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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第四部 第五章「天の山と星の城」
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第四部 第五章 第二話(3)『聖都政争』

 聖地コンポステーラは大陸一の宗教都市であり、同時に大陸で最も広く信仰されているエール教の総本山でもある。

 その地はカディス王国の中にあり、故にカディス王国は古くからエール教を最も強く信奉する宗教国家的な一面があった。


 そのコンポステーラで、イーリオ率いる銀月団の一人である司祭兼騎士のシーザー・ラブロックが、教皇との謁見を終えて聖堂を後にしようとしていた。


 教皇との会談はおおむね順調に進んだ。


 教会が認める三獣王という位。それの一角になるのが〝百獣王〟だが、現在、その名を持つ六代目カイゼルンから次期百獣王に指名されたのが高弟であるイーリオ・ヴェクセルバルグであり、彼を七代目の百獣王として認可させる事が奏上した一つ。

 そして――こちらこそ重要なのだが――(いにしえ)のガリアン血盟により、獣王の王としてメルヴィグ国王レオポルトがイーリオを認めたという事。これにアクティウムのクリスティオ王も同意したというのがもう一つの話。


 シーザーはこれらを教皇に告げると、追認する形でエール教会もそれを認める証と布令を急ぎ大陸に出すべきだと提案したのだ。


 当然、教皇だけでなく枢機卿をはじめとした高位の司祭たちや教会のお偉方はみな騒然となり、俄かに場は混乱した。しかし口外禁止の確約のもとで、六代目百獣王が、ヘクサニアの第一使徒になった黒騎士に敗れて命を落としたと告げると、全員のざわめきは一瞬で静まり返った。


 教会の権威がどうだというだけではない。


 既に大陸中に黒母教の脅威は歯止めが効かないところにまできている。しかも教会権威の最後の拠り所としていた(教会側が勝手にしていただけだが)百獣王まで敗北したというのだ。


 最早事態は旦夕(たんせき)に迫るところにまできているのは誰でも分かる事。ここにきてしきたりや伝統などで足踏みをしていたら、いずれこのコンポステーラにまで黒母教は侵略してくるだろうとシーザーは勧告したのだ。

 いくらなんでもそれは大袈裟だと鼻で笑う司祭もいたが、事実、エール教一色のはずのカディス王国にも、黒母教の信者は増えつつあると別の司祭が話すと、再び一同は黙り込んだ。


 どれだけ清廉なお題目を掲げる宗教組織であろうとも、千年も続けば根腐りしないはずもなく、エール教とてそれは同じだった。そのために正しく迅速な決断がおいそれと出来なくなってしまうもの。

 それぞれの思惑だけではない。利害、権威、保身、野心――。人が人である以上、神ですら人の欲の道具になってしまうのだ。


 単に認可を出すだけの簡単な事ですら、決めるのにああだこうだと小難しく悩むばかり。急迫した事態よりも矮小な権力欲の方がこの手の人間には重要なのだろう。


 だがそうなる事を、シーザーは分かっていた。


 だから彼は、司祭という身でありながら銀月団に入り、イーリオの元に身を寄せたのだ。神を謳う教会の醜さと愚かさに心底嫌気がさして。


 しかし今は、そうもいかない。

 忌避したその教会の権威と協力が、今の彼と銀月団やメルヴィグ王国の仲間たちには必要だったからだ。


 いくらメルヴィグ王が大陸中にイーリオの事を声高に宣伝しようとも、やはりそこは一国の王。信頼はされていても強制力には限界がある。ましてや他国になれば尚の事。

 だがエール教会は違う。大陸中に信徒を持ち、あらゆる国々から信仰を集める教会は、国境なき隠然たる大勢力。その教会が一声出すとなれば、大国の王であれども影響力は及ぶものではない。


 だからシーザーは、次のようにエサを与えた。


 教会が認可を出せば、ヘクサニアとの争いに勝利した場合、その成果を教会のものに出来るかもしれません。教会の、そして神の権威のもとで異教徒と戦い勝利したとなればエール教への信仰は更に篤くなるでしょう。それが今代の司祭様がたや教皇猊下の名の下であれば、聖典に記されるほどの偉業になるのは間違いないはず。

 けれども追認が本当にただの追認になってしまえば、異教徒に勝てたとしても教会は白い目で見られるだけになるかもしれません。それに万一異教徒側が勝ったとしても、教会は王達に脅されて認可を出しただけと言えばいいのです――。


 いいところだけ自分達が掠め取ればいい。


 シーザーはそう囁いたのだ。


 結果、百獣王の敗北や迫る脅威への恐怖心が背中を押す形となって、教会首脳陣はイーリオ・ヴェクセルバルグへの百獣王継承と〝獣王の王〟として認める事に、了承をしたのであった。


 ただ、正式な布令としたいのもあれば、肝心のイーリオが不在というのもあり、どういう形の承認を与えるかは追っての形になるという。


 ここまできてまだそんな事を――と言いたいところではあったが、それでも充分な結果だったと言えるだろう。少なくともシーザーの思惑通りに事は運んだ。


 しばらくはコンポステーラにとどまる事になってしまうが、後は何としても早急にそれぞれの承認を受け取る事。全ては彼の交渉力にかかっているとも言えた。




 そんな風に決意を新たにしていると、聖都の道を行く彼の前に、何やら一際目につく人間がこちらへ向かってくるのに気付く。

 通りすがりのすれ違いではない。

 明らかに意思を持ってこちらに向かってきている。

 何せシーザーの姿を確認するや否や、彼を見つけたとばかりの態度を取ったのだから。

 だがそれはともかく、その男の目立ちようは生半ではなかった。


 巨漢。絵に描いたような大男。

 ゴート帝国のマグヌス総司令やカイゼルンのような上背のある大きさではない。いや、この男の背も相当に高いが、それよりも巨大なのが横幅だった。まるで大樽のような太さのある体型は、人混みの中だろうがどんな場所にいようが、一瞬で見分けがつくだろう。しかもただの肥満というだけでなく、衣服から覗く腕の逞しさや見た目からは想像もつかない機敏な足取りからして、かなり鍛え込んでいるのが推察された。


 男はシーザーの目の前までくると、体型とは正反対の柔和で人懐っこい笑顔を向けた。


「さっき黄色い小鳥を三羽見たんです」


 いきなりの意味不明な言葉に、シーザーは呆気に取られる。


「……は?」

「黄色の鳥って幸運の証って言うじゃないですか。それを三羽も見るなんて、いやぁ今日はツイてるなぁと思ってたらやっぱりツイてました。噂の銀月団の人に会えるなんて」


 男の年齢はまだ二〇代だろう。大柄ではあるが顔つきは優しげというより幼なげで、もっと小さい体であったなら一〇代と言われても納得しそうなほどだった。笑顔だけでなく、人懐っこさが全身から滲み出ている。

 服装はエール教会の司祭のものに似ているが、形が違う。それを目にした時、シーザーは彼がどういう人間であるかに気付く。


「貴方は、カディスの騎士団ですか?」

「はい。カディス王国の近衛騎士団で団長をしてます、ペドロ・バルディと申します。初めまして」


 その名を聞いた瞬間、シーザーは驚きで思わず呻き声のようなものを漏らしそうになっていた。



 カディス王国のペドロ・バルディ。



 主要騎士団であるサンティアゴ騎士団ではなく、近衛騎士団という王都守護を専らとする部隊。その団長であり、王国最強の一人なのが――彼。

 いや、ある意味においては大陸最強と言えるかもしれない。

 難攻不落のカディスの城をそう為さしめているのが、このペドロと彼の駆るカディス最強の騎獣〝タウレト〟だからだ。


「貴方があの……! まさかこんな所であの(・・)ペドロ殿とお会い出来るなんて。いや、それよりも貴方の方から声かけていただけるとは……。あ、いや、大変失礼を致しました。私こそ名乗りをあげずにいた無礼をお許しください。私はシーザー・ラブロックと申します。仰っていただいた通り、銀月獣士団に席を置く司祭騎士でございます」

「ええ。勿論知っています。先ほどの教皇猊下への奏上、見事でした。〝エール教とエール神の石垣となるのなら、大陸中のどの騎士も喜んで身を捧げましょう〟という言葉! まさに信徒の鑑、教会騎士とはかくあるべしというものでしょう。素晴らしかったです」

「あの場に……貴方もいたのですか」


 こくりと頷く巨漢に、シーザーは驚きを重ねざるを得なかった。だがその後で、巨体を縮めるように身を屈ませると、耳元に寄せた囁き声で、ペドロは呟く。


「欲にまみれた教会連中に効かせるには、実に素晴らしい鼻薬でしたしね」


 思わずペドロの顔をまじまじと見つめると、幼なげな顔で邪気など微塵もなさそうな笑顔を向けるペドロが、そこにいた。


「ま、ここは聖地ですから。滅多な事は口に出来ません。それよりもさっきの言葉、本当の事なんですか。ヘクサニアがメルヴィグを侵略しようとしていると。そしていずれはこのカディスやコンポステーラさえも呑み込もうとしているだなんて」


 どこまでがこの若者の真意なのか。出会った直後というのもあったが、シーザーは彼の意図を読み切っているとは到底言い難かった。


 カディス王国と言えば、先に述べたようにエール教を強く保護する宗教国家である。当然、国家騎士にも信仰心の篤さをが求められるし、自分のような不良司祭よりはよほど敬虔な者達ばかりなのだろうと、シーザーは思っていた。

 だが目の前のペドロは、こちらが耳を疑うような発言を平然としてくる。

 確かにペドロの言う事は事実ではあるのだが、それに首を縦に振ってしまう事は、下手をすれば信仰への疑いをかけられてしまいかねない。つまりこれは、そういう類いの罠なのか。


 そもそもペドロがコンポステーラ(こんなところ)にいる事自体が不自然とも言えるのだ。何せ彼は王国守護の要。彼がいるからこそ、どの国もカディスを攻め滅ぼそうとはしないし出来ないのだ。そんなペドロが一体いかなる理由でこの地にいるのか。万が一にでもこの瞬間にカディスの王都に異変があればどうするのか。

 常在無敗だからこそのカディスであり〝タウレト〟なのに。


 そんなシーザーの考えを見透かしたのか、ペドロは無邪気な笑顔を向けて言葉を続ける。


「何も貴方を探ろうとかそういうのじゃあないですよ。そうだなぁ……僕がここにいるのはエンリケ王のお供です。今ね、お忍びでコンポステーラに来てるんですよ」


 だからなのか――とはならない。


 カディス王がここに来てる事は、それはそれで驚きだが、そんな重大事を平然と口にしていいのか。それに護衛なら尚の事、この場でシーザーと話している理由が分からない。


「護衛といってもですよ、陛下は聖堂の中に籠りっきりなのです。だからある意味では一番安全な場所にずっといるようなもので、今この瞬間にはどうやっても何も起きないですよ。何せあそこは世界で一番安全ですからね」


 聖堂とは先ほどシーザーがいた場所である。


 確かにエール教の聖地における最も重要な場所で変事が起きる可能性は、限りなくゼロに近いと言えるだろう。それにペドロがシーザーと教皇との謁見を見ていたというのも、同じ場所にいたのなら何らかの方法があったにせよ、不可能ではない。


「まあようは、ヒマを持て余してたんですね。そんな時に、噂に聞くあの銀月獣士団のシーザー司祭がいるのを見かけたわけです。興味を持つのは当然でしょう! で、話を盗み聞きしちゃったらヘクサニアの侵略やらあの恐炎公子(エルド・フォース)が百獣王を継承するなんて言うじゃありませんか。――あ、六代目の事は勿論誰にも言いません。我が王にも内緒にします」


 まるで子供が悪戯に謝っているかのようなあどけない表情で、とんでもない事を次々に口にする。段々とペドロという人物を理解してきたような気にはなってきたが、それにしても不思議な青年だなとシーザーは感じた。


「それにですよ、僕にとってもヘクサニアには恨みというか許せない気持ちがあるんです」

「と言うと? 異教徒だから、ですか」

「姉の仇です。奴らは」

「姉――」

「僕の姉はミケーラ・バルディと言います。今のアクティウム王に仕えていた女性騎士で、騎士団の副団長もしていました」



 ミケーラ。



 その名を聞いて、シーザーは思い出す。彼もアクティウムの出身だから、名前を聞けばすぐにわかった。


 クリスティオ王の付き人であり、今は解体された聖レオン騎士団の副団長をしていた〝黄色の一番(テスタ・ジャッロ)〟のミケーラ。


 確かに彼女は、アンカラ帝国が侵攻した五年前、ヘクサニアの使徒によって殺されている。

 そのミケーラに弟がいて、まさかそれがカディスのペドロであったとは驚きの上にも驚きだった。


「けれどもその仇はクリスティオ王が直接討ったと聞いていますが」

「ええ。でも縁遠くなっていても姉の仇は自分の手で取りたかった、という思いは今でもあるんです。だから大陸諸国が連合をするだなんて聞いたら、居てもたってもいられなくなっちゃって……」

「それで俺を待ち伏せしていたんですね」


 えへへ、と笑うペドロは、少年そのもののように見えた。


 偶然を装って会えたみたいな事を言っていたが、狙い通りだったというわけである。


「ですからですね、もしもイーリオ様のその軍隊が結成されたら、僕も是非、参加させて欲しいんです。姉の仇のためにも。――お願いします!」

「そりゃあ、貴方ほどの方が参陣してくれるとなればこんなに心強い事はないですけど……。でもいいんですか? 貴方はカディスの守りの要でしょう」

「そこは僕から王陛下にお願いしてみます。陛下は疑い深い方ですけど、根は優しいところもあるし、何より信仰の篤さは尋常じゃないですから。だから教派の危機のためと話せば、分かってくれると思います」


 勢い込んでそう言われると「はあそうですか」としかシーザーには言えない。


「それにこれは我がカディス王国にも無視出来ない事ですから」

「――と言うと?」


 聞いていいかどうかシーザーは一瞬だけ悩んだが、あえてそのまま尋ねてみる事にした。


「トクサンドリアです。リンヴルフ家が治める我がカディスより分裂したあの国が、結構ゴタゴタしてるみたいなんですよ。どうやらヘクサニアか、黒母教の絡みで」

「トクサンドリアで黒母教絡みの事件が?」


 信じられない話だった。


 トクサンドリアと言えばここカディス以上の宗教国家であり、異教徒などそれが虫ケラ一匹であっても入る事など出来はしないような国なのだ。

 そのトクサンドリアで異教に関する事件が――それも国を揺るがすような事件が起こされたなど。


「そうです。最近はここら一帯、専らその話で持ちきりですよ」


 聖都に着くなり教皇らへの謁見に奔走していたせいか、世事を収集しそびれていたと今更ながらにシーザーは気付く。


「あのトクサンドリアで、黒母教によるあんな事件が起きるなんて、他人事じゃあないとまで言われてまして。我が王が聖堂での祈りの日数を急遽増やして滞在が長くなったのも、そのせいなんですけどね」

「一体、何があったんですか?」




「暗殺ですよ。トクサンドリア王レオノールの暗殺事件です」




 信じられない――というより信じられるはずがない内容に、シーザーは絶句する。

 いくらなんでも、そんな馬鹿な事は有り得ない。そう、喉元まで言葉が出かかるが、それより前にペドロが続けた。


「まさか、ですよね。王の生死は今のところ不明らしいのですが、ヘクサニアからは最も遠方でかつ異教の国であるトクサンドリアでそんな事があったとなれば、我が国でも無視など出来ません。ですから僕も、イーリオ様の元に参じたいと願うわけです」


 説明の後半は、既にシーザーの耳には入っていなかった。まさに今この瞬間、世界は急変しつつあるのだと感じずにはいられない。

 となれば、益々教皇からの承認をすぐにでも貰うべきだ。


 気付いた時には、シーザーは踵を返して再度聖堂の方へと足を向けていた。


 後ろから、ペドロの自分を呼ぶ声が聞こえたが、それはもう彼の耳には届いていなかった。




―――――――――――――――――――




★今回登場した人物



挿絵(By みてみん)

★シーザー・ラヴロック

 銀月団の司祭騎士。三十二歳。




挿絵(By みてみん)

★ペドロ・バルディ

 カディス王国の王国近衛騎士長。

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