第四部 第四章 第三話(2)『黒聖院』
ヘクサニア教国首都のゼムンには、街に隣接する形で建つ巨大寺院があった。
ゼムンを北西の方角に向かって郊外の更に外に出ると、〝女王の丘〟と呼ばれる丘陵がある。その丘の上にゼムンを見下ろす形で聳えているのがその巨大寺院、ヒランダル黒聖院だった。
そこは黒母教における聖地であり、中枢とも呼ばれる場所。
そしてゼムンにある主城ガムジグラードよりも、ある意味においてヘクサニアにとって最も重要な場所でもある。
この黒聖院の歴史は古い。寺院と言っても正確には建築群と呼ぶべきで、大小の建物がいくつも連なっていた。これは元々がそうだったのではなく、近年になって神女ヘスティアがここを本貫地と定めて移ってより、増築と改築を重ねて広げていき、今の形になったのである。
その結果、今や規模においては、大陸で最も栄えるエール教の聖地と比肩するほどの壮大さを有していた。
この黒聖院寺院群の中央には、大きな広場がある。
更にその中央には高さが一六フィート(約五メートル)はあろうかという巨大な像があった。
勿論、黒母教の唯一神である黒の女神オプスをあらわしたものなのだが、この像は女神単体ではなく、彼女を下から支えるように幾体もの黒い翼を持った禿頭の子供らが土台となっていた。
これはオプス女神の使役する黒天使と呼ばれる存在で、このヒランダルに複数の寺院があるのも、これらの天使を個別に祀っていたからだ。
天使を祀るというのも妙な話だと思うだろう。ならばそれは多神教とどう違うのかと問われそうだが、黒天使を祀っているのはあくまでこのヒランダルだけである。黒母教において女神以外の他の存在を信仰の対象にする事は、絶対にない。
更に聖ナーデをはじめとした、黒母教における聖人の像も広場を囲むように建てられていた。
しかし、一般信徒が入れるのはここまで。
信徒は皆、広場の女神像と聖人像を拝み、帰っていくのである。
ゼロとヴィクトリアもいくら姿を偽ろうと、足を踏み入れられのはここで終わりになる。ヒランダルの中枢、即ち大聖堂やその奥にあると言われる奥殿に入るのは、かなり困難だと言わざるを得なかった。当然ながらゼムンの時以上に、監視されている視線は強烈に感じている。
ゼロとヴィクトリアは〝旅の途中で知り合った同郷の人間〟という体裁をとり、ヒランダル大聖院を拝礼していた。だがこれは下見でしかない。この〝視線〟の正体をヴィクトリアから聞かされたゼロは、注意深く気を配りながら広場の規模や、外観からだけでも分かる大聖堂の情報を得るためにここを訪れていたのである。
その後、二人はゼムンの宿に戻って最後の打ち合わせをした。
最終確認が終われば、いよいよヒランダル潜入となる。
「問題は――って言っても問題だらけだが、アンタらの〝術〟が切れた瞬間って事だよな」
打ち合わせはゼロの部屋。そこにはヴィクトリア以外にも男性二人と女性一人がいる。女性の方は最初に会った覇賢術士団の者で、男二人もそうだった。
「でも本当に信じていいんだよな? アンタらの術ってヤツを」
「昨日も話したように、我々も大聖堂の中までは彼ら覇賢術士団の術で入り込めているのです。だからそこまでは確実にご安心を。彼女――黄色賢隊シビル・クラウゼの〝隠身術〟は覇賢術士団の中でも最高峰ですから」
シビルが軽い会釈をする。
彼女がまだ術をかけている恰好なのは、この宿の中を検知されないようにするためであり、それをずっと維持出来ているのが、実は驚嘆すべき事なのであった。
ただ、獣使術の事も理術師の事も、門外漢であるゼロには分からない。
シビルの見た目は些か特徴的で、アイラインを黒く縁どった濃いメイクに、それを飾るかのような長い睫毛がある。束ねた黒髪も暗赤色に塗った唇も、一見するとどこか過剰な〝盛り〟に見えるほど。
「けれども貴方が仰ったように、術が切れる瞬間が最初の難関でしょう。けれどもそこれこそが、奥の神殿への侵入するためのもの。そこをどれだけ上手く立ちまわれるかが勝負です」
「そのためにこの二人もって事か」
「覇賢術士団の隊長二人です。彼らに匹敵する術者は、そうそういません」
ヴィクトリアの言葉に、短い髪の男は「どうも」と薄笑いで答え、小太り気味の男は多汗症なのか額を拭いながら恐縮するばかり。
髪を短く切り揃えた方がエルンスト・ナウマン。
覇賢術士団・蒼色賢隊の隊長であり、レレケの代わりに大術士長の仕事を担っている、いわば団長代理であった。
小太りの男が覇賢術士団・黄色賢隊隊長のボリス・プシュミスル。
臆病そうな見た目から頼りなげにすら見えるが、才能ではレレケを凌ぐとさえ言われる人物である。
覇賢術士団には三つの部隊があり、エルンストとボリスの二人はそれぞれの部隊の隊長であった。ちなみに最後の一つがレレケことレナーテ・フォッケンシュタイナーを隊長とする白色賢隊である。
「肝心のところが他人任せね……」
「協力とお考えください」
ヴィクトリアは続ける。
「この敵の目――それはヘクサニア教国の理術師集団、スヴェイン・ブクを頂点とする〝灰堂術士団〟によるものです。彼らは無数の擬獣をこのゼムンとヒランダルに放ち、それらを通じて不審者がいないか監視体制を作っています」
目に見えるものだけでなく見えないものも含めると、市民一人一人のごく小さな動きまでも全て感知するなど、およそ人間には出来るはずがなかった。
だが小鳥、猫、野良犬などだけでなく虫や鼠といったものにまで灰堂術士団の術は紛れ込んでいるのだという。
ただし、四六時中擬獣を使役するというのはどれだけの術者であっても不可能であるため、おそらく敵は交代制でこれをしているのだろうとヴィクトリアは言った。
だが仮にそうだったとしても、一番の謎なのはどうやって広大な寺院だけでなく首都全域を覆うほど無数の擬獣を使役させているかのという事である。
通常、獣使術であれ鎧獣術士となって使う獣理術であれ、術と術士は紐付けされているため、大群とも言える数の擬獣を同時には使役出来ない。どちらの術も擬獣そのものを操るため、個々で精密な命令が出せなくなるからだ。もしくは目標に襲いかかるなどの単純な命令なら群れでまとめて発動させる事も可能だが、それでも数に限りはある。ましてや広大な都の隅々に至るまで覆うとなれば、それこそ数限りない擬獣を同時に使わねばならない。
一体どうやってそれを為しえているのかが不明なため、今まではどうしてもあと一歩が踏み込めないでいた。
「けれどもそれをボリスさんが解き明かしたのです」
小太りの青年が、汗を拭いながらひたすら平身気味で頷く。
「あ、はい、その、彼ら灰堂術士団は、おそらく術との紐付けを意図的且つ部分的に弱め――あ、それ自体がとんでもなく特殊な技術なんですが――その、そうする事で、同時に使役可能な擬獣の数を何百倍、何千倍にも増やしたのだと思われます。た、ただそれだと監視精度が落ちてしまうため、個々の擬獣が自動で判断出来る知能のようなものを術に施しているのだと思います」
見た目通りというか、見た目の割にというか、若干甲高い声で早口にそれらを捲し立てる。成る程、研究者向けの人物なのだろうとゼロは感じた。
ボリスが言ったのは、後の世に言う人工知能のプログラムのようなものの事である。それを術の中に織り込む事で、灰堂術士団は膨大な数量だけでなく、一定以上の水準の監視を可能にしたのだ。
「だ、だったらシビルや僕の術で敵の目を欺く事は出来るだろうと思ったんですが、大聖堂の奥に入るには、もう一段階上の監視術が為されてあって、それを突破しなきゃ入れないんです。あれはさすがに、シビルの極大獣理術でも無理で……。た、多分、相当な術者が展開しているものだと思います」
「ま、だからこそ、そこで俺の出番ってワケです。任せてください、多分ここにいるのは大陸で最高の理術師三人ッスよ。十人、二十人の素人を忍ばせろなんて言われたら俺達でもそりゃあ無茶でしょうけど、潜入に長けた御二方の姿を晦ませるのなら、話は別です。楽勝、とは言いませんが、やれないって事はまずありません」
ボリスの後に続き、飄然とした口調のエルンストが付け加えた。
彼は他の二人と違い、錬獣術師っぽさは薄い。外見もそうだが見るからに人当たりが良いというか、むしろ軽薄すぎるようにも見えた。
実に三様の三者であり、正直、不安がないわけでもない。しかし大陸でも屈指の密偵であるヴィクトリアが信頼を置くのだ。
それを信じて時間もないゼロは、肩をすくませながらも彼らに後ろを任せようと決意する。
打ち合わせが済んだ一同は、鎧獣の点検と装備のため、預け先であるF.L.A.G.へと密かに赴く。
F.L.A.G.はいわゆる国境の隔たりなく所属出来る獣猟団であるが、こういう時の抜け道にはもってこいの隠れ蓑だと言えた。無論、ヘクサニア側もここに鋭い目を向けているだろうが、シビルの使う術もあって、やりようはいくらでもあるという事だ。
「それは――?」
ゼロが手にした〝板〟のようなものを目にし、ヴィクトリアが尋ねる。
「ま、一応の保険さ。あんたこそ、授器以外に何を持ち込もうってんだ」
「貴方と同じ、保険ですよ」
「それ、爆薬だろ? そのカタチ、前に見た事あるから知ってるけど、随分と物騒な保険だぜ。まあ、そいつを使う時はそれだけギリギリになってるってとこなんだろうけどな」
ゼロの感想に、ヴィクトリアが微笑む。
さて、彼らの潜入手段だが――
時刻は日が完全に落ちてから。
ゼロとヴィクトリアは先に鎧獣騎士となり、そのままヒランダルへ潜入する。
あの監視網はどうするのか――?
闇夜を駆けながら、ある種の奇妙な感覚に捉われているゼロが、思わず周囲を見渡した。
やはり大丈夫だ。通常通りの隠密活動が出来ている。
「大丈夫です。何も異変は感じないでしょう?」
幻霊狩猟豹の鎧獣騎士となったヴィクトリアが、それに気付いて声をかける。
毛先の先端が淡く変色し、斑紋が赤茶になったいわゆる赤毛症のクロヒョウである〝オルクス〟を纏ったゼロが、確かにと頷いた。
「あいつらの術は鎧獣騎士にも――いや、距離があってもここまで可能なのか」
「いえ、あの三人は既に鎧獣術士となってヒランダルの近くに潜伏しています。なのでゼムンとヒランダルの中間地点にいると考えてください」
「そうなのか」
一体いつの間に移動したのかと、ゼロは驚いた。
「これがシビルの術です。彼女が鎧化する〝ゼイルナ〟の隠身の術は、他のそれとは一線を画しますので」
両者はそのままヒランダル黒聖院の中へ、誰にも気付かれる事なく入っていく。
真正面から広場を突っ切るような真似は、勿論しない。広場を囲む寺院群の屋根に登り、その上を走っていったのだ。全くの無音のままで。
闇夜に溶け込み、誰にも見えず誰にも聞こえず、何も感じさせない両騎。
敵地の中枢にも関わらず、気配どころか存在そのものすら消したかのような、幽けき様相のまま遂に大聖堂へと侵入を果たした――。
その動きを感知しているのは、二騎に術を施したシビルのみ。
ヒランダルのある丘から少し離れた場所で、斑点模様がいささか薄い色をした猫科猛獣の人獣が、呟く。
「入ったわ」
古代絶滅種ヨーロッパジャガーの鎧獣術士となっているのは、シビル。
彼女はその場に座り込み、両目を閉じたまま手にした小槍の柄頭を額に当てている。
その傍らにも二騎の猫科猛獣の人獣術士。
それらもシビルの纏うゼイルナと同じ、古代絶滅種だった。
ヨーロッパジャガー〝バルクス〟を駆るのが小太りの隊長ボリス。
その二騎を守るように一人立っているのが、トリニルタイガーと呼ばれる原始虎の〝ゲドリア〟を纏うエルンストだった。
シビルの報せに、おどおどした素振りのボリス=バルクスが応じる。
「じゃ、じゃあ僕も準備するね。だ、大丈夫だよね? シビル?」
「ボリス、貴方、隊長でしょ。もっとしっかりして」
「で、でも、万が一にでも僕が失敗とかしちゃったら――」
「それってあたしの術が失敗するって意味でもあるのよ? 分かってて言ってる?」
「い、いや、シビルの事なんじゃなくって僕だけが足を引っ張るっていうか」
ボリスはシビルの直接の上官に当たるのだが、二人は幼馴染でもあるせいか、どうにも隊長であるボリスの方が副長格であるシビルの尻に敷かれている事が多い。
そんな両者のやりとりに、エルンストは苦笑を浮かべる。けれども呑気に痴話喧嘩を眺めていい時ではない。「はいはいそこまで」と言って、二人を嗜めた。
「シビルの言う通りだぜ、ボリス。お前は才能だけなら俺やレナーテよりもあんだからさ、もっと自信持てって。そんでシビル、お前はお前でボリスは隊長なんだから、敬うっていうか、もうちっと当たりを柔らかくしろ」
「無理。ドン臭いこいつに優しくなんて出来ない」
「いや、優しくじゃなくってやわらげるっつうかさ……。まあいいや。ボリス、極大獣理術にかかってくれ」
人虎の後頭部を掻きながら、エルンスト=ゲドリアがボリスに言った。
極大獣理術とは、個々の鎧獣術士が持つ固有にして最大級の術式の事である。
ちなみに勿論の事だが、この三騎も術の効果でヘクサニアの感知網からは外れている。
ボリス=バルクスが、手にした一対の輪っか状のものを翳し、その場で素早く踊りのような挙措を行う。動きと共に僅かな燐光がバルクスの体を走り、それは頭部へと集まっていった。踊りの最後に輪っかを重ね、そこに向かって大きな息を吐く。
息は半透明のヨーロッパピューマを、何十体も吐き出した。
まるで擬似ピューマの巨大な群れである。そして念じる。
――い、行ってください。僕の〝魔女たち〟。
ピューマ達は闇に向かって駆け出した。
大半は隣接する首都ゼムンの方へ。その内数体だけがヒランダルの方向へと走る。それは矢よりも早く、一瞬の内に散らばっていった。
同時にシビルも、己が纏う〝ゼイルナ〟に更なる術の追加を行った。
――極大獣理術〝神の存在証明〟。
目には見えないジャガーが、誰知る事なく密かに放たれる。
鎧獣術士のみが知覚可能な環重空間という視覚空間を辿り、今散らばっていったピューマの内、ヒランダルの内部へ侵入した四体にだけ追いつくと、その姿を完全に消していった。
術の上に術をかける事すらしてみせるシビル=ゼイルナの〝神の存在証明〟。その効果は、文字通りの完全な隠密。
術は最大一〇体まで施す事が可能であり、紐付けで繋がっている間の被術対象は外界のあらゆる存在から知覚されなくなる。ただ被術者間であれば、シビルの調整で互いに知覚し会話も出来た。先ほどのゼロとヴィクトリアがそれだ。
一方で――
ヘクサニア教国だけでなく、黒母教という宗教組織の中心地であるヒランダル黒聖院には、常時四〇名からなる理術師が術式を発動させていた。ごく僅かな数人だけ理鎧獣を纏い、ほとんどの者は纏わないまま感知網を使役している。
この感知網を選任している灰堂術士団の術者は、合計で二五〇名にもなった。灰堂術士団自体の団員数が三〇〇人以上というから、およそ八割以上の人間がこの監視班に配属されているという事になる。
この二五〇名が一日六交代制で首都と黒聖院を見張っているのだが、これらを統括しているのがザジ・ザーディとネガル・ネシャッドという女性司祭だった。
二人は共にヘクサニアの諜報機関である〝灰巫衆〟の出身であり、経験、実力ともに申し分ないため、最重要地の防衛を任されていたのだ。
この二人の統括任務も交代制なのだが、二人が揃っていない時もあれば、二人共に統括に当たる日もある。そしてゼロ達にとって厄介だったのは、今日に限って二人が監視任務に当たっていた事だった。
ザジの年齢は二九歳。
黒髪に白い肌をしたガリアン人で、くっきりとした眉に水色の瞳をしており、鼻筋は高く、厚めの唇に豊かな肢体をした艶美な女性である。
もう一人のネガルは三一歳のユムン人。波打った黒髪に褐色の肌。太い眉に黒い瞳といかにもなユムン系の美女だが、ザジとは違い穏やかで優しげな雰囲気をしている。一見すると冷徹な諜報畑出身者には見えない。
稼働している四〇人の監視者も含め、彼女らはヒランダル最奥にある黒神殿の中の一室で、この任務に当たっていた。
その内のほとんどが両目を覆う目隠しのような銀製の器具を着けて座卓の前に座っている。目隠しをしていないのは鎧獣術士になっている者たちだけ。そして鎧化をしていない者達の卓上には、背丈の二倍の大きさはあろうかという巨大な円筒状の水槽が置かれており、それが銀製の器具と何本もの管で繋がっているようだった。
更にその水槽からも管が伸び、それはザジとネガルの座る座卓の前に設けてある蜂の巣型のガラスに繋げられている。
二人はそれぞれの傍らに自身の理鎧獣を侍らせ、ガラスに映る映像を凝っと見つめていた。
とはいえ、映像にさしたる変化はない。いつも通りのもの。
ここに映されるのは監視網の中でもとりわけ判断が必要かもしれないと思われたものに限るが、そのほとんどがただの杞憂的なものでしかなかった。
そのせいか、特にザジの方はいかにも気怠げに頬杖をつき、退屈さを隠そうともしていない。
「偶々被っちゃったけど、アタシまで出なくったって良かったんじゃない? 今の状況でここに何か仕掛けてくるヤツなんて、いるわけないんだしさぁ」
ザジの発言はもっともだった。
他ならぬヘクサニアが原因となって、諸国の疲弊は相当なものになっている。この状況下で手出しを出来る余裕のある国家組織など、およそ考えにくい。とはいえ、不審なタネとはいつ何処から芽吹くものかは分からない。
もしそんな事があれば、すぐさま摘み取るべきだとネガルが返す。
「民草に不安を与えず、我らの教えと我が国が絶対で盤石だと常に知らしめるのが我らの役目ですよ。地道な積み重ねこそがその本質ではありませんか。貴女も元〝シンミア五〟と呼ばれていたのなら、どのような任務でも疎かには出来ないと理解されているでしょう?」
「分かってるって。けどねえ、アタシはどっちかっていうと派手な任務向きだったからさぁ。目立たなくてもいいから、何かこう、ゾクゾクするような事をしたいわけ。でもここって受け身じゃない? アタシ、攻められるより自分から攻めたい派なのよ」
ぽってりとした唇に指先を当て、物欲しげな態度を取るザジ。
呆れた顔で溜め息をついたネガンだったが、ふと見た映像に何か引っかかるものを覚える。
穏やかな表情を一変させ、厳しい顔つきになったネガンが団員達と同様の銀製目隠しを被り、映像を操作する。
「何? どうしたの?」
「今のこれ――」
ザジがネガンの方に置いてあるガラスを覗き込む。
そこにはヒランダルの寺院群の屋根が映っていた。
「また思い違いでしょ?」
茶化すザジだったが、ネガンはそれを無視して映像を繰り返し注視する。
「怪訝しい。この擬獣、不自然に揺れているの」
ザジもそれを見つめた。
「別の角度から映っているこれ、他の〝鳥〟や〝虫〟に、風を受けたような反応はない。けれどもこの一体だけ、不意に視界が揺れているの。ほんの僅かだけど」
「足場にも妙なところはない――。そうね、確かに」
ネガンが目隠しを外してザジを見る。
「メルヴィグの理術師が侵入しようとしたのは丁度一年前になるわね」
「アタシ達が退治したけどね。死体からは痕跡が消えてたけど。――用心に越した事はないって事か。いいわ」
「貴女の言った刺激的な事よ。そうじゃない方が私はいいけど」
ネガンの言葉に、ザジは悪戯っぽく舌を出して返した。
彼女はすぐさま傍らにあった大きめの小型馬ほどしかない大きさの鹿を、背後に回らせる。
シベリアノロジカと呼ばれる淡黄色の毛並みをした、ザジの理鎧獣だった。
その名を〝ヒュロノメ〟と言う。
「白化」
室内に白煙が起こり、人鹿の女術士が姿を見せた。
そのまま優雅な動きで舞いを行い、光を放つシベリアノロジカを、人鹿の口腔から放った。
――極大獣理術。
出現と同時に、ノロジカの擬似生体は光粉となって宙空へ溶け込む。
「行きなさい。私の〝百鬼夜行〟」
ノロジカの顔で、期待に胸を膨らませて微笑むザジ。
その横で、ネガンもまた己の理鎧獣を纏う準備をしていた。元・諜報者である彼女は、偶然を信じない。だが直感は信じている。その直感が告げていた。
何かがある――と。




