第四部 第四章 第二話(4)『義父』
立ち直ったイーリオと共に、遂に伝説の場所にして神話の地〝天の山〟へ向かう計画が動き出した。
とはいえ計画と言っても大袈裟なものではない。ようは旅立ちの準備をするという事なのだが、同行するのは、当然のように銀月獣士団たちであった。ただし、ドリーは王都との連絡係としてレーヴェンラントに残ることになり、シーザーも別行動をする事になった。
「俺はカディス王国のコンポステーラに行きます。聖庁の教皇猊下に会って、全エール教の支援要請をお願いしたいと思います」
シーザーが向かうと言ったコンポステーラとは、エール教の聖地であり、全エール教徒の頂点にいる教皇が住まう聖庁のある街だった。
銀月団のシーザーは騎士でもあるがエール教の司祭でもある。しかし司祭といっても高い地位にいるわけではないが、メルヴィグ、アクティウム両王国の正式な使者ともなれば、教皇に直接話をする事も許されるだろう。
歴史的に見れば、大陸で最も信仰されているエール教は、ガリアン超帝国の発展と共に広がっていった側面があった。
つまりエール教の上にいる者ならば、ガリアン血盟は勿論、継承者やその他の伝説も知らぬはずはないだろうし、何よりヘクサニアが奉ずる黒母教は敵対宗教なのだ。協力を取り付けるのは難しくないだろうが、ただしそうなれば、これは大陸を二分する巨大宗教戦争にもなるという事でもある。
だがそれは、シーザーが動こうと動くまいと、遠からずそうなるのは明らかだったし、必然であっただろう。
実のところを言えば、シーザーには彼なりの思惑もあったのである。
レオポルト王やクリスティオ王の話を聞いた時からずっと、彼は考えていたのだ。
イーリオを対ヘクサニアの旗頭にすると言うのなら、象徴は徹底的にそうなってもらうべきだろうと。
この時代、この世界においてプロデュースなる言葉や概念など勿論あるわけがないのだが、言わばシーザーの行おうとしているのは、戦意高揚のための政治的宣伝であり、そのためにイーリオをプロデュースする行為であった。
さて、出立は手早く行われる事になる。
天の山までの道筋はギルベルトしか知らず、彼の指示によっておおよその旅程は組まれた。
しかしもうここに至っては、天の山の場所くらい明かしても良さそうなものだが、それでも彼はその所在を明らかにしていなかった。それだけ極秘の地であるからだと聞かされてはいたが、その説明にイーリオはまた違和感を覚えてもいた。
「すっかり信用なくしちゃったねえ。僕の事、お酒好きのオジサンじゃなく、秘密主義のオジサンみたいに見てるんじゃないの?」
冗談めかしてギルベルトは言うが、得体の知れない人物に見られてしまうのは当然だったろう。本人もそれを分かってはいたようだし、まだ隠し事を秘めているのかどうかも、彼一流の韜晦的な言動で煙に巻かれているようにすら思えた。
とはいえ、翌々日にはもう出発となった。
王都を出る銀月団の一行に対し、それをただそのままにするのは逆に変な噂になるかも知れないとあって、王都を出るまでは歓待の形をとった覇獣騎士団の随伴が付いた。ようは形を誤魔化した護衛の一種でもある。
イーリオも回復し、乗馬して街中を進む。
そこへ、馬を寄せる者が一人。
「リッキーさん」
リッキー・ヴァッテンバッハ覇獣騎士団・弐号獣隊・次席官。
先頃戦死したジルヴェスターの娘婿であり、今や名門ヴァッテンバッハ家を嗣ぐ人物となっている。
逆立てた赤毛の側頭部に、稲妻型の剃り込みを入れた髪型は相変わらずだったが、以前と違って服装は着崩した隊服ではなく、礼式に則っている。
己の義父の死がそうさせたのか、それとも年齢と共に彼も少しは落ち着いてきたからなのかは分からない。ただしその両目を見て、イーリオがどう言えばいいのか分からなくなったのは、前者の理由によるものだろう。
「聞いたよな。主席官が死んだってハナシはよ」
「……はい」
人の死が、あまりに多かった。
ゴート帝国脱出の際、襲われた帝都とハーラルを救うため、マリオンが戦死したのは既にイーリオの耳にも届いている。
それだけではない。覇獣騎士団だけでもジルヴェスターにルドルフ、カイにマルガが戻れぬ身となっていた。
そしてカイゼルンとザイロウ――。
重傷を負った者や行方知れずも合わせれば、その数は一体どれほどになるのか。
銀月獣士団とて無傷ではない。既に数名の犠牲は出ているし、主要な団員であるミハイロと三獣士の一人バルバラは、現在もまだ行方知れずとなっていた。
ヘクサニア教国の動きが活発になると共に、大陸の至る所で死の影が落とされていく。
先日の、獣王を率いる王に――という話も、この現状を顧みれば否とは言い難かった。誰も皆、この混乱に救いを求めているのだ。
「オレは主席官の剣になって戦う。ずっとそう誓ってきたし、剣として一生を終える、そのつもりだった。けどよ、オレは主席官の最期の瞬間、その場にいなかったんだ」
「リッキーさん……」
「剣となるオレが、一番居なきゃいけねー時にいなかった。……オレぁ自分で自分を許せねえ」
「早まった考えはしないでください。僕はもうこれ以上、誰かがいなくなってほしくないですから」
笑みに凄絶さがあった。翳りというか悲愴感というか、そんな濃い影が、深い色でリッキーに微笑みを浮かばせる。
「心配すんな。死に急いだりはしねーよ。ンな事ぁ、主席官だって望んでねえのはオレだって分かってらぁ。それに、オレももう〝オヤジ〟の一人だしな」
二年前、リッキーには二人目の子供が産まれていた。上が娘で下が息子。まだ年端もいかぬ幼子たちだ。
「てめえの事を言うのはバカみてーだがよ、それでもナンだ……てめえのガキを見てると、オレも思っちまう。こいつらに相応しい親父に、オレはならなくちゃいけねーって。オレみてーに騎士になるかなんてのは正直どっちでもいい。別の生き方もあるだろうし、将来なんざ自由に選べばいいさ。けどな、このガキどもが大きくなった時、オレはこいつらが誇りに思うような親父になれてるだろうかって思うんだよ」
「分かる気がします」
「コイツらが胸を張って、自分の親父はスゲーんだって思えるような男に、オレがなれてるかどうかってよ。だからオレは死に急いだりなんか出来ねえ。ガキどもの誇りになるまでは、オレは死ぬわけにゃあいかねえ」
苦しさも悲しさも全部抱えたまま――。
その全てに踏ん切りなど着くはずもなく、また未来永劫着かないのかもしれない。
けれどもその痛みを痛みのままで、己は新たな〝次〟のために、希望とならねばない。
そうか――とイーリオは悟った。
最前聞かされた人々に希望を与えるという意味。それはこういう事ではないのか。
「オレは主席官の剣として生きてきた。今まではな。でもこれからは違う。オレのガキのため、ナディヤのため、そしてこの国と王のための剣として、これからは生きる。今までもそうだったが、主席官が抱えてた分も全部、オレが剣となる」
ナディヤとは、リッキーの妻、亡きジルヴェスター主席官の一人娘である。
「イーリオ、オメーなら絶対ザイロウを蘇らせる事が出来る。間違いねえ。絶対だ。オレも話は全部聞いてるぜ。けど、神だろうが何だろうが関係ねえ。オメーは主席官とオレが見込んだ、いや、それ以上の男なんだ。出来ねえワケがねえ。そんでオレたちのいるここに戻ってこい。それまで王都もこの国も何もかも全部、オレが守ってやる。剣であるこのオレがな。だから何も心配せずに行ってこい」
「リッキーさん……」
「そんでオメーが戻ってきたらその時は――」
リッキーと目が合う。
イーリオにとってカイゼルンの前、最初の師とも言うべき人であり、兄とも慕う彼が、変わらぬ表情でそこにいた。
以前よりずっと、自分の〝兄〟のようだと思った。
「オレはオメーの剣となる」
轡を並べた状態で、リッキーがイーリオの肩に手を置いた。
誰よりも、何よりも胸が熱くなる言葉。
暑っ苦しい男と言われるリッキーだからこそ、その熱量に混ざり気はなく、純粋なものだと確信出来た。
「はい」
答えたその顔を見て、リッキーが〝兄〟のような瞳で頷く。
一行が王都の外まで出ると、随行していた覇獣騎士団たちはそこまでとなった。
ありがとうございますと礼を述べると、ここからはギルベルトの先導で一路天の山へと向かう銀月団。
どれほどの日数がかかるかについて、ギルベルトはざっと数週間だと、それだけを言っていた。
「まあ行けばわかるし、実のところはね、説明するのも難しいんだよ。そこに着くまではまあ何というか言い辛い道でねえ」
馬に乗った状態で、水筒に入れた酒をあおり、赤らめた顔のギルベルトが説明をする。
詳しく聞こうが何も言わない以上、全員、彼を信じるしかない。それに一番の不安といえば、道案内ではなく敵に出くわさないかどうかというところだろう。
なるべく目立たないようにとも思ったが、銀月団が動くとなればいずれ何らかの形で話は広まるのは目に見えていた。となれば逆に隠し立てなどせず、堂々と且つまっすぐ最短で向かうのがむしろ最良ではないかというのが、皆の一致した考えだった。だから覇獣騎士団が王都の中で随行する事となったのである。
だが、不安というものは最良の時には降りかからず、良くない時にこそ、それを最悪の方に引き摺り込もうとあらわれるものらしい。
一行が王都を離れ、まだ半日も経たない内の事だった。
先行するギルベルトと、三獣士のゾラが同時に気付いた。
「団長」
ゾラの緊迫した声と、ギルベルトが「鎧獣を」と命じる声がほぼ同時だった。
二人の素早い身のこなしと共に、街道はずれの森林から、巨大な影がいくつも躍り出る。更には岩陰にでも潜んでいたか、空を覆うような巨翼までも頭上を掠めて行った。
「そんな? ヘクサニア?!」
イーリオが悲鳴のような声を上げたのも当然だった。
襲撃があるのはどこかで予測していたし、だからこそ銀月団のほぼ全員が護衛についているのだ。そうでなくば、正直なところ、イーリオとギルベルトだけでもいいはずである。
しかしいくら敵に襲われるにせよ、王都を出た直後だなど夢にも思っていなかった。しかもこれほどの大軍に待ち伏せされているとは。完全な予想外である。
黒々とした小山のような群れが、十重二十重と連なっている。
角獅虎が三、四〇騎。
飛竜も一〇騎近くになるだろうか。
ゴートの帝都でイーリオ達が遭遇した時にも比肩するほどの戦力が、どうしてこんなところに?
「まさか貴様との片を、こんな形で付けられるとはね――」
魔獣の大軍の中央から、薄い茶褐色の体毛を黒灰色の鎧で包んだ人狼騎士が姿を見せる。
女性的でもあり男性騎士にも見える、どちらともつかない肢体。双剣を持ち、不敵に佇むその姿。
「お前は……十三使徒の……」
イーリオが呟く。
神聖黒灰騎士団・十三使徒の第六使徒ジュリオ・ジョルジーノ。その身に纏うコヨーテとオオカミの混合種・コイウルフの〝スクライカー〟だった。
自らを男だと嘯く生物学的には女性の〝彼〟。
ゴートの帝都からイーリオ達が脱出する時もした後も、何度となく剣を交えた相手だが、その度にイーリオによって返り討ちにあっている。そのジュリオが、この大軍を指揮しているのか。
「どうにもこの規模……。もしかしてキミ達、今から王都を攻めようっていうのかい?」
値踏みするような目つきで問うたのは、ギルベルトだった。真後ろにゴールデンタイガーの〝クヴァシル〟、即ち彼の鎧獣が身構えていた。
「そうだ。そしてそれを知られた以上、貴様らをここで見逃すわけにはいかん」
コイウルフの顔が牙を剥く。
「こいつら、メルヴィグの王都を攻めにきたんですか? ヘクサニアが?!」
「そうみたいだねえ。しかしこれはどうも……僕たち、運が悪いにもほどがあるんじゃない?」
ギルベルトが頭の後ろを掻きながらボヤくのも当然だった。
この大軍はイーリオ達を狙ったものではなく、王都レーヴェンラントに進軍する軍勢であり、まさか偶然にも、その一軍と鉢合わせをしてしまうなど、思いもよらぬ事態と言わざるを得ない。
全員が一斉に鎧化をする。
同時にイーリオは味方に囲まれる形で後ろに退がるが、戦闘員かどうかなど無関係だと言わんばかりに、敵は容赦なく襲いかかってきた。
質と数。その双方であまりに圧倒的な相手に、果たしてどうすべきか。
レレケが素早く皆を紐付けさせつつ、それぞれに合った強化を施す。
この中で角獅虎や飛竜に直接対抗出来るのは、ユンテ=雷震子とギルベルト=クヴァシルの両騎であるが、二騎で四〇騎以上の魔物に立ち向かうのはさすがに不可能に近い。しかも完全な無力であるイーリオを守りながらなど、無茶以外の何ものでもなかった。
瞬く間に四方を敵勢に囲まれ、どうにもならなくなってしまう。
そして巨大な灰色の魔人獣達たちの間を縫うようにして、コイウルフが一気呵成にイーリオの元へ肉迫。命を刈り取らんとした。
「貴様を殺すのは、この第六使徒ジュリオだ」
直接護衛をしているゾラとカシュバルも、敵軍に呑み込まれてしまい、助けられない。
絶体絶命かと誰もが血の気の引いたその時だった――。
ジュリオ=スクライカーのサーベルが、甲高い金属音と共にはじかれる。
「――ッ?!」
同時に、灰色の巨体――角獅虎の一団がその場に崩折れていく。空では飛竜の前を閃光が走るたび、墜落されていく姿が目撃された。
そして神速魔狼と渾名されるコイウルフの前には、鎖を翳す白と金縁の鎧。
逆立った頭頂部の体毛が特徴的なのは、背中を向けていてもはっきりと分かった。
「貴様――何故?!」
スクライカーの双剣をはじいたジャガーが言った。
「てめえらのクソ悪巧みなんざ、全部お見通しって事だよ」
分かっていても、その声と姿に、イーリオは一瞬我が目を疑う。
「ジャックロック……リッキーさん――?!」
ほんの数時間ほど前に見送ってくれたリッキーが、ジャガーの鎧獣騎士となって、イーリオの窮地を救ったのだった。




