行き交っている。これを使って階上へと向かおうとすれば、見つかる危険性がかなり高くなってしまう。とはいえ、別の階段を探していては、女殺し屋の姿を見失ってしまう可能性もあった。


 だが、ドグは盗賊を生業とする者だ。


 彼は瞬時に判断し、意を決して階段を上がる道を選んだ。

 行き交う人間が途絶えた隙を見計らって、即座に駆け出すドグ。小さい背を丸め、なるべく死角を確保しながら、一気に二階へと上がった。即座に二階を確認をすると、左右に部屋が別れてある。まずは、女殺し屋の消えた右の部屋。カーテンなどを利用して、先に進む。それはまさに、熟練の盗賊の動きそのものだった。





 部屋を進むと、先ほどの女殺し屋の姿が、再び確認出来た。

 今度は間違いない。確かにあの時の殺し屋だ。しかも、二人共にいた。己の体は、物陰に潜めてある。柱の影なので、外から明かりを照らしでもしない限り、直ぐ側を横切られようと、そう気付かれる心配はない。

 女二人の前には、同じ暗灰色のローブをまとった、黒髪の男、スヴェインが長椅子に座っていた。全員、こちらに気付いてる気配はなさそうだ。ドグはそのままの格好で、耳をそばだてた。


司祭ロイファー様、あの女、生かしておいてはいけません」


 女殺し屋の一人が、スヴェインに意見した。〝女〟とはレレケの事かもしれない。だとすると、やはりレレケは間違いなくここに捕まっているのだろう。スヴェインは、口の端を薄くゆがめた。


「心配か?」

「もし、仲間が探りに来たら厄介です」

「子供二人だろう? なら、心配はいらん」

「確かに取り逃がしたのは私達の失態です。その罰は如何様にでもお受け致しましょう。けれど、だからといってあの女をこのまま地下室に閉じ込めておくのは危険ではないでしょうか。ここは今すぐにでも始末して、なるべく早く、皆と合流すべきだと思いますが――」

「大丈夫だ。あの女は利用できる。それも、大いに、だ。例え、我々に恭順しなくとも、ここで始末するには、あいつの技量は惜しい。それにだ、もうすぐすれば、ここに私の迎えがやって来るではないか。その合流を待たねば、どのみち我々は動けん。まぁそれまで、時間を有意義に使えば良いだけの話だよ。食事も済んだ事だし、またぞろ口説きに行ってみるとするさ」


 誰かがここを訪れるだと? だとすれば、尚の事レレケ救出を急がなければ。


 話が済んだのか、女達は男から離れて行く気配がした。さて、どうする? 女達の後を追うか? それとも、このまま男を見張っているか? ドグが判断に迷っていると、答えを待たずして、男も部屋から出て行く気配がした。ただし、女達とは逆方向だ。ドグはすぐさま、男の後を追った。女――おそらくレレケ――を生かしておこうと言った男だ。彼女の元に向かう可能性は大いにあった。


 ドグは物陰を巧みに利用しながら、ランプの明かりを避け、男の後を追う。さすがのドグも、これには相当な集中力を必要とした。神経を擦り減らしながら、全周囲に気を配り、それでも目標の姿からは決して目を離さない。


 階下に降りる男を確認したドグは、昇って来た時同様の巧みさで、己も下の階へと向かう。後を追って、男の消えた方へとその身を踊らせると、そこに男の姿はいなかった。


 ――気付かれた? まさか?


 己の盗賊としての嗅覚に絶対の自信があるドグなだけに、見失うようなヘマを犯してしまうとは考え難い。だからといって、気付かれたような素振りも気配もない。ドグは、辺りを入念に探った。


 ――だとすれば、だ。


 階下のすぐ先にいくつかある扉。その一つ一つに耳を身近づけ、中の気配を伺う。


 ――ここだ。


 三つ目の扉を慎重に、物音をたてず押し開くと、そこには地下へと続く階段が伸びていた。まるで悪趣味なお伽噺に出てくる迷宮への入口のようだ。いや、地下に伸びる通路のところどころにそえつけられている燭台が、原色の怪物で象られているあたり、悪趣味という意味では全くその通りとしか言い様がなかった。

 だが、そんな悪趣味な通路など、今は意に介している時ではない。既に時間はかなり経っている。地下がどんな構造になっているかはわからないが、ここにレレケが捕らえられているとみて、ほぼ間違いないだろう。ドグは確信をもって地下へと続く階段を、跫を忍ばせて進んで行った。




 寒空の下で一時間も待つというのは、存外その身にこたえるものだ。

 だが、もともとが山村の出であるイーリオからすれば、それほど苦ではなかった。ましてや、神之眼プロヴィデンス持ちの野生動物を捕まえる時など、己が雪に埋もれてしまうまで、その身を凝っとしてなければならない時さえあったのだ。この程度の待機など、彼にとってはどうという事はなかった。また、四人の中で一番華奢で繊弱そうなシャルロッタも、これまた平然としている。山から降りる時もそうだったが、どうも北方の出身のようなのか、寒さにはかなり強い体質らしい。

 一方、寒風が王都の街路を吹き抜けるたび、その身を振るわせているのは、リッキーだった。マテューも寒そうにはしているが、彼ほどではない。


「あンのヤロー……、一時間経って戻ってこなかったらどうなるか、わかってんだろーな」


 どうにも寒さが苦手らしい。せめて鎧獣(ガルー)が隣に居れば、天然の毛皮をその身に寄せる事で多少の暖はとれるのだが、それだとあまりに目立ちすぎるので、鎧獣(ガルー)達は、身を潜ませている。何せ、鎧を纏った猛獣である。いくら夜の路地裏とはいえ、万が一、人目に触れれば、いくら国家騎士団といっても騒ぎになってもおかしくなかった。

 だが、文句を言っているようで、その実、一時間以上経っても待っているつもりである事が伺い知れるリッキーの言葉に、イーリオとマテューは、目を合わせて微笑んだ。彼の上司同様、頭の中身も筋肉で出来ていそうなリッキーなだけに、言動が荒っぽくなりがちではあったが、心根は優しいのだ。でなければ、メルヒオールもイーリオらの修練に、リッキーを推薦していないだろう。


「リッキーさん、さっき言ってた、僕に足らないものって、何ですか?」


 ただ凝っと待つのも、芸がないと思ったイーリオは、両腕で体を抱きすくめるように体を震わせているリッキーに、先ほどの彼の言葉の意味を問いかけた。リッキーは寒そうにしながら、「ああン?」と言った後、少し考えるように星空を見上げた。


「なんつーかよー、オメーはイイ子ちゃんなんだよ」

「型通り……って事ですか?」

「う〜ん、それもあんだが……。いや、ちげーな。オメー、今まで、騎士スプリンガーになりたいって思った事あったか?」

「え?」

騎士スプリンガーになって、こんな事してー、とか、こんな騎士団入りてー、とか、思った事あったか?」


 そんな事を考えるなど、あるわけがなかった。何故なら、自分は、錬獣術師アルゴールンムスタの息子であり、いずれは己もその道に行くと考えていたのだ。ごく最近まで。それが、ひょんな事からゴート帝国から追われる身となり、今はメルヴィグ王国の国家騎士団に客分として身を寄せている。全てが全て、巻き込まれたなどと言うつもりはない。どれも己の判断と行動の結果によるものが大きい。だがそれでも、望んで今の事態になった訳でないのも確かだ。ましてや騎士スプリンガーとしてどうありたいかなどというのは考えた事もなかった。


「つまりな、そーゆー事なんだよ」


 流石にそれだけではいまいちよくわからないイーリオを見かねて、マテューが補足を入れた。


次席官ツヴァイターが仰りたいのはこうです。鎧獣騎士(ガルーリッター)とは、あくまで鎧獣(ガルー)をまとった騎士スプリンガーのものであり、鎧獣(ガルー)はどこまでいっても〝鎧〟である。無論、尋常ならざる力を持った〝鎧〟である事は確かです。でも、鎧獣(ガルー)の力にばかり頼っていてはいけません。何よりも中身である騎士スプリンガーが、一個の人間として強くないと」

「だから、それをリッキーさん達に教わってるんじゃあ……?」

「ええ。でもね、目標があって強くなろうとするのと、闇雲にただ漫然と鍛えているのとでは、強くなる〝質〟が違います。ドグ君は分かり易いです。次席官ツヴァイターを負かせてやる。その一点に絞って鍛えてます。だから飲み込みも早いし、何より無駄がない。つまり次席官ツヴァイターは、自分が騎士スプリンガーとして、どうありたいか。それが君には欠けている、という事を仰りたいんですね」


 目標――。


 確かに自分には、騎士スプリンガーとしての目標などまるでなかった。憧れの錬獣術師アルゴールンはあっても、憧れの騎士スプリンガーなどいるはずもない。その違い、その差異こそ、己に足らないものだと――?


「まぁ、無理矢理持てっつって、持てるモンでもねーしな。なんつーか、〝意思〟みてーなもんだ。強くなる時の意思。狩猟の知識もあるおかげか、ある程度獣騎術(シュヴィンゲン)の基礎みてーな事は操れるよーだがよ、それだけじゃ、道場剣術どまりにしかなんねー」

「リッキーさんは……」

「あン?」

「リッキーさんにはあったんですか? 目標」

「そりゃ、まぁ、な……。あるにはあるぜ、今でもな」

「リッキーさんの目標って?」

「……そりゃ、ジルヴェスターの主席官オヤジだな。……言いたかねーけどよ」


 リッキーの照れた言い様に、隣のマテューがクスリと笑う。


「けどよ、オメーよりもチンチクリンのガキん時分は、なんつっても〝百獣王〟カイゼルン・ベルが目標だったな、うん」

「初耳です。まさか次席官ツヴァイターがそんな大それた目標を持ってたとは」

「ガキの時分の憧れだっつってんだろ。それに、大それたとはナンだよ。まだありえねー話じゃねーじゃねーかよ! ……ったく。ガキん頃たまたま見たんだよ。アクティウムとジェジェンとのいくさをよ。相手はあのジェジェンだ。オレの居た街も陥落寸前ってとこまでおいつめられた時、そこに表れたのが、〝百獣王〟だったんだ。優位に立ってたジェジェンの鎧獣騎士(ガルーリッター)共を、そりゃもう、木の葉を散らすみてーにやっつけていってよ。……今でもくっきし覚えてんぜ」


 〝百獣王〟。イーリオの母の形見であるペンダントを奪った〝黒騎士〟。そして、南方に大帝国を唱えるアンカラ帝国の皇帝その人だという〝獣帝〟。彼らと並び称される、当代最強の鎧獣騎士(ガルーリッター)の一人。

 その姿をイーリオは目にした事はないが、他の二者と違い、百獣王のみ、遠く古から受け継がれてきた名だという。一国の王にあらずして〝王〟の名を冠する者。その継承者は代々、カイゼルンの名を名乗る事とされてきた。初代の百獣王カイゼルンが決めたのか、誰が決めたのかは定かではない。だが、百獣王の名を継ぎし強者は、同時にカイゼルンの名も受け継ぐ事となる。そして、当代の百獣王の名こそ、六代目〝百獣王〟カイゼルン・ベルであった。


 イーリオは己に問う。自分にとって、そこまで強烈な印象を残したとなれば、やはり黒騎士だろうか? 確かに衝撃はあったが、それまでの経過が経過なだけに、どうにもいまいちピンとこない。では、ティンガル・ザ・コーネ? それも違う。あれは、倒すべき相手。己が向かうべき存在だ。とすると、やはりリッキーか……。

 深く悩むイーリオに、何か合いの手を入れようと思ったリッキーだったが、そこに思わぬ方向からの声がかかった。それまで全くの無言だったシャルロッタが、イーリオの袖を引っ張る。


「イーリオ、私、眠い」

「え?!」


 見ると、瞼が半分閉じかかっているシャルロッタが、立っているのもやっとの様子で、ふわふわと揺れている。


「ちょっと、駄目だよ、シャルロッタ。こんな所で寝ちゃ、凍えるよ!」


 全員が唖然となる。出るとき、噛んで含めるように、寝ないで着いて来れるかと重ねて聞いていたのに、まさかこのタイミングで眠りの神の誘いを受けるとは。


「何度も言ったじゃないか、寝ちゃ駄目だよ、って。って、ちょっと、シャルロッタ! 聞いてる?」

「聞いて……ない」

「いや、聞いてないって、自分で言わないで。しっかり起きてて」


「……おやすみ」


 本当に何も聞かず、そのままイーリオの胸にもたれかかるように、シャルロッタは眠りの園へと入っていった。シャルロッタを胸に抱いた格好で、途方に暮れるイーリオ。ドグが居れば、またぞろ大声をあげそうな状態だが、今はそんな悠長な状況ではなかった。ドグからの知らせが来れば、すぐさま屋敷に踏み込まなければいけないし、かといって、彼女をここに置き去りにするのは無理だろう。


「ンだ……、結局、足、引っ張ってんじゃねーかよ」


 呆れながら嘆息するリッキーだが、このままにしておけるわけでもない。マテューが買って出て、彼女を近場の宿に休ませる事にした。本来、イーリオが行くべき所だが、彼では王都の地理に不案内な上、子供二人連れとあっては宿の者も不審がるだろう。それに、覇獣騎士団ジークビースツの隊服をまとったマテューが一声をかけておけば、彼女を置き去りにしたとて、宿の者も粗略に扱ったりはすまいという判断だ。

 シャルロッタを背におぶさり、マテューが一旦その場を離れる。ドグが潜入してからもうすぐ一時間が経とうとしている。すると、前方に身を潜めていたカプルスが、むくり、と起き上がった。ザイロウやジャックロックらも、顔を上げている。


 ――まさか、今かよ。


 イーリオとリッキーは、同じ事を考えた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] うんうん……。 ドグの活躍からリッキーの過去、イーリオへの問いかけ、まさかのタイミングでの合図。 毎度思いますが、本当に読者の事を大切に考えて工夫している作品だと感じます。
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