第四部 第五章 第三話(終)『幻鼬謀騎』
戦闘開始からここに至るまで、全てはブランドの策略通りに、戦闘は運ばれていた。
だが最大の疑問なのは、どうしてブランドが敵の道具である契約の角笛を持っていたのかという事ではないだろうか。
これは簡単な話で、以前イーリオ率いる銀月獣士団が敵からこれを奪い、カイに渡していたからであった。
正確にはリッキーによって斃された第六使徒のジュリオから、カイゼルンが奪ったものである。
それはイーリオが帝都から逃走している最中の事だった。そしてその角笛をカイゼルンはイーリオに託し、イーリオはそれをカイに手渡したのである。
カイはこの解析を急ぎ行い、それは彼が死去した後ブランドに引き継がれ、その使用方法を突き止めていたのであった。
勿論、そう容易く出来るものではない。おそらく通常であれば、使い方も使い道も何もかも、それを読み解くのにどれだけの時間を要したか分からなかったであろう。
だが皮肉にも、ヘクサニアこそがこれの解析の最大の功労者になってくれたのである。
どういう事か。それはヘクサニアと角獅虎が、王都を度々襲撃してくれたからであった。
ヘクサニアは角獅虎を派兵する際、遠巻きであれ必ず何処かに使徒を配置していた。それに気付いたブランドが、密かにその使徒の動きを詳細に観察。結果、この角笛は角獅虎を操るためのものであると見抜き、その使い方も、遠巻きに記録・解析していったのであった。
これがカイが遺した最後にして、最も重要なもの。
そしてブランドが立案したこの緻密で困難な作戦の、最後の要である。
カイの立てた作戦は単純で、ようは敵がどれだけ大軍でこようとも、動けなくしてしまえばいいというもの。最初にクリスティオやセリムらに先陣を切ってもらったものは、前線に注目を惹きつけるためである。
その後の〝星の魔弾〟という岩石弩砲を投入したのも、そのための伏線。あれもまた囮の一つにしか過ぎないのだ。
そもそも敵は、まさかこちらが角笛を使えるようになっているなど、思いもしなかっただろうし、何よりそれを感付かせるわけにはいかない。
ましてや敵軍の只中に味方を潜ませて機を窺わせていたなど、考えもしなかっただろう。
いや、そうさせなかったと言うべきか。
ともあれ、いくら二万の大軍でも、カカシのように突っ立っているだけでは最早刈り取られる草木と同じである。
またこの場合、ヘクサニア側は二つの重大な間違いを、最初から起こしていた。
一つは味方の鎧獣術士をこの戦いに投入させなかった事。
もしここに灰堂術士団の鎧獣術士がもう少しだけでもいれば、覇賢術士団の術士の動きに気付き、ブランドの策略は阻止されていたかもしれない。だがこれはブランドが見抜いていた事でもあった。
ヘクサニアは術士を投入しなかったのではない。したくなかったのだと。
それは先の怪盗騎士ゼロとヴィクトリアの潜入が齎した、副次的効果である。
自分たちの聖地に異教の者が潜入をした結果、術士の防御を更に強固にするため、本来は戦闘に参加可能な者達まで聖地の防衛に回されたのである。それに気付いたブランドが、敵の術士に見抜かれるおそれはないと大胆に判断。
そしてもう一つが、角笛の強奪を軽んじた事である。
ジュリオは己の角笛が奪われた事を王であるファウストに報告している。
だがファウストはそれをあまり真剣に捉えもしなかったし、エポス達も奪われたところであれが何であるかなど分かるはずもないと侮ったのであった。
つまり戦う前から、全てブランドの知略によって見抜かれていた事であり、呂羽が戦う前から勝敗は決していたと考えていたが、まさにその通りであると言えるのだ。
ただし彼の思惑とは、真逆の結果になりつつあったが。
その呂羽の前に、彼からすれば信じられない者がいる。
遥か極西で最強と謳われた鎧獣武士。
ユキヒメ・ウエスギの駆る、ヤベオオツノジカの〝軍荼利〟だった。
「その鎧獣はあの時、般華の海に没したはず」
「そうじゃな。だが現に今、ここにこうしておる。幽霊でも幻でもないぞ。ほれこの通り、両足もある」
薄笑いの含みをもった声で、ユキヒメが答えた。
ユキヒメはメルヴィグ王国に流れ着く前から、この呂羽と深い因縁がある。
彼女にとっても一方の呂羽にとっても、お互いが宿敵とも言える存在なのだ。だから呂羽も、歩みを止めたのであった。
「何らかの形で回収し、再生したというわけか。待て、そうか。銀月団にいた般華の孺子は、そのためにここまで渡ってきたのだな。俺を追ってだけかと思ったが、真の目的はそいつを再生し、お前に渡すため――」
「さすが〝渾沌〟と呼ばれるだけの事はある。よく見抜く」
「そして俺を倒すため、そいつで俺の前にあらわれた。そういうわけだな」
「言わずもがなじゃな。分かればもう言葉は不要。貴様も構えを取るがいい。我が宿願、ここで果たさせてもらうぞ」
軍荼利が鞘から長刀を抜き放つ。
碧の輝きが目に眩しい。しかしこの予期せぬ相手と事態を前に、ここで呂羽はかえって余裕を滲ませた。
「ふん。死地を潜り抜け、随分と鍛えられたと思ったが、まだまだ頭の中は環の国時代のままのようだな。俺を心底から屠りたいのであれば、何故こちらの戸惑う虚を衝いて殺しにこなかった? 正々堂々と決着をつけようとでも考えたか? 甘いというより滑稽ですらある。そんな事でこの俺に勝てるとでも?」
「ようも喋るな」
「何?」
「滑稽というなら今の貴様こそ実に滑稽じゃぞ。己の失態に焦っておるのか? こんなところで足踏みしてる内に、貴様の軍は次々と倒されていってしまう。早うせねばと焦るあまり、私を挑発して戦い易うしようというのが透けて見えておるぞ」
図星だった。
いくら自軍が動けなくなっていても、そうそう簡単に全滅までいかないのは分かっている。それでも時間と共に被害は増していくし、何より敵の張り巡らせた罠の内容や全貌が、呂羽には未だ把握しきれていなかった。
今は一刻も早く体勢を立て直さねば、被害がどこまでになるか、その結果、自身の負わされる責任がどれほどのものになってしまうか、見当もつかない。
そしてこれこそが――
ここまでの全てが――
軍師ブランドの計略の内だったのである。
突如あらわれた予期せぬ旧敵。その姿に目も意識も釘付けになったのは当然の事。
ましてや己の痛いところをつかれてしまえば、いくら歴戦の強者たる呂羽でも、完全に気は逸り視野は狭まる。
心の視界が狭くなる事は、現実の視界も同様なのは言うまでもない。
人虎戦士となっていた呂羽の腰には、角笛があった。自軍を指揮するための道具。今のヘクサニアには残された最後のものだ。
この瞬間――
それがいきなり音を立てて、千切れ飛んだのであった。
しかしさすが現在のヘクサニアで最強の一角とされる呂羽である。
即座に身を捻り、己の体に触れようとした刃だけは、綺麗に躱していた。
しかし角笛はそうもいかない。飛ばされた時点でそれは二つに両断されている。
呂羽は目を剥く。
一体何が――誰が何をしたというのか――。
そこにいたのは白亜の人豹。
以前はユキヒメの騎獣であったユキヒョウの〝真達羅〟。その人獣武士であった。
咄嗟に己の青龍刀の刃を翻すが、身のこなしは真達羅の方が早い。完全に虚を衝かれたというのも大きかったのだろう。
素早い身のこなしで距離を取り、真達羅は軍荼利の真横に並び立つ。
「貴様……!」
「よくやったぞ、ハナ」
「勿論です、姉様」
呂羽の怒りなど何処吹く風とばかりに、姉妹は彼の言葉などまるで気にもとめていない。
真達羅を纏うのはユキヒメの妹であるハナヒメ。
以前はユキヒメが真達羅を纏っていたが、本来の駆り手は彼女である。
そして三獣王に匹敵する呂羽の隙を完全につけたのは、最前語った注意をひいた事もさりながら、覇賢術士団のシビルの術によって、ハナヒメ=真達羅の存在も完全に消されていたからであった。
シビルの用いた術の使用限度人数は、拡張しても最大四人まで。
しかし最初の四人は既に目標を達成しており、もう彼らに術を施す必要はない。
となれば次はハナヒメの姿を消す事に集中すればいいだけとなる。そうして全てが伏線となり、最後に残された呂羽からも、遂に角笛が失われたのであった。
「宿願を果たすだと……? よく言う。貴様の目的ははなからこれであったな? そうか、他の使徒達もこうやって角笛を奪われたとうわけか……!」
怒りと失望で、目の前が真っ赤になりそうだと呂羽は思った。けれどもむしろここでこそ、冷静さを失ってはいけないとぎりぎりで彼は踏みとどまった。
自軍を見る。まだ全然数は残っていた。
今から何もかもをかなぐり捨てて再度の攻撃に転じれば、まだ余裕で勝機はこちらにあると計算する。
だがこの瞬間、ブランドが用いた最後の策が発動された。
そこは戦いの最前線――殺戮の最前線とも言うが――。
セリムとヤンが動けぬ敵を雑草のように薙ぎ払い、怒涛の反撃をしている最中であった。
そのヤンに届く、術を用いた声。耳にしたヤンが己の動きを止めた。
「〝堅城鉄壁〟」
ヤン=エアレから発動される、第二獣能の号令。
先ほど見せたエアレの異能は、己の筋肉を強力にするというものだが、具体的には筋繊維を珪素に似た物質に変換するというものである。
これによりエアレは、己の重量の一〇〇〇倍以上の重さすら、軽々と持てるようになれる。
そして第二獣能は、変換した筋繊維から強力な磁界を発生させるというもの。これにより生体性の強力な磁場を己の周囲に形成。あらゆるものを吹き飛ばす強大な力を持つのだ。
この二つを用いたエアレ最大最強の技こそ、これから放とうとするもの。
己の両腕に最大級の磁界を生成。
その磁場に、己の膂力の全てを込めて放つ防御絶対不可の一撃。
その瞬間、大地が割れ、大気が裂かれ、目の前の峡谷が形を変えてしまった。
すり鉢状に抉られた谷間の景色。
それは磁場によって発生した強大な斥力を、最大級の筋力で放つ神罰にも等しい一撃。
その名を〝幻霊の鎚〟。
吹き飛ばされた角獅虎の数は杳として知れず。
いくらただ突っ立っているだけとはいえ、二万の内、半数はいかないまでも何分の一かは戦闘不能になったに違いなかった。
それだけではない。恐るべきなのは、エアレの膂力があまりに大きすぎる事で、大軍がまるごと後退させられてしまったのだ。先の細くなった水道から、水を逆噴射させられて水道管が破裂を起こしたようなもの。
そのあまりの凄まじさに、敵味方問わず呆気に取られて声も出ない有様となる。
「まさかここまでとは……」
自身で命を下しはしたものの、予想を遥かに超える威力に、思わずブランドですらも声を失っていた。が、最早勝敗などと言う必要すらない事は、自明の理であったろう。
目にした呂羽が己の意識を戻した時、彼の決断は早かった。
「十三使徒達よ! 俺の声が理解出来る角獅虎たちよ! そしてヘクサニア軍! 我らは今から速やかに全軍を撤退する! 俺に着いてこい!」
言うが早いか、呂羽は己の身を翻し、ユキヒメ姉妹に追撃の暇も与えず、その場から立ち去っていった。
いきなりの総指揮官の指令に、戸惑わぬ者は少なくなかった。だがそれ以上に自分たちへの被害や、己達が犯した失態の責任の方が、遥かに大きかったに違いない。
躊躇を見せながら、それでもヘクサニア軍は徐々に戦場から離脱していく。
史上類を見ない二万という大軍勢を率いながら、連合側は僅かその数十分の一の軍勢で、これを打ち破ったのである。
最大規模の軍事行動を、最大効果の策で破るという快挙。
後に獣王十騎士の一人に数えられる〝幻鼬謀騎〟ブランド=マイナスの名が世界に轟いた、その瞬間であった。




