第四部 第四章 第四話(3)『牙影』
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レレケの動きに、ギルベルトが気付かぬはずもない。
しかし彼もまた、グノームの他に二騎の飛竜を残している。
――全く……!
ギルベルトのボヤきにしては、ひどく焦りが滲んでいた。それも、いつになく急迫の色を帯びた焦りが。
しかしそれに猶予を待ってくれる相手ではない。少なくとも目の前の敵方に、こちらを侮り軽んじるものはなかった。
地に伏せるユンテ=雷震子を一顧だにせず、イーリオ達の方へ歩みを進める黒灰色の鎧を纏う人虎の凶手。更に、四本ヅノの飛竜も、足元に転がる男女二騎の人牛騎士を払い除け、イーリオとレレケの方を向いた。
――もう、躊躇ってる場合じゃない……!
レレケは意を決する。
ホーラーから彼女に託された、禁忌の術。
まだ未完成のそれを使ってでも、イーリオだけは守り抜く……! そう固く決心するが、問題は〝渾沌〟の呂羽という三獣王級の騎士と、人竜の怪物を前に、果たしてその術を使う間すらあるかどうかだった。
だが、まるでそんな彼女の考えを見透かしたかのように、人虎と人竜が同時にこちらへ駆けた。
――!
レレケが急ぎ術式を展開しようとする。しかし、間に合わない。それは誰が見ても明らかだった。
そこへ――
相手にしていた三騎にギルベルトが獣能で牽制をかけ、その隙にこちらの防御にまわろうとする。
しかし、呂羽とロード。どちらかを防げばどちらかがイーリオを手にかける。もしくはレレケを。運命の二者択一だった。
ギルベルトはストロベリータイガーの目で、レレケ=レンアームを一瞥した。
獣理術により繋がっていたのもあったが、それ以上に二人の呼吸が合っていたのだろう。ギルベルトの視線と同時に、レレケが目だけで頷いた。
レレケを犠牲にして、イーリオを助ける――。
心の中でさえ、ギルベルトは謝らなかった。レレケはそれでいい、と思った。互いに為さねばならぬ事は瞭然だったから。
「〝痛みは後悔と共に〟」
ギルベルト=クヴァシルが、変異アルコールの息を吹きかけながら敵に向かう。これに気付いたロード=ザバーニャが翼で空中に舞い上がり、その勢いを利用して羽ばたきで酒精を吹き払った。が、それでも黒灰色の両騎の動きに、ほんの少しの変化は起きるもの。そこを、ギルベルトが狙った。
短い距離で両足の跳躍。着地と同時に膝が沈み、地面と水平にいかづちのような飛躍をした。全身のバネを活かした体当たりとの合わせ技。
レーヴェン流の奥義。〝雷動閃〟。
狙ったのは――
呂羽=夜叉。
超一流の異国の戦士。超が付く一流だからこそ、この攻撃も本能で察する。
回避が可能なタイミングではないと。となれば防御で受けるのか? かつてカイゼルンが獣帝にとどめをさした際にも使われた、破壊力では最上位に位置するこの技を?
呂羽は駆けた両足に急制動をかけ、その勢いをもって青龍偃月刀の石突き部分を己の右肘と共に突き出す。その際、目に見えぬ破壊の圧力を纏わせながら。
――!
クヴァシルの戦杖棍と青龍偃月刀が火花を散らした。
音が壊滅的な衝撃波となって、大気を震わせる。
二騎の人虎が、同時に弾け飛ぶ。
着地と共に、ギルベルト=クヴァシルは己の武器を見て目を剥いた。
敵と打ち合った箇所。そこがくの字に折れ曲がり、亀裂と共にぶら下がっているだけになっていたからだ。
反対に夜叉の青龍偃月刀は焦げ臭い匂いを放っているが、破損はなかった。
獣騎術の中では最大級の技を放ったというのに、それを防がれるどころか相手は無傷のまま。対してこちらは武器を壊されている。
「やれやれ、とんでもない人だね、キミは」
ストロベリータイガーの中で、ギルベルトの背中に嫌な汗が滝のように流れていた。
どう安く見積もっても、敵の方が実力は上。そんな事は最初から分かっていたが、その差があまりにも歴然として見せつけられると、最早それは恐怖にすらなってしまう。
が、足止めは出来たと、ギルベルトは判断した。
一方で空へ飛び上がった人竜魔獣のロード=ザバーニャは、上から滑るようにしてレレケへと滑空をかけた。四つの鍬形状の突起を付けた長柄の武器四ツ鍬鎚矛を容赦なくふるって。
直撃と同時に、大地が大きく穿たれ爆散する。
巨大な質量のそれが、超常の力で急降下の突撃をかけたのだ。地面が抉られるのは当然だろう。勢いで離れた運河の水面にまで、波が起きるほど。
しかし人竜の中で、ロードの表情は怪訝な色を帯びていた。
手応えがなかったのだ。
その直後。
人竜となった彼の足に、六本の腕が絡まっていた。
まるで大地を砕いた事で、土中の死者が喚び起こされたように、異常に長い、そして人獣らしい毛むくじゃらの腕たち。
けれどもそのどれもが、半透明で青味を帯びた乳白色。
――人獅子屍鬼の祈祷
レレケ=レンアームが放った獣理術。
まるで墓場に出るという屍鬼のように、不気味なライオン人獣たちが人竜の足を掴み、離さない。
その間に、レンアームは更なる術を発動。それは己に向けてのもの。
自身の身体能力を極限まで高め、イーリオと共に出来る限り戦いの場から遠ざかろうと試みる。
前にもの述べたが、直接的な戦闘で鎧獣術士が鎧獣騎士に勝つ事はまずない。どれだけ性能が良くても、いいところ下級程度の戦闘力しか鎧獣術士には備わっていないからだ。
その分、術はこのように多彩で強力。直接戦闘に使える術もあるが、戦闘補助に回ればこれほどの存在はないと言える。
レレケは師のホーラーから託された禁忌の術ではなく、少しでも確実な手として、この〝捕縛の術〟を選んだのである。
確かに禁忌の術なら、この圧倒的不利な戦況を一変出来たかもしれない。しかしそれはあまりにも危険な賭けだった。
そもそも禁忌とまでされた術式なのだ。未完成なだけに発動出来るかどうかも怪しかった。
実際、このレレケの判断は間違いではなかったのだろう。
ギルベルトもそう思っていた。
だが、舞台は変化する。これが戯曲なら、これほどまでに目まぐるしい脚本など、誰が書き得たであろうかというほどに。
レンアームが隙をついて、イーリオを抱えようとしたその目の前で――
まるで影が踊るように、オレンジにも似た褐色の閃光が、レレケとイーリオの前に飛来する。
その勢いで、イーリオが身を隠すようにしていた馬車が粉々に砕け散った。
「イーリオ君!」
叫ぶレレケ。
目の前でイーリオが吹き飛ばされる姿を、その目に見る。
まるで絵物語のように、ゆっくりとした描写となって。
躍り出た影はグノーム。
ミラキノニクスを纏う、グノーム=ローテ・ミュッツェだった。
手甲と剣が一体化したコルスーズという武器が、馬車を砕いたのである。
イーリオも、衝撃で騎乗していた馬ごと飛ばされ、地面に叩きつけられた。
ギルベルト=クヴァシルの獣能で身動きを取れなくさせられていたかに思えたグノームだったが、それにかかったふりをして、密かに機を待っていたのである。誰もが自分から注意を失い、目的のイーリオを殺せる最大の好機を。
距離は最短。誰も追いつけない。
これに気付いたギルベルトが、なりふり構わず改造獣能を放った。届くかどうかも分からぬ、一か八かの賭け。
しかしそこへ、黒の津波が死の液体を呑み込んでしまう。
「〝动物派对〟」
夜叉の異能。
クヴァシルの戦杖棍を根こそぎ破壊し、死の液体の全てが塞がれた。
更にそこへ、ロード=ザバーニャも迫っていた。レンアームの術を払い退け、彼もまた絶望の化身としてその身を踊らせる。
イーリオの背後に凶々しい巨翼が降り立った。
前にも後ろにも絶望と絶対的な死を齎す者。
この間、僅か数十秒足らずか。
何もかもが手遅れで、何もかもが手詰まりだった。
今更レレケがどんな術を使おうとも間に合わない。ギルベルトがその命を投げ出しても、防ぎようがない。
銀月団は全員倒れ、万策は尽きた。
イーリオは死を覚悟するしかなかった。いや、正確にはその間すら、与えられなかったかもしれない。それほどの須臾の瞬間。
グノーム=ローテ・ミュッツェが、確実に死を齎す間合いに入り、剣を振りかぶった。ロード=ザバーニャも同様に。
この時――
この瞬間、気配に気付いたのは、この場でただ一人、呂羽だけであった。
得体の知れぬ――だが、あまりに濃密で怖気を覚えるような悪寒が、彼の背筋に冷たいものとなって流れたのだ。
――怖れ? この俺が?
けれどもその正体を、確認する暇すらない。
まず全員の目の前で、人竜の腕が、絵の具で潰されたように消え去る。
同時に、ローテミュッツェが遥か数十フィートも吹き飛ばされていた。
何が――
何が起きたのか、理解出来た者は誰一人いなかった。
音もなく気配もなく。
ただ突如としてそこに、大きな影が立っていた。
音も風も、まるでその主に遠慮をするかのように、全てが後から流れ込んでくる。猛烈な竜巻を伴って。
傾く西陽が、それを照らした。
人たるイーリオからすれば、巨大に見える人獣騎士の背中。
いや、騎士と言うべきだろうか。何かに違和感を感じるイーリオ。
まるでそれを裏付けるかのように、呂羽が目を開いて硬直した。
――何だ、アレは。
己の直感が告げている。あれは途轍もなく危険だと――。
武器を持った右腕ごと失ったロード=ザバーニャも、後に訪れた衝撃でたたらを踏みながら、愕然としていた。自分の身に起きた事にではない。それの正面に立つ彼にだけははっきりと見えていたからだ。
その影の正体に。
「真逆……馬鹿な……。その型式は、千年前に我らと共に――」
意味不明の呟きに答えたのは、その影であった。
若い男の声で。
「千年前? 知るかよ」
その瞬間、イーリオに訳の分からない衝撃が走った。
何がどうなのか、彼自身にも分からない。けれども身を貫くような、とめどない感情が溢れ出す。
それを理解するより前に、ザバーニャが先に動いた。
通常の角獅虎を遥かに超えた戦闘力を持つ、初期型・角獅虎。
その異形にして異様の魔獣を飛竜として強化させた悪魔の怪物の、最速にして最強の一撃。
己の身体の一部を粒子状に変化させる獣能までも伴った、この日の最大の威力を籠めた攻撃であったろう。
だがその影はまるで臆するどころかたじろぎさえ見せず、その攻撃ごと人竜を斬り捨てた。
陽を浴びて光る鮮血が、人竜の胴から噴き出る。
呂羽が目を剥いて驚きを露わにする。何故か。
見えなかったのだ。
彼をして――いくつもの国家を滅亡させ、ニフィルヘムに来ても無敗を誇る彼が。数えきれぬ戦場に死を振り撒いてきた彼が、視認出来なかった反撃。
続けて閃光が――再び疾走る。
光の後――
ゆっくりと――
上下に両断され、上と下が互い違いにずり落ちていくロード=ザバーニャ。
呂羽でさえ一目以上を置く、強者。
魔導士エポスの中でも〝破壊と闘争〟を司る一人が、まるで蹴散らされる雑魚のように儚く葬られてしまった。
瞬間、呂羽は自分の周辺に視線を走らせた。
数――。
敵も味方も、あまりにも足りない。
夜叉の第二獣能で起死回生をと考えたのだが、この状況は不利だった。いや、例え〝材料〟がふんだんにあったとしても、目の前のこれにこのままの己で勝てるとは思えないと、考えを改める。
その部分において、呂羽は戦士でありながら実に合理的な思考をしていた。どれほど無敗を誇ろうとも、彼に奢りはないのだ。
「〝动物派对〟」
影に向けて、無限の〝渾沌〟を生み出す己の異能を放った。
今まで誰一人、ただの一騎たりとも完全に破る事は出来なかった獣能。
だったが――
「効くかよ、ンなもん」
再び影がぼやく。
そう、呟きというよりもぼやいたのだ。
イーリオと同程度の実力者であるユンテをして防ぎきれなかったこの異能を前に、毛程の脅威も感じていないかのように。
「〝最強の牙〟」
獣能の号令なのか、それすら分からない。
何故なら声を発した刹那、影の腕から巨大な鋭い何かが走ると、瞬きもせぬ一瞬で夜叉の獣能が完全に千切り飛ばされてしまったからだ。
その凄まじさは、少し前、自分が目にしたある戦いをイーリオに思い起こさせる。
――あれはまるで……黒騎士の――。
呆気に取られるのは敵も味方も一様に同じ。
何かとんでもない〝存在〟があらわれたのはもう分かったが、それにしても常識外だった。
が、己の力が敵わない事を、呂羽は読んでいた。
獣能が敗れるのと同時に、呂羽はそれを囮にしてロードを回収していたのだ。既に鎧化は解除され、中のロード当人すらも両断されたその死体の、正確には上半身だけを。そして死体の額から何かを取り出すと、一瞬で大きく後退の跳躍をかけた。
「おい!」
まだ生き残っている飛竜に向かって、呂羽が叫ぶ。
「撤退だ」
一体何が起こっているのか――どういう事態なのか、心があるのかも分からぬ竜人らが駆る人竜たちだったが、状況がどういうものかは読めるらしい。
すぐさま撤退の動きを見せようとするが、そこに抗う声が被さった。
グノームである。
「何を――何を言ってる?! ここまできて、逃げるだと?! あと一息なんだ。もう目の前で俺たちの念願のイーリオを殺せるんだぞ!」
影によって吹き飛ばされた体を起こしながら、激情のままに叫ぶグノーム。
しかし呂羽の声は、それとは真逆の冷めたものだった。
「これでもう一息だと? 貴様は状況判断も出来んのか。愚かな」
「ふざ――ふざけんなッ! 何だ、あの変なのが加わっただけだ! こんな事で、みすみす逃すと言うのかよ……!」
どれだけグノームが吠えようとも、呂羽には響かない。彼にそういった感情は、欠落していたからだ。
溜め息さえも零さず、彼は最後の通告を行う。
「貴様も死にたくなければ退け」
「こ――この、腰抜け野郎がっ」
「だったら勝手にしろ」
その瞬間、運命が分たれたる。
ここまできて――あとちょっとだというのに、仇討ちを諦めるなど出来るものかと、激昂するグノーム。
怨念に燃える彼は、まさに復讐の鬼となってイーリオへと向かっていった――。
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突如あらわれた謎の影。その正体は……?




