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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第四部 第五章「天の山と星の城」
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第四部 第五章 第二話(終)『黒軍蠢動』

 ヤンは、かつてないほどに悔いていた。


 彼はトクサンドリア王国の王太子である。同時に国家騎士団〝東方幻霊騎士団(エステ・ファンタズマ)〟の団長でもある。

 その事に誇りを持っていたし、強い自負もあった。王太子として騎士団団長として、決して遅れは取らない――間違いなど犯さないという自信も。


 己の筋肉に賭けて、それは胸を張って言える。

 胸なだけに、胸筋に賭けて。


 けれどもその自分がいながら、父王レオノールが凶刃に倒れたのだ。


 事件は何という事のない、いつもの礼拝の中で起こった。

 トクサンドリアでは、エール教の中でもパウロス派という宗派を国教と定めており、国王は王であると同時に国教の大司祭でもあった。

 大司祭が礼拝を行うのは当たり前。何も変わった事ではない。だが祭事や儀式などでもない通常礼拝なので、あくまでレオノール王と側近たちのみで行うもの。


 ところがそこへ一体いつどうやって紛れ込んだのか、「国王陛下、どうか我ら親子にも神の恵みを」と祈りを捧げる子連れの女性が近付いたのだという。


 敬虔な民の一人が何らかの事情で入り込んだか――誰もがそう思った。側近らの中に、追い払おうとした者もいたが、レオノール王はそれを諌め、信仰篤い者にも慈悲をと言って彼女に祈りの言葉をかけようとした。


 そこで事件は起きた。


 その女性が、いきなり猿のように跳び上がると、レオノール王に襲いかかったのだ。

 細腕のか弱そうな女性。油断もしていたしそもそも予想もしていなかった。だから動きに遅れをとった。

 が、レオノールは王であり大司祭であり――剛腕の騎士でもあるのだ。

 油断も隙もあったとはいえ、鍛えに鍛えた肉体が条件反射で動く。


 頭上からの襲撃者が振るった剣を、あえて左腕で受けて致命傷を避けると、右腕の一唸りではたき落とす。


 か弱い母親を装っただけで相当に訓練もされたであろう襲撃者だったが、〝強司祭王〟の異名を持つレオノールの平手を浴びれば、無事で済むはずがない。


 その場にいたヤンも一瞬ひやりとしたが、さすがは父王と安堵したまさにその時だった。



 鈍い音が響き、レオノールの体を重い何かが揺さぶる。



 落とした視線の先――

 子供が、レオノールの体に重なっていた。



 まだ一〇にも満たないような見た目。親子を装った内の、子供の方だった。


 何を――

 と問うより前に、真っ赤な血がレオノールの貫頭衣を染めていく。



 子供の手には、体格には似つかわしくない大振りの小刀があり、それがレオノールの腹部に深く刺さっていたのだ。側近も誰も、息を呑んだ後で悲鳴を上げる。

 同時に崩れるレオノール。


 一目でヤンは気付いた。


 急所だった。


 側近が駆け寄る中、ヤンは即座に凶刃を振るった子供と母親を腕力で制圧。

 後で、この親子は本物ではなく黒母教の狂信的な信徒であった事が判明する。

 エール教一色のはずのこのトクサンドリアで黒母教の狂信者が入り込むのも信じられないが、それ以上に国王が害されるなど、前代未聞の事であった。


 そのレオノール王だが、刺さった刃が内臓も深く傷つけているとの事で、今も生死の境にいた。


 自分がいながら――自分の目の前で――。


 どれだけ悔いても時は戻らない。今は父王の無事を願うばかりであったが、そこへ急報が駆けつける。


「陛下は、一命を取り止めました!」


 王城の内外で、誰もが胸を撫で下ろしたのは当然の事。それほどにレオノール王はこの地の民と信徒に敬われていたのだ。そして同じように深く安堵していたヤンに、報せを齎した者が続けて言った。


「王太子殿下、陛下がお呼びです」


 案ずる思いこそあれ、むしろ駆けつけたい気持ちを抑えてきたのだ。飛び出すように足を運んだのは言うまでもない。


 部屋に入った後、重傷で横たわるレオノールの姿に、ヤンは胸の苦しさを覚えた。

 寝台に近付き、その場で膝をつく。


「ヤンか……。王たる私がこのような醜態を晒し、君主として父として、情けなく思う」

「……」


 ヤンは無言で(かぶり)を振る。


 彼は生来、とんでもない無口であった。というか無口を通り越して喋れないのではと訝しがられるほど、言葉を発しない。親兄弟はおろか、三人いる妻達や娘らにも、ずっと無口なのだ。出したとしても「む」とか「ん」とかの一言のみ。

 そんな息子に一時は大丈夫かと心配する思いもあったレオノール王だが、言葉を交わさなくともそれ以上の雄弁さで王子は様々な事を語っていたのである。

 口に出す言葉など、本心を包み隠したもの。しかし肉体(からだ)の発する言語に嘘はない。

 何よりトクサンドリアというかこの王家や騎士団が、そういう方向性の人達ばかりなのだ。


 全ては己の筋肉で。身体言語こそがこの国の会話。


 むしろヤンほど、この国を継ぐ者として相応しい人間はないと言えるのだが……。


「気に病むな。よもやあんな年端もいかぬ子供が暗殺を仕掛けてくるなど、想像もしていなかった。であろう? お前達はそれで良い。だからこれは私の油断だ」


 襲われ、倒れたのは自分だというのに、その責を誰にも負わせない。負わせないどころか、それは己の失態だと言うのだ。

 そんな王に、ヤン以外で部屋にいた付き添いの侍医などは、思わず感激に打ち震えていた。


 さすが我が国の〝強司祭王〟――と。


 そんな周囲の思いを知ってか知らずか、レオノールは続けた。


「子供だからの油断――そうではない。それが幼子であろうと老人であろうと屈強の戦士であろうと関係ない。刃に屈してしまった事、それこそが我が過ち。そうだ、己の筋肉への油断――! 私はそれを恥じている」


 何か話の方向がズレはじめている事に、思わず侍医は会話に割って入りそうになる。


 筋肉への、油断?

 いやいや。筋肉に油断も何もないよ、と。


「何故、己の筋肉を信じてやらなかったのか。刺されたあの時、ほんの僅かでも己の筋肉にくが緩んでいたのは間違いない。私は、肉の加護を疑ったからこそ、こんなザマになったのだ。だからお前も皆も気にするな。――幸いにも、私の筋肉は私をまだ見捨ててなかったようだ。今あるのも全ては日頃の肉体への信仰があればこそ。急所の傷も、我が筋肉で塞いでくれよう」


 ヤンが大きく頷いた。

 侍医は呆気に取られていた。


 そして何故か、いきなりヤンが己の上着を脱いで諸肌になる。


 てらてらと輝く左右の大胸筋。

 それを見たレオノール王もまた、傷の体を起こして包帯の巻かれた諸肌を曝け出す。


「ちょっ……! 陛下! 国王陛下っ。まだ絶対安静なのに、何をなさってるんですかぁっ?!」


 側で控えていた侍医が、堪えきれずに叫ぶようなツッコミを入れた。


「息子が筋肉(にく)で応えているのだ。それに返さず、何が筋肉(にく)の王かっ」

「いや、筋肉(にく)の王じゃなくって司祭の王ですよね……? ちょっ、陛下……」


 まあそういう侍医もこの国の医者らしく、なかなかに立派な体格をしているのだが。


「息子よ!」

「――!」


 三角筋を突き出すレオノール王。

 それに背中の広背筋で答えるヤン。


「なるほど、責任を感じてか――。だがな、ヤンよ!」


 何を読み取っているのか、側で見ている分にはまるで分からない。

 レオノールは重傷などお構いなしに、上腕二頭筋で隆々とした塊を膨らます。


「今こそお前は、お前の筋肉に正直になれ! お前のなすべき事! なさねばならぬ事! その答えは全て、肉体からだが既に出している。違うか?!」


 刮目するヤン。

 何をどうしたら、筋肉を見せつけあうだけのこれに、ハっとなれるのかは分からない。

 けれども気付いたのは気付いたのだから、仕方ない。


 ヤンは左右の大胸筋をぴくぴくと震わせると、顔を真っ赤にして一言、こう言った。



「イーリオ!」



「そうか!」


 吠えるレオノール。

 最早ワケが分からない。


「ならば征け! それが貴様の筋肉の導きだ」


 親子が互いの上腕筋を絡ませて頷きあう。


 侍医は「何だこれ……」と呟きながら、重傷って何だったの……? とよく分からない徒労感を覚えたという。



 トクサンドリアで起きた国王暗殺未遂事件の顛末がこれであり、まあ結果は何が何だか分からないまま、ヤンもまたメルヴィグ王都へ向かう決意をしたのだった。

 詳しい説明は、無口なヤンなだけに一生される事はないだろう……。



※※※



 己の腕をまじまじと見つめた後、手の平を開いては閉じ、閉じては開きを繰り返して、顔を歪ませる。


 異形の腕だった。

 人間のそれではない。


 黒灰色の皮膚は人のそれではなく、光沢を帯びた爬虫類の鱗そのもの。


 そこから忌々しそうに目を背け、スヴェインは腕にロンググローブを着けて爬虫類の片腕を覆い隠す。


「貴様が望んだのだ。むしろ希望通りの仕事をしたと、イーヴォを褒めてやってもいいくらいだぞ」


 声をかけたのは、道化の化粧を顔に施した赤染めの髪の男。ドン・ファンだった。


「分かっているさ。こんな不恰好になってしまった事もそうだが、あのクソ怪盗を思い出しただけだ」


 ここにはスヴェイン、ドン・ファン、エヌの三人のエポスがいた。

 場所はヘクサニアにあるヒランダル黒聖院の中。地下で起きた爆発で崩れた場所ではない、奥殿の別の一角に、彼らは揃っていた。


 先頃、スヴェインはヒランダルに侵入した怪盗騎士ゼロの我が身を犠牲にした爆発に巻き込まれ、倒壊した建物の下敷きになってしまったのだ。だが頑丈さでは他と比べものにならない角獅虎(サルクス)を纏っていたお陰で、何とかスヴェインの肉体は息絶える事なく、一命だけは取り止める事に成功する。


 しかし、爆発は神殿の一角を崩落させてしまうほどの規模であったためその被害は凄まじく、スヴェインも五体が無事というわけにはいかなったのである。

 彼の駆っていた初期型(アーリー)角獅虎(サルクス)も再生すら不可能なほどになり、スヴェイン自身は爆発の余波で片腕をなくす大怪我を追ってしまう。


 そこで彼は、急遽竜人(ドラグーン)の一体から腕を奪い、移植をしたというわけであった。


 人間の腕でない理由は血液などの適合に時間を要するからで、逆に竜人(ドラグーン)であれば、そういった肉体の拒否反応を軽減出来るという利点があるからだった。


 とはいえこんな醜く不恰好すぎる腕など、常であればスヴェインの中にいる〝ディユ・エポス〟は、到底認めなかっただろう。こんな腕にするぐらいなら、新たな〝器〟に移ると。


 だが今この時に限っては、そうも言っていられなかったのだ。

 何故なら――もう間もなくの事、滅びの竜が目を覚ますから。

 彼らの悲願の時が、間近に迫っていた。


 そんな時に腕の一本や二本のせいで出遅れるなど、許されるはずがない。だからこそこんな羽目になった元凶の怪盗騎士が、スヴェインはどこまでも忌々しかった。


「しかし、まさかこのタイミングでエポスが三人になってしまうとはな――」


 スヴェインとは別の意味で顔も全身もツギハギだらけのエヌが、長煙管から紫煙を吐き出しながら呟いた。

 実際には彼ら以外にもう三人のエポスがいるのだが、その一人である黒騎士は罰則を受けたため封印処分になっており、ここには不在。また神女ヘスティアであるヘレ・エポスは、器である人間が〝出産〟の負荷のため限界になっており、現在は身動きも取れ難くなっている。そして何よりも問題なのが、第二使徒のロードだった。

 戦闘に最も長けた一人であるはずのロードことアンフェール・エポスが、ここにきて戦死し、新たな憑依が必要になったのである。さすがにそれは、予想外にもほどがあった。


 彼は王都を出たイーリオを始末するために呂羽(ルゥユー)、グノームと共にそこへ向かったのだが、まさかそこにあのアルタートゥムがあらわれて直接介入をしてくるなど、エポスですらも読みきれていなかった。


「それについては問題ない」


 不意に、彼らとは違う方向から声が放たれる。

 すぐに三名が振り返ると、そこには全身が黒衣の人物。黒髪、黒い衣服、何より――トカゲの如き黒い鱗の竜の顔。


「貴様……封印をどうやって……」


 スヴェインが、先ほどとは別種の忌々しさをあらわした表情となって、鋭い声を投げた。


 黒騎士ヘル・エポス。


 今は仮面を外し、竜人(ドラグーン)と同じ爬虫類の顔を堂々と曝け出している。


「〝母〟と直通状態になった」

「何だとっ!」


 ヘルの言葉に、三人が色めき立つ。彼らにとってそれの意味するところは、何にも増して重要事だったから。


「制限の一部が解除されている。まだ俺だけだが、だから俺の封印も緩めてくれたようだ。あくまで緩めただけで完全な行動は許されていないがな」


 ヘルの動きが元通りになるのは、本来喜ばしい事であるはずだった。だが正直なところ、スヴェインは内心で苛立たしさを拭えなかった。

 戦いの中で三度も禁を破り、エポスにあるまじき振る舞いをした黒騎士ヘル。にも関わらずこんなに早く許されるなど、あっていい事なのかと。


「さっきの続きだが、ロードの器は灰化人(ヘクサノイド)だ。だから替えが効くよう、同一個体でバックアップを取っていたのだ。読み込みが済めば元のロードそのままで出てくる」

灰化人(ヘクサノイド)ならでは……という事か。だが待て、それはいいがヘレはどうなる? ディユではないが、あの怪盗騎士どものせいでヘレの器となるはずだったアンカラの姫や出来損ないのところから攫った娘にも逃げ出されてしまったのだぞ。今から急いで器の適合者を探すとなれば、相当に骨が折れる」


 ドン・ファンが――彼の中のアルナールが尋ねる。


「それも問題ない。俺に考えがある」

「考え、だと?」

「未確定要素もまだあるからこの場でははっきり言えんが、いずれにしろヘレの移行も問題なく出来るだろう」


 かつてエポスは、六人ともに別個でありながら同じ集合意識に接続もされた、同一の精神を持っていた。つまり言葉など必要とせず、意識を繋ぎさえすれば思考も経験も全て、完全に共有が出来ていたのである。ただしそれには管理者が必要であり、その役目が神女ヘスティアことヘレ・エポスであったのだ。


 だが彼らの計画が大詰めになった事でヘレには別の重要な役割が割り振られ、共有機能が停止してしまう。

 そのため、残りのエポス達は独立した個体(スタンド・アローン)として活動せざるを得ず、だからこそ六人が集まりやすいよう、同じヘクサニアの組織に所属する事にしたのだ。


 とはいえ、意識確認や情報共有などのために時間を割く必要がなくただ意識を繋ぎさえすれば良かった以前と比べて、かなり効率が悪いのは否めないし、今もヘルの〝考え〟すら三人は読み取れないでいる。


「全ては順調だ。問題は霊粒子ひと欠片すらない」

「問題だらけの間違いではないのか? 俺にはそう見えるがな」


 スヴェインの皮肉に眉を顰めるエヌだったが、言いたい事は分かるだけに何も口には出さなかった。一方で皮肉を向けられたヘルといえば、そんな事など気にも止めてないように涼しい口調で続ける。


「問題がないと判断されたからこそ、〝母様〟と繋がったのだ。今の俺は〝非個性の奏者ノンプレイヤー・キャラクター〟ではない。〝虚実の魂を持つ者(プレイヤー)〟だ」


 そう言われてしまえば、他の三人には何も言い返せない。


「そのうえで計画を進める。――八万体の灰化人(ヘクサノイド)、二万体の竜人(ドラグーン)、合計一〇万騎の角獅虎(サルクス)が揃った。そして最初の〝竜〟が間もなく目覚める」

「どれからだ?」

「〝紅玉竜王(アラム)〟からだ」


 道化の顔が喜悦に歪む。悪意に満ちた笑みのドン・ファン。


「俺からか」

「そうだ。おそらくヘレの目覚めとヤム=ナハルの覚醒はほぼ同じになるだろう。――武器は整った。我らの最後の駒ももうすぐ揃う」

「待て。だが、あの怪盗に女神の石板(タブレット)を奪われたせいで、欺瞞の橋(ビルレスト)の位置が特定出来ておらん」

「それも問題はない。〝母様〟と繋がった事で、高次元の演算も可能になった。欺瞞の橋(ビルレスト)の位置は、メルヴィグ王都の獅子王宮シュロス・デア・レーヴェンだ」


 三人が、共に色めきたった。


「では――」


 ドン・ファンが興奮を露わに言った。


「時が来たというわけだな」


 エヌが紫煙をくゆらせながら破滅の微笑みを浮かべる。


「破壊と創造――我らの人類救済をはじめる時の」


 スヴェインもこれには頷く。


 黒騎士ヘルが、高らかに宣言をした。


「我らの終末の軍(レギオン)を動かす。真の聖戦の、はじまりだ」

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