第四部 第五章 第三話(4)『魔弾』
後の世に、獣王十騎士として名を連ねるのが、ヤン・ヴァン・リンヴルフ王子。
王国独立前までは〝傭兵王子〟などと渾名されていたが、その実力の底はあまり知られていない。というか、実力の全てを発揮するまでには至らなかったと言うべきだろう。
彼の駆るのは古代絶滅種・ペロロヴィス・アンティカスという名の巨牛で、差し渡し一〇フィート(約三メートル以上)にもなる長大すぎるツノが特徴的だった。
その名を〝エアレ〟。
トクサンドリア王国秘蔵の〝ダエダルス型〟と呼ばれる鎧獣で、百獣王カイゼルンの〝ヴィングトール〟と同じ、変位双性という特殊な方法で戦闘力を増強する特性を持つ。
それは、駆り手である人間の心臓を捧げるというもの。
己の手で自身の心臓を抉り出し、それを鎧獣に与える。然る後、騎士が息絶えるより先に鎧化をする事で、再生力によって命は救われ、鎧獣の能力も跳ね上がるのである。
つまり鎧獣も鎧獣なら、それを纏う騎士も人間離れした生命力を持った者でないとこの方法は使えないというもの。そしてヤンは、それを成し得た歴代ただ一人の人物であった。
普段は無口というか、ほぼ何も喋らない、まるで喋れないかのようなヤンであるが、戦場ではそうもいかない。気合いとともに三日月戦斧を振るえば、力強い彼らしい唸りが戦場に谺する。が、それはただの構え。
津波のように押し寄せる敵の大軍を前に、たった一騎で仁王立ちをするヤン=エアレ。
前方ではクリスティオとセリムが奮闘しているが、いくら道幅のない峡谷でも味方すら踏み台にして進もうとする敵軍の前には完全に押し止められはしない。堤防を決壊させるように、角獅虎たちの群れが猛然とエアレを呑み込もうとしていた。
そこへ一言――
「〝怪力乱神〟」
唸りではなくはっきりとした声で、ヤンが吠えた。
エアレの獣能。
翠の体表が俄かに輝きを増す。
膨れ上がる両腕、胸筋、広背筋、大臀筋。全身の筋肉が膨張し、まるで筋繊維が表皮を突き破るように、白い光を放った。白い光は全身に筋となって浮かび上がり、明滅する輝きを生み出す。
しかしもう魔獣は目前。どんな異能だろうとまるで無意味になってしまいかねない――
と思った直後。
轟音。
鈍く、重々しく、空気すらも消し飛ばすほどの音が、それ以上の圧力をもって炸裂した。
そこにあったのは、大軍を前に拳を向けた恰好の人牛。
広がるのは、目に見えぬ何かによって薙ぎ倒されたかのように吹き飛ばされた角獅虎たちの息絶えた姿。
あまりに異様な光景。
その理由は、最前列の角獅虎からは上半身が吹き飛んでなくなっていた事。更にそこから扇状の形となって、吹き飛ばされた軍勢が地に倒れ、広がっていたからだ。
魔獣たちの頭や身体の一部は粉々になり、或いは砕かれ、惨たらしく呻き声をあげてのたうっている。
拳の一撃。
ただそれだけで、自身と同等の体格を持つ恐るべき魔獣の大軍を停止させてしまったのだ。
「あれが、百獣王をしてこの世で最も〝膂力〟を持った鎧獣騎士と言わしめた、エアレか」
遠くで目にした、ヘクサニア軍の総指揮官である呂羽が呟く。
たった三騎しかないのに、二万騎の大軍が動きを止められている。それはあまりに異様であまりに歯痒く、むしろ滑稽ですらあったろう。
実際、十三使徒のオリンピアやサイモンなどは、これに苛立ちを隠そうともしなかった。
おそらく通常の指揮官や凡百の将であれば、こんな事態になるなど想定が出来るはずもなく、焦りを覚えてどんな愚かな命令を下しただろうか。だが呂羽は、そんな凡将とは違っていた。
クリスティオがどれだけ跳ねようと、セリムが圧倒的な剣技を見せようと、ヤンが力で押してこようと、全軍は百分の一すらまだ削られていないのだ。
全ては勢いが呑み込む。
焦る必要などまるでないと、彼は分かっていた。
むしろ少し冷静になれば、この友軍頼みにしか見えない戦い方こそが、既にメルヴィグ連合軍側の敗北を決定しているとさえ、彼は考えていた。
まずは強力な援軍を先陣に立たせ、おそらくこの後、覇獣騎士団の本隊で二万の軍を勢いで圧倒しようというのが、メルヴィグ側の作戦だろう。むしろそうするしか方法はないのだ。
だから彼はこの状況にも一向に落ち着き払ったままで、淡々と指示を出した。
構わずに進め――と。
しかしそこでヘクサニア軍の先頭は、かつて見た事のないものを、目の当たりにする。
ヤン=エアレの後方。
バッハウ峡谷が婉曲した道のため、その地形を活かして隠れていたのか。
車輪のついた巨大な弩弓が、ぞろぞろと列をなして姿をあらわしたのである。
「何だ、あれは……?」
大きさは人間が使う弩弓の数倍はあろうか。
台座に巨大なクロスボウを設置させたような形状をしている。投石器にも似ているが、大きさはその二周り以上もあり、あまりに歪な形に見えた。
巨大化した弩砲とでも言おうか。
――今更、弓矢で牽制だと?
どれだけ巨大な弓矢でも、それが人間の手で引かれるものならば恐れるものではない。仮にあれが鎧獣騎士によって引かれるものでも同様だ。
成る程、確かクルテェトニク会戦では覇撃獣の作った矢を放てるようにした、対・鎧獣騎士用の弓矢が用いられたと聞く。おそらくそれを改良でもしたものだろう。
だがそんなもので二万の軍が止められるはずもない。多少矢で傷つこうとも、数で押し切ればいいだけの事。
指揮を取る呂羽の考えはやはり変わらない。
だがその瞬間だった。
音が、衝撃波の後になって鼓膜を打つ。岸壁も何もかもを吹き飛ばし、サイの硬皮と同等の防御を誇る角獅虎すらも吹き飛ばされ、ヘクサニア軍の先頭が、後退をさせられたのだ。
何が起きたのか、呂羽ですら理解出来ていない。
「おい、これは――」
再びの爆音。
再度ヘクサニア軍に、そう、一騎や二騎ではなく軍団そのものが後ろに押し倒される。
それはあの、弩砲から放たれたものだった。
見れば魔獣達は、三から七フィート(一~二メートル)はありそうな巨岩を抱える様にして、仰向けに倒れていた。
そう、この弩砲は、巨岩を水平に放つ、岩石砲とでもいうべきもの。当然ながら、人力でこんなものをこれほどの超高速で打ち出す事など出来ない。いや、後世の科学力でも難しいだろう。
これを引くのは、ヤンの率いる東方幻霊騎士団の人牛騎士たち。
一台につき二騎以上の力でもって弓を引き、巨岩を弾丸として打ち出すという異常な兵器。怪物を相手にはバケモノじみた兵器で――というわけだ。
並々ならぬ超常の膂力を以ってしても引き絞れない弦を、力自慢の人牛二騎がかりで打ち出すのである。さしもの角獅虎ですらも吹き飛ばされてしまう威力が、この岩石弾にはあった。
これは、先ほど呂羽が考えた通り、クルテェトニクでカイが考案したものの発展兵器である。
あの会戦から四年。
その間カイは、ヘクサニアの隆盛を危ぶみ、そして角獅虎という新たに出現した恐ろしい魔獣兵器に対抗するための手段を、いくつも講じてきた。
その一つがこの岩石弩砲――
〝星の魔弾〟なのだ。
会戦時のクロスボウは数発放てば壊れてしまう脆さがあったし、そもそも矢が獣能によるものだけに限られるため、使い勝手が良くないなど、欠点がいくつもあった。
だが〝星の魔弾〟は弓そのものの構造を更に強化し、車輪付きの台座を設ける事で頑丈さを底上げした。そして岩石を弾丸にする事で異能頼みではなく力さえあればどの鎧獣騎士でも扱える様に改良。
とはいえ、あまりに巨大すぎるため運用は困難を極めるし、こんな特殊な条件の戦場でなければ運用も難しい、使えない代物でもあった。
この岩石弩砲の後方に、これを指揮する連合軍の指揮官がいる。
仮面を被った鬼謀の軍師。ブランド・ヴァンだった。
この戦いの前、ブランドは会議の席上で亡き〝覇獣軍師〟カイの残した秘策があると言ったのだが、この〝星の魔弾〟こそ、その一つだった。
ブランドが無言のまま手を振り、再び岩石弾がヘクサニアに打ち込まれる。
さすがに息の根を止める事は出来なかったようだが、それでも巨大な質量が信じられない高速で打ち出されるのだ。物理的な圧力で、ヘクサニアは前に進む事すら叶わない。
その隙に、クリスティオやセリム、そしてヤンが倒れた魔獣達を難なく斃していく。
動きを封じられた敵を倒すのは騎士道にもとるとも言えるが、そんな倫理観を適用するに値する相手ではない。向こうも容赦がないのなら、こちらとて容赦なく崩していくのみとばかりに、次々と死体の山を築き上げていった。
さすがにこの状況はよろしくないと、呂羽も判断を切り替える。
角笛で指令を送り、一部の角獅虎を飛竜に変化させた。これで空からあの岩石弩砲を破壊すればいいだけの事。そう思った直後――。
その飛竜たちが次々に撃ち落とされ、或いは飛び立つ前に岩石によって圧し潰されかける。
「何だと」
見上げた上方。
いつの間にいたのか。
峡谷の上。いわば山頂や山腹のような場所に、〝星の魔弾〟がいくつも設置され、これを放っていたのであった。
天候の悪さも、これを隠すのに一役買っていたのだろう。
これによって前方と上方の二面から、ヘクサニアは攻撃を受ける事になった。これでは流石に進軍したくとも出来かねてしまう。
ヘクサニアの後方には、それでもまだ圧倒的な数の魔獣がひしめきあっているというのに、数の有利が敵の策によって悉く封じられていったのだ。
――まさかここまで周到とは。
ここにきて呂羽は、考えを完全に改める。
既にヘクサニア側にもカイの死亡は漏れており、指揮を取るのが彼でない事は先刻承知だった。しかしこの見事な指揮は、まさにそのカイが出しているとしか思えない。いや、彼以上の見事さである。
この敵を認め、自分の思考を切り替えられる柔軟さこそ、数多の国を渡り歩いてきた呂羽の真骨頂と呼べるものであろう。ただ武力がどれだけ優れていても、生き延びる力、状況を読む力がなければ、〝渾沌〟と呼ばれ恐れられたりはしない。
とはいえ、自軍の有利さもまだ覆ってはいなかった。その事も彼は理解している。
先ほども述べた様に、後方にはまだ万を越す角獅虎たちが無傷で残っているのだ。ようはその後方から、飛竜を出せばいいだけの事。
いくらあの岩石弾が邪魔をしようとも、さすがに軍勢の後ろにまでとなると届きはしても当たりはしないはず。それに飛び立つ直前なら撃ち落とすのも容易いだろうが、飛行に入っている飛竜を撃墜するのは相当な射撃精度が必要になる。
既に後方付近の峡谷に、あの岩石弩砲が配置されていないのは視認していた。
つまり敵の有利など、いとも容易く覆るのは明らかだった。
呂羽がサリ達他の十三使徒に指示を放つ。
全員で自軍に命令をし、後方から敵を潰していけ、と。それを自軍の鎧獣術士を使って、即座に出した。
術を通して齎された命令に、使徒達の目の色が変わったのは言うまでもない。
やっと自分達にも出番が来た、これを待っていたと。
しかし〝それ〟を待っていたのは、彼らだけではなかった。
連合側にいるブランド。
彼の隣に、人虎の術士が瞑目して構えている。
その術士――エルンスト=ゲドリアが、突如目を見開いて告げる。
「補足しました!」
「よし。それを彼らに送れ。最速でだ」
「はっ!」
再び目を閉じる人虎。
獣理術によって、距離を超えた指令が下される。
同時にブランドは、懐から〝あるもの〟を取り出していた。
これとほぼ同刻、同じタイミングで、サイモン、エドガー、オリンピア、サリの四名が、契約の角笛を使い、魔獣の大軍に指示を出さんとしていた。
まさにその瞬間――
人牛となったオリンピアの持つ角笛が、いきなりその手から消え去ったのだ。
「なッ――」
オリンピアはすぐに気付く。消えたのではない。己の手から弾き飛ばされたのだと。
遥か真上。
見上げた視線の先を、何かが掠めた。
「何事ッ?!」
視界を横切ったそれは、金色の軌跡を残していた。
深い、飴色のような色。
「何者ッ?!」
間抜けにしか聞こえない誰何に、深い光の色が地に降りて、立ち上がる。
「悪いがこれは、貰っていくぞ」
「あ、アナタ……ッ!」
金色ではなく琥珀色に輝く体毛。そして琥珀色の鎧と武装。
タテガミオオカミの鎧獣騎士クリスティオ=ヴァナルガンドであった。
これと全くの同時に、他の使徒達の角笛も奪われ、もしくは破壊されている。
それを為したのは、隠密斥候の陸号獣隊隊長ヴィクトリア。
最速騎士部隊参号獣隊の次席官メルヒオール。
肆号獣隊のイヴリン達である。
そして自軍の術によってそれらをいち早く耳にしたブランドが、まずは己の仮面を外した。
その素顔は、痛々しいのを通り越し、惨たらしいまでに爛れたもの。だがそんな事はまるで気にも留めない。
先ほど懐から出したものを、素顔になった己の口にあてる。
それはまさに今、十三使徒達から奪ったのと全く同じもの。
契約の角笛だった。
ブランドが、角笛を吹き鳴らす。
その瞬間、攻撃を続けていた角獅虎たちがぴたりと動きを止めたのだ。
ブランドが吹いた内容は単純明瞭。
全軍動きを停止しろ。
仲間が倒されてもその場を動くな――である。
そしてこの機を逃すはずはない。
間を置かず、ブランドが「全軍、突撃!」と命令を出す。
セリム、ヤンを先頭に、後ろに控えていた四カ国連合の騎士団数百が、一斉にヘクサニア軍に殺到した。
攻めてくる連合。しかし命令は味方がやられても動くな、である。つまりただ無抵抗に、ヘクサニア軍は自軍の数十分の一しかない敵軍のされれるがままになったのだ。
ここでこの戦いではじめて、呂羽が激しい動揺を見せる。
どうして使徒達は命令を出さないのか。何故自軍は動きを止めたのか、と。その迷いが、長引けば長引くほど、ヘクサニア軍は秒単位で削り取られていく。
とにもかくにも反撃をしろと己の角笛で指令を出すも、何故か角獅虎は戸惑うような動きを見せるばかり。こちらが出した命令に、ただおろおろとして、気付けば連合軍の前に次々と倒されていった。
それもそうだろう。
呂羽が反撃をしろと言っても、一方でブランドが反撃はするなと真逆の命令を出しているのだ。どうしてよいか分からず、動けなくなるのは必然だった。
ここで呂羽の元に、自軍の鎧獣術士から報せが入る。
「呂羽様! サイモン様はじめ他の使徒の方々の角笛が、敵によって破壊された、または奪われたとの事です。それで後方が動かないのだと思われます」
「何だと。それは真か」
「はい」
信じられなかった。いくら何でも同時且つ一瞬でこちらの角笛を奪うなど、どうやっても出来るはずがない。隠密潜入に長けた騎士がいるのは知っているが、それでもそんな芸当が出来る者が数人もいるとは思えない。
よしんばその実力者であっても、使徒達とて騎士団長級の実力者なのだ。そう易々と奪われるというのも合点がいかないし、もしそれをするなら、完全完璧に姿も何も存在を消して、角笛を使う瞬間を狙うしかない。しかしそんな真似がこんな混乱し殺気だった戦場で出来るものか。
だが呂羽は知らなかった。
この少し前――
潜入不可能と呼ばれたヘクサニア教国のヒランダル黒聖院に、密偵と怪盗を潜入させた術士が、メルヴィグにいる事を。
その人獣術士の女性が、ブランドの横で報告している。
「ブランド様、四騎全員、目標を達成です」
ヒランダル潜入組の生き残りにして覇賢術士団のシビル=ゼイルナである。
人豹の術士になった彼女の両肩には、それぞれ手を置く別の鎧獣術士がいる。
ゼイルナの極大獣理術〝神の存在証明〟は対象の気配を含めたありとあらゆる情報を完全に消してしまうというもの。ただし術で可能なのは最大で三騎までとなっている。
そこで同じ鎧獣術士が協力し、彼女の術を最大を超えて拡張させ、同時に術をかけられる相手を四騎まで増やしたのである。
これによってクリスティオやヴィクトリア達は敵の誰にも知られる事なく使徒の元に近付いたというわけであった。
また、視界が悪くなるほどの悪天候の日を戦いに選んだのも、先ほどの岩石弩砲を隠すためというのもあったが、それよりもクリスティオらの身を潜ませ易くするためという方が、理由としては大きかったのである。
そしてここまでの戦闘も全ては、使徒に角笛を一斉に使わせるという状況を作り出すためのもの。
大軍を押し込め、命令を出さざるを得なくなる瞬間を狙い、これを行う。
使徒の居場所も数も、エルンストら別の術士らが感知によって目星をつけ、敵が放った術を追跡する事で完全に補足。
これこそが、ブランドの策。
クリスティオに貴方が作戦の要になるといった意味もそう。
自軍が為す術なく蹂躙されていく様を、ただ眺めるしかない呂羽。こちらが反撃しろと言っても言う事を聞かない理由も分からない。
この時、契約の角笛という器具の特殊さがかえって裏目に出たのである。
最初に触れた様に、この角笛は大きな音を出すのが目的のものではない。特殊な音波を出して、それで命令をするためのもので、音が聞こえるのは角獅虎のみとなっている。
今まではその無音性が有利に働き、音が聞こえないのに、魔獣達は統制の取れた動きをしたのである。
しかしこの音が聞こえない特性によって、ブランドがこちらを翻弄している事に、呂羽は気付けないでいたのだ。
だがそうといってただ手をこまねいているわけにはいかない。
こうなれば己が直接後方にまで退がり、そこから指揮を取るべきだと、呂羽は判断。彼は先頭の陣から後ろの方に向かおうとしとする。
が、踵を返した彼の足が、駆け出す前にぴたりと止まってしまう。
彼の目に映るそこにいたのは――
「まさか……貴様は――」
碧に輝く異国の戦士。
ユキヒメ=軍荼利が目の前で彼の行手を阻んでいたのであった。




