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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第四部 第四章「秘事と秘境」
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第四部 第四章 第三話(5)『石板奪取』

2023 夏休み毎日投稿スペシャル2日目!!


 そこは、奇妙な一間だった。

 位置関係からするとアイダン達のいた部屋の下。つまり地下になる。


 神殿というより迷宮めいた灰の神殿と呼ばれるここには広大な地下の空間があり、その一室に〝女神の石板〟の置かれた部屋があった。


 中は、ここが地下かと思えるほどに大きく作られていた。

 明かりはなく真っ暗に近いが、色とりどりの光が明滅している。どことなく錬獣術師(アルゴールン)の研究室にも似ているが、地を這ういくつもの太い管や、無数に見える光る四角い窓、それに凹凸のある卓上など、明らかに様式が違った。

 由来も何も分からない、何とも知れぬ異様な装飾があちこちにうかがえる。


 部屋で言えばその中央。白い光の中に包まれるように、例の石板は並んだ卓上の上に、斜めに置かれていた。


 枠のような、味気ない額縁にも似た凹みの中に、女神の石板はあった。

 石板の鏡面が、光を放っている。その光の中では、意味のわからぬ文字列が流れるように動いていた。


 ゼロは少しだけ躊躇いを見せるものの、意を決して石板を手に取る。手にした事でもしも警報のようなものが鳴るのなら、自ら危地を呼び込むようなものだからだ。


 だが、奪ったところで変化はなかった。


 僅かに部屋の明滅が少し違ったように見えただけで、異変は何も起きなかった。石板はといえば、鏡面に映っていた光と文字が消えている。


 この変化が何を指すのかは、ゼロ達に分かるはずもない。


 ゼロとヴィクトリアが目を合わせて頷きあう。後はここからアリョーナとアイダンを連れて逃げ出すだけ。


 その時だった――。


 気配。敏感に反応する二騎。


「困るねえ、そんな事をされちゃあ。実に困ってしまうよ。今は大事な計測の最中なんだ。そのタブレットを元の場所に戻してくれないかね、子猫の御二方」


 部屋の入り口。いつの間にいたのか。

 黒く波打つ長髪に、薄笑いを貼り付けた顔。黒母教の中でも高位の者にのみ許された法衣を羽織る男は――



「スヴェイン・ブク……!」



 黒母教枢機卿にして灰堂術士団(ヘクサー)たちの首領。そして、魔導士エポスの一人。


「初対面の相手を呼び捨てにするなど、実に密偵らしい言葉遣いだ。いいねえ、密偵っぽくていいよ、君達。さっきから起きてる灰堂術士団(ヘクサー)たちの異変も、君達の仕業だろう? 素晴らしい。私が命じて作らせた〝百眼の目(アルゴス・アイズ)〟を機能不全にしてしまうなんて、まるで我が父ホーラー・ブクのようじゃないか」


 人を食ったような、大仰で芝居がかった言動。本心が何処にあるのかなど分からない。暗黒のトリックスター。


 そこへけたたましい羽音をたてて、背の低い人間ほどはありそうな巨大な飛翔生物が舞い降りる。部屋に露出している管のようなものにぶら下がり、頭を逆さにした恰好で、スヴェインの背後にとまった。


 大型に改良されたフィリピンオオコウモリの理鎧獣(ディガルー)


 そして入り口を塞ぐように、もう一つ巨大な影までもが、のそりとあらわれる。

 通常のものに比べるとかなり細身の灰色の肢体。長く尖った耳に間延びしたトラのような顔立ち。それにサイのような硬質の皮膚。


 スヴェイン専用の角獅虎(サルクス)だ。



「さてさて、諦めろと言って諦めるようじゃあ、密偵とは言えないよねぇ。命懸けでそいつを盗みにきたってわけだろうし、となるとこちらもそれに応えなきゃならない。嘆かわしいが私にも立場があるのでね。――おお、人とはいかなる時であれ、何と粗暴である事か!」

「盗みに来たんじゃなくって返してもらいに来たんだ。泥棒はそっちだろうが」


 ゼロの言葉に、いささか驚きの表情を浮かべるスヴェイン。


「……そうか。忘れていたよ。君はあの時、我が王に灼かれかけていた怪盗騎士くんだね。君のような羽虫の存在など、忘れてしまっていた。これはいけない。私とした事が実に失礼申し上げた」

「うっせえ」

「いやいや、本当に失礼した。まさか君のような下賤の者が、わざわざ自分の盗品を奪い返しに来るとは思いもしなかったよ。怪盗の誇りというやつかい? いや、見上げた暴挙だ」


 胡散臭い言動だが、動きに隙がなかった。

 まるで一流の騎士(スプリンガー)のそれを思わせる。

 ヴィクトリアも同様に感じているのだろう。速度に任せて動きだせば何とかなるかもしれなかったが、危険の方が大きい。


 ゼロが、目線で合図する。声には出さず、幻霊狩猟豹(ファントム・チーター)が目で頷いた。

 一瞬の機を見極めるのだと。

 それは、あの瞬間しかない。


「その勇気に敬意を払って、一瞬で楽にしてあげよう――」


 ゼロが反応する。


白化(アルベド)――複合獣化(キマイリー)


 白煙が暗闇の中に渦を巻いた。

 同時に駆け出すゼロ=オルクスとヴィクトリア=キュクレイン。


 相手が鎧化(ガルアン)をする、ほんの一瞬を狙っての撹乱と逃走。


 二騎が交差しながら、駆け抜けていった。

 動きが見えない。何かをした(・・・・・)――一瞬の出来事。


 しかし、視界を塞ぐ白煙の中から、巨大な腕が伸びる。

 こちらの動きを読んでの反応。しかし二人にとって、それは折り込み済み。


 幻霊狩猟豹(ファントム・チーター)のキュクレインが、優雅にも見える特有の武装、鉄扇を翻す。一瞬で斬り裂かれる灰色の腕。

 だがそれは、表皮を削るにとどまっていた。分厚い装甲は、ほとんどの刃を通さない。

 逃げ出せない――かに思えたが。


 そこへ躍り出る、ゼロ=オルクス。


 その手に、楕円に近いほど湾曲した、三日月型の剣が握られていた。


 ゼロの脳裏に浮かぶ、怨嗟の声。

 呪いと悲痛な叫び。


 無関係な人間を殺して、その罪から逃げ出した自分。だが、もうそんな呪いに屈している時ではない――!


 三日月が、不規則で高速の閃きを見せる。


 跳躍からの宙空にいながら、まるで浮いたかのように目にも止まらぬ旋回をする赤茶の黒豹騎士。剣閃がキュクレインのそれと同等の――いや、それ以上の高速で刻んでいく。


 吹き飛ぶ、血と、肉。


 ヴィクトリアの技は前腕を斬りつけたが、ゼロの剣はそれとは違った。


 一箇所。針の穴に糸を通すような精密さで、キュクレインのつけた傷の内、最も深そうな人差し指の傷に向けていくつも斬りつけたのだった。


 ――!


 それにより、人獣と化したばかりのスヴェインが、出現と同時に指を一本、なくしてしまう。

 その僅かな緩みを、ヴィクトリア達が見逃すはずがない。

 地上最速生物の速さを発揮する幻霊狩猟豹(ファントム・チーター)のキュクレイン。それに続く黒豹。


 けれども、そんなに容易くは逃れられない。未だ残る白煙を蹴散らすように、巨大な刃が唸りをあげて真横に薙ぎ払われる。


 そう、鎧化(ガルアン)自体は数秒で終わる行為なのだ。つまりこの攻防は、寸瞬の間に起きているという事。


 敵の剣は速い。超常の剣速が、二人を捉えようとした。


 そこへ――


「こっちだぜ」


 スヴェインの真横。

 まるで張り付いたような位置から、ゼロの声と気配がした。

 咄嗟に身を捩る巨体。しかしそこには、何もない。ただの虚空だけ。


「何処見てんだよ」


 今度は背後。唸りをあげて剣を振るうも、やはり誰もいなかった。

 と、巨体に衝撃が走る。右斜め後ろから受けた、鋭く強烈な剣と爪の連撃。巨体がたたらを踏む。


 振り返ると、ゼロ=オルクスが行手を阻む恰好で、入り口の前に着地していた。


「ゼロ!」


 可能な限り音を潜めた、ヴィクトリアの叫び。

 ゼロはそれを背中に受け、振り向きもせずに言い放つ。


「先に行ってくれ」

「しかし――」

「優先順位を間違えるなって言ったのはあんただろ? どっちを選ぶか。俺の命との天秤なら、答えなくても一つに決まってら」


 部屋の中。暗闇にいる巨大な影が、蠢いた。


「それに、忘れたかよ。――俺は誰だ?」

「――?」



「俺は怪盗騎士ゼロ。でもそれは、仮りそめの名。かつては――そして本当はこう呼ばれた。アクティウム最強の〝三色騎士(トレ・コローレ)〟が一人。〝赤の一番(テスタロッソ)〟のアントニオ・カネーリ」



 いつ以来だろう。捨てたはずの己の名前を口にしたのは。

 偽名のカルロでも師の名であるダンテを騙ったものでもない。二度と口にはしないと心に決めたはずの、過去の己。

 けれどもそれこそが、隠し通してきた真実の自分。



「今の俺は怪盗騎士じゃあねえ。ここにいるのはオルクスを駆る、鎧獣騎士(ガルーリッター)のアントニオ。〝赤の一番(テスタロッソ)〟のアントニオとオルクスだ」



「……!」


 黒豹騎士の背中が語る。その背に負うのは、騎士の誇りだと。

 そしてあるもの(・・・・)がヴィクトリアの目に入った時、彼の覚悟と〝真実〟に気付いた。


「……必ず。必ず貴方も後から来てください。でなければ許しません」

「俺は女との約束は破るタチなんだ。でも、あんたみたいな美女の頼みなら、話は別だぜ。――そうだな、無事に戻ったら、一晩デートでもしてくれるかい?」

「ええ。喜んで」


 クロヒョウの口の端が、不敵な笑みの形になる。


 複雑な思いを抱きながら、部屋の外に出ていたヴィクトリア=キュクレインが駆け出した。

 地上最速生物の速度で。


 その手に、ゼロとの〝約束〟の証を隠し持って。

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