第四部 第五章 第三話(1)『烈士怪盗』
二人の女性が、王都レーヴェンラントの大路をよろよろと歩いていた。
共に十代の後半といったところで、一人は肌の色などからユムン人らしいと分かり、もう一人は赤毛の北方系だろうと推察される。
服装は浮浪者にも見えそうなボロで、靴も擦り切れていれば何日も身体を洗っていないのか、髪も固くなって乱れている。とはいえ、それはどちらかと言えば汚らしいというより、痛々しさを感じさせる外見だった。
何より異様だったのは、彼女らに付き添っているのが虎の鎧獣であり、しかもその虎の背には男が横たわって乗せられていた事だ。
彼女らは何者なのか。
それにうらぶれた身なり―― 一体どういう状況なのか。
王都民達が訝しさも露わに遠巻きに見つめるだけなのも、仕方がない事だろう。だが、見つめる目の中には「もしかして戦から帰還した騎士では?」と推量する者などもいたが、触らぬ神に祟りなしと言おうか、只ならぬ様子に誰もが近付くのを躊躇っていた。
そこへ、二頭の早馬が凄まじい勢いで駆けてくる。
衣服は白地に金縁。
覇獣騎士団の、それも席官であるカレルとイヴリンの二人である。
「殿下! 殿下におわしますな?!」
カレルの言葉に、ユムン人らしい少女が顔を上げて微笑んだ。
「ようやっと……助かったか……」
ユムン人らしい女性がもう一人の少女に微笑みを向けると、そのまま二人は笑みを交わし合いながらその場に倒れてしまった。
その様子にカレルとイヴリンは目を剥くと、飛び降りるように下馬をして二人を助け起こす。
「イヴリン! 急ぎ二人を王宮へ! エルンストとこいつの〝ゲドリア〟は私が連れていく。急ぐんだ!」
二人は隊は違えど同格の次席官である。しかしイヴリンは新参の次席官であり、経験的にも立場的にもカレルの指示に従うのに躊躇いはなかった。何より、四の五の言ってられる状況でないのは言うまでもない事だろう。
王宮に運ばれた彼女らは――ヘクサニアのヒランダル黒聖院より逃亡した少女たち。
アンカラ帝国の皇妹アイダンと、銀の聖女シャルロッタの世話係アリョーナだった。
そして二人を命からがら守り通してここまで付き添って来たのは、覇賢術士団のエルンスト・ナウマンである。
ここまで来る道のりで、一体何があったのか――。
他に随行していたはずのヴィクトリア主席官やボリス、シビルといった面々はどうしたのか。尋ねたい事は山ほどあったが、まずは容態の回復である。
王宮の医師の見立てでは、三人は激しく衰弱した結果、こうなったのだという。まずは身体を休ませる環境を整え、滋養のある食事を摂らせるのが一番。
また幸いだったのは、目立った大きな怪我はないという事。
そうして数日を過ごし、ようやっとエルンストも少女二人も、喋れるまでに無事回復を果たす。
その後、三人の口からここまでの経緯について、説明がなされた。
本来はこれを彼女らからの報告というか公式な記録とするべきだろうが、むしろ耳にしたそれは、苦難の体験談と評すべき内容であった。
話を聞いたのは、レオポルトとクリスティオの二人の王に、客将軍師のブランドである。
三者は同じ病室に集められ、横に並べた寝台の上で、上半身だけを起こしてそれぞれに語りだす。
まず――
ヒランダルを脱け出した後、覇獣騎士団のヴィクトリアに引き連れられた一行は、可能な限りの速度でヘクサニア教国からの脱出を図った。
しかしヴィクトリアはともかく、救出作戦に加わった残りは覇賢術士団――鎧獣騎士ではなく鎧獣術士であった。つまり足は鎧獣騎士に比べて数段劣る事になる。ましてやこちらは、無力な少女二人を連れての逃避行なのだ。
無論、逃走に不利な事は百も承知だったし、そのための準備や計画もしている。逃走経路をあらかじめ決めているのは勿論、複数の逃げ道を確保し、それぞれの場所で部隊の者や配下を、事前に配置させていた。
その上でいくつもの偽装工作なども施し、これ以上ないほどの念入りな離脱計画を整えていたのだが――敵の追跡はそれを上回るほど、苛烈を極めたものだったのだ。
そして遂に、覇賢術士団の部隊長でもあったボリスと、彼の配下であるシビルが敵を食い止めるために別行動を取る事になってしまう。
だがそれと引き換えに、一行はどうにかメルヴィグの国境を超える事に成功するのだが、ところがそれでもまだ、襲撃は止まなかった。
そして更なる追撃を振り払うため、とうとうヴィクトリアとも道を分つ事になってしまったのだ。
そうしてエルンストのみが最後の護衛となり、命からがら王都にまで辿り着く――。
詳細を省けば、以上のような顛末となる。
「全員無事に――そのつもりが……。申し訳ございません」
衰弱した身体で項垂れるエルンストに、レオポルト王は労いの言葉をかける。むしろ任務は果たしたのだ。犠牲は無視出来るものではないが、いたわりこそすれ、彼に責めを負わすべきでない事は明白だった。
「それでその、殿下たちをヒランダルから助け出したもう一人――怪盗騎士の方も、行方知れずなんだね」
レオポルトが尋ねると、躊躇いながらエルンストは頷く。
けれどもそれに、アリョーナが待ったをかけた。
「大丈夫です。きっとあの方なら、無事に脱出しているはずです……!」
彼女は、イーリオら銀月獣士団の付き添いでゴートの帝都へ向かう途上、いきなり訳も分からずヘクサニアに拉致をされた。
そして行動の自由を奪われた挙句、これという拷問などはないものの四六時中の監視体制の中に閉じ込められ続けた。このような恐ろしい思いをするのは生まれて初めての事だっただろうし、そもそもそんな経験などしたくなかったのは言うまでもない。
そこから彼女を救ってくれたのが、覇獣騎士団のヴィクトリアと怪盗騎士ゼロの二人である。
彼らにひとかたならぬ思いを抱くのは当たり前だったし、彼女にとっては今までの生涯で最大の恩人と言っても過言ではないのだから、救い主の無事を願うのは当然だろう。
とはいえその願いの結末は、その後まもなくして判明する事になる。
それから二日後。
王都に、そのヴィクトリア主席官と覇賢術士団のシビルが、帰還を果たす。
日を置かずに齎された報せに宮廷が喜びと安堵の空気に満たされたのは言うまでもないが、それ以上に顔色を変えたのは、アイダンとアリョーナだった。
命の恩人を出迎えたいというのは勿論だが、それ以上の思いに突き動かされて、まだよろめく体を支えられながら、二人ともにヴィクトリアとシビルの無事を確かめる。
帰還したばかりの二人もかなり窶れた様相をしていたが、それでもヴィクトリアは隠密斥候部隊の長である。アリョーナ達とは違って倒れるような事もなく、凛とした佇まいのまま、無事な二人の姿に相好を崩した。
「アイダン殿下、アリョーナさん……ご無事で何よりです」
「何を言う。我々こそ貴女たちの無事な姿を見られて、こんなに嬉しい事はないぞ。良かった……本当に良かった」
目に涙をためて、笑みを浮かべるアイダン。アリョーナも泣きながらヴィクトリアの帰還を喜んだ。
一方で、シビルともう一人囮になって別の道を行ったボリスの姿が見えない事に、もしやという思いが頭を掠める。
「――あの馬鹿は、私と一緒に囮になったのに、途中で私まで逃がそうとしたんです……。ただの鎧獣術士なのに……鎧獣騎士じゃない、弱っちいクセに、あいつは……」
腹立たしげに憎まれ口を零すシビルだったが、言葉とは裏腹に、彼女の目からとめどなく涙が溢れている。その押し殺そうとして殺しきれない心を目の当たりにして、誰もが全てを察した。
誰かを救い出すために誰かが犠牲になる。
そんな事は愚かな行いだと人は言うかも知れない。けれども力あるものが力なき者のためにその身を犠牲にする事は、メルヴィグにおいて名誉でこそあれ愚者の誹りを受けるようなものではなかった。出迎えた者たち全員が、彼の犠牲に心を痛めつつ、その勇気に哀悼の意を捧げる。
その後――沈んだ空気の中で発した「ゼロさんはご無事なのでしょうか?」というアリョーナの言葉に、より一層重苦しいものが加わってしまう。ヴィクトリアは思わず、眉を曇らせた表情を浮かべていた。
「ヴィクトリア様……?」
「アリョーナさん。その……言い難い事ですが、おそらくあの方は、もう――」
揺らぐ瞳と伏せられた長い睫毛。その向こうにある翳りが、雄弁に物語っていた。言葉にならぬその言葉に気付いた時、アリョーナは突如押し寄せた洪水のような感情に、呑み込まれそうになる。
「そんな……そんな事……。だって、だって言ったじゃないですか、ヴィクトリア様! ゼロさんなら何とか逃げ出しているはずって……! そう、言ったじゃないですか」
「御免なさい。でも分かってください。ヒランダルを出てから向こう、息もつけぬほどのあの日々の中では、そう言うしかなかったって……」
逃亡の最中に真実を告げれば、それがどういった状況であったとしても、おそらくアリョーナの歩みは止まっていただろう。それは彼女の様子を見ていれば分かった事。
アイダンもゼロについては薄々勘付いていたのだが、だからこそ彼女も囚えられてから仲良くなった彼女に、真実を言えなかったのだ。
そんな再会の悲喜こもごの中にいる彼女らに、レオポルト王が割って入った。
彼もまた、玉座から出向いてヴィクトリアを出迎えていたのである。無論そこには、クリスティオやブランド、宰相のコンラートに銀月獣士団といった面々もいる。
「話を遮って済まないが聞かせてくれるかい、ヴィクトリア? 君が見た話、ここに至るまでの全てを」
おおむねアイダンらの話と同じである事は、聞く前から分かっている。だが諜報部隊の隊長が齎す情報にはそれだけではない意味があった。
仔細で客観的かつ全体を通した一連の出来事全て。それらがヘクサニアという強大な敵を知る上でも、重要な手がかりになるのは間違いないだろう。
ヴィクトリアは、敵の本拠地に潜入する前から潜入へと至った経緯、そしてゼロの最期についても、なるべく詳細でありながら無駄のない説明をした。
「赤の一番……。そうか、ダンテの養子に確かアントニオという騎士がいたな。まさかそのアントニオが、盗賊になどなっているとは……」
「奇縁と言うべきでしょう。彼もまた、イーリオ・ヴェクセルバルグという運命に導かれた一人で、そんな彼がいたから、アイダン殿下もアリョーナ嬢も救われたのです」
クリスティオの独白に、直接の臣下であるブランドが応える。
アクティウムに三色騎士あり――。
かつて三獣王〝神豹騎〟に並び、アクティウム王国最強時代を築いた三人の騎士たち。その名を継承した最後の一人こそが〝赤の一番〟アントニオ・カネーリであり、それこそがゼロの本名だった。
その彼が、何故よりにもよって泥棒家業などに身をやつしたのか。
その経緯、そしてヴィクトリアが彼から聞いた話を告げ、その思いに皆が沈黙をする。
戦で人生を奪われた人間の救いとなる、そんな〝国〟を創る――。
ヒランダルに潜入する前、ゼロはそう話していた事を。
壮大すぎる絵空事か夢物語のような話だが、それを笑い飛ばせるような厭世気取りなど、この場にはいなかった。ここにいる誰もが戦争や争いに巻き込まれた経験があり、それによって決して小さくはない悲しみや苦しみを抱え、或いは未だにそれを引きずりながら生きている人間達ばかりだったからだ。
「怪盗騎士……いや、彼こそアイダン殿下という姫を救った、騎士の中の騎士だろう」
アイダンとアリョーナは、堪えきれずに嗚咽を漏らしていた。
亡き勇者に対するレオポルトの賛辞に、誰もが瞑目のままそれを認めた。
ただ、騎士の中の騎士という称号を、果たして本人が喜んだかどうかは分からない。きっとあの世で、俺は騎士じゃねえっつうのなどと苦笑を浮かべている事だろう。
「その救出の際の話ですが、お耳に入れておきたい事がいくつかございます」
しばらくの沈黙の後――。
それを割って、ヴィクトリアが告げる。
「私とゼロ殿がヒランダルの奥殿に入った時、かの国の第一使徒になったあの黒騎士の姿を見たのです」
黒騎士、という名にこの場の全員が反応する。だがヘクサニアに黒騎士がいる事自体は、何も不思議ではない。つまり話はこの先にあるという事だ。
「そこで見たのです、あの黒騎士の仮面の下の素顔を」
「黒騎士の顔を?」
「はい。仮面を脱いだその顔は――あの竜人と同じものでした」
一瞬、何を言っているのかが分からなかった。
黒騎士の顔。それが、竜人?
「何……だって……? 黒騎士の正体が、竜人だと?」
「はい」
「それはまことなのか」
この目でしかと見ました、と念を押すように言って頷くヴィクトリア。
レオポルトがクリスティオとブランドに目を向けるも、二人ともに当惑しているのは明らかだった。誰も彼も、同席しているギルベルトやユキヒメすらも唖然としている。
「どういう意味だ……」
「我々は、そうとは気付かず、ずっと前から竜人という怪物を目にしていたとでもいうのか……? い、いや待て、ちょっと待て――。黒騎士は代を重ねず、実は一人の人間のままだという噂があったが――それは馬鹿げた噂だと笑っていたが――まさかそれが本当なのか? 竜人という怪物が正体で、その怪物なら、百年以上も生きていられると……?」
「馬鹿な……。いや、確かに……筋は通るが。だが――」
レオポルト、クラウスの言葉にクリスティオが答えるも、誰もどれが正解だとは言えない。いや、ここでどれだけ推察を重ねようと、真実など余計に分からなくなるだけだろう。
「一体、竜人とは何なんや。あれはほんまに化けモンなんでしょうか……。それにです、あの化けモンが齎すあの竜牙病という病、そもそもあれも何や。……何もかも、まるで分からん」
宰相のコンラートが言う通り、情報が不足しているのは否めなかった。少なくとも黒騎士の正体が竜人だなど、誰も予想していなかったのは間違いない。
知謀に優れたブランドも、何も語らず黙って考え込むだけ。
「一つよろしいでしょうか? それと関係あるのかどうか分かりませぬが、妾たちが捕まっておる時に、枢機卿のスヴェインなる者が、妾たちに向かってこう言った事がございました」
アイダンが、今の一言で何かを思い出して口を開く。
「〝貴女がたのどちらかが、次の神女の憑代となる。だからくれぐれも御身を大事にしてくだされ〟と。何を言っておるのか、どういう意味なのか。その時はさっぱり意味不明であったが、魂を奪うかのような竜牙病なる奇病の事を考えると、もしかしてあれは、妾たちどちらかの魂を奪って抜け殻にし、奴らの崇める神女とやらの器にしようとでも考えていた――そういう意味ではないのかと思うのです……」
「アイダン殿下とアリョーナ嬢を攫ったのはそのためだと……?」
荒唐無稽だが、それはそれで話が繋がる。
そもそもヘクサニアは、アイダン姫を攫っておきながら身代金を要求するなり何かの交渉に使うなりといった、当然するであろう行動を何一つしなかったのだ。
手間暇をかけてわざわざ誘拐をするだけして――ただそれだけ。
あまりにも行動が不可解だし意味がわからないと思っていたが、黒母教が崇拝する神女の新たな器候補だったと言われれば、合点のいく話ではある。あるが、どうにも信じ難い話でもあった。
ただ、倒したはずのエポスがすぐに別の体に乗り移って蘇る、という話は既に全員が聞き及んでいる。とすると、神女ヘスティアもエポスの一人と仮定すれば、己の〝器〟を新調しようとし、それのために選んだのがアイダンかアリョーナだったと考えれば、不可解な行動の説明にはなった。
「今の推察が正しいと仮定するなら、おそらく〝器〟として選ばれるには何か条件のようなものがあるのでしょう。少なくとも誰でもいいというわけではなさそうです。その中でもわざわざアイダン殿下を選んだのは、ヘスティアは神女という黒母教でも信仰の頂点に位置する人間だから、それなりに箔のついた人物の方が都合がいいから――でしょうか。アリョーナ嬢は保険のようなものか、もしくは何か別の意図があったか……」
ブランドの推測が正しいかは分からない。
ただ、いずれにしても黒騎士の正体が竜人であるという衝撃的な事実と、あくまで予想でしかないがアイダンらを誘拐したその目的について、予想がついたのは大きな成果であると言えるだろう。
何故なら、竜人の正体が判明すれば、その弱点のようなものも見つかるかもしれないし、となれば黒騎士を攻略する糸口になるかもしれないからだ。
誰も――あの百獣王カイゼルンですら勝てなかった無敵の存在を倒す方法。それを見付け出す事は、ヘクサニアに対抗する上で、ある意味最も重要な一つであろう。
そしてアイダンとアリョーナの誘拐が本当に次の神女の器のためであったなら、それを阻止出来た事はかなり大きな意味を持つ事になる。仮にそうでなくとも、こうまで面倒な手間をかけて攫い、殺すでも政治的に利用するでもなく軟禁した事を省みれば、彼女ら二人の持つ意味が敵にとって決して小さくないのは明らかだ。
それは追っ手の執拗さからも分かる。となれば、これを阻止した事で大なり小なり何らかの波紋を及ぼすのは間違いなく、もしかすれば今後において非常に大きな意味を持つかもしれないと考えられた。
ところが――。
情勢は――いや、敵は予想を上回る動きを、ここで見せる事になる。
「ヘクサニア軍に動きあり! 国境付近にかなりの数の軍が押し寄せているとの事です!」
ヴィクトリアの帰還からほとんど間を置かず齎された報せに、王宮は騒然となる。
緊急で会議を召集したレオポルト王は、その場で伝令に問い詰めた。
「数は? 今まで王都を襲った敵軍とは、どれほど違うのか?」
伝令が一旦言葉を呑み込んだのは、急ぎで息も絶え絶えだったからか。それとも情報を口にする事を躊躇っていたからなのか。
放たれた言葉に、宮廷が凍りつく。
「お、およそではございますが……」
「何だ、はっきり申せ」
「二万……」
「何――?」
「その数、二万騎もの角獅虎が、我が国に向けて進軍をしつつあります!」
誰もが――
レオポルトやクリスティオだけではない。今や王都防衛の知の要であるブランドもクラウス総騎士長やその他の誰もが、声を失った。
史上最大規模と言われた四年前の第二次クルテェトニク会戦の時ですら、両軍それぞれの鎧獣騎士の総数は、千騎未満だったのだ。両軍合わせても二千には届いていない。
そもそも鎧獣騎士は一騎で千人に匹敵すると言われるほど強力な武装である分、おいそれと量産は出来ないもの。未だかつて、万を越す鎧獣騎士を保有した国家など、存在した事はない。これは歴史的事実である。
ところがだ。数にしてクルテェトニクのおよそ一〇数倍。しかも角獅虎一騎の武力は、覇獣騎士団ならば主席官に相当する――それが、前人未到の数で押し寄せてくるというのだ。
「本当なのか」
「はい」
「人間の――鎧獣騎士ではなく――ただの人間の歩兵などを合わせた数、の間違いではなく、本当にあの角獅虎が、二万騎もあるというのか」
「……はい」
信じられない――。そんな馬鹿な――。
誰もがそう言いたかったに違いない。
けれども相手がヘクサニアである以上、そんな〝有り得ない〟も事実として有り得るのだ。
この時誰もが頭に浮かんだであろう。〝降伏〟の二文字が。しかしそれだけは取るべき選択肢ではなかった。
どうやってこれに抗うか――それは不可能を可能にするなどという言葉が稚拙に聞こえるほど、不可能な事だと思えた。
天地がひっくり返ろうとどうしようと、二万騎の怪物に対抗する術など、あるわけがない。そんな絶望に支配されかけた時だった――。
官吏の一人があげる制止の声が耳を打ったかと思うと、俄かにおきた騒がしさと共に、会議の場に割り込む人影が二つ。
「随分と絶望的な状況ですね、メルヴィグ国王」
そのうちの一人が、涼やかな声で問いかける。
その姿に、この場の誰もが驚きで声をなくしてしまう。
「貴方たちは……!」
ニフィルヘムの国々にはない、南方域特有の服装。
頭に巻いたターバンの豪奢さが、一際目を惹く。
そしてもう一人は、エール教会の司祭服に似た長衣を纏った偉丈夫。隆々とした両の腕を惜しげもなく晒し、厳しい顔で髭の生えた口を強く引き結んでいる。
一人は、アンカラ帝国皇帝セリム。
もう一人は、トクサンドリア王国王太子にして騎士団団長ヤン。
予期せぬ賓客に、誰もがただただ呆然となっていた。




