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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第四部 第四章「秘事と秘境」
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第四部 第四章 第三話(4)『灰神殿』

2023 夏休み毎日投稿スペシャル1日目!!



奥殿の更に奥は、本当に迷路のような構造になっていた。しかもやたらと広い。

 ヴィクトリアの調べによれば、ここは灰の神殿と呼ばれる場所らしい。


「確かに殺風景で見栄えのしねえ所だ」


 奥殿やその前の大聖堂と違い、装飾らしいものはごく僅か。質素を旨としたというより、造りの古さからいってもかなり原初的な神殿なのだろう。ところどころに見られる黒天使(ダイモーン)らしき像も、表の広場にあったようなものではなく、ひどく作りが粗かった。それだけでなく頭部がカラスになっているのだ。これがどういう意味をしているのかは、まるで分からない。


 時折、何やらぶつくさと呪文のような文句を呟きなら歩く、禿頭の人間達を見かけた。しかし髪の毛がないせいか、どうにも男か女か分からない。


「あれはおそらく、神官ガッライと呼ばれる者たちです」

神官ガッライ? 司祭どもとどう違うんだ?」

「元はナーデ派ではなく黒母教正教にて、神女ヘスティアに仕えていた者たちでした。今はナーデ派が正教を吸収した事で、あの神官ガッライたちもこの神殿にいるのでしょう。あの者らは皆、性器を切り落とした男性なのです」


 思わずゼロが聞き返す。


「性器……って、マジかよ……」

「神女に仕えるわけですからね。不貞は許されませんし、ある種、望んでそうなった奴隷と言えるかもしれません。――それよりも、あの神官ガッライたちがいるとなれば、おそらく目的の場所も近いのだと思います」

「何でそんな事まで分かるんだ?」

「攫われた少女達を、一度だけ見かけたという情報があったのです。ただし死体となってですが」


 ゼロが息を呑んだ。


「その際、その少女の死体は、この神官ガッライ達が着ているのととても似た――けれども華美なドレスに身を包んでいました」

「死んだその娘は……?」

「焼かれて灰となりました。黒母教のしきたりに則って」


 思わず歯軋りをたてそうになるゼロ。

 もしもアリョーナがそんな事になっていたら――。

 手遅れだったでは済まない。今後自分は、もう怪盗の看板を掲げるなど出来なくなるだろう。


「あくまで断片的な情報です。けれども今はそれを、頼りにするしかありません」

「――ああ」


 焦燥感を必死で抑えながら、ゼロは走る。

 そもそも人を救い出すなど、泥棒のやる事とは言い難い。泥棒とは社会悪なのだ。

 人が攫われました――それが何か? そう言えばいい。

 知り合いだから助けようというのか?

 知り合いではある。けれどもごく僅かの間、一緒に旅をしただけだ。そのほか大勢の中の一人でしかない。親しさなどとはまるで遠い少女。


 だったらゼロは何故こうまで必死で、救出しようとするのか?


 ――母さんを返せ!


 耳を打つ、アリョーナではない少女の声。そんな声は聞こえない。聞こえるはずはない。けれども聞こえている。


 過去の記憶。ゼロの心に刻まれた罪の烙印。

 それは過ちで奪った命。自分が刈り取った、誰かにとっての〝宝物〟。


 そうだ、これは償いだ。取り戻せるはずのない時を、自分は取り戻そうとしているのか。

 アリョーナを救い出す事と、遠い過去に奪った命とは、何の関係もない。

 ないはずだと、分かっているのに――。


 やがて目星となる区画へと入る。

 明かりがあった。仕切られて部屋となっている空間。

 中から音がしていた。濡れた音。不快さを喚起させる音。


 ゼロは一瞬だけ戸惑うが、それが何なのか、徐々にだが理解してくる。何よりも、音より鮮明に、嗅覚が訴えていたからだ。



 覗き込んだ先で目にしたのは――おぞましい光景。



 それは二体の竜人(ドラグーン)だった。



 気味の悪い、人とはかけ離れた異形の怪物。角獅虎(サルクス)の駆り手たち。

 その二体が身を這いつくばり、伏せるように顔を床に向けて蠢いている。

 一際高い音を立てた後、一体の竜人(ドラグーン)が勢いよく顔を上げた。生臭い匂いと共に、真っ赤に濡れた顔の前面から血の玉が飛び散る。

 鮮血に塗れた異形。


 彼らの中央には、もう魂などとうに消えたであろう、少女が揺られていた。


 造作の整った少女。しかし不規則に揺られながらも生気はない。涙は乾いて血と混じり、血の海で揺蕩っている。


 ――!


 ゼロもヴィクトリアも、思わず息を呑んだ。



 少女は食われていたのだ。

 二体の竜人(ドラグーン)によって。




 しかも一体はよりによって、少女を犯しながら(・・・・・・・・)食べている。




 凄惨などという言葉では言い表せない。地獄の底ですらこれよりはマシだと言えそうな光景だった。

 あまりの異様さにゼロの足も思わず竦むが、同時に怒りもこみあげてくる。

 こんな――こんな事――!

 だがヴィクトリアの声で我に返った。


「あれはアリョーナさんではありませんよね? よろしいですか?」


 ゼロは真っ白になった思考をかき集め、背けたくなる目の前を、改めて注視した。


「――違う」

「そうですか」


 ヴィクトリアが安堵の息を漏らす。密偵らしからぬ感情の揺れだった。

 けれども例えどれほどの訓練を受けた人間でも、これのおぞましさを前に感情を見せない事は不可能であっただろう。


 そこへ、足音がした。


 ゼロ達が隠れる天井の梁とは違う位置。その入り口に人影が見えた。


 ゼロがヴィクトリアを見る。けれども彼女も幻霊狩猟豹(ファントム・チーター)の首を左右に振った。彼らの角度からだと、顔が陰になって見えなかったからだ。


「どこまでいっても出来損ないは出来損ないだな。生物としての原始的な衝動だけが醜く残っているとは、憐れなものだ」


 声からは男性のもののように聞こえたが、女の声にも聞こえる。いや、年齢さえも掴み難い。老人のようでもあり若者のようにも聞こえる声。


「あれは……まさか……」

「何だよ」



「……あれはおそらく……黒騎士!」



 ヴィクトリアの推理に、ゼロが身を凍り付かせるのが分かった。


 ゼロ達の位置から見えるのは、ゆったりとした黒衣の下半身だけ。しかしそれでも、ただならぬ存在感は充分に放たれている。

 ヴィクトリアの発言を否定する事は――出来なかった。


 けれどもその声に反応したのは、ゼロ達だけではなかった。


 竜人(ドラグーン)が影の方向に顔を向け、威嚇の唸り声をあげる。知性など欠片もない。爬虫類そのものと言えそうな、獰猛な獣の呻き。


「黙れ。俺はそんなものは食わん」


 影が一歩、前に出る。

 上半身が露わになった。黒衣。あの衣服。間違いない黒騎士のもの。そして――。



 あるはずの仮面が、なかった。



 誰も見たことのない、黒騎士ヘルの素顔。その顔に、二人は驚愕で声も出ない。



 のっぺりとはしているが、明らかにそれは竜人(ドラグーン)と同種のもの。

 口吻の出ていないトカゲと言おうか、目の大きな爬虫類のもの。

 肌というより表皮のそれは黒く、明かりを反射する質感は、鱗特有の光沢を持っている。



 どういう事か。まさか黒騎士が、竜人(ドラグーン)だったなんて――。



 考えもしていなかった事実に、二人は呆然となる。

 素顔を見せている黒騎士は、そのまま死体を貪る竜人(ドラグーン)らに近寄り、剣を突きつけた。殺意はないものの、意味する事は分かるのだろう。竜人(ドラグーン)たちは死体から跳び退き、部屋の隅に固まる。


 この瞬間、我を忘れていたゼロに向かって、ヴィクトリアがいち早く正気を戻して言い放つ。


「今の内です。ここから離れましょう」

「え――」

「ここに目的の彼女はいません。けれどもあの少女の死体を見るに、いるとすればこの近くでしょう。見たものについて考えるのは後です。今は一刻を争います」


 彼女の言葉に、忘れていた我を戻すゼロ。

 二人は音も気配もなく、その場から離れていった。


 ――やがてその後。


 ゼロ達のいた辺りを、竜人(ドラグーン)の目で黒騎士ヘルが見上げる。

 そして竜の口端を、僅かに歪めた。

 それはまるで、怪物の微笑みのようであった。




 時間は刻一刻と迫っている。

 だが目的の場所に近付いているという手応えだけはあった。直感というしかないが、泥棒家業で培った確かな勘でもある。


 竜人(ドラグーン)たちのいた所とは東西で言えば真逆になる位置。けれども構造的には大回りした反対側まで辿り着いた二人。

 つまり造りとしては同じような部屋。

 明かりが漏れるそこに――


「……いた!」


 部屋は殺風景で、寝台があるだけ。他は何もない。

 けれども牢獄とは違い、塵一つなく整えられている。その寝台の上に二人の少女が並んで座っていた。その一人が、イーリオに雇われたシャルロッタの世話係。



 アリョーナだった。



 思わずヴィクトリアが、ゼロの方を見る。ゼロも頷く。そこでゼロは気付いた。ヴィクトリアの雰囲気も、僅かに変わった事に。


 ――何だ? その感じ、どういう意味だ?


 ヴィクトリアの見つめる先。それはアリョーナではない。

 そこでゼロの記憶が刺激される。


 もう一人の少女。何だ? どこかで見た事があるような……?


 アリョーナはまるで気遣うようにというか、従者が主人に仕えるような甲斐甲斐しい素振りで、もう一人の少女の髪をといている。もう一人の少女も、そうされる事が当然というか、慣れているような態度であった。


 褐色の肌に黒い髪。おそらくユムン人だろう。

 ナツメのように丸く大きな瞳と、整った造作の目鼻立ちには、他と違う高貴さを感じさせる。


 いつかどこかで見た顔――。何だ? いつだったか?


 しかしそこに気をかけている場合ではない。気になりはすれどその思念を振り払い、ヴィクトリアに合図した。彼女もその意図を汲み取る。


 音もなく――

 不意に降り立つ巨大な影。


 一つは白い鎧。もう一つは暗い赤の鎧。


 思わず少女二人が悲鳴を上げそうになった瞬間、素早くゼロ=オルクスとヴィクトリア=キュクレインが、それぞれの少女の口をその手で優しく塞いだ。


「声を出さないで下さい。静かに」

「驚かせてすまねえ。俺だ、ゼロだ。イーリオの知り合いの、ほら、あの雨の日に会った」


 ゼロの声に、アリョーナの瞳が徐々に大きく見開かれていく。やがて今度は、別の意味での悲鳴を、オルクスの手の中でもごもごとあげていた。


「分かった。分かったから。声を出されちゃマズいんだ。分かるよな? 静かに。静かにするんだぞ」


 やがてゆっくりとした動きで、ゼロとヴィクトリアが少女達から手を離す。


「ゼロさん!」


 離した瞬間、アリョーナが声をあげて黒豹騎士に抱きついた。


「いや、だから声を出すなって――って、おい」

「私……私……!」

「分かった。分かったから、落ち着け。ヘクサニアの連中に気付かれちゃあマズいんだよ、マジで」


 顔をくしゃくしゃにして、アリョーナが泣いている。

 おそらくこれでも堪えているつもりなのだろう。気を緩めれば大声で泣いてしまうにちがいないのを嗚咽だけで抑えようとしていた。


 それに気付いたゼロが、半ば諦めをもってアリョーナの体を抱きしめてやる。硬い鎧とクロヒョウの体毛に包まれて、アリョーナは張り裂けそうな心を必死で押し殺しているようだった。


 一方のヴィクトリアだったが、そちらに目を向けたゼロが、驚きを隠せないでいる。


 もう一人の少女の前で、ヴィクトリア=キュクレインが跪いていたからだ。


「メルヴィグの手の者じゃな」

「は。覇獣騎士団(ジークビースツ)陸号獣隊(ビースツゼクス)主席官(エアスター)のヴィクトリアと申します」

「ご苦労でした。助けに来てくれて、心から礼を申します。本当に……本当にありがとう。……して、これは兄様の手配なのか?」

「は。セリム陛下から我が王に願いがあり、私が遣わされた次第です」


 少女が頷く。

 セリム陛下――? 兄様?


 その言葉で、ゼロは思い出す。


「誰かと思ってたら、あんたはアンカラの姫様……! 確かアイダン姫……」


 二人がゼロの方を見て頷いた。



「左様です。こちらにおわしますのはアンカラ帝国皇帝セリム陛下の妹君、アイダン・アンカラ様です」



 ヴィクトリアの返事に、ゼロの思考が回転する。さっきまでの妙なヴィクトリアの態度。その動き。そうだったかと。


「アンタ、本当の目的はこの皇女様だったんだな……」

「はい」

「待て、だったら何で最初っからそれを言わねえ。同じ救出が目的なら、俺に隠す事はねえだろう」

「ここは敵の中枢です。救い出す対象が一人増えるだけで危険性がどれだけ高まるか、言わずもがなでしょう。それに万一の時、もし事前にアイダン殿下の事を話していれば、貴方はアイダン殿下とそちらのアリョーナさん、どちらを優先されますか?」


 思わずゼロが、クロヒョウの顔で返答に詰まった。意地悪な問いだったが、現実でもある。


「勿論、敵の事を探るのも嘘ではありません。しかし我らメルヴィグ王国の最優先は、アイダン殿下を助け出す事。貴方がアリョーナさんを第一に考えているように」

「……ったくよぉ」

「さ、感動に浸る時間はありませんよ。今は一刻も早くここから逃げ出さなければ」


 冷静な声で告げるヴィクトリアに、ここでアイダンが待ったをかける。


「待て。ならばここからすぐの所にある石板も持ってはいけまいか?」

「石板?」

「うむ。奴らの一人、スヴェイン枢機卿なる男が、それを操作して何やら物々しい実験のような事をしておってな。聞いてもいないのに色々喋りよって、その石板が重要な道具なんだと言っておった」


 石板という言葉に、ゼロとヴィクトリアが思わず反応する。

 鎧獣騎士(ガルーリッター)の顔で、二騎が互いを見た。言葉にせずともそれだけで全てを察したのだ。そうか――と。


 ゼロがアイダンへ問いかけた。


「待ってくれ。その石板って、もしかしたら硝子ガラスみたいなっつうか、大理石みたいなツルったした見た目のものじゃねえか?」

「お、さすがは我が国を救った英雄の一人じゃな。よう知っておる」


 アンカラ帝国の英雄というのは、かつてアンカラの帝都でイーリオ達と共にゼロが戦ったからである。表立っては知られていないが、ゼロの活躍があった事も、ごく一部の人間には知られていた。何せセリム皇帝の母親を助け出したのが、他ならぬゼロなのだから。


「それって〝女神の石板〟なんて呼ばれてなかったか?」

「おお、そういえばそんな風にも言っておったな。確かスヴェインとやらは、タブ……レット……であったか? そんな風にも呼んでおったが」

「これに似た見た目か?」


 ゼロ=オルクスが腰に吊るした硬質性の板を取り出した。


「おお、確かにこれじゃ。そっくりではないか。もしかして、お主のそれも――」

「いや、こいつはただの大理石の板だ。姫さんの言ってたそれは、俺がゴートの遺跡から掘り出したもんだ。十三使徒のサリって女が俺から盗んでいきやがった。それに違いねえ」


 ゼロの言葉に、ヴィクトリアが問いかける。


「それはヘクサニア――いえ、エポス達にとって重要なものなのでしょうか?」

「分からねえ。でも、回りくどい、手のこんだ事までしてわざわざ掘り起こす位だから、何か手がかりになる可能性は大いにあると思うぜ」


 ほんの数秒間、ヴィクトリアは黙って考えを巡らせた。

 残り時間、敵とこちらの動き。

 普通に考えれば、危険を増すような行いは避けるべきだろう。しかしゼロから盗んだというものと、その経緯。アイダンの見たもの。

 それはスヴェイン枢機卿こと、あのエポスの一人が使用していたのだ――。


「分かりました。アイダン殿下、場所を教えて下さい。私とゼロがその石板を取りに行きます。お二人はもうしばらくここで待っていて下さいませ」


 二人まで同行しては動きが鈍くなるし、肝心の二人を危険に晒しかねない。

 アリョーナは不安げに顔を歪めたが、細かく説明せずとも分かる話だ。


 ゼロ達二騎はアイダンの説明を聞き、その通りに神殿内を辿り、別の部屋へと入っていく。

 神殿の奥の奥、闇の向こうの更なる昏き底へと――。

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