第四部 第四章 第四話(2)『復讐鬼』
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蓬髪が強い赤毛の頭。顔の半面は、酷い傷跡と爛れた跡。
鎧獣は斑点模様がない赤茶けた体毛のチーターに酷似した姿。
ミラキノニクスという中型猫科の古代絶滅種。
神聖黒灰騎士団・十三使徒の第十二使徒。
グノーム・アービレと、彼の〝ローテ・ミュッツェ〟が、部隊の中心に降り立つ。
飛来したのは既に飛竜となった角獅虎が五騎。
グノームを載せたもの以外、その内の二騎にはそれぞれ古代虎の鎧獣と、それの駆り手である異国出身の戦士を乗せていた。
地に降りた彼らは、神聖黒灰騎士団・十三使徒の第五使徒、呂羽と、彼の駆る万県虎の〝夜叉〟。
更に人竜である飛竜の内、一体だけ様子が異なるものもいた。
体つきはどちらかといえば細身だが、他と比べると一回りほど大きい。何より目をひくのは、頭部のツノが通常のものは二本だけなのに、四本もある事。それに両腕の肘から下の形状が、猛禽類の足に酷似していた。
他よりも巨体なその飛竜が口を開く。つまり駆り手は、竜人などという異形ではないという事だ。
「グノーム、急く気持ちは分かるがまだだ」
「――分かっています」
飛竜の声に、イーリオは覚えがあった。
――知っている。確かあれは四年前……。
シャルロッタを取り戻すためにゴートの帝都に向かう途中、当時のヘクサニアの騎士と戦った時、遭遇している――。
神聖黒灰騎士団・十三使徒の第二使徒ロード。
四本ヅノなのは、初期型・角獅虎という他よりも強力な特別製の角獅虎だから。その名を〝ザバーニャ〟と言ったはず。
神聖黒灰騎士団の中でも次席の実力者。つまり黒騎士に継ぐヘクサニアの武力という事だ。
とんでもない事だった。
グノームはともかく、飛竜化した角獅虎が四騎でさえ危険すぎる相手なのに、ヘクサニアでも屈指の実力者であるロードと呂羽までいる。
つまり本気で、イーリオ達一行を叩き潰そうとしているのが分かった。
が――それにしても赤毛の若者、グノーム・アービレだった。
この四年の間に、イーリオはレレケやハーラルらに頼み、彼の素性を調べて貰っていた。
何せグノームは、かつてのイーリオの親友にして相棒、ドグと見た目が酷似しており、何よりも自分の事をそのドグだと名乗っていたのだから。
レレケは最初から、あの者はドグではないと言っていたが、イーリオ自身は万が一でもその可能性が拭い去れなかったのもあり、心の片隅でずっと気になっていたのだ。
そして四年の調査の末、このグノームがドグとは別人だという事が判明する。
彼は九人いたドグの兄弟の一人、生き延びた末の弟であったのだ。
だからイーリオは、挑発ではなく敵の虚をつく意味もあって、それを最初に言い放った。
「君は――君は第十二使徒のグノームだね。分かってる。もう調べはついているんだ。君はドグじゃない。ドグだと名乗って僕を恨むのは筋違いだ。違うか」
それを耳にした途端、グノームの顔が怒りで朱に染まる。
虚をつくどころか、思ってもみなかった反応だった。
「それが何なんだ……! もう、俺がドグかどうかなんてどうでもいい。俺はお前を許さない……! お前を殺すために、俺はここに来たんだ」
明確すぎる殺意。
だがそこまでのものを向けられる覚えがないイーリオは、ただただ当惑するだけだった。
グノームからすればそうではない。
イーリオは、彼の大恩人であるかつての第七使徒グイドの仇であったのだ。筋違いどころか、最も憎い敵でしかなかった。
イーリオの言葉によって、出鼻をくじくのとは真逆に、むしろ襲撃者側を勢いづかせてしまう。
先ほど受けた制止など何処へやら、グノームはミラキノニクスを鎧化し、攻撃の口火を切ろうとする。
それに対して、銀月獣士団やギルベルトも反射的に応戦の構えをとった。
「レナーテちゃん!」
「ええ」
ギルベルトがレレケに叫ぶ。
己の理鎧獣〝覇導獣〟レンアームを纏ったレレケが、鎧化と同時に獣理術の術式を展開。味方全騎を紐付けし、高度な身体強化を施した。
「ゾラとカシュバルはあの四本ヅノの相手を! ユンテはあの虎の――〝渾沌〟と名乗るあれを。ギルベルトさんとレレケで残りを相手に」
素早くイーリオが、全体に指示を飛ばした。
本来は副官でもあるユンテがそうすべきだが、呂羽を目にした途端、彼の目にはそれ以外何も映ってなかった。それを察したイーリオが、自分は戦えない身でありながらせめてと指揮を執ったのである。
「やれやれ、僕が一番大変なんじゃないの? その役割分担」
虎の縞模様が赤毛に色素変種したストロベリータイガー〝クヴァシル〟を纏うギルベルトが、ぼやきながらも戦杖棍を構える。鋭利な刃のない武具だが、威力の絶大さは言うまでもない。
同時に、銀月団員全員がそれぞれの相手に向かっていく。先手必勝というわけだ。
レレケのみ、イーリオを守るように彼の側にいた。
自分はただ守られるだけ――。そんな無力さが己の心を締め付けるが、それを知ってか知らずかレレケがライオンとライガーの混合種、リリガーの顔で告げる。
「さすがイーリオ〝団長〟。あの一瞬で的確な指示と判断です」
「よしてよ。団長だなんて呼ばれる身じゃないよ、今の僕は」
「――それよりも幸いでした。敵の中に私と同じ鎧獣術士がいれば、とても太刀打ち出来なかったでしょう」
レレケの纏うレンアームは、おそらく大陸でも最高峰の鎧獣術士であろう。
そもそも理鎧獣も獣理術も、確立されて日の浅い技術なのだ。まだまだこれからも研鑽されていくだろうが、それでもこの時点で大軍をまるごと制御してしまえるほどの術式と威力を有する理鎧獣は、レンアームをおいて他にない。
だからといって、発展途上の技術体系である以上、戦いの趨勢を決定するのはやはり鎧獣騎士そのものである。レンアームに対抗する形で敵の中に鎧獣術士がいれば、それだけで状況は覆っていた可能性が高い。その事を、彼女は指摘していたのだった。
その通りだと、イーリオも頷く。
どの相手も、荷が重すぎるほどの強敵と言えるだろう。その中でも特に不安があると思ったのが――
ギルベルト=クヴァシルだった。
単純な制圧力や性能で言えば、角獅虎は覇獣騎士団なら主席官級、ゴート帝国なら各騎士団の団長やヴォルグ六騎士でやっと相手が出来るほどのものがあった。だから今まで、各地でヘクサニアから角獅虎の侵略があれば、相応の騎士やイーリオたち銀月団のような破格の戦力でこれに当たってきたのだ。
ただ、攻略法がないわけではない。角獅虎は、中の騎士が人間ではないせいか、素人の振るう暴力に近い動きだけしかしない。それさえ分かれば付け入る隙も見出せるし、手の打ちようもあったからだ。
ただし、ゾウよりも堅牢な硬皮を破る事が出来ればだが――。
つまりは結局のところ、覇獣騎士団ならば主席官級でないと立ち向かえないという事であり、基本は一騎を相手するのでやっとなのだ。
問題は、それが四体もいるという事だった。しかも通常の角獅虎ではなく、異能によって強化された飛竜形態が、である。
更にあのグノームまでそこに加わっているのだ。合計で五騎。それをギルベルトは、たった一人でまとめて相手取らなければいけなかった。
初期型・角獅虎を纏う第二使徒ロードや〝渾沌〟の呂羽と戦うゾラ、カシュバル、ユンテらとて決して油断は出来ないどころか、きわめて状況は危うい。
それでも突破されるという点では、やはりギルベルト一騎というのが最も危ぶまれるところだろう。
しかし――
「〝痛みは後悔と共に〟」
ストロベリータイガーの口腔から撒き散らされる、紫煙のような濃密な呼気。蒸気のはかなさではなく、煙霧の密度でそれが留まると、ギルベルト=クヴァシルを中心に五騎の敵がいる範囲を、絡めるように包み込んだ。
危険は察知しただろうが、異能への理解は人間ほど洗練されていないのが、この人竜もどきを駆る異形達である。
ほんの少し――
鼻腔を微かに湿らすほどのほんの僅かな一息ですら、吸い込めばもうクヴァシルの術中。
グラリ――と傾ぐ音すら聞こえてきそうな揺らめきを見せ、突如として飛竜たちがその場に蹲る。
一瞬早く、ミラキノニクスの己の鼻と口を押さえたグノーム=ローテ・ミュッツェが、これを見てにわかにたじろがざるをえなかった。
――何だと?!
体に溜まったアルコールを鎧獣の中で吸収、変異させ、それを酒毒の霧として放散させるのが、〝狂気の宴〟の異名を持つギルベルト=クヴァシルの獣能。
金毛の人虎が足元の覚束なくなった飛竜へ瞬時に詰め寄り、それに向けて一閃。
凄まじい唸りをあげ、戦杖棍が弧を描いた。
鈍い破砕音をあげ、一騎の飛竜が横殴りに吹き飛ばされる。が、致命傷ではない。やはりこのクヴァシルですら、飛竜の硬皮には歯が立たないのか。
しかし――
「〝死に至る病〟」
クヴァシルが放つ第二の異能であり、このストロベリータイガーのみが持つ〝改造獣能〟。
駆り手であるギルベルトの手によって改良を加えられた、二つ目の力。
人虎の掌から滴る液体が戦杖棍を伝い、それが飛竜たちに降りかかる。
飛沫を受けたのは二騎。
それらは苦悶の呻きをあげながら、まるで自身の質量に耐えられなくなる恰好で、内部から押し潰されるように巨大な肉塊へと変わり果てていった。
「レナーテちゃん!」
ギルベルト=クヴァシルが叫ぶ。
それを受けてレレケ=レンアームが、舞いの動きを展開。
――〝静寂の解毒〟
見えざる術式がクヴァシルに到達すると、人虎の掌から零れていた紫の液体が、火に当てられた水のように霧散していく。その手を何度も握り、己の状態を確かめるギルベルト。
「さっすがホーラー卿の一番弟子だね。クヴァシルの〝毒〟を一瞬で解いてくれて、恩に着るよ」
「いえ、どういたしまして、ですわ」
クヴァシルの第二獣能――いや、〝改造獣能〟は、発動したしばらく後で自身も動けなくなる両刃の剣のようなものだった。非常に強力ではあるが、自身への反動が大きく、戦場では己の身を危うくするようなものでさえある。
そのため、これを出す時は必ず後を任せられる者が必須となるのだが、それをレレケ=レンアームの獣理術で、自身にかかる毒だけを消失させ、継戦を可能にしたのである。
戦闘開始後たった数分で、四騎あった角獅虎が、もう二騎。
いくらレレケの術による身体強化と解毒があったとはいえ、条件が整えばここまで強力な騎士だとは――。
イーリオの不安は、既に杞憂以外の何物でもなかった。
クヴァシルが戦杖棍を翻すと、風切り音が唸りをあげる。それと共に、腰を低く落とした。
「今日はのんびりしてられないんでね。御免だけど君らにはもう退場してもらうよ」
侮りではない、確固たる自信以上を背景にしたギルベルトの宣言。彼我の実力差を認めたくないグノームは、もどかしさと歯痒さと、それ以上の怒りで全身を戦慄かせていた。
一番懸念していたギルベルトの側がむしろそうでもない一方で、もう二つの局面はといえば――。
まだ夕刻の手前だというのに、星々のきらめきが幾重にも乱反射しているかのように輝いている。
いや、それは空を飾る宝飾の光ではない。
大気すらも斬り裂く鋭さの、目にも止まらぬ剣戟の瞬き。
もはや音すら後に残す、数十合か数百合か数え切れぬほどの刃の応酬だった。
ユンテ=雷震子と、呂羽=夜叉。
双刀と青龍偃月刀が、星屑のような火花を散らしているのだ。
お互いが人虎の戦士。
ユンテの纏う雷震子は古代虎である龍担原始虎。
呂羽の纏う夜叉も古代虎で万県虎という。
どちらかといえば、夜叉の方が縞模様の形も体躯も現存の虎に近く、雷震子は細身で、模様も虎と豹の中間のような形状をしていた。
だが双方共に、人間の目では手数が視認出来ぬほどの凄まじさ。特にユンテの殺気が、尋常ではなかった。まるで敵側のグノームのように、激しい敵意を剥き出しにしている。
が、一方で〝第五使徒〟呂羽は、竜巻のようなユンテ=雷震子の攻撃を余裕の構えで受け流し、むしろ嘲りの笑いさえ浮かべていた。
「何が可笑しい!」
「そこまで必死な貴様が滑稽でな。般華からここまで、この俺を追って大陸の端にまで来るとは――。にも関わらず、貴様は目的を果たす事なくここで殺されるのだから、憐れすぎてもはや滑稽すぎる。可笑しくもなろうさ」
「ほざけっ!」
ユンテと呂羽の因縁は深い。
呂羽の言う通りユンテはこの男を追いかけて、遥か果てのここニフィルヘムの大地にまで来たのだ。銀月団にいるのも、呂羽を倒す実力を身につけるため、そして自身を鍛えるためにここに席を置いていたのだ。
その因縁の相手が、期せずして目の前にいる。
ユンテは、自分が敗れるなど微塵も考えていなかったが、それは己に自信がついたからではなく、宿願の相手を目の前にして感情が昂っていたからに他ならない。
「〝金蛟剪〟!」
雷震子が獣能を出した。龍担原始虎の四肢を含む体の体毛の一部が、逆立っていく。
同時に、攻撃が更に激しさを増した。二刀というのもあるが、手数の多さがニフィルヘム大陸の獣騎術とは桁違いだった。
まるで曲芸のような体幹なのに、一撃一撃の重さが見ているこちらにも伝わってくる。
それどころか――
「むっ」
呂羽が唸りをあげた。
己の人虎の体から、気付かぬ内に鮮血が飛んでいたからだ。
傷は浅い――が、止めようがないほどに増えていく。
「全身の体毛を刃にする、か。そうか、思い出した。〝天騒翼〟・雷震子の獣能は、確かそうだったな」
だが、表皮にいくつもの傷を帯びながら、万県虎の不敵さは変わらない。
「哈ァッ!」
突如、空気が割れるような気合いが、呂羽=夜叉から放たれる。
まさにそれは見えざる圧力となって、ユンテ=雷震子の攻撃を止めてしまった。
「んぐっ――!」
ユンテの息までもが、思わず詰まる。鎧獣騎士であるにも関わらず、己の肺が押し潰されたような圧迫感。
ユンテは気付いた。
今のは般華の騎士に伝わる武術の中でも秘奥義中の秘奥義〝獣勁〟であると。
存在は知っていたし、ユンテ自身もそれの修練を行っている。だが、それを現実にこの目で――しかも実戦の場で見るのは初めてだった。
「微温すぎる」
夜叉が、刀の持たぬ左腕を突き出した。
何もないし何も見えないにも関わらず、見えざる圧力によって後方に吹き飛ばされる雷震子。
かろうじて体勢を崩す事は免れたが、それでやっとだった。だが頭の中で警報が、銅鑼のように鳴り響いている。完全な隙を作ってしまったと。
追撃を躱そうと、なんとか上体を立て直そうとするユンテ。その視界に、迫り来る古代虎の姿が映った。咄嗟に叫ぶ。
「〝打神鞭〟」
雷震子、二つ目の異能。
人虎の長い尾が自身の背丈よりも伸び、それが一瞬で九つに分離した。
長大な九本の尾を持つ異国の人虎戦士。それが唸りをあげて、夜叉を迎撃しようとする。
が、呂羽はそれを見てほくそ笑むのみ。
「〝天騒翼〟の第二獣能か。二つ目は初めて見る。――しかしだ」
呂羽=夜叉が疾走の軌道を変え、頭上高く跳躍した。
しかし九本の尾は、それを追尾している。
――無駄だ。例え貴様でも〝打神鞭〟からは逃れられない!
ユンテが心中で呟く。しかしそれすら、呂羽はまるで気にも止めてなかった。
空中に上がったのは回避のためではない。
「〝动物派对〟」
呂羽=夜叉の片腕が、長い蔦のような四本の触手になって広がった。
その中から、数え切れぬ数の動物の部位が出現。牛や鹿や山羊などのツノたち。それらがユンテ=雷震子を襲った。
猛獣の爪を持った前足や顎だけの牙。腕、足、毒――。さながら異形が織りなす狂気の祝祭のように、触手から次々に渾沌が溢れ出る。
――!
九本の尾と二本の刀で、雷震子はそれらを何とか防ごうとする。しかし夜叉の放つ異能は、一つ一つの威力までもが尋常ではなかった。
体毛は刃、尾は九本の武器。そんな全方位に対して無欠とも呼べる姿になった雷震子でさえ、瞬く間に渾沌の渦の中へ呑み込まれていく。
呑み込まれきられたら、もう――。
最期になってしまう、という確信がユンテにはあった。
持てる限りの死力を振り絞り、この闇に抗おうとする。
長いのか一瞬なのかさえ分からぬ、激しい攻防の末――。
異能を解除し、足元に視線を落とす人虎がいた。
それは黒の色の側。
呂羽=夜叉である。
足元で全身血塗れになって、息も絶え絶えに這いつくばっているのは、ユンテ=雷震子。
「まだ生きているとはな。さすが地の果てまでも俺を追いかけて来ただけはある。しぶとい」
同時に、別の離れた位置でも、倒れる騎士達がいた。
ゾラとカシュバルである。
恐れていた事態が、目の前で現実になる――。
これにいち早く気付いたレレケが、己の腰にそっと手を当てた。
レンアームの腰に装着してある、水晶のような宝玉。
――ホーラー先生……。
己の師の名前を心の中で呟きながら、彼女は〝最後〟の決断を、迫られようとしていた。




