第四部 第五章 第四話(1)『神之眼』
何度目の死だろう。
生き返るのも何度目だろう。
つい、今さっきの事だ。
見事なまでに首を飛ばされた。
斬られる瞬間、相手の刃が己の視界を掠めたところまでは覚えている。けれども覚えているのはそこまでだった。
気付けば再び、己と鏡写しのような姿の〝敵〟の前に立っている。
同じザイロウを纏ったその相手の前に。
思わず人狼騎士となっている、己の首に手を当てていた。
「どうした? ザイロウを使えば自分が一番なのではなかったのか?」
目の前のザイロウから、声が出る。
若い女性の声。言葉遣いは男のものだが、声色は女性のそれである。
いつの間にか、周囲は荒野に変わっていた。戦う度に景色は変わる。
雪原で、海岸で、砂漠で、街中で。
だがどれだけ場所を新たにしようと、まるで勝てない。勝てる気がしなかった。
イーリオと古獣覇王牙団のオリビアがいるのは、天の山という超巨大な人造の鳥の内部。
鳥と言っても巨大な船のようなもので、中にはいくつもの空間や部屋まである。その中の一室で、イーリオは最終試練という模擬戦闘のようなものをずっと続けていた。
中に入って、どれくらいの時間が経ったであろうか。既に数日は過ぎたような気もするが、時間の感覚がまるで掴めない。
実際、自分の姿が鎧獣騎士のザイロウである事、オリヴィアもザイロウを鎧化している事、景色が一瞬で変わる――などといった事からも分かる通り、これは現実そのものではないらしい。
これはイーリオが脳内で見ている幻であると、オリヴィアは言うのだ。
つまり夢のようなものかと尋ねたら、近いな、とだけオリヴィアは答えた。
「違いはただの幻ではなく、お前の肉体にも変化が反映されているという事だ。ようは幻の中で強くなれば、それは現実でも強くなっているという事になる」
ただ幻である以上、実際にどれほどの時間が過ぎたのかもそうだが、体感時間すらもまるで分からなかった。
「――どうして貴女もザイロウなんですか……?」
「ん?」
「貴女には貴女の、あのサーベルタイガーの鎧獣がありますよね。いくらここが夢の中で何でもありだとしても、貴女に戦って勝つ事が試練の合格判定なら、貴女は別にザイロウでなく、ご自身の鎧獣の方が良いのでは?」
「自分自身と戦うというのは定番の己を乗り越える方法だ。そして定番というのはそれだけ効果があるという事。己自身こそ己を乗り越える壁になる――つまりオレと戦えば、今までよりもお前は強くなれる。もしなれなければそれまでだ。お前は死ぬだけの事」
死ぬかもしれないという言葉が、イーリオの人生で最も生々しく聞こえた。何故なら、先ほどまで幾度となく〝死〟を体験していたからだ。
意識が途切れたあの瞬間。
あれが本当にそのままになってしまうのだとしたら――。
「その……ここは僕の頭の中の空間、なんですよね?」
「それがどうした? 不思議だとでも言いたいのか、今更」
「ではなく、頭の中だから僕はザイロウを纏えるし、貴女だってそうなんですよね。ザイロウが二騎もいるなんて有り得ないのに、それが現実であるかのように見せている」
「何が言いたい?」
「頭の中だけだから、どれだけ現実に見えても現実とは違う。逆に言えば、それは自分の空想を現実のように出来るかもしれないという事――」
イーリオは意識を集中する。
己の手に。
その手に持つ、剣に。
ここは自分の頭の中の世界。いわば空想の世界。だったら自分が勝てないのは、その空想――いや、想像で勝てないと足枷を着けているからではないか。だからといって自分の想像力をすぐに上げるなんて、それこそ想像がつかない。
だったら、これなら勝てるという〝形〟を自分で見つけて作り出せば、或いは――と考えた。
閉じていた両目を開く。
人狼の掌の中。右手にあったのは、聖剣〝炎風剣〟レヴァディン。
慣れ親しんだ、イーリオ=ザイロウの大剣。
が、左手の中にも剣。
かつて持っていた、折れてしまった自分の剣ウルフバード。
「やっぱり……出来た」
二本の剣。はじめての双剣。
これで想像通りに、〝創造〟が出来ると分かった。
「ほう」
両手にそれぞれ剣を持つイーリオ=ザイロウの姿に、ザイロウとなっているオリヴィアが目を細める。
「お前が双剣使いだとは知らなかったぞ。それともただの思いつきか?」
「思いつきは思いつきです。でも、僕は知っています」
「何をだ」
「薙刀を変幻自在に使い、時に双剣にして振るうヴォルグ六騎士のソーラさんを。二本の短剣を手品のように用いる覇獣騎士団の〝最速〟イェルクさんを。そして同じ銀月団の双刀使いユンテを。僕は彼らを、知っている」
「見知った形だから自分でも出来ると? 随分と発想がお子様だな」
オリヴィアの嘲りに、イーリオは憤りもしなかったし焦りもなかった。彼女の言う通りとさえ思った。
ただ一つ違うのは、自分には予感があった事だ。言いようのない、表現しようもない予感のような不確かで、でも確信のある何かがあったのだ。
「試してみてください。ただのお子様の思いつきかどうか」
イーリオ=ザイロウ。
オリヴィア=ザイロウ。
二騎の人狼騎士が、それぞれ構えをとった。この試練がはじまって初めて、異なる構えを。
その後――周囲の景色が何度となく入れ替わっていった。
イーリオは両目を開き、今度は起伏の激しい荒野になっている事を確認する。
その両手にはレヴァディンとウルフバード。それぞれの剣を交互に見つめていた。
もしこれまでのものが現実なら、落としてしまったかもしれない己の命の数を数えるように。
「やはり考えなしのガキの妄想だったようだな」
大剣一本を肩に担ぐ、オリヴィア=ザイロウが笑っている。
双剣になって改めて戦いを挑んだが、結果は変わらなかった。
はじめは慣れぬ二本の剣に自分が振り回され、見るも無様な様子であったが、徐々にコツのようなものが分かってくると、イーリオの動きも洗練されたものへと変わっていったのだが――それだけだった。自分が慣れるという事は、相手も自分の戦い方に慣れてくるのは道理だった。
やはりオリヴィアの言う通りだったのか? と、イーリオはもどかしさを覚えずにはいられない。
「どうする? もう諦めるか? それとも今度は武器を槍にでもするか?」
確かに一本の剣で駄目なら剣を二本などというのは、子供じみた発想以外の何物でもないだろう。けれども確信があったのだ。何か分からない、もどかしいけれども何かが掴めそうな。
「槍……」
「おいおい、オレの戯言まで真に受けるのか。相当余裕がねえなぁ」
いや、余裕がないのはそうだが、心まで参ってきてるわけではない。それをイーリオは、分かっていた。
「そうじゃない……」
「何がだ?」
「槍……師匠も自分の獣能で、様々な武器を使ってた。大師匠も、武器は何でも使えた……。そうか。武器の形に……レヴァディンやウルフバードである事に、僕は捉われていたんだ」
再び目を閉じる。
でも今度は〝それ〟が出来るかどうか、分からない。
暗中模索というのも烏滸がましい、形なきものを形にするという行為とほぼ同じ事をしようと、試みているのだから。
見えない闇の中で、微かな気配だけを頼りに、求めるものを探り当てるように――。
形なき〝それ〟をはっきりと思い描いていく。
その手に握れるだけではない。
細部さえも浮き彫りになるまで、〝創造〟する。
「ほう……今度はまた……」
オリヴィアが、先ほどとは雰囲気の異なる声を放った。彼女にとっても、見慣れぬ形がそこにあったからだ。
目を開くイーリオ。
手に掴んだ〝それ〟を見て、彼は朧げだった何かを、より鮮明なものに近付けたと確信する。
「いきます」
「いいだろう」
もう何度目かすら分からない。数え切れぬ回数の再挑戦。
しかし何かが、変わりはじめていた。
※※※
「神が、異世界の人間……?」
「ああ。だがお前が知らねばならないのは、神の正体ではない。話を進めるぞ――。神と呼ばれる存在、いや彼らのいる世界の科学者が、この世は多層世界だという真理を解き明かした時、その科学者らはこう考えた。他の世界、自分達のいる世界とは異なった世界に、何らかの干渉をする事は出来ないかと」
周囲の宇宙空間だった景色がどんどん小さくなり、やがて宇宙そのものが黒い球体になっていく。
それすらも小さくなり、今度は無数の黒い球体――おそらくは無数の宇宙が――闇の中に浮いていた。
これらレレケの周りの映像は全て、古獣覇王牙団のロッテが見せているイメージ立体映像である。
本物ではないと分かっていても、宇宙という存在すらさっきまで知らなかったレレケからすれば、理解不能な幻を見せられているのに等しく思えた。
彼女が何故こんな話を聞かされ、こんな映像を見せられているのか。それはレレケもイーリオやドグ同様、最終試練を受けていたからだ。
彼女に課せられたものは神々の知識を理解する事。そしてその真理を知った後で、どんな結論を導き出すか――であった。
そのため彼女は今、一時的に時代や歴史を超越した科学的知識を有している。
ただしこの知識を覚えていられるのは、あくまで天の山の中にいる時だけであるという。
「だが世界が多層的で無数近くある事は観測出来ても、それに対し干渉する事は、見つける以上に遥か高次元の行いだった。何故なら多層世界を構成しているのが、霊子理論における霊粒子をはじめとした魂の構成要素だからだ」
「まだちゃんと理解出来ているか自信はありませんが……どういう事ですか?」
「世界を透過し行き来出来るのは霊粒子などの霊子でなくば不可能という事だ。そもそもだ、魂とは先にも言ったように魂素、魄子、霊粒子といったものによって構成されている。肉体をはじめとした物質の最小単位と思われていたのが原子であるように、魂もそれで一つのモノではなく、魂自体が無数の最小単位の集合体であるという事だ。そして生命の死とは、その構成要素から結びつきが失われ、魂魄というものが分解してしまう事を意味する。そうして分解された霊子群は存在した世界を超えて多層世界を行き来し、この世に魂の循環を行う。こうやって多層世界は均衡を保たれている、というわけだ。――お前も既視感というものを体感した事はあるだろう? 見た事のない景色、聞いた事のない音、経験した事のない出来事のはずなのに、何故かそれを知っているかのように感じる現象。あれはな、霊子群にこびりついた残りカスの〝記憶〟が、残像のようになって魂の持ち主に見せている現象なんだよ。つまり既視感という形で、実は多くの生き物は多層世界の存在を感じていたのさ」
呆気に取られて言葉も出ない。
既視感とは脳の記憶部分が起こしてる現象だと、レレケの得た簡易の知識ではなっていたからだ。もしくはこの世界のエール教では、神の啓示が断片的に起こっているのが既視感だとされていた。
しかしそうではなく、既視感こそが無数にある異世界の存在を示していたとは……。
「だが異世界の科学者達は諦めなかった。いや、どの世界であろうとも、知を探求する者は、そういう罪業を背負っているのかもしれんな。彼らはどうにかして異世界に干渉出来ないか、計画をたてたのだ」
「その……世界が無数に存在してる多層世界なら、どうして我々のいるこの世界が選ばれたんでしょうか? 無数にある中でこの世界にした理由は、何だったんでしょう」
レレケが浮かんだ疑問を口にする。
ロッテは含み笑いを浮かべて、それに答えた。
「その理由こそが、シャルロッタだ」
「え……?」
「座標の巫女。この世には別の世界の霊粒子と強い結びつきを持ち、それぞれが別々の世界にいながら、全く同質同型の魂を持つ、座標になる存在がある。シャルロッタはそれだったんだよ」
座標の巫女――。
確かエポス達も同じ名前で、シャルロッタをそう呼んでいた。
「で、では――」
「そうだ。だから科学者達は、それを突き止めた後、己の世界における座標存在である者――ようはシャルロッタと同じ魂を持つ存在だな――それを凍結させたんだ。座標を固定させ、成長もしないよう永遠に別の魂の中に閉じ込めて。そこからシャルロッタを特定し、今度は彼女の存在も同じように凍結させた。シャルロッタが千年も生きているのは、シャルロッタの魂の外殻をシエルという別の魂で覆ったからさ。彼女が無垢に見えるのも、魂を凍結された瞬間から成長しないようにしたからだ」
「シエル……。シャルロッタさんの中にいる、もう一人の別のシャルロッタさん」
「今言ったように、正確には中にいるんじゃない。魂の外を、別の魂で覆っているんだ。いわば鎧獣騎士と似た構造だな」
「魂を別の魂で……。シャルロッタさんも言ってましたが、そんな事が可能だなんて……」
「擬似魂魄という技術だ。霊子を集め、人の手で魂を生み出す。分からんか? あのE.P.O.S.らも、そうやって創り出された人造魂魄だよ。つまり、ボク様たちアルタートゥムも、だ」
「エポスが――」
「Eternal Polymerization unit Of Soul。それがE.P.O.S.の正式名称だ。意味は〝魂の永久重合者〟といったところだな」
人造の魂の持ち主。
だからエポス達は何度も蘇り、新たな体に乗り移れるのか。
レレケがそう尋ねると、ロッテは分かってきたようだなと満足げに頷く。
「肉体が滅び死に至ると、どうやっても肉体と結びついた魂も分解されてしまう。だが奴らは魂が分解されて失った際、新たな器となる肉体の持っていた魂と自分らの魂を分子結合させるように重合させて魂ごと肉体を乗っ取る。そうして永遠の時間を生き続けてきた。魂の重合者と呼ぶのはそういう意味だ。そしてボク様たちとの大きな違いでもある」
「と、仰いますと」
「ボク様たちアルタートゥムも人造魂魄だが、エポスのように他の魂を乗っ取る事などしないし出来ない。代わりに、ある特殊な〝仕掛け〟で永遠の刻を生きられるようになっている。だから最初に言ったように、ボク様たちは肉体が滅びれば普通に死ぬ。エポスとは違う」
だったらエポスの方が圧倒的に有利ではないか。
どうして貴女たちもそうしなかったのかとレレケが問うと、ロッテは苦笑しながらこう答えた。
「魂を重合させるという事は、新たに得た魂に己も〝引っ張られる〟という事だ。本質というか核の部分は変わらないが、何度も数限りなく器を入れ替えている内に、元の自分がどういうものであったかなど、奴らはとうに忘れているだろう。いわば人格というか、魂のツギハギをしているようなものさ。歪で目標のためにのみ生き続ける存在。それもこれもオプス神の望む世界を手に入れるため。そしてボク様たちは、そんな奴らのカウンターとして、エール神によって創り出されたというわけさ」
スヴェインと再会した際、レレケはそれが別人だとは思わなかったが違和感はあった。
同じように他の蘇ったエポス達も、乗り移った人間と融合するからこそ、周りはそれを本人だと思ってしまうのだろう。
だがそんなモノは、おぞましい事この上なかった。
「エポスやオプス女神が望む世界とは、一体どういうものなんですか」
「一番最初に、煉獄の崩落という大破壊が、この世界に起きたと説明したな」
「え、ええ、はい」
話が飛躍する。
「それのお陰で、この世界は一度リセットされたが、神である異世界の人間達にとって、これは好機でもあった。世界を作り変えるなら、最適であると。そして座標の巫女の力を使い、この世界への介入をはじめた」
「巫女の力?」
「シャルロッタを門にして、世界を繋げたんだ。そうしてこの世界を、神である異世界人の手によって作り直そうとしたのさ。これから向かおうとしている星の城も、そしてこの天の山も、そのために生み出されたもの」
これがそういうものだという事は、何となく分かる。
とはいえ、これだけ大掛かりなものといえど、どのようにして介入は行われたのか。
そもそも作り変えるのに、何故天の山や星の城といったものが必要だったのか。
それはつまり、彼らの求める〝世界〟の姿を、問い質すという意味でもあった。
「――レレケよ、お前はこの世界の生き物について、疑問に感じた事はないか?」
再び話がかなり飛んだ事に、彼女は戸惑いを隠せない。
だが何も反応出来ないレレケを尻目に、ロッテは話し続けた。
「アフリカスイギュウ、インドゾウ、スペインアイベックス。色々な動物に入っているこれらの名称。アフリカとは? インドとは? スペインとは?」
「それは……エール教の大図書館にある諸獣目録で決められていると……」
レレケはハッとなる。
「そうか、それはその異世界人が付けたもの……」
「そうだ。異世界人のいる国や地名と同じものを、付けたんだ。全く同じ生物に」
「全く同じ……?」
「この世界の動物には、一定の確率で神之眼持ちがあらわれるだろう? あれはそもそも、鎧獣を生み出す目的のものではない。鎧獣は副産物みたいなものだ」
「で、では一体、何のために――」
「あれの本当の目的は、この世界の生物とその進化を、完全に管理するための監視装置――端末だ」
煉獄の崩落で生物が失われたのを切っ掛けに、神々である異世界人がこの世界の生きとし生けるもの全ての有機生命体にランダムで発生するよう遺伝子に組み込んだナノマシン。
その結晶体が、神之眼。
名前通りの、〝神の目〟。
ロッテが告げた言葉に、レレケはもう感想すら口に出来ない。
「この世の全ての生命体に、神之眼の発生を埋め込み、望んだ形に生物進化が行うよう、あらゆる生き物を制御した」
「あらゆるって、そんな……細菌や微生物まで含めたら、そんな事不可能では……!」
「だからこその星の城なんだよ」
「だからこそ……?」
「無数の生物を制御下におさめ、さっき言ったアフリカスイギュウ、インドゾウ、スペインアイベックスなど、そうした異世界人のいる世界と同じ生き物を生み出すためには、星の城ほどの巨大な装置が必要だった。神之眼はその情報収集装置であり、制御装置として撒かれた端末だ。言わば星の城とは、集められた情報から最適な種の誕生を導いてきた巨大なコンピューターなのさ」
「一体……一体何のために……どうしてそんな事を」
「だから言ってるだろう? 異世界人にとって、都合のいい環境にするためだよ」
レレケは絶句する。
「オプス神の目的とは、異世界人をこの世界に住まわせる事。それこそが、彼らの望む世界だ」
自分達というだけではない。
この世界そのものが、文字通り神の生み出した箱庭のようなものだったというのか。




