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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第四部 第四章「秘事と秘境」
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第四部 第四章 第四話(終)『天山行路』

2023 夏休み毎日投稿スペシャル7日目!!



 何もかもが見えなくなり、ただ一騎で執念を燃やすグノーム。


 それを尻目に、呂羽(ルゥユー)は生存していた飛竜(ワイバーン)の人竜に乗って、飛び去っていく。

 孤軍となったミラキノニクス(アメリカン・チーター)の人獣騎士を見下ろす彼に、憐憫の情すら湧いてこない。


 どれだけ激しいものがあろうと、現実は現実だ。想いだけでは何も変わらない。願いや祈りで世界が変わるなら、この世には幸福も不幸もないはず。それを呑み込めぬなら、ただ愚かで無様に死ぬだけ。


 そんな風に冷たく無機的に思うのみ。


 しかし一方で、その愚か者のお陰で自分は追撃されずにまんまと逃げおおせているとも言える。その意味では、むしろグノームの行いには感謝すべきだと言えるかもしれない。


 そんな風に思い直すと、少しだけ呂羽(ルゥユー)は笑みを浮かべた。

 それは人の情などとは無縁の、実に機械的な微笑みでしかなかったが。


 その彼が見つめる先の地上では、単騎、イーリオを仕留めようとグノームが駆けていた。

 その目にはどの敵も見えていない。自分が親のように慕っていた、亡きグイドの仇のため。憎き怨敵を討つため、見えているのはイーリオだけ。


 親――?


 いや、かつての第八使徒グイドは、彼を利用しただけだった。自分も利用されていると分かっていながら、それを受け容れた。

 親も故郷も何もかもを捨てて逃げ出してきた自分には、居場所さえあれば良かったのだ。


 その居場所こそが、グイドだった。


 悪辣で卑劣な黒母教の司祭にして使徒。無様な死に方をするのは当然だと思えたし、憐憫など湧くはずもないと思っていた。


 けれども――


 利用されただけと分かっていながら、それでも――


 ――小鬼グノームよ。


 もう一人、イーリオによって命を奪われた男の声が、グノームの脳裏に蘇る。


 ――どんな人間にも、後悔や哀しみはあるもの。


 国がヘクサニアと名を変える前。

 オグール公国という国名であった時、大公であったヴカシンが彼に言ったのだ。


 ――お前には、さぞ辛い過去や、思い出したくない昔があるのだろう。


 違う。思い出したくないわけではない。思い出すまでもないし、心の底からどうでもいいゴミ屑のような過去なだけだ。そう答えた。

 ヴカシン大公はそれを聞いて、悲しく微笑んだ。


 ――だが覚えている。忘れる事など出来ない。


 だから? それが何だと言うんだ。


 ――覚えておけ。いくら過去が辛く苦しかろうが、明日を綴る最初の一行目は、常に何も記されてはいない。どんな時も、いついかなる時も、必ず空白なのだ。だから小鬼よ、過去を嘆くのではなく、明日のために過去を受け容れるのだ。それが生きるという事だ。


 鼻で笑うような綺麗事。

 何の真実味もない馬鹿な男の言葉。だから馬鹿なまま、ヴカシンは殺された。やはり馬鹿だ。


 それでもその言葉が心のどこかで引っ掛かっていた。

 だから受け容れた。受け容れようとした。過去を嘆かぬよう、明日を見ようとした。


 けれども――でも、それでも――許せない。

 絶対に許せない。


 あいつをこの手で殺すまでは、絶対に。



 グノームの視界は狭まり、ただただ殺意だけで全てが塗り潰されていく。



 自分をゴミ以下のように扱った、実の親。人間のクズ。

 そこから自分を見捨てて、たった一人だけで逃げ出した実の兄、ドグ。

 信じていたのに――それを知っていたはずなのに、あいつは見捨てた。


 どいつもこいつもクズばかりだ。この世の誰もがクズだ。


 親も、(ドグ)も、グイドも、ヴカシンも。そしてイーリオも。

 だからこれで、全てを終わらせる。その決意としての、剣。


 だがグノームの剣は、再度の衝撃と共にあらぬ方向へ吹き飛ばされてしまう。


 地を舐める、グノーム=ローテ・ミュッツェ。


 立ち上がろうとする彼の視界に、鎧獣騎士(ガルーリッター)となっている己をゆうに超える上背が、影を落とした。


 見た事のない鎧。

 その手にある武器は、自分の手甲状の剣と似ているが、大きさも何もかも全てが異なる形をしている。

 異形の牙を剥き出しにしたままの人獣。


「クソッ……たれ……! どけよ……! そこをどけっ。お前に……お前になんか用はねえんだ。俺は……俺は……」


 クズであるはずのイーリオを殺す。

 けど、それを阻むこいつもクズだ。やはりこの世の誰もがクズだ。俺が明日を生きるため、苦しさから逃れるために、どいつもこいつも消してしまわなきゃならないんだ。


 怨嗟が澱みとなって凝り結晶化したのが、今のグノームだろう。


 もう、誰も彼を止められないし、どんな言葉も彼には届かない。

 逆恨みも甚だしいが、そんな事、グノームにはどうでも良かった。


 しかし次の瞬間、グノームの動きが凍る。


 届かないはずの声が、彼に届いたからだ。

 何も聞こえなくなっていた彼の耳に、絶対に届くはずのない、声。



「すまねえ、エッペ」



 エッペ。



 その名。

 どうしてその名を。


 忘れ去った名前。


 明日のために捨てた名前。


 かつての自分、そして――本当の自分。


「お前を一人にして、悪かった」


 そんな馬鹿な。その名は誰にも言ってない。グイドやヴカシンにすらも。

 誰にも、本当に誰にも言ってない。

 自分でさえ、一度は完全に忘れてしまっていた名前なのに。この世でそれを知る人間など、もう誰一人生き残っていない。それを知る者など誰もいない。いるはずがない――。


 しかしどこかで、気付く。


 全てから耳を塞いだにも関わらず、聞こえてきた声だから。

 理屈を超えたもの。


 だから――


 だから余計に怒りが増した。

 ちきしょう。何でなんだ。ふざけるな、と。


 本当に何もかもがふざけるなと、言いたかったのだろう。



 その思いを痛いほど理解していたからこそ――



 影は刃を閃かせた。



 血が、残照のきらめきを反射している。

 グノーム=ローテ・ミュッツェが仰け反る。

 眩しい。己から飛び散った鮮血を見て、ただそう思った。同時にもう一つ、彼は思う。


 クソったれ、と――。


 倒れるその体を抱え、影はしばらくの間、凝っとその亡骸を見つめていた。やがてミラキノニクス(アメリカン・チーター)鎧獣騎士(ガルーリッター)から白煙が漏れ出すと、いたわるように体を地面に横たえる。


 その間、イーリオも含める誰もが、何も言葉を発さなかった。

 いや、言えなかったのだ。


 あまりに荘厳にさえ見えたその動きに。


 そして突如としてあらわれた、この影の存在感に圧されて。



 人と獣に戻ったグノームとローテ・ミュッツェを前に、影はそっと手を翳す。開いたままの瞼を、閉じさせたのだろう。


 その動きは、何故かイーリオ達の胸を締め付けるものがあった。それがどうしてかは分からない。けれども影があらわれてから、イーリオの動悸は徐々に高鳴っている。


 一体誰なのか。何なのか。


 やがて影が振り向くと、落ちる間際の夕映えに照らされて、その全身が露わになる。



 白が基調の鎧。しかし形が奇妙だった。

 ゴートでもメルヴィグでも、アクティウムやアンカラでも、ましてやジェジェンでもないのは当然、カディスやトクサンドリアといったエール教色の強いものでもない。かといって大陸の異なる異国のものとも違う。

 まるで見た事のない様式。

 そして握るような形状の握把を持つ、奇妙な大剣。


 人獣自体の姿も見た事のないもの。

 ライオン、トラ――。

 そういった猛獣とほぼ同じだが、どの種とも違う。

 その違いは一目で明らかだった。



 鋭く長い――そして巨大な牙。



 上顎の犬歯が、下顎すら遥かに突き超え、怪物のように伸びている。


 しかしその異形を、レレケは知っていた。見た目も名前も、錬獣術(アルゴーラ)の大秘書である諸獣目録の中で見た事があったから。けれどもそれを目にするのは初めての事。

 いや、この世の誰であっても、この古代絶滅種を直接目にした者はいないだろう。



「サーベルタイガー……」



 レレケの呟きに、イーリオがはっとする。

 彼も知っていたからではない。まるで剣のように巨大すぎる牙が、あまりにその名に相応しいと思ったからだった。


 まだイーリオとは距離があったが、それでもサーベルタイガーの人獣騎士に、敵意がない事だけは分かった。まるでそれを示すかのように、サーベルタイガーが白煙をあげて鎧化(ガルアン)を解除する。


 それに倣い、レレケやギルベルトも武装を解いた。その際、ギルベルトが漏らした呟きを、レレケははっきりと耳にしている。


「やっとだね」


 どういう意味の言葉か。

 それを確かめるより前に、イーリオの息を呑む音が聞こえ、思わずそちらに意識を向けるレレケ。



 人がいる。男。おそらく若者だろう。

 鎧化(ガルアン)を解くのと同時に、西陽が完全に沈んでしまったため、辺りに濃い夕闇の緞帳が降り、仔細な姿が分からなくなっている。それでも性別は分かるし、クセの強そうな頭髪をしているのも分かる。


 顔も、ほんのうっすらとだけ見えていた。


 ――!


 何故だろう。イーリオだけでなくレレケの動悸も跳ね上がる。


 分からない。


 けれどもその若者が一歩、また一歩と近寄るたびに、心臓の音が激しくなる。嗚咽が喉から漏れそうになる。


 無造作に頭髪に巻きつけた布。

 顔や剥き出しの両腕には、夥しい数の傷跡。


 横にサーベルタイガーを従え、その男はイーリオの目の前に立った。


 イーリオは吹き飛ばされて腰をついたままだったからか、男が手を差し出す。

 まるでその手を掴むのが決まっていた出来事であるかのように、イーリオは起こされる。


 ――言ったろ? 盗賊の心得を教えてやるって。


 イーリオは唐突に思い出す。遠い昔に聞いた声。どうしてなのか。何故思い出したのか。


 二人は向き合っていた。

 イーリオの背は若者よりも高く、男は少し見上げる恰好になっていた。


 ――レレケ! 助けに来たぜ!


 メルヴィグの王都での事も、レレケははっきりと覚えている。忘れるはずがない。忘れた事なんて、一度だってない。


 二人が向かい合って並ぶ姿を見た時、レレケの目から涙がこぼれ落ちた。とめどなく、どうしたって止めようがないほどに。




「チックショウ。俺も伸びたのに、それでも負けたのかよ。折角デカくなって追い越したぜ、って言えるかと思ってたのによ」





 声。




 イーリオの記憶の中で、はじけた。



 違う。前とは違う声。低くなった声。



 それでも分かる。気付く。忘れようがないからだ。



 どれだけ異なる時間を過ごそうとも、どれほどの時が過ぎても、生涯忘れるはずがなかったから――。

 そう心に誓っていたから。



「そんな――そんな――嘘だ――」


「嘘じゃねえって。見て分かんだろ。お前、俺よりデカくなってんじゃねえか。ったく何なんだかなァ。格好いい登場がどうにも締まらねえよな」


「嘘だ――」


「だから身長の事はもういいって。あ、でも、俺も人並みにはデカくなったからな。もうチビなんて言われねえし、もし人から言われても、もう怒ったりはしねえよ。でもお前だけは言うなよ。お前にチビって言われるのは、何か腹立つからさ」


 悪戯っぽく、歯を剥き出して笑う若者。


 その笑顔。その笑い方。



 イーリオの目から、滂沱と涙が溢れ出した。



 レレケは己の手で口を押さえて必死で溢れ出す感情を堪えている。



 そうしないと、壊れてしまいそうだったから。

 悲しさや辛さではなく、驚きと、信じられない思いと――喜びで。



「お、おい、何だよ急に泣くなよ。ちょっ――レレケまで何だよ。ったく、その……何つうかそうまでされると、その――」


 気恥ずかしそうに、若者は後ろ頭を搔く。


 その彼を、唐突に抱きしめるイーリオ。


「ちょっ――おい」


 いきなりの事で、若者も言葉を失った。


 レレケも駆け寄り、二人を抱きしめた。



 イーリオとレレケ、涙を流しながら。



「ちょっ――いや、その、感動されるとは思ってたけど、その、ここまで反応されると、その……。――ちょっ、ギルベルトのおっさん、何かその――」

「分かってやんなさいよ。彼らの想いを」

「……うぅ」

「君にはそれを受け止める義務がある。そうでしょう?」


 微笑みでギルベルトが見つめていた。


 そこへ、意識を取り戻したユンテやゾラ、カシュバル達が近付いてくる。


「これは……一体、何が……?」


「感動の再会ってやつだよ。今は何も言わないでおきなさいな。僕らがどんな事を言ったって、水を差すだけだからさ」


 ユンテ達は怪訝な顔を浮かべるも、戦闘が既に終わった事には安堵の息がつけると思った。


 嗚咽をあげ、泣きながら若者を抱きしめるイーリオとレレケ。

 やがて若者が「もう、そろそろ……」と言いながら二人の抱擁をゆっくりと解く。


「どうして……一体、どういう……」


 涙でしゃくりあげながら、イーリオが途切れ途切れに声を出す。

 それに対し、別の方向からの声が答えた。




「ギルの仕業じゃよ。この男が全ての元凶じゃ」




 聞き覚えのある声。


 振り返ると、いつからそこにいたのか。

 黒髪の女性が、丘の上に立っていた。


「え……? ユキヒメ……さん?」


 今度はユンテまでもが驚きの輪に加わる。

 かつての覇獣騎士団(ジークビースツ)肆号獣隊(ビースツフィーア)次席官(ツヴァイター)。ここにいるギルベルトの副官であり、先ほどまでいた〝渾沌カオス〟の呂羽(ルゥユー)を倒すため、密かに修行に出ていた彼女が、どうしてここにいるのか。


「ちょ、ユキヒメの姉ちゃん、出るの早いって。まだ何も説明してねえのにさ」


 若者が口を尖らせて抗議の口調で言う。


「何も説明しとらんから、私が出たのじゃろう。うかうかしてると〝ドゥーム〟殿に置いてけぼりにされるぞ」


 見ればユキヒメの衣服は、覇獣騎士団(ジークビースツ)のものとはまるで違った。

 合わせの襟にたっぷりと大きく垂らした両袖。白とあおみどりに、緑や青で彩られた異国情緒溢れる着物。


「げ……そうだった。あの人ならやりかねねえ。――っと、そういう訳だから、積もる話は後だ。イーリオもレレケも、とりあえず一緒に来てくれ」


 何処へ――という言葉は、イーリオではなく黙って見ていたゾラが放った。何もかもが訳の分からないままで、言い出したくてうずうずしていたのだろう。


「それにあんた、あんたは一体誰なのさ。団長達の知り合いみたいだけど――」

「彼は――」


 イーリオが返そうとした言葉を、若者が片手を上げて制した。不敵な笑みを浮かべて、若者が自ら答える。


「俺は、コイツの相棒さ」


 若者がイーリオに向けて親指を突き出し、言い放つ。


「相棒……?」

「そうさ。こいつの最初にして永遠の相棒――ってね」


 イーリオが涙で腫らした目を細める。レレケも泣きながら微笑む。




「俺の名前はドグ」




 その名を耳にした事のあるユンテ達は、徐々に驚きを強めていった。


「前は〝山猫〟のドグなんて盗賊だったけどよ、今は違う。――ああ、イーリオ、言っておくぜ。俺も姓が出来たんだ。今の俺の名はドグ・ヴォイト。大剣牙虎(マカイロドゥス)騎士(スプリンガー)だ」


「ドグ・ヴォイト――」




「そうさ。そんで古獣覇王牙団アルタートゥム・ジーク・ファングの一人。〝最強の牙シュテルクスト・ファング〟のドグ・ヴォイトってのが今の俺だ。間違えんなよ」




 一瞬、言った内容が何も理解出来なかった一同が、呆然となる。

 次いでその意味が分かった瞬間、驚きの声を一斉に上げたのは言うまでもなかった。


 ただ一人、全てを知っていたギルベルトとユキヒメだけは、安堵にも似た息をつくだけだった。




 時に、大陸歴一一〇一年初秋。メルヴィグ連合王国内のある日の宵の口。


 時代と共に、世界が大きく動き出す瞬間であった。




―――――――――――――――――――




挿絵(By みてみん)

★ドグ・ヴォイト

 二十七歳。

 生きていたドグ。どうして、何故生きていたのか。

 アルタートゥムの一人とは一体どういう事か。

 それらの謎はこの後明かされていく。


 カラーや全身絵はもう少し後に掲載予定(もう出来てるんだけどね)。




挿絵(By みてみん)

☆ジルニードル

 ドグの鎧獣(ガルー)

 大剣牙虎(マカイロドゥス)という大型のサーベルタイガー。

 画像は鎧獣騎士(ガルーリッター)時のもの。

 しかし果たして〝これ〟は鎧獣騎士(ガルーリッター)と呼べるものなのか。


 こちらもカラーは後々掲載予定(これももう出来てる)

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