第四部 第四章 第一話(終)『水先案内人』
あまりの情報量の多さに、衝撃と悲しさにもまして、頭が混乱しそうになるイーリオだった。
ホーラーの容態は確かに悼ましく辛かったが、急変はあったにせよ、最期の時が近いのはどことなく分かっていた事でもある。それだけに心の準備が出来ていた、というのはあったのかもしれない。
それにもう一つ大きかったのは、イーリオが立ち直れた――その切っ掛けを与えてもらった事にあった。
ホーラーと話した事、その言葉によって、イーリオは今までの出来事を、何よりカイゼルンの言葉を思い出し、打ち沈んでいた心に光を見出せたのだ。
もしホーラーがそれを聞けば、儂は何もしとらんしお前が自分勝手に解釈しただけ――などと言い放っただろう。それでも死の床にいたホーラーからの最期の言葉だったからこそ、イーリオの魂に訴えるものがあったのは間違いない。
悲しみや辛さは強くあったが、それ以上の感謝もあった。
とはいえ、あまりにも立て続けに、多くの人間が亡くなっている。
ゴート帝国での事、カイゼルン、ザイロウ――。
更に王宮に戻ったイーリオは、覇獣騎士団・弐号獣隊のジルヴェスターと伍号獣隊のルドルフの戦死も知る事となる。
「そんな……」
ジルヴェスターとは長く懇意にしていたし、彼から弐号獣隊に入らないかと誘われた事もあった。ルドルフも、ジルヴェスターと同じような時期に会ってからの知己で、かつてカディス王国との戦で、共に並んで戦っている。
まだリッキーとは会っていなかったが、彼が今どれほどの思いでいるかを考えると、同じような境遇のイーリオには痛いほどその気持ちが分かるような気がした。
それもあってか、銀月団の団員達は尚一層、イーリオに対して気遣うような素振りを見せた。
王宮に戻ったイーリオにも、必要最低限の言葉でなるべく刺激しないようにし、彼を労わろうとする。
しかしそこで、司祭騎士であるシーザーがまず、おや? と気付く。
イーリオの顔が、ホーラーの屋敷に向かった時と、何かが違うと。
「団長、ホーラー様は如何でしたか?」
「うん……色々と教えてもらえたよ……ただもう、ホーラー様は長くないだろう……」
予想はしていたが、それでもその一言に皆が顔を青ざめさせる。そして他の団員達は、シーザーを非難の目で見た。
けれどもそれに気付きながら、やはり違う――とシーザーは思った。
「何か……あったんですか?」
「ちょっと、シーザー。もうよした方がいいんじゃないの」
更に問いかけるシーザーに、三獣士の一人、ゾラが声をあげた。
だがそれに答えたのは、他ならぬイーリオだった。
「構わない。僕を気遣ってくれてありがとう。でも……もう今は……」
「団長?」
「うん……大丈夫……とは言わないけど、気持ちは落ち着いた」
まだ強い翳りは消えていなかったが、それでも魂の抜け殻だったイーリオは、もういなかった。
「いつもの団長に戻った。そう思ってもいいんですね?」
「ああ」
「良かった」
イーリオの返事に、団員達全員の表情が明るくなる。
「それで、一体何があったんでしょうか」
「そうだね……」
「いえ、もし言い難い事なら、構いません。俺たちは団長さえ元の団長でいてくれさえすれば」
「うん。元の姿――そう、元の姿なんだ」
「団長?」
「心配してくれたみんなにも、説明をするよ。――ザイロウを、再生出来るかもしれない」
思わず全員が固まった。今――今イーリオは何と言った? ザイロウが、再生?
「え――? それってまさか……ザイロウの調合表を見つけたとか、ですか?!」
まずは何をどう説明すべきか。
話せば長くなるし、まだイーリオとて心と頭の整理が完全に着いていないというのもあった。それを察したレレケが、興奮する全員の間に割って入るように、まずは休みを摂らせて差し上げませんか? と提案した。
とんでもない一言の内容が気になる一同ではあったが、確かに目に生気は戻ってきても、イーリオは何日も食事をしていないだけに、衰弱ぶりは何も変わっていない。
その事に気付かされ、それでも気になると言いそうなカシュバル辺りをシーザーが制止させつつ、全員で遅い夕食を摂る事になる。
ここのところずっと、食事をしてももどしていたイーリオだっただけに、皆が彼を案じはしたが、大丈夫と言って少しずつだが飲み込み出すイーリオ。途中、何度か顔を青くさせる場面もあったが、イーリオはそれを飲み下す事こそが己の使命でもあるかのように、無理矢理にでも全てを嚥下した。
やがて一息をついた一同は、一旦その日は眠りの床に着くと、翌朝集まって、イーリオとレレケから話を聞く事になった。
休息は王宮にある賓客用の部屋でそれぞれ摂り、今は数え切れぬ数がある客間の一室に集まっている。
「ホーラー様の容態が良くない事は、前々から知っていた。だからとても残念だし悔しいけれど、師匠の時とは違うように受け止められたんだ」
「ホーラー様は何を仰っていたんですか?」
語り出すイーリオに、シーザが尋ねる。この中でも年嵩になるシーザーは、ある意味最も気の回る一人であろう。
そうしてイーリオとレレケは、互いに補足し合うような形でホーラーから聞かされた様々な話を告げていく。
「伝説の地〝天の山〟にいる神々の騎士団……古獣覇王牙団ですか……。それとエールの神に会うため、神のいる星の城に行く……。それはまた、何と言うか……」
「突拍子もない話にしか聞こえないでしょう。伝説を信じるなど、普通なら馬鹿げた話にしか聞こえませんわ」
レレケの言葉に、全員が答えに困ったような顔をする。
ただこの中で一名だけは、皆とは違う表情と感想を持つ人間がいたのだが――。
「けれども皆さんはもう何度も、伝説の中の存在をその目にしていませんか? ヘクサニアの角獅虎に、ドラゴンもどき。それを駆る竜人という怪人に、エポスという魔道士や、黒騎士の変化した異形の姿。どれもがお伽話の中のような存在です。でもそれらはみな、紛れもない現実です。だったら、悪い方の伝説が真実ならば、我らが信じるべき伝説の方にだって多くの真実があっても怪訝しくはない。そうではないでしょうか?」
何よりも、これはホーラーと自分が突き止めたものでもある。そう言ったレレケに、一同は徐々に頷きを深くした。
「ザイロウが特別な鎧獣である事は、ここにいる誰もが知っている事でしょう。神が創り出した、なんて言っても嘘とは言い切れない――少なくとも私はそう思っています」
「それで、その神の騎士団とやらに会うためには、何か条件というか何かがいるんでしょうか? そうじゃなきゃ、誰だって会えるって事になっちゃいますよね」
この場では神だの伝説だのを最も信じるべきであるはずの司祭騎士のシーザーが、むしろそれに対して懐疑的な口ぶりでさえあった。その事をユンテが茶化すと、仕方ない、俺は司祭だけど本物の神なんて見た事ないからな、などと彼は返した。
だが神の騎士団――アルタートゥムに会う方法についてそこまで話すべきかどうか。
イーリオとレレケは互いに顔を見合わせた。
アルタートゥムを呼び出す、そしてウルフバード復活に必要にもなるそれとは、王の心臓にある石。つまりはメルヴィグ王の命と引き換えにするという事だった。
それについて、レオポルト王は全て分かっているという顔をしていたが、未だにイーリオはどうすべきか迷っていた。それはレレケも同じである。
彼女は幾分か前からその事を知っている。以来、そんな事は許されないとずっと思ってきたのだ。誰かの命を犠牲にするしか方法がないなんて、そんな事はいけない、と。ましてやそれがこの国の王ともなれば、余計にとも思う。
その時、彼らがいる部屋の扉を、叩く音が響いた。
まるで沈黙を破るような形だっただけに、全員がハっとなる。
その音はこちらが誰何と尋ねる前に、無遠慮な形で勝手に扉を開けて入ってきた。
「お~、聞いた通り、皆さんお揃いのようで」
どことなく覚束ない足取り。無造作に伸びた髪に、同じような無造作な髭。
マントを羽織った衣服がこの国の武官でも高位のもののそれでなければ、ただの酔っ払いにしか見えなかったであろう。
突然入ってきたその男は――
「ギルベルト様――」
覇獣騎士団・肆号獣隊の主席官、ギルベルト・クンケルだった。
覇獣騎士団の中でも、研究機関などを備えている特殊な位置付けにいるのが、肆号獣隊である。
それの頂点にいるギルベルトは、見ての通り常に酒焼けした顔の、だらしない隊長にしか見えないが、これでも騎士としてだけでなく、錬獣術師や科学者、そして医師としても超一流ともいうべき人物であった。
「ギルベルト主席官が、どうしてここに……?」
「んん~? そりゃああれだよ。きっと君らが話していた事についてだね。僕からも言っとかなきゃいけない事があってさ」
イーリオ達の方へ更に近寄ると、むっとするような酒精の匂いが鼻につく。以前は次席官のユキヒメがそんなギルベルトを嗜めていたのだが、その彼女も今は隊を離れて久しい。
「ギルベルト様は、どこまでご存知なのですか?」
怪訝な顔で、レレケが尋ねた。訝るのも無理はないが、それに対してヘラヘラと笑いながら、ギルベルトは答える。
「あれでしょ? アルタートゥムの事とか、カイゼルンの事。それに王の結石とか、そんな事を話していたんでしょ?」
王の結石という名前に、団員らが何の事だと不思議な表情を浮かべる。
しかしアルタートゥムという名前を出した事で、イーリオだけでなくレレケもまた、驚きの顔をした。
「ん? あれ? 全部はまだ言ってなかった? あら、まだ途中だったのかな? そいつぁまた悪い事をしたね」
「いえ、そんな事より――どうしてギルベルト様が、その事をしっているんですか?」
だがレレケの問いに対し、ギルベルトは違う答えで返す。
「そうだねえ……てかさ、ユンテ君さ、君に会うのも久しぶりだけど、そろそろ君についても話しておいていいかな?」
いきなり話の矛先が副団長のユンテに向けられた事で、全員の目がそちらへと移った。
「僕がイーリオ君にユンテ君を紹介したのは覚えてるよね。異国から来た腕の立つ騎士だから、彼を銀月団に入れてくれないかなぁって。面倒を見てもらう代わりに、役に立ってくれると思うよ、ってさ」
「え、ええ……」
「ユンテ君がユキヒメちゃんの古い知り合いなのは前にも言った通りだけど、そのユキヒメちゃんは今、何処にいると思う?」
「確か、修行に出たって――」
「そうだね。その修行に行ったのって、アルタートゥムの所になんだよ」
いきなりの話の展開に、全員の頭が着いていけてなかった。
ユキヒメ・ウエスギ。
覇獣騎士団・肆号獣隊・次席官にして、遠い西方の地から流れてきた環の国の女騎士ならぬ女武士。
「僕がユキヒメちゃんを、アルタートゥムの所に行かせたんだ。つまり天の山にね」
「は……はい?」
「でね、当然だけどユキヒメちゃんを追って般華からニフィルヘムにまで来たユンテ君も、ユキヒメちゃんが天の山に行った事は知っていたわけ」
「え、じゃあもしかして、ユンテは……?」
思わずイーリオが尋ねると、申し訳なさそうにユンテが答えた。
「すみません……。薄々、ユキヒメ様の行かれた場所の話なのではと、思ってたんですが……。この国の事情とか伝説とか、そんなのをまだちゃんとわかってなくって……」
「じゃあユンテは行った事があるの? 天の山に」
「いや、ユキヒメ様の行かれた場所にまでは、俺も連れて行ってもらえてなくて……」
大きな体を縮めるように話すユンテを見て、まだ全員の混乱がおさまらない。そんな中、今度はギルベルトにイーリオが問いかける。
「その――ちょっと……ちょっと待ってください。……それじゃああれなんですか? ギルベルトさんは、自由にアルタートゥムに会えるという事なんですか?」
「ん~、自由ってわけじゃないけど、まあ会おうと思えば会えるよね」
「だ、だったら――」
勢いこむレレケだが、そうなるのも無理はない。
彼女がずっと思い悩んでいた事が、よもやこんなにあっさりと解決しそうになるなど、思いもよらないと言うべきだろうから。
だが、ギルベルトは複雑そうな顔になる。
「会わせてくれ、ってだけならそりゃ無理をすれば出来るかもだけど……そうじゃないでしょ?」
「え?」
「キミらがさ、そこに行く理由はザイロウを蘇らせるためでしょ? それか、シャルロッタちゃんのため」
「どうしてシャルロッタの――?」
「あのね、王がアルタートゥムに会う時っていうのは、この国が守ってきたアルタートゥムの存在とか秘密が破られた上に、この国も超ヤバいって場合だけなのよ。つまり非常事態だよね。もしそんな時があれば、まあ何ていうか特別な神の力的なものを行使するために、王の結石が必要になる。で、それはウルフバードの復活にも必要だったってホーラー卿は解明したって事なんだけどさ、つまり王家の秘文にあったのは、その非常事態でのアルタートゥムの召喚方法なんだよね?」
反対に、レレケの方へ質問が投げかけられた。
それに対し、彼女はいささか口ごもり気味になりながら、はい、と返した。
「だったらどっちにしたって、王の結石は必要なんだよ。ま、それについてはキミらや僕がどうこう言える筋合いじゃないよね? だってそうでしょ。王が決めた事なんだよ。僕ら臣下はそれに従うだけだし、キミらは当事者だけど王家の決定には部外者だ。どうのこうの言える立場じゃない」
へらへらとした口調はそのままだが、有無を言わせぬ冷徹さが、言葉からはっきりと感じ取れていた。
以前、先に名前のあがったユキヒメが言っていた。
ギルベルトという男、底は見えないが、おそらく底にあるものはとても恐ろしい本質だろう、と。
「話を戻すけどさ、僕がここに来たのはそれを踏まえた上で――イーリオ君を案内するために、来たってわけだ」
「案内? そもそも、どういう事なんですか? どうしてギルベルトさんはそこまで詳しいんですか?」
「ああ、まだ言ってなかったね。僕の家、クンケル家はね、代々ずーっと王家の密命を帯びて、アルタートゥムとの連絡係をしてきた一族なんだ」
「連絡係……?」
「そ。で、クンケル家に有望そうな人間が出たら、アルタートゥムの団員候補としてそこに送られたりもするの。つまりさ、僕は元・古獣覇王牙団だったってわけ」
いきなりの告白に、皆が唖然とする。
どう言っていいか分からない。
けれどもレレケは即座に色々な事を理解した。
以前よりギルベルトだけは、何故かカイゼルンと親しかった。それにさっき言ったユキヒメを案内して修行させている事や、彼が騎士と錬獣術師のみならず、様々な分野で一流なのも、全て頷ける話になってしまう。
「じゃあ、もしかして、師匠とも――」
「カイゼルンとは旧い付き合いだよ。彼がアルタートゥムを抜ける時に手を貸したのは僕でさ。ま、その事はいいや。おいおい話す時があるかもしれないし」
「だったら今まで、どうして何も話されなかったんですか? アルタートゥムの事や、カイゼルン公の事も――!」
「そりゃあ聞かれなかったからだよ」
「……!」
「クンケル家は、アルタートゥムという王家しか知ってはいけない存在と、王家を繋ぐ役割を担ってきたんだ。当然、守秘義務はある。例えいかなる事情があっても、どんな事態であろうとも、王の命がなければ、それをみだりに言ってはいけない。だから何も言わなかった」
だが今は、王がその命令を下したのだ。
同時にイーリオとレレケは気付く。ユキヒメを向かわせたのも、今の事態になる事を予測しての事だろうと。
「じゃあ、状況説明はしたし、行こうか」
「何処へ――ですか」
「言ったでしょ? 僕は水先案内人。まずは王の結石――第一物質〝霊化玉〟を受け取りに、陛下に拝謁するんだよ」
それは、王の死を意味するという事でもある。
王の臣下でありながら、ギルベルトは何も思わないというのか。
もしくは王よりも、クンケル家の使命の方が大事だと言うのか。
忸怩たる思いを抱えるイーリオ達を横目に、飄々とした酒臭い男は、玉座にいる王の元へと彼らを案内していった。




