第四部 第四章 第一話(3)『大錬獣術師』
何もかもが狂人の絵空事のように思えた。
これを語ったのがホーラーでなければ、本当にそう思っただろう。それほどまでに突拍子のない内容だったからだ。
「ホーラー様は、その古獣覇王牙団に会ったんですよね?」
「ああ。会っている。あの者達に会えたのは、カイゼルンのお陰だがな」
「師匠の……? どうして師匠が……」
そういえば先ほどもホーラーは、カイゼルンの名を継ぐ者に受け継がれたとか言っていた。イーリオの師匠であるカイゼルンとそのアルタートゥムに、どういう関係があるのだろうか。
「六代目カイゼルンであるダーク・ベルは、そのアルタートゥムの団長の息子だからだ」
「え――?」
「奴は元々、アルタートゥムに入る可能性のあった男だ。だがあいつはそれを拒み、五代目カイゼルンの元に行った。だからあいつはアルタートゥムや今儂の言った話もそれとなく知っていたし、儂やお前、それにこの国に協力してきたのもそういう理由からというのがある」
そこで思い出す。
カイゼルンが黒騎士と戦って亡くなる前日、イーリオはカイゼルンから妙な物を手渡されていた。今になってその事を思い出し、渡されたそれを取り出して見つめる。
イーリオの手にした黒い球体を目にし、レレケが横から尋ねた。
「それは?」
「師匠が……最後の前の日に僕に渡したものです。確か……〝神色鉄〟とかって言ってました」
その名を聞いた瞬間、イーリオ以外の全員が驚きに身を固くした。
「神色鉄! それを、君――いやカイゼルン公が? まさかそんな、本物が?」
「え? 一体これって――」
「我々がずっと探していたものです。角獅虎に対抗する手段となりうるかもしれないものとして」
レレケがレオポルト王やカイから任命された調査内容とその経緯については、おおまかにイーリオも聞いていたが、神色鉄に行き着いた詳細はまだ耳にしていない。
「いえ――具体的なその話は後でまた……! それよりカイゼルン公は、何と言ってこれを君に?」
「確か……これは、この世でこれしかないけれど、僕がこれを持っていれば望みの形に出来るし、その意味を分かる時が来るとか何とか……。でもそれは、僕というよりザイロウとこれがあれば、というような意味で言っていました」
「貴女からの報告と合致しますね」
カイの言葉に、レレケが頷く。
そこでホーラーも言った。
「フン、カイゼルンめ、わざわざこれをアルタートゥムから調達してきたな?」
「確か師匠は、〝オレ様の母親から貰った〟とか言ってました。それってもしかして、さっきホーラー様が言った古獣覇王牙団の事でしょうか?」
「ああ、そうだ」
「でも、師匠はそんな事全然言わないで……」
口にしながら、それを言うカイゼルンではない事を改めて思い出し、何故だかイーリオは急に肩の力が抜けた気がした。
今更ながらに思い出す、カイゼルンという師匠を――。
何があってもヘラヘラとして碌でもない返事しかしない男。
女性関係は最悪で、お金に汚く酒好きなのに酒に弱い。
狡い事だって意地汚い事だって平気でする。
騎士の風上にもおけない言動の数々。
なのに世間では最高の騎士という評価を受けていた――
そんな師匠なのに、いやそんな師匠だからこそ、イーリオは救われていたのだろう。
呆れ切っているのに憎めない――。
本人の強さという背景があるからこそとも言えるが、多分そうではないんだろうなと、改めて思う。
愛嬌とかではないし、親しみなどとはまるで真逆にいる師匠だったが、その人としてのダメな部分こそ、最も人間的にイーリオが惹かれていた部分だったのかもしれない。だからイーリオは、己の師匠に救われていたのだ。
人間離れしすぎた強さを持ちながら、誰よりも人間臭く生きた男。
そのカイゼルンが最期に己の弟子に言ったのだ。
――騎士は何よりも、騎士らしく振る舞え。
今の自分は、騎士らしいのか?
いや、ザイロウを失った自分に騎士と名乗る資格はない。そう思っていた。
でも、だからこそ――
人の真価は、その人間が堕ちた時にこそ、出てくるもの。
よく言われる言葉で、イーリオも耳にした事がある。
自分は楽をして生きてきたとは言わないが、かといって苦労知らずとも思わない。むしろ泥を啜るような辛い目にもあってきたと思うし、努力というには烏滸がましいが、それなりに辛酸を舐め、それを乗り越えてきたとも思っている。
だが今この自分の置かれている状況は、かつてないほどのどん底のように思えた。
いや、それすらも甘い考えなのかもしれない。生きている中でもっと底の底はあるだろうし、こんな程度の苦しさなど、苦しい内にも入らないと笑う人間が、きっと世の中には沢山いるはずだ。
けれどもそんな当たり前の事にも気付かず、自分は何もかもを失ったような失意に囚われていた。
――そうじゃないだろう。
カイゼルンの言った、騎士らしいとは何か。
自分にはまだ、シャルロッタがいる。
彼女は言った、待っていると。
その彼女を諦めるのか? もう無理だと嘆き、自分は歩みを止めるのか?
きっとカイゼルンならこう言うだろう。
――だからお前ぇは馬鹿弟子なんだよ、この馬鹿弟子。
ザイロウも言った。
――折れても尚、立ち上がれ。
厳しい言葉かもしれない。けれどもイーリオならきっと大丈夫だと信じてくれたからこそ、彼らは自分にそう言ったのだ。
――すみません、師匠。……ごめん、ザイロウ。
自分はまだ終わりじゃない。心の底から諦めればそれは死んだも同然だが、自分は諦める事なんて許されてないし、諦めるなんて有り得なかった。諦めるつもりも、ない。
何故なら、居るから。
シャルロッタが、居るから。
イーリオが自分と向き合い内省している最中――
ホーラーは息も苦しそうにしながら、不意にところで――と言った。
「賑やかだと思っとったが、一緒にいるのは陛下とカイ殿か?」
先ほど神色鉄を見せた時に声を上げた事で、ホーラーも気付いたらしい。
「申し訳ない、ホーラー。ボクも一緒に着いてきたよ」
「いえ、陛下……。陛下と、それにカイ殿がいるのなら、話は早い……」
ホーラーが苦しげに胸を上下させた事で会話が途切れたようになったが、そうではなかった。
レオポルトにとっては分かっていた結末だったし、カイも既に様々な情報を推察していく中で、話の最後が見えていたからだった。締めくくりを知っているからこそ、言葉に詰まったのだ。
「イーリオ……」
「はい」
「どうされるかは、陛下次第でもある……。儂にもお前にも、その権利はない。だが、必ず方法はあるだろう」
「――? どういう意味ですか?」
「……その前に……レナーテよ……」
発言の説明をする前に、ホーラーは己の弟子へと話を向けた。レレケも不意にかけられた自分の名前に戸惑うも、返事をして答える。
「研究室の青い浴槽の……一番奥に、水晶球のようなものを、保存している。……レンアームの、導器だ」
レンアームとは、〝覇導獣〟と呼ばれるレレケの理鎧獣の事である。彼女がホーラーから受け継いだリリガーという混合種の騎獣であり、導器とは、それに使われる装備――鎧獣で言うところの授器の事であった。
「本来はレンアームに装備させるためのものだったが、危険すぎるから儂が封印した」
「そんなものを――」
「危険もあるが、まだ未完成でもある。だがお前なら、あれを完成させられるだろう……。どう使うかは、お前次第だ。しかし、必ずあれを必要とする時がくるはずだ。お前にあれを、託す……」
このホーラーをして、危険すぎると言わしめる装備品。形状の説明から、レレケにはどういうものか察しはついていた。けれどもそんなものをレレケに託してしまうという事は、もうこの瞬間にも終わりがきているという事だろう。
「さて、イーリオ……」
「はい」
「そして王陛下」
「うん」
「アルタートゥムに会うために必要なもの……ウルフバード修復にも必要となるそれは――」
イーリオを除くこの場の三人には分かっていた。
だがあえてそれを今、ホーラーは口にしようとしている。全ての覚悟を、彼は試そうとしているのだ。
「メルヴィグ王となる者の、心臓だ」
固く重い沈黙が、流れた――。
最初イーリオは、何を言っているのか分からなかった。王の心臓? 何を言っているんだ、と。
「正確には王の心臓にある結石だ。それと引き換えにして、アルタートゥムの召喚は為される」
「国王陛下次第って、まさか……」
「そうだ。それと、あの者は呼んでおられますかな、陛下」
「うん。〝彼〟ならもう王都に着いているよ」
「そうですか……」
今の一言が何を指しているのか、イーリオだけでなくレレケにも分からなかったが、もう王の決意は固まっているという事だけは、伝わってきた。
「そんな……」
自分などのために、そしてザイロウのためにレオポルト王が命を捨てるなんて、そんな事は許されない。絶対に駄目だ。
猛烈な否定が、心の底から湧き上がる。けれども同時に、ここで交わされたやりとりの意味を、イーリオは察してもいた。
もうこれ以外に、方途はない。
その事を誰よりも分かっているからこそ、ホーラーは敢えて王の居る前で、これを告げたのだという事を。
だが何よりも衝撃的だったのが、これをレオポルト王は、既に納得しているという事だった。
「いいか、イーリオよ」
ホーラーの声が、更に苦しそうにかすれる。
思わずレレケが「先生」と声をかけ、皆にも一様に緊張が高まった。
まるで最後の力を振り絞るような気迫で、ホーラーが言葉を吐き出した。一語一語を、なぞるようにして。
「儂はお前に……何もして……やれなかった」
「ホーラー様」
「だから……儂はお前に、伝えられるだけの事を……伝えた……。後はレナーテや王、それに……お前の周りにいる者たちの声に耳を傾け……お前自身で決めろ」
唇は干からびているのに、血も出ない。声を出す事こそ、己に残された最後の使命だと言わんばかりに、ホーラーは続けた。
「世界の開拓者よ……お前が……切り拓け……」
それを最期に、ホーラーの体から何かが抜けていったように、その全てが制止していく。
思わずレレケが脈をとる。息を確認する。
無言の時が、重苦しく流れた。
やがてレレケが固く目を閉じ、大きく息を吐いた。
「大丈夫、意識を失われただけです……でも、もう……」
よもやという思いが錯綜しただけに、皆が大きな息をついた。
それでもレレケの言う通り、もうこれが最後に交わせる言葉だったかも知れない。いや、そうなる事は予想出来たし、それは後に事実となる。それでも今は、これ以上の人の死を受け止めたくはなかった。
そんな安堵の、溜め息だったのかも知れない。
かつてはゴート帝国で工聖の称号を授かり、帝国最高位の国家最高錬獣術師にまで昇り詰め、獣王殺しのウェルーンをはじめとした数々の名騎を生み出した偉大なる賢人。
やがて在野に下るものの、メルヴィグ王国でも国家最高錬獣術師となり、〝覇導獣〟レンアームや理鎧獣の創造、更には獣理術を世に広め、大陸を繋ぐ一大通信網の設立の中心にいた人物。
二国家で国家最高錬獣術師となった、歴史に名を残す大・錬獣術師ホーラー・ブク。
彼が静かに息を引き取るのは、これからわずか数日の後の事になる――。




