第四部 第四章 第二話(終)『炎音勇者』
「てめえらが王都に侵攻をかけてくるのは分かっていたし、そのための先遣部隊の動きがあるだろうってのも、コッチぁ全部読んでたんだよ」
覇獣騎士団特有の白地に金縁の鎧に、オレンジ色の炎模様。
弐号獣隊の次席官リッキーが駆るジャガーの鎧獣騎士〝ジャックロック〟が言い放つ。
その手にするのは、柄頭から鎖が伸びた鎖付き剣。
不敵で大胆。彼の義父同様、数多の戦場で活躍をした歴戦の猛者である。
「馬鹿な。我が教国の動きを読んでいただと……」
「そうさ。こっちにはあの〝覇獣軍師〟のカイ様もいれば、それに輪をかけたスゲー戦術使いもいるからな」
カイの犠牲死については最高機密として伏せられており、彼がいるというリッキーの言葉はただの口八丁であった。だが台詞の後者は違った。
敵軍の只中で、襲いくる角獅虎を次々に昏倒させている、赤と青の鎧を纏う、捕食獣の鎧獣騎士がいる。
鎌型剣と呼ばれる湾曲した刀身の剣を持つそれは、アクティウム王国総騎士長にして、カイの跡を継ぐ形となった連合軍の参謀ブランド・ヴァンの駆る古代巨大イタチの鎧獣騎士〝マイナス〟。
リッキーの言う戦術使いであり、彼がこれを先読みしたのだ。
そして空を飛ぶかのような跳躍を見せ、空中の飛竜すら堕としているのは彼の主。
アクティウム国王クリスティオ・フェルディナンドと、彼の駆るタテガミオオカミのヴァナルガンドである。
「あれは、アクティウムの――」
「そうさ。ブランド閣下が見抜いたのよ。てめらが先触れの軍を結構な数で出してくるだろうって。おっと、言わなくていいぜ。てめえはあくまで挟撃の第二軍。本命の軍も正面から来てるって事はよ」
「何だと」
「そっちにはオレたち覇獣騎士団の中でもとびきりの部隊が当たってるって事だ。クラウス閣下率いる壱号獣隊がな。分かるか? こんな先遣部隊だけで王国や王都がどうにかなると思うなって事だ。覇獣騎士団だけじゃねえ、アクティウム最強の二人もいるオレたちを甘く見るんじゃねえ」
つまり偶然出くわしてしまったヘクサニア軍だが、その動きをブランドが察知し、迎撃の軍を出していたというのであった。
見ればリッキーやクリスティオ達だけではない。
弐号獣隊の騎士達も展開し、敵を押し込みつつあった。
「そういうワケだ、イーリオ。ここはオレやブランド閣下に任せて、オメー達はこっからさっさと離れろ。こんなとばっちりみてーなモンに巻き込まれて、時間を無駄にすんじゃねーぜ」
チラリと背後を振り返った人美洲豹の騎士が、イーリオに告げた。
確かに、予期せぬ遭遇に巻き込まれただけで、彼らに戦う理由はないし、そんなつもりもなかった。
離れた位置にいるギルベルトも、こちらの声を聞きつけ、頷きで同意を促す。
「みんな!」
イーリオの叫びで銀月団の行動が変化した。何より、リッキー達が牽制になり、逃げ出せる隙が敵軍に生まれている。
しかしそれでも敵軍――というより角獅虎やそれの上位種の飛竜は厄介だった。
巨体を活かした動きで、中々包囲網が崩せない。
とはいえ、魔獣の中の駆り手が、纏う鎧獣に比例した実力通りの人間の騎士なら、この敵陣から逃げるなど不可能だっただろう。が、おそらくその中にいるのは人間かどうかも分からない竜人や、人の姿を模倣したような灰化人と呼ばれる存在たちである。それだけに連携は取れていても、どこか動きに無機質さがあり、それさえ読めば付け入る事は可能だった。
しかし彼ら一騎一騎の総合的な武力は、間違いなく主席官級である。並みの騎士では太刀打ちすら出来ないのが、この魔獣騎士たちなのだ。
これに対抗して確実に仕留める事が出来ているのは、援軍の中でもクリスティオ、ブランド、リッキーの三名のみである。しかしそんな彼らですら、並みの鎧獣騎士を相手にするようにはいかず、一騎ごとにかなり手間取るのは仕方のない事。
それでもイーリオ達のための脱出口は、自ずと開かれていった。
「じゃあな、イーリオ。今度こそマジのお別れだ。さっさと行って、そんで戻ってこいよ」
「リッキーさんも、気をつけて」
最後に言葉を交わし合う二人。
イーリオにとっての最初の武術の〝師匠〟であり、兄とも慕う人物。
その彼に背中を押されての旅立ちは、波乱に満ちたものであったが、心強さも同時にあった。
だがここで、人知れず問題が生じる――。
敵の動きを読み、これに適切な反撃をしたブランドだったが、同じ策略家であっても、ブランドとカイにはそれぞれ違いがある。
ブランドはどちらかと言えば全体を盤面で捉えながらも傾向は戦術家向きだったのに対し、カイは人の機微を読むのに長けた戦略家寄りであろう。
とはいえこの場の彼の予測と対処は完璧であったし、イーリオ達が巻き込まれたのは予想外だったが、この場に居合わせた事自体、彼の読みが完璧だった事を示している。
敵の目的はあくまで王都への先制。
それがここまで阻まれてしまえば、作戦は失敗も同然。
冷静な指揮官ならどこかで撤退とするべきだろうし、またそうでなければ殲滅させられると考えるはず。仮にそれでも玉砕覚悟で抗うような、そういう愚かな判断をするのが敵の指揮官である場合も、その時の落とし所すらブランドは想定していたし、それが出来る実力者を選んでもいた。
問題は――
抜け目ないはずだったブランドの予測は、人の心までも完璧に読み取れていなかった事にある。
ヘクサニアを指揮する第六使徒ジュリオ・ジョルジーノは、四年前、ヘクサニア教国ではなく当時はオグール公国であった侵略者らの傀儡として、アクティウムの女王に据えられた過去を持つ。旧王朝ピサーロ家の最後の末裔としてだ。
だがオグール側はメルヴィグの連合軍に敗れた事で瓦解。アクティウムの傀儡女王であったジュリオも反乱を起こした民衆の暴動に会い、暴徒の標的とされ、生贄のように陵辱されてしまった。
無論、その事実はブランドも知っている。目の前の指揮官がその元女王だという事にも気付いていた。
だがその彼女――いや彼が、イーリオに並々ならぬ怨嗟を抱えていた事は、さすがに気付いてなかったのだ。
男として生きてきた自分なのに、女として望んでもいない、なりたくもない女王として無理矢理担がれ、挙げ句の果てに男達の暴動の餌食にされた――。
片やイーリオも、望まぬ形で皇帝位に据えられたが、彼はそれを平然と放棄し、あろう事か皆から認められるどころか祝福までされている。大した苦しみもないまま、望む自分で在り続けられている。
勿論、そんな事はジュリオの勘違いというか逆恨みも甚だしい誤解と言うべきものなのだが、経緯を知らないし知る気もないジュリオからすれば、ただ恨めしいだけの存在でしかなかったのだ。
それに輪をかけて――というかこちらの方が決定的だったが――イーリオはゴートの帝都襲撃から向こう、何度となくジュリオを撃退している。それも圧倒的な実力差を見せつけて。
おそらくジュリオを殺せる機会は何度もあっただろうが、それすらせぬほど、まるで子供扱いするようにいなして退けたのだ。
それがどれだけ憎々しく、腹立たしいものであったか――。
ただでさえ恨めしい相手から小馬鹿にされた――ジュリオは勝手にそう感じていた。
だからまさか指揮官であるジュリオが、これから起こすような動きをするなど、この場の誰もが想定しなかったのである。いや、分かるはずがないだろう。
ただ一つだけ擁護をしておくと、実はイーリオは、ヘクサニアの主要な連中のほぼ全員から、ひどく恨まれていたのである。エポスらである上位使徒らもそうだが、このジュリオもそうだしサイモン&エドガーとも因縁は深く、オリンピアやグノームなど、多くの者がイーリオを見れば目の色を変えたであろう。
そしてまさか、本来の目的ではないどころか、偶々偶然遭遇しただけの相手にそこまで執着し、それの命を奪う事を最優先にしてしまうなど、彼らを深く知る者以外、予想出来るはずもなかったのである。
この瞬間、リッキーもクリスティオもブランドも、角獅虎らの相手に集中している。
勿論ジュリオの動きにも最大限の注意を払っていたが、それでも油断が一瞬すら出ないわけではなかった。
こちらへの警戒が僅かにでも薄まる機を伺い、角獅虎らの巨体を利用し、隠れるように身を溶け込ませるジュリオ=スクライカー。
そして一言――
「〝迅速果敢〟――!」
ジュリオが纏うコヨーテとオオカミの混合種コイウルフの人獣の足が、より肉食動物のそれに近い形状に変化した。
同時に、姿が一瞬で掻き消える。
まるで味方を盾に、縫うような動きで軍勢の中を駆けるスクライカー。
神聖黒灰騎士団でも随一の脚力を誇り、〝神速魔狼〟と呼ばれる人狼の、真骨頂だった。
とはいえ、ここで真っ先にクリスティオがこれに気付いていたら、この動きは容易く阻まれてしまっただろう。速さというなら、クリスティオの〝ヴァナルガンド・アンブラ〟の右に出る者はいないからである。
しかし皮肉な事に、クリスティオはこの時、イーリオ達やジュリオのいる方向とは最も遠い場所で奮戦をしていたのである。
何より銀月団にも、メルヴィグの迎撃軍に対する信頼があっただけに、油断があった。
それらの人的な思惑の絡んだ不運が、幾重にも折り重なってしまう。
影となったスクライカーが躍り出た瞬間、最初に気付いたのは彼我の距離がまだ一番近い位置のリッキー=ジャックロックだった。
――何だと?!
リッキーとて一軍を率いる指揮官だ。指揮の基本は当たり前だが分かるし、その指揮官が指揮を放棄して私憤だけで動くなど信じられなかった。
だが目を疑ってもいられない。
鎧獣騎士の速度は超常のそれであり、ましてやその中でも速度自慢の騎士が不意をついたのだ。迷いは最悪への入り口となってしまう。
いや、迷わずとも最悪を防ぐにはもう――遅すぎた。
刹那の中で判断する。
あれを直接阻むのは無理だ。
――だったら。
けれどもその方法だと、味方――銀月団の団員達まで巻き込んでしまうだろう。それどころか生身のイーリオには、余波だけでも充分危険すぎる方法だと言えた。
だが、方法を考えあぐねている余裕など、寸瞬もなかった。
そしてリッキーは、己の直感を信じる人間だった。
「済まねえ! 出来れば塞げ!」
リッキーの声に反応した一同が、ジュリオの奇襲に気付く。
同時に、谺した。
「〝絶叫唱撃〟」
ジャガーから放たれた、この場を圧するとんでもない声量の叫び。
ゥヴゥオオオオオオゥッッッッッ!!
それはまさに、指向性を有した音の破壊兵器。
叫び声を超常化させた、ジャックロックの獣能である。
それを背中で浴びるジュリオ=スクライカー。
まるで目に見えぬ力で背後から押し飛ばされたように、前のめりにつんのめり、膝をつく。
音があまりに巨大なため、それが音かどうか一瞬分からなかったほど。だがこの咆哮以外の全ての音が掻き消され、聴覚に痛みを覚えた時、それが〝炎の音撃〟ジャックロックの異能によるものだとジュリオは気付いた。だが気付いた時にはもう、音の津波の中。
激しい酩酊。まるで大波に揺られる小舟に乗ったような気持ちの悪さ。
加えて視界が歪む。天地が混ざり、立つ事さえもままならない。
咆哮を音の兵器に変え、問答無用で相手を気絶に近い戦闘不能にさせるのが、ジャックロックの獣能なのだ。
だが音である以上、音撃の直線上にいれば、その被害は敵味方関係なく受けてしまうもの。いや、直接受けなくとも周りにいるだけで余波を浴びてしまうのが、この異能の難点だった。
つまり銀月団の全員も、この音波攻撃を浴びてしまったのである。
とはいえ反射的に耳を塞いだのもあったが、レレケ=レンアームが咄嗟に施した術の影響もあって、銀月団の面々の被害はかろうじて致命的なほどには至らなかった。
それでもゾラやユンテは、昏倒に近い倒れ方をしてしまう。
だが幸いだったのは、銀月団の中でも一番の巨体であるコーカサスバイソンのカシュバル=ヘルモードが無事だったのと、ギルベルト=クヴァシルも何とか立っていられたようであった事だ。それに、術者本人であるレレケ=レンアームも無事なようだった。
それを一瞬で確認したリッキーが叫ぶ。
「今の内だ、逃げろ!」
言い放ちながら、同時に駆け出す。
「無茶苦茶じゃないの、リッキー君……」
足元をふらつかせ、ぼやき声を出しながら、それでも彼の意図を読み取ったギルベルトが、イーリオの無事を確認する。イーリオは吐き気を必死で堪えながら、かろうじて落馬していなかったものの、その馬自体がその場にへたり込んでしまっている。
だが本人は何とか無事らしい。
それを見て安堵したギルベルトが、イーリオを担ぎ上げて声を出す。カシュバルとレレケも、それぞれに仲間を支え起こしていた。
「リッキー君の言う通りだ。行くよ」
敵味方関係なく、やはり被害は出た。
けれども音撃を直接浴びたのは、何と言ってもジュリオ=スクライカーである。これの直撃を受けて、当然ながら立っていられるはずもない。
何とかこの奇襲は、阻止出来たかに思えた。
しかし――
執念というのは、時に人智を超えた原動力となるもの。
どうしてそこまでイーリオに固執したのか、ジュリオ本人にもよく分かっていなかっただろう。敢えて言うなら、度重なる敗北による勝手な復讐心。それに、角獅虎を操る〝角笛〟をカイゼルンに奪われるなどの失態を挽回したいという思いが、あったからかもしれない。
どちらにせよ、それは悪意というべき感情であろう。
――!!
まるで、消えぬ怨念の炎のような激しさで、コイウルフが這いずるように立ち上がったのだ。
その視界は海中のように不確かで、ジュリオ本人にも脳震盪がけたたましく起きているはず。にも関わらず、灰色の鎧の人狼は、口から泡を噴きながら立ち上がっている。
――ンな、馬鹿な!
リッキーが我が目を疑う。
かつてジャックロックの〝絶叫唱撃〟をここまで浴びて平気だった者などいない。あえて言うならアンカラのゾウ騎士はそれに近かったが、あれは立っていようがいまいが、こちらの攻撃が通らないほどの皮膚をしていただけで、動けなくなっていたのは間違いない。
そうしている間にも、コイウルフの凶刃がイーリオへと迫ろうとしていた。
守るべき銀月団もギルベルトも、スクライカー以上にフラフラと覚束ない。何よりその存在に気付いていなかった。
白刃が振り上げられた。
が、既に駆けていたのはジャックロック。
猫科猛獣ならではのしなやか且つ立体的な動きでスクライカーの前に飛び込んだ。
下ろされた刃。
金属音。
何とそれを、ジャガーの牙が受け止めていた。
硬質のものがぶつかりあう音が谺し、光粉混じりの血が玉となって宙を舞う。ジャガーの口からは、刃で裂かれた鮮血が飛ぶ。
剣を受けためたまま、両者が膠着しかに見えた。が――
その瞬間、リッキーが声にならぬ声で号令を発した。
「〝咆哮牙刃〟」
己の牙に、超音波振動を発生させるジャックロックの第二獣能。これに裂けぬものなどこの世にはない。
牙で受け止めた刃が、そのまま咬み千切られるように砕かれた。
この時、ジュリオの視界に映っていたのはリッキー=ジャックロックでも、イーリオでもなかった。
気を失っても怪訝しくない動きの代償か、意識は混濁し、現と幻さえも、分からなくなっていたのだ――。
――お前のせいだ! お前のせいで俺たちはひどい目にあった!
――何が女王だ! 俺たちはお前みたいな売女なんぞ認めるものか!
罵り、悪意、罵倒、暴言、悪罵――
暴力と陵辱――
聞こえてくるのは、アクティウムでその身を犯した、愚民たちの声。
目に見えていたのは、衆愚たちのおぞましい顔、顔。
自分が一体何をしたというのか。自分はただ、請われるままに傀儡となっただけなのに。それなのにこの仕打ちは何だ?
呪ってやる。恨んでやる。どいつもこいつも誰も彼も。
私を汚したもの、私を阻むもの、その全てを今度は私が蹂躙してやる――。
ジュリオの目はもう、狂気と激情で何も分からなくなっていた。目の前の存在が、鎧獣騎士なのか愚か者たちの群れなのかも、分からない――。
そして不運と言うべきだろうか。
最初に言った通り、スクライカーの武装は二振りのサーベルなのである。
スクライカーの持つ片方の剣が、ジャックロックの牙に折られたのとほぼ同時だった。
硬い繊維を突き破る音をたて、リッキー=ジャックロックに衝撃が走る。
ジャガーの騎士の腹部中央。
そこに深々と刺さっているのは、もう一本のサーベルだった。
人狼の目が、歓喜で歪む。
だが不覚を取った事に、リッキーは微塵も狼狽などしない。
狂気に我を忘れた相手に対し、リッキーは冷静に相手の剣を刺した腕を掴む。微動だにさせぬように。
もう一方の腕に握った鎖付き剣が、弧を描いた。
撥ね飛ばされる、コイウルフの首。
そのままずるずると力をなくし、ジュリオ=スクライカーは崩れ落ちていった。
我を忘れたかつての女王は、何も分からぬまま、何も成し得ぬままに事切れていく。
ジャックロックの胴体に、剣を突き立てたまま。
ギルベルトらの真後ろで、一瞬の内に起きたこの攻防。そのあまりの顛末に、誰もが呆然と立ち竦んでいた。
リッキーは、ジャガーの顔で後ろを振り返り、無言のまま顎をしゃくって見せた。
行くんだ――。
声に出さずとも、そう言っているのが分かった。
一番意識のはっきりしているギルベルトが、人虎の中で目を丸くさせながら、一瞬息を呑む。
――刺さっているのは、急所だ。
今すぐ自分が治療にあたればまだ助かるかもしれない。けれどもリッキーがそれを望まない事を、ギルベルトは分かっていた。
唇を噛み、決断する。
「行くよ」
それにレレケが何か言おうとしたが、声にはならなかった。彼女の中にある冷静な自分が、告げていたからだ。
何をすべきかという事を。
悔しさに体を震わせながら、従う事を選ぶ。
彼女もリッキーとの付き合いは、イーリオ並みに長い。だからこそ余計に、彼の思いは痛いほどよく分かっていたからだった。
だがそうしている間にも、今度は無傷のままの角獅虎たちが、こちらの方へ迫ってきていた。
指揮するジュリオがいなくなった事で、戦の止め時を見失ったのだろう。こうなればどちらかが全滅するまで、ひたすらに消耗していくしかない。
これに対し、腹部に刺さった剣を引き抜いたジャックロックが、激しく吠える。
「どいつもこいつもかかって来るなら来やがれ! オレがメルヴィグ王国のリッキー・ヴァッテンバッハだ! オレの牙の餌食になりたいクソはどいつだ? ああん?!」
咆哮と共に、銀月団から敵を遠ざけようと、敵の中に踊り込む。
立ち去っていく銀月団。
イーリオの意識は混濁したまま。彼がこれを知るのは、目覚めた後の事。
リッキーは縦横に剣を振るいながらも、心の中はどこか遠く離れていた。
――どうっスかね。立派に父親の背中ってヤツを見せられましたかね、主席官。
剣は血で濡れて既に色が変わっている、ジャガーの口周りは相手の血で真っ赤に染まり、それでも尚、牙は折れずに次の獲物へ咬みつかんとしていた。
壮絶としか言いようがない。
それは人豹の形をした、鬼神そのものだった。
やがてリッキー=ジャックロックの迫力が、心無いはずの敵にも恐怖に映ったのだろうか。
壊滅を待たずして、敵軍は徐々に退却をはじめていった。
血の匂いで嗅覚は麻痺し、もう思考も薄れつつあるリッキーだが、彼の放つ戦意はまるで衰えない。瀕死の傷を負った姿には、到底見えなかった。
あまりの凄まじさに、ブランドとクリスティオすら、「もういい」という言葉を、かけそびれるほど。
しかしその鬼神の如き姿とは裏腹に、リッキーは心の中で妻と子供たちの事を、思い浮かべていた。
――カッコよかったか、父ちゃんは?
やがてブランドとクリスティオが気付く。
リッキー=ジャックロックが、仁王立ちのまま絶命している事に。
やがて命尽き果て強制解除になった後も、リッキーとジャックロックは、その場に立ったままであった。
まさに炎の如き激しき勇者。
不倒のまま、命を燃やし尽くした騎士とジャガー。
薄れゆく意識の中、彼は思った。
己の思いは、きっと受け継がれていくはずだ――
そう、確信をもって。
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★リッキー・ヴァッテンバッハ
覇獣騎士団・弐号獣隊・次席官。
享年31歳。
☆ジャックロック
リッキーの鎧獣。ジャガー。
画像は鎧獣騎士の姿。




