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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第四部 第五章「天の山と星の城」
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第四部 第五章 第一話(3)『天山出現』

 話の時間を、イーリオ達が襲われた後にまで巻き戻す――。


 イーリオとレレケは、ドグに導かれるまま目的地も分からずに進んでいた。


 ヘクサニア達に襲われた場所は、既にずっと後ろの方。襲撃を受けた運河の近くからもかなり離れており、遠くに見えていた小高い丘が目の前にある。


 道行きの途中、イーリオはドグについて気になった沢山の事の中から、先ほどの出来事について真っ先に尋ねていた。


 ドグが手にかけた一人、十三使徒のグノームの事である。


 彼はドグの実の弟であり、つまりドグは血を分けた兄弟を、己で殺めた事になるからだ。


「エッペ――ああ、それがグノームの本当の名前なんだけどよ――あいつの事は俺も知っていた。天の山(ヒミンビョルグ)にいてもおめえ達の情報は入っていたから、何の因果かあいつがおめえの敵になっているなんて、どんなタチの悪い冗談だよって思ったさ。だからだよ。だからあの時偶然だけど鉢合わせしたって事は、俺自身の手で、あいつをラクにしてやんなきゃあいけねえんだろうなって、そう感じたのさ」

「ドグ……」

「まあそうしんみりすんな。俺の覚悟はとっくに出来ていたし、あいつがああなっちまった責任は、そもそも俺なのかもしんねぇんだから。あいつにとっては望んでねえ最期だったかもしれねえけど、今まであいつがずっと見続けてきた悪夢の終わりにしては、マシな終わり方だったんじゃねえか――って俺は思ってるよ。だからまあ……ああするしかなかったのさ」


 僅かに湿り気を帯びたドグの声だったが、それはイーリオがそう感じただけかもしれなかった。レレケは何も言わず、ただ黙って、二人の会話に耳を傾けているだけだった。


 やがて、先ほど述べた丘まで辿り着くと、ドグはそこで立ち止まる。


「ここは……?」


 刻限は星と月の光だけが頼りの真夜中だ。

 周囲から、野生の狼などが飛び出てきても怪訝(おか)しくない暗闇だが、それほどまでに自然だけしかない場所だった。


「着いたんだよ」

「え? 着いた? 着いたって、何処に?」

「だから天の山(ヒミンビョルグ)だよ」

「はあ……?」


 改めて周辺をぐるりと見た。やはり何もない。闇で見辛かろうが、月と星の光だけでも充分わかる。


 ここには、何もないと。


「どういう……事?」

「どうもこうもねえって。ここにあんのが天の山(ヒミンビョルグ)だ」

「えと……ひょっとして僕らに見えてないだけで、そういう目に見えない的な……って事?」

「違えよ。目の前にあんだろ。これが天の山(ヒミンビョルグ)だ」


 思わずイーリオとレレケが目を合わせる。

 目の前にあるのは小高い丘――山と言われれば確かに山にも見えるが、ただの丘陵でしかない。

 それが、天の山(ヒミンビョルグ)


「えっと……この丘が天の山(ヒミンビョルグ)……? こんな小さいのが……?」

「そうだ」


 再度レレケの方を見るも、彼女も分からないと首を左右に振るだけ。


「……まあ、意地悪をするのもこれくらいにすっかな」

「――え? 意地悪? ……じゃあ、やっぱりただの冗談?」


 少し安堵を浮かべるイーリオだが、再会して早々にこんな悪戯をされるなど思ってなかっただけに、苦笑いが出るのも当然だとさえ思った。

 しかしドグは、更に意外すぎる言葉を放つ。


「冗談なんかじゃねえよ。さっきから言ってるだろ、この目の前のが天の山(ヒミンビョルグ)だってよ。ま、そこで凝っとしてな」


 まるで謎掛けをされているみたいだった。

 こんな何もない所を伝説の地はここですと言われて、何をどう反応したらいいのか。

 だがそんなイーリオとレレケの戸惑いなどまるで気にもとめず、ドグは大きく息を吸い込んで声を張りあげる。



 ラグメン エムヌエル テレフォリ メハエラグ ライゲル ヤジ ザザエル



 突然、謎の呪文のような言葉を、虚空に放つドグ。

 何を――と糺す間もなく、やがて地響きが辺りに広がっていった。


「え……? こ、これ――」


 それは気付いた時にはもう、明らかな振動を超えて地震のような巨大な揺れへと変わっていた。立っているだけでもようやくな大きさ。

 レレケはイーリオにしがみつき、レレケの愛獣であるレンアームも、四肢を踏ん張って倒れないようにするのがやっと。

 一方で、ドグと彼の鎧獣(ガルー)である剣歯虎(サーベルタイガー)のみ、まるで揺れなど感じていない佇まいで平然としていた。


 地震の大きさがどんどん膨れ上がる。


 遂に大地にも、亀裂が走った。


 ――!


 目の前の丘にいくつもの裂け目が生まれ、丘の頂上はそれらが集積して鋭く盛り上がっていく。


 大地が――目の前の大地が形を変える。


 イーリオとレレケの両目が、あらん限りに開かれた。


 大地が裂けたのではない。


 丘――


 大地のように見えていたそれは、薄い膜のようになってベロリと剥がれ落ちていったのだ。

 つまりは丘ではない。

 亀裂でもない。



 大地として見えていた(・・・・・・・・・・)景色そのものが、形を変えようとしていたのだ。



「なっ……」


 絶句するしかなかった。

 目の前にあった丘。その向かって左側の景色がめりめりと膨れ上がると、地面を割って闇が出る。夜を覆い隠す闇が。


 これは誇張表現ではない。文字通り、そのままの意味で、空が隠されたのだ。



 巨大な闇の片翼で。



 次いで向かって右側にも、同じ闇が広がる。

 詩的表現で夜の闇を翼のように例えるものがあるが、それは文字通りの意味において、闇の翼だった。

 今度は丘の中央が大きく膨れ上がり、三人をすっぽりと新たな闇の中へおし包んでしまう。


「ド、ドグ……これ……こ、こ、こ……これ……」

目覚めるぜ(・・・・・)


 闇の中のドグの声。


 その瞬間、光が灯る。


 巨大な光。静かで不気味で、冷たくも霊妙な、緑の光。


 光は二つ。だがそれは家家の窓に明かりが点けられていくように、大小の光明を増やしていった。


 闇の中に。


 まるで闇に光の飾りつけを施すかのように。


 突如、とびきりの明かりがイーリオ達を照らしつける。夜の中に昼以上の眩さを無遠慮に落としたら、こんな光になるだろうか。あまりの明るさに、イーリオもレレケも目を開けていられず、固く閉じてしまう。


 やがてその光にも目が慣れたのだろう。徐々に己の視界を戻していくと、さっき以上の数のいくつもの光が、三人の前にあるのが分かった。

 あまりの事に唖然となったが、その光たちを目で追っていく内に、強烈な違和感をイーリオとレレケ、二人が同時に覚える。


 最初、その違和感が何なのか、説明がつかなかった。

 いや、目の前にはっきりと見えているのだ。何も隠そうとしていないし、堂々と見せている。けれども己の思考が、否定していた。


 こんなものは有り得ない。夢幻などという範疇ではない――と。


 天の山(ヒミンビョルグ)と言われて、巨大な船、巨大な城、秘境の山、はたまた天空に繋がる塔といった、未知の建物も含めたあらん限りの連想をイーリオもレレケもしていた。けれども目の前のそれは、あらゆる想像と常識を嘲笑うかのように、あらゆる想像を通り越えた姿を見せていたのだ。


 だから分からなかった。


 言葉にならなかったし、言葉を発すれば信じられなさすぎて気絶するかもしれないと思うほど、圧倒されていた。

 闇の広がりと無数の光の〝それ〟が僅かに動く。


 ――動く?!


 それだけでももう、混乱しそうになってしまう。

 けれども疑いようのない現実だった。


 左右――と言うべきかどうかも分からないが――だけで何百フィート、何千フィート、いやマイルの単位になりそうなほどの大きさ。

 高さもどれほどかは分からない。見上げれば、空の大部分がそれで隠されている。


 と、その高さの方から、イーリオ達の方に近付いてきた。光が迫ってきたのだ。


 思わず後退りしてしまうのも仕方がない。それどころか、イーリオもレレケも腰が抜けそうなほどに膝が震えていた。


 どれほどの人間でも、人間としての限界はある。

 アリが勇をふるって己を鼓舞しようとも、ゾウの前には完全な無意味になるのと同じ。人間であれ何であれ、そういった根源的な恐怖は存在するのだ。

 それはつまり、己よりも遥かに規模の違う巨大な存在と相対した時に起きる、本能から来る反応だった。


 近付いたそれを見ても、あまりの大きさの比率違いに、目がおかしくなりそうだった。

 何も言い出せず、魂が消し飛んだようにただ口を開いたままの二人に向かって、ドグが告げる。


「こいつが天の山(ヒミンビョルグ)だ」




 それは――鳥だった。




 あまりに巨大な、巨大などという言葉すら矮小に感じるほど凄まじい大きさの――鳥。



 この世のあらゆる巨大生物が、全て虫ケラになってしまう大きさの巨鳥が、羽を揺らして大地をふるい落としている。羽毛についた埃を振り払うような仕草だが、落とすのは指先よりも小さなものではなく、イーリオ達が立っているのと同じ、大地そのものなのだ。


 規模があまりに違いすぎて、言葉にもならない。


 身じろぐたびに僅かな振動を感じるが、規模からすればむしろ実に静かなほどだった。それでも、小さな地震並みの揺れは感じるのだが。


 もはやどのように形容すべきかも、分からなかった。


「ヒミ……ン……ビョ、ビョル……グ……?」

「これ……これが……これが……これ……ですか……?」


 ただ一人泰然としているドグが、奇異を通り越して異様に見えてしまうくらい、二人は混乱していた。

 夜というのもあったが、視界におさまる大きさではないので、その全容が二人には分からない。ただレレケは錬獣術師(アルゴールン)というのもあって動物を数多く見ているせいか、直感で何となくクジャクに近い外観をしているなと思っていた。


 その勘は当たっており、全体は尾羽の短いクジャクというべき姿をしている。


 けれども冷静になって目を凝らせば、鳥そのものの外形をしているこの巨鳥が、いわゆる巷間に呼ばれる鳥という生き物とはまるで違うというのが、分かっただろう。


 羽毛のような形は視認出来る。けれどもそれが本当に羽毛なのかどうか区別がつかなかったし、そもそも全身から無数に輝く光源が奇妙すぎた。


 そこにあるのは光だけでなく、冷たい金属の光沢。


 そう、このクジャクの体は、大部分が金属らしきもので出来ていたのだ。


「このバカデカい鳥が天の山(ヒミンビョルグ)ってワケだ。普段は今の丘みたいにそこいらの景色に擬態しててよ。だから誰も知る事は出来ねえし、万が一気付かれてもそっから動いて別の〝場所〟になるのさ(・・・・)。だから誰にも、知られていない」


 全貌をあらわさない時は、巨大すぎる両翼をたたむ事で山型になり、その上から大地を被せるのだという。

 それゆえに、天の山。

 しかしこの巨大すぎる〝鳥〟にどうやって大地を被せるというのか。自分で被せるのだとしても、そんな事をすれば目立って誰かに気付かれてしまうはず。いや、そもそもこれは鳥なのかどうか。

 思わずレレケが疑問を矢継ぎ早に捲し立てるが、ドグは後頭部を描いて苦笑いを浮かべるだけ。


「いや、その、そういった詳しい話は俺、苦手でよぉ。正式な名前とかも前に教えてもらったんだけど、イマイチ頭に入んなくてさ」


 詳しい事も自分の事も含めて、まあまずは〝入って〟からだ、とドグが告げる。


「入……る……?」

「そりゃそうだろ。こいつは天の山(ヒミンビョルグ)なんだぜ。まずは山に入んないとな」


 山――?

 鳥――?

 鳥に――入る――?


 山と言われたらその通りなほどの巨大さなのだが、いまいちピンとこないというか、理解が追いつかなかった。


 そこへ突然降り注がれたのは――声。



『〝居住型多元時空巡翔生体機〟――前にも言ったろう。このバカちん』



 大気を割くというか谺が響くような、山頂で声をはりあげるような響きで、女性の声がした。

 若い、女性のものだ。


「あ、そうだ。そんな名前だったっけか。てか、そんな長ぇ名前、どうやっても覚えらんねえよ」


 女性の声に反応して、ドグが独り言のように呟く。

 イーリオとレレケは、突然の空から降ってきたかのようなこの音声に目を剥いて驚いているというのに、ドグは慣れたもの。


『覚えられんのは、貴様が脳足りんのオロカバカなだけだ。名前のせいにするな、ウスらオロカ』


 罵詈雑言というより、いささか稚拙気味な非難の言葉にドグの頬が引き攣るも、何も口には出さない。


 それよりもこの声は何なのか。天の山(ヒミンビョルグ)が喋っているようにも聞こえたが、まさかこの金属の巨鳥は、人語も解せるというのか。


 そんな風な想像をイーリオ達が働かせていると、静かな地響きをたて、目の前の天の山(ヒミンビョルグ)が体を地面の方に沈めていく。鳥でいう胸のあたりが、目の前にきた感じだ。


 そしてその胸の一部から――

 強烈な光が放たれた。


 いや、放たれたのではない。光が漏れたのだ。


 胸の一部が音を立てて扉のように開き、その内部から光が外に出ているのである。


「じゃあ行くぜ」


 ドグが光の扉に向かって歩き出す。


「ま、待ってください……! 今……今の声は?」


 思わずレレケが呼び止める。ドグは少しだけ首を傾げると、薄く笑みを浮かべた。


「今のは俺と同じ、アルタートゥムだよ」

「アルタートゥム……古獣覇王牙団アルタートゥム・ジーク・ファング? で、ではこの巨大な鳥――天の山(ヒミンビョルグ)が喋ったのではないのですね」

「あ? ああ、そっか、そういう風に聞こえるか。あれはなんつうか……〝スピーカー〟っていうカガクの力らしいぜ。あ、原理とかは俺に聞くなよ。それについても、俺はよく分かんねえんだから」

「〝スピーカー〟……。それを使って声を出したのですか……」

天の山(ヒミンビョルグ)を使ってっつうのかな。まあそれもこれもまとめて、まずは入らねえとはじまんねえ。ザイロウのためにも――シャーリーのためにも、な」


 ザイロウの名前。

 それに八年ぶりに聞くドグがシャルロッタを呼ぶ時の名前。


 思わずイーリオの全身から澱が洗い流されるように、緊張とおそれと慄きが消える。


 そうだ。これほどの思いをして、危険な旅にみんな巻き込んでまで自分が求めたのは、何だったか。



 ザイロウと――


 星の城(ステルンボルグ)へ行ってしまったという、シャルロッタのため――



 それを思えば、今更何を臆する事があるというのだろう。


「――行こう、レレケ」


 決意も覚悟も、とうに出来ている。

 そう言わんばかりの瞳に戻ったイーリオが、レレケに向かって力強く告げた。

 その目の光に、レレケも頷きで返しt。


「――ええ」


 二人の様子に、ドグが微笑を浮かべていた。

 やがてドグの先導のまま、三人と二騎は、光の中へと吸い込まれるように、消えていった。

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