第四部 第四章 第二話(1)『立会人』
獅子王宮。
メルヴィグ王都に絢爛と建つこの王宮は広大だ。
王都の数区画分に渡る広さは集落程度の大きさがあり、宮殿と一口に言っても中央の大宮殿の他に離宮や別殿、浴場に別館など、建物の数も多い。
つまり宮殿の中をあっちからこっちに――と言葉にするのは簡単だが、移動するだけで一苦労というか時間がかかってしまうほどの規模がある。当然ながら、離宮の一つにあった客間から大宮殿本殿に向かうとなれば、普通に時間がかかってしまうのも頷ける話だった。
イーリオたち銀月獣士団の一行は、ギルベルトの先導で大宮殿へと向かっていた。
目的は一つ。レオポルト王に会う事。
そしてアルタートゥムに会うのに必要な、王の命と引き換えにするあるものを手に入れようと向かっていたのだが――その途中。
別の方角から来た二人の男の姿が、目に止まる。
向こうもこちらに気付き、思わず互いに歩みを止め、驚きの顔で両者が見つめあった。
「クリスティオ陛下」
「イーリオじゃないか。何だ、お前らも来てたのか」
アクティウム王国国王クリスティオと、仮面の総騎士長ブランド。
メルヴィグ王国とは友好国になる国の王と、そこの軍事における最高責任者の二人であり、イーリオとも旧い付き合いになる両名だった。それぞれ口に出しはしないが、友人である事は誰もが周知の事である。
その二人が、イーリオ達にここにいる理由を尋ねるのは至極当たり前だろうし、まず先にイーリオらが膝をついて礼をするのが自然な流れだろう。何せ友といえども立場上ではクリスティオらの方が上なのだ。となれば一般常識的な立ち居振る舞いがどういうものかは、言うまでもない。
けれどもそんな当たり前の礼儀作法すら失念するほど、イーリオの顔にありありと浮かんでいたのだろう。
ここに何故貴方がいるのかと――。
あまりに真っ直ぐな疑問を込めた瞳に釣られてか、呆れるような口調で、クリスティオの方が先に答える。
「俺はレオポルト陛下に会いに来たんだよ。両国のまあ……軍事的問題というやつについて話をしにな。で、お前は何でここに? シャルロッタはどうした?」
「あ……その……シャルロッタは別の所に居ます。多分、安全な所に」
「多分、って何だ。曖昧な言い方だな。それに何だ? 雁首を揃えて随分と物々しいじゃないか。覇獣騎士団の主席官どのまでいる――が、どうにもその様子だと、穏やかじゃないように見えるな」
クリスティオの指摘は鋭かった。まるで一瞥しただけで全てを察したかのようである。
「いやいや、これはアクティウムのクリスティオ王陛下にブランド総騎士長閣下までお越しとは。ご挨拶が後になりました事、誠に以って失礼いたしました」
「そんな事はいい。で、ギルベルト殿、これは一体どういう行列かな? 俺の勘だが、お前達は今からレオポルト陛下に会いに行く。そうだろう?」
ギルベルトはほんの僅かだが、間を取るように押し黙った。それが答えあぐねてのものなのか、それとも計算によるものかは、底の見えないこの男なだけに、意図が分かるはずもない。
「さすがは陛下、ご慧眼にいらっしゃる。陛下同様、我々も今よりレオポルト王にお会いする予定でした。してみるとあれですな、これは誠に都合の良い巡り合わせというもの」
「どういう意味だ?」
「察するにクリスティオ陛下は、ヘクサニアの動きを牽制するため、我が国との軍事提携――それもかなり緊密な提案を持ちかけに参った、というところではないですかな」
「あけすけな物言いだな。さて、先だっての借りもあれば貴公に隠し立てをするつもりもない。如何にもそうだ」
国と国との外交問題をこんな王宮の開けっぴろげな場所で憚らずに口にするなど、普通では有り得ない。だがクリスティオの右腕ともいうべきブランドは、何も言わずに沈黙しているところを見ると、この主従は今の状況がただの偶然ではなくなるかもしれないと、気付いていたのだろう。
「であれば丁度いい。これから我々は、我が国のみならず両国の――いえ、下手をすれば大陸全土の未来に関わるかもしれないような話を、レオポルト陛下に致す所存にございました。その結果がどうなるのかも合わせて、是非その場にお二方も立ち会ってくださいませんでしょうか? いずれにしても我が王と軍事提携の話をされるのであれば、それにも関わる事になるでしょうから」
「何やら随分と大仰というか持って回った言い様ですが、そんな重大事を他国の我々も共に聞いていいものでしょうか。ましてやこの私も一緒になど」
ここで横から疑問を呈したのは、仮面の軍師と呼ばれるブランド・ヴァンであった。
「むしろ聞いていただきたい。貴国もまた〝ガリアンの血盟〟を結ばれる、古代帝国に連なる国の方々ならば」
ガリアン血盟という言葉に、クリスティオとブランドは思わず顔を見合わせる。
その言葉を知っており、また今この場でそれを口にするという事がどういう意味をもつのか。
それだけで二人には、もうこれ以上の説明は不要であった。
「――分かった、では共に参ろう」
道すがら、イーリオは誰に尋ねるかを悩んだ後、最初にそれを口にしたギルベルトに尋ねた。
「ギルベルト主席官、その、さっき言っておられたガリアンの血盟って、一体何なんですか」
「ガリアン血盟ってのは、このメルヴィグやゴート、アクティウムなんかが出来る前にあった古代の超帝国ガリアン帝国でかわされた密約の事だよ」
「密約?」
「そ、後に各国々の帝室や王室やらになった古代帝国の皇室の傍流や当時の大貴族らの間でかわされたものでね、古代帝国の始祖であるロムルス帝は、幾星霜の時を経て生まれ変わるという伝承が、当時の高貴な人の間では伝えられていたんだよ。その生まれ変わったロムルス帝がこの世にあらわれたら、ガリアン帝国に連なる国や王家は、例え如何なる理由があろうとも互いに協力し、その者に仕えなければならないっていう古ぅい盟約でね。大陸の王家のほとんどは、これを代々受け継いできたのさ」
「ロムルス皇帝が蘇るですか――。そんなの、まるでお伽話じゃないですか」
「言葉通りで受け取ったらそうだね。ただこれには各国で具体的な裏話的な補足が設けられてて、例えばこのメルヴィグなら、三賢紋を継承した者こそがロムルスの復活者に該当するってされてるようでさ、その者への助力は如何なる事でも惜しんではならないっていうのが我が国の言い伝えなのさ」
思わずイーリオがクリスティオの方を見ると、彼は「似たようなものだ」とぶっきらぼうに答えた。
ようは、単に協力しあえと言ってるだけではないか――そのように聞こえた。
だが実のところ、まだ何かを隠しているのではないか。そんな風にも感じたが、それ以上の事は、曖昧にはぐらかされるだけであった。
イーリオが仕方なく口をつぐんでいると、今度はクリスティオがギルベルトに対し、彼らしからぬ神妙さで言葉をかけた。
「その――あれからマルガ殿はどうなっている」
マルガとは覇獣騎士団・陸号獣隊の次席官マルガリータ・アイゼナハの事である。
マルガは先だってアクティウム王国に突如浮上した謎の島の調査にクリスティオと向かい、そこでヘクサニアの竜人から竜牙病に感染させられている。クリスティオは自分がいながらそれを防げなかった事を激しく悔いており、メルヴィグに来たきかっけもそれが原因として大きくあったのだ。
「意識は戻ってませんね。いわゆる植物状態というやつです。各地の症例を考えるに、残念ながらそう遠くない内に、彼女の命の火も消えてしまうでしょう」
いつもは酒焼けした顔でヘラヘラとしていたギルベルトだったが、さすがにこの時ばかりは顔つきも口振りも堅いものになる。
「済まん。あの場に俺がいながら――」
「そのお言葉だけで彼女も報われますよ。女性男性など関係なく、彼女も立派な騎士なんですから、いざという時の心構えは出来ていたはずです。いえ、我々覇獣騎士団にその覚悟のない人間なんていません。ですから彼女は彼女として、己の職責に殉じた。それだけです。陛下がお気に病む事はございません」
「……」
それを理屈では分かっているクリスティオだったが、それでも騎士であれ戦士であれ、女性とは守るべき存在だという信念がクリスティオにはあった。これは男尊女卑的なものというより、失った彼の付き人であるミケーラの死が、大きな原因として影を落としていたのだ。
自分の目の前で、二度と女性を死なせない――。
けれども今回もまた、彼は己の目の前で一人の女性騎士を犠牲にしてしまったのである。
その後悔が強ければ強いほど、クリスティオの顔にはより一層深い陰が落ちる事になっていく。それを腹心のブランドは気付いていたが、しかし言葉にも態度にも、何も出しはしなかった。
同種の陰を深層に抱く彼は、この場合、痛みを理解する事は出来ても慰める事は出来ないのだ、というのを知っていたからだ。
さて、一行はやがてレオポルト王の待つ〝列星卓会議の間〟に辿り着く。
普段は玉座の間で待つ事が多いが、この時は緊急時にしか使われないこの特別な広間で、レオポルトは待っていたのだった。
そしてそこには、この国の首脳であるコンラート宰相にクラウス総騎士長もいた。
ただここで、レレケのみはふと奇妙だと感じる。
この場ならば当然いるであろうカイ・アレクサンドルの姿が、見えない事に。
同時にイーリオも別の事に気付いた。レオポルト以外の表情がどことなく重苦しいように感じたからだ。
だがそれは、当然だとも思った。
名君と誉れ高い偉大な王を今から犠牲にしなければならないのだ。その自死を認めなければならないなど、一体この国の誰が喜んでいられるというのか。
「その―― 一つよろしいでしょうか」
一連の挨拶を終えた直後、誰が何を言うべきか躊躇っていたのを破るように発言したのは、仮面の騎士ブランドだった。
「ここに来る途中で、大雑把ではあるでしょうが、ひと通りの事情はお聞き致しました。アルタートゥムなる者たちの召喚とザイロウの復活のために、王陛下の御命を犠牲にされるという話」
改めて口にされると、とんでもない過ちを犯そうとしているような気持ちにさえなる。だがそんなイーリオ達の思いを置いていくように、ブランドは言葉を続けた。
「それの是非について、他国者の我らに問う事は出来ぬでしょう。しかしそれは別にして、どうにも腑に落ちぬ点がございます」
「と、申されると?」
「王家の者の心臓にある結石――そうギルベルト殿は仰られましたよね。しかしです、私はそこまで医の道に明るいとは言えぬのですが、知る限り、心臓に結石などあれば人は生きていられぬはず。何故なら心臓は血液を送る要となる臓器。そんなところに石があれば、血の流れはたちまち滞り、命など保つはずはありません。仮に血の巡りが悪くなるだけで済んでいるようなものであったにせよ、激しい運動、ましてや騎士として戦場に立つ事など出来るはずもございません。しかしレオポルト陛下は、そうではない」
「つまりブランド様は、王家の言い伝えを疑わしいと言っておられるのですかな?」
「疑わしいか否かではなく、医学的に考えて普通は有り得ないという事です。もしくは心臓に一切負担のないような、そんな都合のいい結石があるという事なのでしょうか?」
「ブランド閣下の疑問はなかなかに鋭い。しかし、これは疑わしくも真実なのです。――そんなものがあるのかと問われましたがね、いえ、あるのですよ」
「ならば余計に不可思議です。人体に負荷をかけないが命を代償とせざるを得ないもの――そして神の騎士団に会うための手形のようなものとされ、ザイロウの復活にも関わるもの。一体その結石――確か〝第一物質〟と言いましたね、それの正体は何なんでしょう? まずはそれについて、もう少し話されるべきなのではないでしょうか? それが如何なるモノであるかも分からぬのに、王の命を犠牲にするのは、ここにいる人間のほとんどが納得出来ないのではありませんか?」
ブランドはとある事情により顔中に醜い傷がある。それを隠すために仮面を被っているのだが、その仮面の奥の目が鋭く光った。
視線の先には、ギルベルト。
彼は黙って、その目を受け止める。
そうして一度だけレオポルト王を見ると、王は静かに頷いた。
それを見ていたギルベルトも頷き返し、小さく息を吐くと語りはじめる。
「……メルヴィグ王家であるホーエンシュタウフェン家には、始祖の頃よりの言い伝えというか古い慣習がございます。この王国が何故この地に王都を開いたか――。それはこの王宮の奥殿深くに、あるものがあったからです」
「奥殿……? 王家の宝物殿の事でしょうか?」
ここでレレケが問い質す。
「ええ。その奥殿です。王家の秘文を探された際、貴女も見たのではないですか? あの泉を」
ギルベルトの言葉に、しばし考えた後でレレケが頷く。
「泉……ああ――」
「そう、奥殿にはね、風呂桶ほどに大きな水盆を張った、小さな泉があるんですよ。その泉の名を〝アゾトの泉〟」
「覚えております。宝物殿という場所には似つかわしくない、奇妙な泉がありました」
再びレレケが相槌で返した。
「王家の人間は、誰もが産まれて間もない赤子の時、この泉から湧き出る水を口に含ませ、その泉の水で体を清める事を習わしにしています。これは赤子の首が座るまでの数ヶ月の間続けられるのですが、この泉の水の洗礼を受ける事で、体内の心臓の外側に胡桃大の小さな腫瘍が作られ、そこに結石が出来るようになります」
「泉の水で……? もしかしてそれは、有害なものなのでは?」
「或いはその可能性も大いにあるでしょう。事実それの影響か、メルヴィグ王家はアレクサンドルⅡ世王やゲオルクⅠ世王をはじめとした早逝の人間が代々多くありました。六〇年前の東西朝の大乱を引き起こす切っ掛けになった王家の分裂も、元を辿れば王家に早死にの人間が多いため、それをどうにかしようとして血脈を増やした事が原因だと言われています」
ここにいるクラウス総騎士長が鎮めたとされる、王国を二つに割った内乱。
それの原因に、王の命を引き換えにする、その結石が関係していたとは――。
そんな事を夢にも思ってなかったイーリオ達なだけに、どう返していいやら分からなくなる。
「ですので、心臓に癒着する形で確かに結石は作られていて、それを為さしめているのは、王家の人間がその泉の水を幼い時に浴びているからなんですよ」
こと医術に関しては、この場でギルベルトより知識を持つ者などいない。それだけに具体的に断言されるとそうなのかとしか返せなくなるのが、聞いている者の本音だった。
次いで尋ねたのは、最初に疑問を投げたブランドだった。
「では、その結石が、第一物質なるものだと。――それで、その第一物質とは如何なるものなんでしょう? それとも、そこから先は伝承だけで分かっていない、などという事はありませんよね?」
後ろ頭を掻き、形容のし難い表情を浮かべるギルベルト。
「ま、実は仰る通りでして……。僕も本質というか、本当の意味での詳細は知らないんですよ。そこから先は僕の師匠に当たる古獣覇王牙団の団員さんにでも聞かないとはっきりした事は言えないですかねえ。あ、師匠っていうのは錬獣術師の方の師匠です」
「ではそれはいいとして――それでは真実、レオポルト陛下の心臓には結石があり、それを取り出さねばザイロウの復活は成し得ないという事ですかね」
「ですね」
具体的に聞かされると、やはり認めてはいけないような事だと、改めてイーリオは思ってしまう。
ザイロウの復活は何よりも強く望んでいる。しかしそのために誰かの――それもレオポルト王の命を引き換えにするのは、間違った選択でしかないと。
「やっぱり――」
「それ以上はいけないよ、イーリオ君」
言い出しかけるイーリオの言葉を塞ぐように声を被せたのは、他ならぬレオポルトだった。
「これは王家に生まれた者の宿命だ。それに、こうなる事はキミと会った時から、薄々分かっていた事なんだよ。あの銀の聖女――キミの想い人のシャルロッタ嬢が〝宝石の人〟とボクを呼んだと聞いた時は心底驚いたし、同時に嬉しいとも思ったんだ」
「嬉しい……?」
「あの時から覚悟は出来ていたんだよ。ボクのここにある結石と引き換えに大陸が救われるなら、それは王家の人間として名誉な事。だから気に病む必要はないし、気にしなくてもいい。分かったね」
穏やかな、レオポルトらしい優しい笑顔で柔らかに告げられると、それ以上は何も言えなくなってしまう。レレケもイーリオと同じく認めたくはなかったが、彼女も言い出すべき反論を見出せない。
けれどもここで発言したのは、先ほどから何度も疑問を口にしている、アクティウム王国一の知恵者でもあるブランドだった。
「一ついいですか」
「何でしょう?」
ギルベルトが返す。
「先ほどギルベルト殿は、泉の水で第一物質は創られると言った。そしてその儀式を受けるのは王家の人間だと。」
「ええ」
どこか悲しいような、穏やかさを繕うかのようにさえ聞こえる声。
もう分かっているのだろう――とでも言っているのか。
深く、長い溜め息をつく、ブランド。
「……成る程、私とクリスティオ陛下がこの場の立ち合いに選ばれた理由が分かりました。もしかして全てを狙って行われた事なんですか? ……いや、そうなんでしょうね。我々が来るのを予測して、全てをお膳立てしたんですね、あの方が」
「……いきなり何を言っている、ブランド?」
ブランドの意味不明な発言に、思わず主君のクリスティオが問い返す。
だがブランドはそれに答えず、独りごちるようにそのまま続けた。
「貴方がた――いえ、ギルベルト殿は協力しただけで、全ては誰もを謀るために為されたんですね。とりわけレオポルト陛下を」
「ボクを謀る……?」
「私に聞くより当人に会うべきでしょう。お会いさせていただけませんか、カイ・アレクサンドル殿に」
不意に発せられた名前に、全員の瞳が戸惑いを浮かべる。
唐突に出された名前がどこか不穏なものに聞こえたのは、果たしてイーリオの気のせいだったのだろうか。
途端に張り詰めた空気に全員が凍りつくも、向けられた当人がどういう感情なのかは分からない。
ただ、この時のギルベルトは、どこか観念したかのような渋面を浮かべたようにも見えたが、それに対して頷きもしなかったのである。




