第四部 第五章 第三話(2)『軍師継承』
最初に口を開いたのは、セリムとヤンの二人を押し留めようとしていた官吏だった。
「も、申し訳ございません! ただいま会議の最中であらせられるので、今しばしお待ちをと申し上げたのです! で、ですが聞き入れてはいただけず、ここまで強引に入ってこられまして、その……」
ひたすらに低頭する中年官吏の姿に、トクサンドリア王国のヤンが鋭い目で睨みつける。思わず中年男が小さく情けない悲鳴をあげるも、実は本人は睨んだつもりではなかった。
服装とは別に、ヤンの見た目は武人を絵に描いたように厳ついもので、顔立ちも目つきも人を畏怖させるのに充分な容貌をしている。しかも荒々しい長髪と強髭に加え、一言も喋らない寡黙さも相まって、誤解されやすい事この上ない風貌なのだ。
が、その実、彼は意外にも気遣いの多い性格で、どちらかといえば温厚な部類なのである。
そんな外見だけは偉丈夫然とした異国異教の王子の事を知ってか知らずか、おそらく彼より下の世代であろう砂漠の国の皇帝は、涼しく笑みを浮かべてこれに説明をする。
「いかにもこちらの方の申す通り、我ら両名、勝手にこの場へ踏み込んだ次第。責も非難も、甘んじて受けましょう。しかしながらご一同方――ヘクサニア教国がかつてない侵略を行おうとしているこの現状で、我らがただ横槍を入れるためだけに、わざわざ他国にまで足を運んだとお思いか?」
「……まさか、ご助力願えると?」
「如何にもです。兵数は然程ではございませんが、我が帝国から鎧獣騎兵隊の選りすぐりがもうすぐ王都に到着します。こちらのヤン殿も、同様のようにございますよ」
その場にいた数名から「おお」というどよめきが起こる。
アンカラ帝国の鎧獣騎兵隊と言えば、今は近衛騎士団になった帝国屈指の騎士部隊、いや騎士軍である。その精鋭を引き連れて皇帝自ら援軍を買って出るなど思いもよらぬ申し出である。それどころかクルテェトニク会戦でも圧倒的な武勇を見せつけたトクサンドリアの騎士王子までもそこに加わるというのだ。
あまりにも信じ難い話であった。
「しかしいきなりのご来訪もそうですが、一体どうしてそこまで……」
レオポルト王が尋ねるも当然の事。
「三つ、理由がございます」
「三つ?」
「一つ目は我が帝国への恩義に報いるため。四年前の会戦で我が帝国は貴国に大敗したにも関わらず、貴国は必要以上の賠償請求なされなかった。連合軍の中には徹底的にアンカラから搾り取ろうという動きもあったのは存じております。それでも貴国、いえ、レオポルト殿はそれを抑えて場を鎮められたと聞いています」
「それは買い被りです。我らが望むのはより良い未来であり、そのためには勝利こそ欲すれば、憎しみを増やす真似はするべきではないと考えたまでの事。それに、ボクの友人の言葉を信じたからでもあります」
「友人?」
「セリム陛下、貴方のご友人でもあるイーリオ・ヴェクセルバルグです。彼は言いました。アンカラをセリム陛下が治められれば、きっとメルヴィグにとっても良き友好国となるでしょう。ですから国同士で自ら火種を撒くような行いはやめてください、と」
セリムの両目が驚きで見開かれる。
「まさかイーリオが、そんな事を言っていたとは……」
「彼はそういう人間です。成人しても何も変わらない。まるで幼子が無邪気に、〝みんな仲良くしよう〟と言っているのを、大人になっても続けているようなそんな男です。誰しもが大人になるにつれ捨てていく色々なものを、手放しもしない。けれども稚拙でも無知でもない。大人の目と考えも持っているのに、どこかで無垢なまま。だから皆、彼の事だけは国も人種も何もかもを超えて信頼出来る。違いませんか?」
「……確かに。そうですね」
あの緑金の髪と瞳の青年の姿を浮かべ、セリムは微笑みを浮かべた。会議の席にいるクリスティオやクラウス、それにヤンも含めてここにいる誰もが、そこに希望を見たような気がした。
「――そして二つ目ですが、これは私個人の思いです」
「セリム殿の?」
「ええ。貴方がたは、我が妹をヘクサニアから助けてくださった。これは何にも代え難い大恩です。こちらが友好国を傘に着てお願いした事であろうとも、そんな事はどうでもいいのです。本当に何と御礼を申していいか……」
つい先頃、王都へ匿われたアイダン姫の事である。
覇獣騎士団のヴィクトリアがアイダン救出のために動いたのは、ある意味、国家間の取引的な側面もある話だったのだ。けれどもそういった国と国との駆け引きとは別に、真っ直ぐにただ純粋に、セリムは妹の救出が果たされた事に、感謝の思いを述べたのだった。
それはどこか、彼らが今さっき口にしたイーリオの行いに感化されたような振る舞いにも見えた。
「無法な行いをするヘクサニアの暴虐を、我らも無視出来なかっただけの事。御礼には及びません」
「いや。本当に……本当に何と御礼を言えばいいか」
「そのくらいでいいではありませんか、セリム殿」
「それに最後にもう一つございます。それは銀の聖女の幻です。――私もあれを見たからです」
シャルロッタが見せた、各国の人間への幻像。
彼女はその全員に、メルヴィグ王都を守ってくださいと告げていたのだ。それこそが、各国どころかこの世界そのものも守る事になると。
「貴方もですか……」
「これは帝国でも私個人でもなく、一人の騎士としての理由です。それについては、どうやらこちらのヤン殿も同じようです。我らは等しく、あの聖女よりこの大陸の安寧を託された騎士。これだけの理由があって、まだそれでも他に何か語らねばならぬでしょうか?」
セリムの言葉に、この場の全員が押し黙った。
もうこれ以上、尋ねる必要はなかった。
「ありがとうございます。セリム陛下。ヤン殿下」
「同じ王族の身。少なくともレオポルト殿、貴方は私を呼び捨てにしてください。私も貴方を、レオポルトとお呼びして構いませんか?」
「勿論です。我らは共に友好国であり、私と貴方、ヤン、それにクリスティオも皆、同じ友です」
セリムの申し出に、ヤンも横で頷く。
いきなり友人の輪に巻き込まれたクリスティオだけ、一瞬、面食らった顔を浮かべる。しかし傍らのブランドが、誰からも見えぬ恰好で「陛下」と釘を刺すように脇腹を小突いたお陰で、クリスティオもしどろもどろこれに応じた。
予期せぬ形ではあったが、ここにかつてない規模の大陸間同盟が結ばれた瞬間であった。
思わず会議の列席者から歓声があがる。
手を叩き、感動に涙ぐむ者さえいた。
こんな事は未だなかった。これは歴史的快挙だ。最早ヘクサニアなど恐るるに足らず――。
そういう声さえ僅かながらも聞こえてくるほどに。
常であればこれによって、百人力どころか千人力、万人力を得たような心持ちであっただろう。特に覇獣騎士団の主席官や次席官を半数も失った今となっては、これ以上ない援軍である。
が、現実に目を向ければそうもいかない。
正直なところ、同盟も援軍も焼け石に水でしかなかった。
迫りつつある敵の脅威は、セリムとヤン、彼らと彼らが率いる部隊だけで覆るようなものではないからだ。
かつてない力を持った人獣騎士が、二万――。
数の有利を覆すのが鎧獣騎士戦の真髄だと言っても、限度がある。
仮にだ。ここにいる腕利きの騎士達が一人当たり一〇〇騎を相手取ったとしても、敵の数はそれに勝ってしまう。
つまり防ぎ切れるものではないという事だ。絶対に。
皆が喜びで湧く中、冷静にそれを考えているのは、レオポルトをはじめとしたまさにその腕利き達であった。
玉砕覚悟でどうにかするしかないのか。
それとも――
「セリム陛下とヤン殿下の参陣はこれ以上ない援軍ですが、それでも我らが敗北するのは必至でしょう」
誰もが分かっていて目を逸らそうとしていた〝現実〟をここで口にしたのは、クリスティオの右腕でありこの同盟全体の軍師とも言うべき、仮面の騎士ブランド・ヴァンだった。
「皆、分かっているのでしょう? 確かにお二人以上に心強い味方はございません。されどヘクサニアは二万の軍。仮にです、もしここにメルヴィグ、アクティウム、トクサンドリア、アンカラの全ての軍を集めたとしましょう。おそらくそれでも真っ向からなら我々の負けは明白。いわんや、ここにいる我らの軍勢のみで、二万騎の角獅虎に打ち勝てましょうか」
ブランドの発言に、さっきまで沸き立っていた会議の場が、水を打ったように静まり返る。
援軍で希望や勇気を得られても、現実は現実。
竜を前に立ち向かうのがただの蟻なら、例えどれだけの群れでも、一瞬で塵になってしまうのがどちらなのかは言うまでもない。いや、竜と蟻なら竜にとっては元より塵に等しいだろう。今のヘクサニアと彼らのように。
それほど彼我に、開きはあった。
突きつけられた絶望を改めて直視させられたような気持ちになり、誰もが何も言えなかった。
そういうお前に策はないのかよと、誰かが小声で言うのもどこか仕方ないようにさえ思えてしまうほど。それを咎める声も重なったが、実際、あまりに規模が違いすぎる相手に、どんな策でも無意味でしかないだろう。
そんな思いに全員が沈みかけた時だった。
否定する発言をしたその本人が、己の言に反語を放つ。
「真っ向からでも、我らの軍勢のみでも勝てない――それは事実です。ただそれは、軍同士が戦争をしたとしての話。しかしそれだけが戦いではございません」
「どういう意味だ、ブランド?」
問いかけたのはクリスティオ。己の一の腹心であるブランドを最も信頼しているのは彼である。だが状況が状況なだけに、彼以外からのブランドに向ける目は鋭い。
「策はある、という事です」
再び静寂が、場を支配した。
いや、ブランドの存在が、支配したというべきか。
「どういう策があるのか、聞かせてくれるかい?」
「勿論です、レオポルト陛下。しかしその前に、一つはっきりさせておくべき事がございます。我らは共に、この王都を守る守護騎士。そこに優劣はございません。ですがどれだけの強者が集まろうと、有象無象の集まりでは、例え条件が五分と五分であっても勝てるものも勝てません。優劣――というのではなく、我らはここより一つの組織として機能しなければならないという事です。つまり、指揮系統の確立を、ここで明確にしておきたい。如何でしょうか、ご一同」
「ボクに異存はないよ」
レオポルトの返事を皮切りに、全員がこれに同意した。
ブランドの提案は、当たり前と言えば当たり前の事である。だが同時に、連合や同盟といった組織で起こり得る、最大の懸案事項であるとも言えたからだ
「ありがとうございます。本来ならば、我らが共に頂点として戴くべき人物ははっきりしているのですが、その〝彼〟は、残念ながら今この場では不在となっています」
誰の事を指しているか。分かる人は多くないが、気付く人間もいただろう。
〝獣の王たちの、その王〟――イーリオである。
「なので、仮にではございますが、この場の王や皇帝、諸侯を束ねる役割を、レオポルト陛下――陛下にお願いしたいと存じます」
「ボクがかい? それでいいのか?」
「何かにおもねるわけでも、ましてや私心などございません。まず、この中で君主として年長なのは陛下です。年功に大事を置くわけではございませんが、皆が納得する発言が出来るのも、年長者でなくばいけません。それに陛下の実力や器量について、疑う者などあるはずもないのは明白。加えて陛下は、四年前のクルテェトニクで連合軍の総大将をしたお人でもございます。即ちこの場に陛下ほど、我らを束ねるのに相応しい方はいないかと存じます」
「本当にそれでいいのかい? クリスティオ、セリム、ヤン?」
全員が無言で、同意を示した。
レオポルトは己の武功や経歴とは真逆に、こういった名誉欲はおそろしいほど皆無だった。それが透けて見えるからこそ、全員が納得したというのはあっただろう。
「……分かった。大役というにはあまりに荷が重すぎる役だが、ボクが引き受けよう」
「ありがとうございます、陛下。では後ほど、それぞれの役割についても決めていく事としましょう。――却説、その前に私の申し上げる〝策〟についてですが……」
「何だ、勿体ぶるな。早く申せ」
急く気持ちが抑えきれず、思わずクリスティオが横から尋ねる。
「これは、亡きカイ様が遺された策でもあるのです」
今度はどよめきが場を覆う。
メルヴィグの〝覇獣軍師〟カイ・アレクサンドル・フォン・ホーエンシュタウフェン。
メルヴィグの王族直系の一人であると共に、覇獣騎士団の主席官であり、王国一、いや大陸一の知謀の持ち主でもあった。しかしザイロウを復活させるため、彼はその命を犠牲にして世を去ったのだ。
そのカイが、ブランドに何か策を授けていたというのか。
ブランドが答える。
「いえ、カイ様から私が何か教えを受けたり、授けていただいたわけではございません。ただ、カイ様の遺品などから、この事態をカイ様が予期していた事に、私は気付いたのです。そしてそれを為すために必要なものを手配されていた事も、はっきりしています」
「何だ、それは」
クリスティオが急かす。そんな主の姿に、ブランドは苦笑を浮かべた。
クリスティオからすれば、これはブランドという男が皆に認められるかどうかの重要な場であると、気付いていたからだろう。それだけに、急かしてしまうのだ。ブランドもまた、そんな己の主の思いが分かるからこそ、人知れず苦笑いを浮かべたのである。
「必要になるのは、時、場所、人、この三つです」
ブランドが己の指を折って続けた。
「時とは天候。これについてはカイ様が残した過去五〇年以上の気候の記録から、ある程度予測が出来ます。そして類推される敵の侵攻速度とこちらの諸準備もあわせて考えるに、決戦は三日後」
「み……三日だと?」
「早いと言いたいのでしょうが敵はこちらの都合など待ってくれません。天候もこちらに都合に合わせて待ってはくれませんので。次に場所です。即ち二万の敵軍を迎え打つ戦場が何処か」
ブランドが己の配下に合図を送り、メルヴィグ王国の地図を持ってこさせる。その地図の一点を指し、ブランドが告げる。
「ここです」
「ここは……バッハウ峡谷のある隘路の狭間――なのか? こんなところでだと?」
疑問を呈したのはメルヴィグ王国の大将軍でもある覇獣騎士団のクラウス総騎士長だった。
「険しい道ならばこそ、です。戦の常道として、大軍は狭い道に弱いというのがあります。鎧獣騎士ならばその谷すら壊して進む事も不可能ではないでしょうが、それをする手間の方が遥かに大きいでしょう。進軍をするのに適した方法でない事は、言うまでもありません。――ですから、ここに敵を誘い込みます」
「しかし誘い込んだところでどうするというのだ。人と言ったが、セリムやヤンをここで使うとでも言うのか?」
皆の疑問を、ほぼクリスティオが代弁する形になって話は進んでいた。けれども指摘は尤もだし、何よりカイから受け継いだというブランドの策を知りたいと、この場の全員が黙って耳を傾ける。
「ええ。ただし、戦っていただくのはそのお二方とクリスティオ陛下、貴方を合わせた三名のみです」
「は――? 三人で、だと?」
「無論それも策です。御三方の目的は、別のところにあります。そしてここを戦地に選んだのは、敵をこの峡谷に誘いこみ、ここでカイ様が遺された〝あるもの〟を使うためです」
「あるもの?」
「はい。それは後で直接お見せしましょう。そしてこの戦いに最も必要な〝人〟とは、その三名でもなければ、レオポルト陛下でもクラウス閣下でもございません」
「だから勿体ぶるな。いったい誰が要となるのだ」
「クリスティオ陛下、貴方です」
一瞬、場が静けさに包まれる。
「オ、俺だと――?」
「はい。クリスティオ陛下と数名。その見当も既に付けております。貴方がたこそ、この戦で最大の鍵となる方々なのです」




