第四部 第五章 第二話(1)『罪狼』
天の山という超々巨大な金属の鳥の中――。
今イーリオ達がいるのは、壁や天井など四方が材質不明の白色で覆われつつも、どこか錬獣術師の研究室を思わせる空間だった。
別室へと場を移したイーリオ達は、この〝山〟に入るために必要と聞かされたもの、第一物質の〝霊化玉〟を出すようにと告げられる。またそれと同じく、ザイロウの神之眼も一緒に出すようにと命じられた。
それを命じたのは古獣覇王牙団の一人、刺青を入れてはいるものの外見は少女そのものであるロッテだった。彼女はレレケにも、ザイロウの最初の授器であるウルフバードを出すようにと命じ、それぞれを受け取っていく。
「ん、確かに、だ。――ドグ」
それらを品定めするように眺めた後、ロッテはドグに顎で指図をした。
同じアルタートゥムと言っても、ドグはその中でも一番〝下〟の扱いらしい。彼は反発することなく「へいへい」と言いつつも、別室からあるものを運んでくる。
見ればそれは、焼け焦げた瓦礫の一部のようなもの。
黒く煤け、漂うものさえ焦げ臭さが残っている残骸だった。
何だろうと訝しむイーリオに、ドグは告げた。
「こいつに覚えはないか? あれだぜ、ザイロウの着けていた授器、レヴァディンの残骸だぜ」
「――え?!」
黒騎士によって破壊されたウルフバードに代わり、ホーラー・ブクが制作した特級の授器レヴァディン。
しかしそれは、ザイロウの最期の瞬間、ファウストの駆るベリィによって燃やし尽くされたと思っていたが――。
「おめえらが戦った後で、俺が回収したんだよ」
ドグの説明にイーリオは呆気に取られながらも納得はしたが、しかしふと疑問もよぎる。
戦った後に、と言うのなら、どうしてその場で参戦してくれなかったのか、と。ドグと彼の駆るジルニードルの力があれば、ザイロウが死んでしまう事なく、助かった可能性だってあるかもしれないのだ。
だがそれは、都合の良すぎる言い分かもしれない。
もしかしたら助けようとしてくれたのだが、単純に間に合わなかっただけかもしれないし、そもそも今更そんな愚痴めいた非難を向けるなど、潔いとは言えないだろう。イーリオが元々聞き分けの良い性分だったというのもあるが、いずれにせよドグやアルタートゥムの三人に言うのはお門違いだろうと、言葉を呑み込む。
実はこの時ドグは、イーリオのその考えを読み取っていたのである。いや、誰だってそれに近い疑問が浮かぶのは当然だろうしそこはドグにだって推察出来る。
だが気付いていながら、ドグはそれについて何も口にはしなかった。
言うべき時にならなきゃ、言えねえ話もある――。
むしろイーリオの聞き分けの良さが、この時のドグにとっては救いになったと言えた。
用意されたそれらを手にしたロッテは、まず霊化玉を手に取っておもむろに語り出す。
「この天の山を設計し、製造したのはこのボク様で、アルタートゥムの鎧獣も、全てこのボク様の手によるもの。――つまりボク様は、この世で最も優秀かつ天才な科学者というわけだ」
いきなりの自己紹介に、イーリオもレレケも面食らって目が点になる。が、言わんとしてる事を呑み込めば、出てくる回答も自ずと分かってくるというもの。
「それってつまり、貴女がザイロウを再生してくれるという事なんでしょうか。だから神之眼を用意させた……」
「二〇点」
「え?」
「その答えでは二〇点がいいところだ」
点数の意味も分からず、ただロッテの言うがままに振り回されている――そんな感覚だった。
しかしイーリオやレレケの反応などお構いなしに、ロッテは話を進める。
「いいか、ボク様はこの世で最も優秀な頭脳だ。それは紛れも無い事実。しかしだ。いくらこの超絶ド級に大天才のボク様でも、創れない――いや、創ってはいけないものがある。それが――それこそが、オリジナルの〝ザイロウ〟だ」
「オリ……ジナ……?」
〝オリジナル〟という、この世界ではダルマチア語と呼ばれるあまり知られていない言語の単語に首を傾げるイーリオだったが、一方でレレケはロッテの別の一言に引っ掛かりを覚えていた。
創れない、ではなく創ってはいけないと言い直したその意味。それはつまり、何を含んでの言葉なのか……。
「オリジナルとは起源や独自という意味だ。それはお前の鎧獣だったザイロウとは異なるもの。今言ったオリジナルとは、お前の言うザイロウの元となった存在の事を指す。〝罪の狼〟と名付けられた、正真正銘の神の獣〝月の狼〟そのもののだな。そしてオリジナルを創ってはならない以上、ザイロウもボク様が手掛ける事は、出来ない」
「それってどういう……」
ロッテが、アルタートゥムの団長であるオリヴィアに視線を投げる。オリヴィアは目だけでそれに頷いた。
些細なやりとりだが、イーリオは己の心音が大きくなるのを自覚した。
「まずは一つ目の話からしよう。いいか、お前のザイロウは――模造品だ。本物ではない、オリジナルから複製されたものになる」
「は? ……ザイロウが……複製……?」
言葉の意味がいまいち呑み込めず、反応の仕方が分からないイーリオ。
だが告げられた内容は、理解するより先に訳の分からない重みをもって、心にのしかかってくる。
「ボク様が言いたいのは、ようはこういう事だ。ここで――いいか、この場でだ。この場で、ザイロウを蘇らせる事は出来んという事だ。ここで出来るのはオリジナル・ザイロウの核を製造する事だけ。そして授器である〝真のウルフバード〟を生成する事までだ」
「ちょ……ちょっと意味が分からないんですけど――。ザイロウが複製された鎧獣……? それはつまり、どういう意味なんですか」
「イーリオよ、お前はずっと気になってたんじゃないか? 一体このザイロウとは何なのか。このザイロウにはどんな秘密があるのか、と」
気にならないはずがない。
出会いや経緯などは元より、規格外の獣能や再生能力をはじめとした、超常を超えた超常――いや、異常とも言える能力の数々。有り得ない長命。
今まで体験してきたザイロウについてのあらゆる事柄、何から何まで全てに疑問がついていた。
「鎧獣にあるまじき特殊な力。それに異様とも言える現象の数々。それらは全て、ザイロウが月の狼の模造品だから引き起こせた超常だ。では何故模造品なのか。それはな、〝座標の巫女〟シエル――つまりお前がシャルロッタと名付けたあの娘を守護するためと、その守護者に相応しい人間を見付け出すため。そのために月の狼の完全なコピーとしてザイロウが生み出されたのだ」
神話にはこうある。
神々すらも滅ぼさんとした邪悪の魔竜ヤム=ナハル。
それを誅滅するため、最高神エールは己の息子神である雷と嵐の神バールに神剣ウルフバードを与え、神の力を持った獣の姿の眷属・月の狼を遣わして邪悪の竜を退治した――と。
ザイロウがこの神話の月の狼と何らかの関係がある事は、イーリオだって気付いている。元々の武装が神話の剣と同じ名前であったし、超常の数々や途方もない年齢を考えれば当然の事だった。
いや――もしかしたらザイロウこそが、月の狼そのものではないか。
そんな風に思ったのも事実だ。
例えば、何かの理由で神の力を失ったり封印されてしまったのが、ザイロウなのではないか――などといった風に。
しかしザイロウは月の狼ではなく、それの複製された存在だったなど――。
「そもそも、月の狼とは一体どういうものなんでしょうか? 月の狼という存在も全ては神話の通り、神という超常にして不可侵のような存在が創造したまさに神の獣。そういった意味として解釈してよろしいんでしょうか?」
レレケが堪りかねたように質問をする。
それに対し、ロッテがにやりと笑みを浮かべた。
「いい質問だ。神話にあるのと同じ名前。神話を思わせる超常。確かにそう思うのは至極真っ当だろう。だが神話はあくまで寓意に過ぎん。嘘ではないが真実そのものではない。いいか、ザイロウの事を話したのは、これから語る内容の入り口としてだ」
息を継ぎ、ロッテが語り出す。
――
煉獄の崩落――。
世界を破滅させた大災害。
神話にあるそれは知っているな?
今より千年どころではない、もっとずっと遥か彼方の昔。
その大災害は、この地上で本当に起きた。
巨大隕石の衝突――。
連動して起きたスーパープルーム――。
地殻の大移動――。
本来は単一でも全世界規模になる災害が、連鎖的かつ同時多発的に起きたのだ。
それは文字通り全ての生命を死滅させる規模の超規模災害となり、この惑星を絶え間ない苦しみ――即ち煉獄に変えた。そうして人類はおろか、ほとんどの生物が、この地上から姿を消したのだ。
繁栄していた人類文明も、全てな。
だが問題はその後だった。
超災害はあまりにも規模が桁違いすぎたため、世界中の大気や土壌、つまり生きていくための空間そのものを汚染し、この世を死の世界に変えてしまったのだ。虫や小動物どころではない、草木一本すら生える事が許されない世界に、この世は一変した。
そこで神は――神と呼ばれる存在は――人類がこの汚れきった世界でも生きていけるよう、生命をもった防護服、鎧ともなるものを創り、与えた。
そうだ。それこそが鎧獣のはじまりなのさ。
本来の名を、L.E.C.T.と呼ぶ。
正しくは――Life-support Equipment of Creature Type。
意味は生体的生命維持装具という。
元々は汚染環境下でも生体活動を可能にするために創られたもので、鎧獣はそれを再解釈して生み出された劣化版になる。
このL.E.C.T.の原初こそが、三体の神の獣。
〝罪狼〟
〝刑獅〟
〝罰虎〟
そうだ。〝罪狼〟こそが月の狼。
古代皇帝ロムルスに与えられた神の獣。つまりは人類を、神の意図に沿って存えさせるために生み出されたのが、元々の鎧獣だ。だから月の狼には、神にも等しい能力が付与された。
それが、神殺しの力。
いや、そうではない。
確かに伝説は事実を捻じ曲げて伝えるものだが、煉獄の崩落が滅びの竜ヤム=ナハルではない。
神話にあるように、神とは唯一絶対ではなく複数いるもの。その内の一柱、オプス女神が神々を裏切り、人類とこの世界を己の意のままにしようとしたのだ。
そうだ、黒母教の主神であるオプス神は、元々エール神らと同じ神の席に連なる存在だったんだよ。
いや、元から神は争い合う存在だったとも言えるがな――。
ともかく、オプス神がヤム=ナハルによってエール神らを破滅させようとしたのだが、バールと月の狼のお陰でそれは阻止された。
ああ、他の二体も共に戦ったよ。神話にそこが含まれてないのは、どういう理由だろうな。
これが煉獄の崩落のあった後の世界の出来事。
そして神々は、この世界を創り直していく、というわけだ。
だがオプス神の介入は黒母教となって今もあるように、その後も起きている。
ガリアン超帝国の初代皇帝ロムルスと破壊王アシュラフとの戦いがまさにそれだ。その時ロムルスに与えられたのが、月の狼。はじまりの獣というわけだ。
――
「神話が、遥か太古に起きた真実の写し鏡で、ザイロウは神話に綴られた存在の証明――というわけですね……。それは分かりました。けれども何故月の狼そのものではなく、複製となるザイロウが生み出されたのでしょう? 先ほどロッテ様はシャルロッタさんを守るためにザイロウは生み出されたと仰いましたが、そもそもシャルロッタさんという存在も、分かりません。何故、エポス達はシャルロッタさんを狙うのか。銀の巫女と呼ばれてはいますが、貴女がたもエポス達も、彼女を〝座標の巫女〟と言います。それはどういう意味なんでしょう? それにエポスそのものの正体も、はっきりとは分かりません。いえ、そもそも貴女がたアルタートゥムも、何が目的の、どういう存在なのでしょうか」
話を聞き終えてすぐに、レレケが再び質問を重ねる。
説明自体は腑に落ちる点がないわけではないが、むしろそれで新たな疑問が生まれたという方が正しかった。いや、それらの疑問はずっとあったというべきかもしれない。
「エポスというのは、オプス神によって創り出された、人の形を持つ不死の存在だ。その目的は、オプス神の理想とする世界を実現する事にある」
「理想の世界?」
「奴らは死なない。知っての通り、肉体が滅んでもまた新たな〝器〟を見つけて生まれ変わる。そうやって千年以上も、奴らはこの世界を闇から操ろうとしてきたのだ。ボク様たちアルタートゥムはその両極にある。つまりエール神によって創り出された、奴らへの対抗手段となる生命体というわけだ」
「それは、貴女がたもエポス同様、何度も器となる人間を入れ替えているという事ですか?」
「いや、そこはエポスとは違う。ボク様たちは千年以上このままの姿。だからこの肉体が消滅すれば、我らも死ぬ。そこはエポス達と根本的に異なる部分でもある」
分かったような、しかしまだ釈然としない何かが残るような――。
「複製体であるザイロウは、ロムルスとなるべき存在を見付け出すために生み出されたんだよ。本来、ロムルスはエール神の意向に沿って座標の巫女と契りを交わし、この世をエール神の望み通りに導くはずだった。だがそれは、オプスや千年前のエポスらの介入で果たされなかった」
「待ってください。ロムルス帝は敵対したアシュラフ王を打ち破ったのですよね? つまりエポスらを降したと私たちは聞かされてきましたが……」
「それは間違いではない。戦いには勝った。だが本来の目的であるロムルスとシエル――シャルロッタだな――が契りを結ぶ事は、エポスの策謀で阻まれたのだ。それはシエルを眠らせるコードを持ち、欺瞞という名を与えられた一体のエポスの仕業によるもの。――そう、分かるな。エッダだ」
「エッダ……」
四年前、ゴート帝国で起きた事件の黒幕の一人。
エポスらによって殺された、元エポス。
「皮肉な事だが、今のこの世があるのはあのエッダのお陰だとも言える。あいつによって、世界が作られたともな。あいつはシエルを眠らせ、座標と対になる〝器〟としてのロムルスを取り込もうとしたのだ。シエルそっくりの姿形となってな。それに、ロムルスは嵌められた。だが、ここで予想もつかない事が起きたんだよ。半ば以上奴らの思い通りに進んでいた敵の計画だったが、そのエッダが突如エポスを裏切り、ロムルスとボク様たちに協力すると持ちかけたのだ。それによりエポスらは実力行使に出たのだが、結果はさっきも言った通り。しかし、エッダはシエルを目覚めさせようとはせず、こちらの思惑も果たせなくなる」
「どうしてエッダは、そんな事を」
「愛だよ」
「え?」
「エッダはな、ロムルスを本気で愛してしまったんだ。そんなもので制御を失うような存在ではないはずのエポスなのに、あいつは人間そのもののように、ロムルスを愛し、そして愛に狂ってしまった。だから己の嫉妬に従い、シエルを眠りにつかせ、自分でロムルスを独占した。全ては皮肉な運命の悪戯によるものだな。……だがロムルスは永遠の存在であるエポスとは違い、寿命と共に死ぬ。そうしてエッダもエポスも、ロムルスの〝魂の因子〟を宿した存在――いわばロムルスの生まれ変わりのようなものだな――そいつを求めて策動してきた。だが肝心のシエルがエッダによって封じられている以上、因子を持つ者を見つけたとしてもどうしようもない。そうして、ただ無為なだけの歳月が過ぎた。千年間、千年なんていう途方もない間、そんな膠着がずっと続いていたんだ。――しかしそれが破られたんだよ。ほんの二〇年ほど前にな」
「ハーラル……」
「そうだ、イーリオ。エッダは、ハーラルこそがロムルスの因子を継ぐものと断定し、シエルを目覚めさせてしまう。そうして全てははじまった。お前という偶然との出会いも、ある意味エッダの暴走が引き起こした結果だと言えなくもない」
その事はイーリオも知っていた。
同時に、かつて自分は選ばれるべき存在ではない人間だったとも聞かされていた。ザイロウが複製だったと告げられた事といい、何かもやもやしたものが、彼の胸中にわだかまっていく。
「ハーラルはエッダが考えたように、本当にロムルスの生まれ変わりだったんでしょうか……? だとしたら、本当はハーラルこそシャルロッタと結ばれるべきだった……?」
「それは違うぞ」
「え?」
「確かにハーラルにロムルスの因子はあった。だがそれは他の者とて同じだ。あのファウストもその一人だし、他にもいる。実を言えばドグやレレケにも、その因子はあるんだよ。だが、お前にその因子はない。しかしそれこそがシエルの決断であり、この世界の決めた答えなら、エール神はそれを受け容れると判断したのさ。だからお前は、ボク様たちに会って、ここで話をしている。ドグもそのためにこそ、生き延びたんだ」
イーリオがドグを見た。
ドグは一人、ここまでの話を退屈そうに聞いていたが、悪戯っぽく笑ったのは、それが本当だという事だろう。
その答えに、イーリオは安心したような心持ちになる。
しかし、先ほどレレケが尋ねた疑問については、まだその半分もすっきりとした回答を得たとは言い難い。レレケはそれを再び尋ねるが、ここでずっと沈黙をしていたアルタートゥムの団長であるオリヴィアが、口を開く。
「どちらにしてもここから先は、〝座標の巫女〟についての話になるだろう。だが、〝座標の巫女〟について――それはこの世界の真実を知る事でもある。そいつは、お前達が知らなきゃいけない事でもあるが、ただ――」
オリヴィアの金色の瞳が、不気味に輝いたように見えた。
「それを知るのに相応しいかどうか、そいつはまた別問題だ」
「相応しい? どういう意味でしょう?」
「世界の真実を知る資格だな。だからここから先については、オレ達がお前達を試してからになる」
「試す――?」
「試験だよ。ザイロウが蘇るかどうか、シエルに会えるかどうか。お前達一人一人に、最後の課題を受けてもらう。オレ達からの試練――真実に至るための、最終試練だ」




