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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第四部 第三章「最強と最凶」
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第四部 第三章 第七話(終)『終狼』

「ザイロウ!」


 走馬灯のような白昼夢の中と同じく、イーリオはあらん限りの声で叫んだ。 


 一〇〇フィート(約三〇メートル強)先から出されている白煙。

 それがすぐに消え去ると、人狼ではなく体が前と後ろで分かたれた大狼(ダイアウルフ)の死体へと変わっていった。


 立ちあがろうとするイーリオ。しかし足に力が入らない。体が動かない。

 何故? どうして? こんな時に?!


 けれども現実はどこまでも冷酷で、ザイロウの体は再生される事もなく、イーリオはその場からただただ動けないままだった。


 周りにいる銀月団の団員も、茫然自失となる。

 あの団長が、敗北した。何より、ザイロウを喪った。


 事実はどう否定しようとも変わらないのに、それを現実だと理解出来ない。シーザーなどはイーリオだけでも助けなければと思うものの、彼も疲弊と傷の重さで、鎧化(ガルアン)を維持するだけでもやっとだった。


 ファウスト=ベリィ以外のここにいる誰一人として、身動きすら取れなかった。


 そのファウストが、神魔王狼(シンバクブワ)の顔で呟く。


「いささか呆れたな……。ここまできて尚、しぶとく生き残るか、イーリオ・ヴェクセルバルグ」


 体から炎球が出された。

 あんなものを生身で受ければ、死ぬのは一瞬だろう。


「己の鎧獣(ガルー)に助けられて、生き恥を晒すとはな……。ふん、どこまでも俺を皮肉るつもりか」


 かつてファウストは、ベリィの前の騎獣ノイズヘッグを犠牲にしながら、本人だけは生き残ったという経緯があった。その事を自分で嘲笑ったのだろう。


「ならば貴様も俺と同じく、まずは己の鎧獣(ガルー)を完全に失うべきだろう」


 言うや否や、無造作な動きで炎球を放つベリィ。

 炎はザイロウの死体に直撃し、あっという大狼(ダイアウルフ)を真っ赤に包み込んだ。


「ザイロウ――!」

「これで貴様のザイロウは、二度と再生出来なくなったというわけだ。さて――次は貴様だ。俺の時のように助からせはせん。鎧獣(ガルー)を失い、何もかもをなくした絶望の中、貴様は死んでいけ」


 ファウスト=ベリィが、足早にこちらへと近付いてきた。逃げるための力は入らず、心の中まで絶望に浸されてしまうイーリオ。


 最後にザイロウは言った。


 折れるな、折れて尚、立ち上がれ、と。


 そんな事は無理だった。


 例え今、銀月団の仲間や生き残った者達が束になっても、ただベリィによって燃やされてしまうだけでしかないと断言出来る。戦ったイーリオだから分かる。あれに太刀打ち出来る鎧獣騎士(ガルーリッター)など、ここにはいない。いや、どこにだっているものか。


 残された最後の心まで、真っ黒に沈んでいこうとしたその瞬間だった。



 音に反応したのは、ベリィ。



 彼が即座にその場から後退した瞬間、イーリオとファウストの間の地面が、爆発したように砕け飛ぶ。


「何だとっ」


 それは何かが飛来した衝撃だった。

 巨大な何か。

 濛々とあがる土煙の中、それはまるで槍のようなものに見えた。


「違う……! これは――矢か」


 ファウストの呟きが示したように、人間の背丈を超えるほどの、巨大な矢が突き立っていたのだった。しかし尋常ではない破壊力だし、そもそも鎧獣騎士(ガルーリッター)を相手に矢を放つなど有り得なかったが――


 続け様、今度は紛う事なく巨大な槍が近い位置に突き刺さる。


 今度は矢の比ではない噴煙があがった。


 それは白と金縁で飾られた巨大な騎槍(ランス)

 明らかに鎧獣騎士(ガルーリッター)の武器授器(リサイバー)で、しかもイーリオはそれを目にした事があった。


 あらわれたのは、白の軍勢。


「おのれ――」


 苦々しげに吐き捨てるファウスト。


 彼からすれば、何故と言いたくなるだろうが、それはイーリオも同じだった。


 まず凄まじい勢いで駆け寄ってきたのは、下半身がライオンのようになった半人獣ともいうべき異形の鎧獣騎士(ガルーリッター)

 金縁で飾られた純白の鎧に、白い姿の獅子王。

 ホワイトライオンとホワイトタイガーの混合種ハイブリット・ホワイトライガーというこの世にただ一騎の人獣騎士であり、王国最強にして最高の王騎。



 〝覇王獣〟リングヴルムが、そこにいたのだ。



「レオポルト……陛下?!」


 更に続いて、ライオンの騎士部隊を引き連れた、別の〝覇獣〟もあらわれる。

 虎とライオンの混合種ハイブリット・ティグロンの鎧獣騎士(ガルーリッター)にして、この世で二騎しかいない弓矢を使う人獣騎士。


 王国軍師のカイ・アレクサンドルが駆る〝覇撃獣〟ファフネイルが、王国最強部隊の壱号獣隊(ビースツアイン)を連れて、獅子王に続く。


 だが予期せぬ援軍となったレオポルトとカイだったが、周囲の有様、そして動けないイーリオを見て唖然となる。


「何という事だ……」


 そしてこれをたった一騎で為したであろう、炎と灰の人獣王に視線を向けた。


 その足元に横たわった、黒く煙をあげる大狼(ダイアウルフ)の焼死体にも気付き、思わず絶句する。それが何か、瞬時にして悟ったからだ。


「レオポルトにカイか……。ここにきて今更邪魔が入るとはな。何とも強運な男よ、イーリオ。だがな――」


 ファウスト=ベリィが、処刑人の剣エグゼキューショナーソードを翳した。その刀身が、赤く光る。


 同時に、遠くの間合いから、袈裟懸けの形で剣が振り下ろされた。


 ――!


 リングヴルムとファフネイルは咄嗟に避けたが、反応の間に合わなかったライオン騎士の一騎が、その身を真っ二つに両断されていた。


「この真のウルフバードである〝ヴルーナク〟を持ち、しかもザイロウやアンカラの大将軍ですら敵ではなかったこの俺に、貴様ら如きが何騎数を増やそうとも無意味。今すぐ死にたいのなら遠慮はせん。何騎であってもかかってくるがいい。遠慮なく葬ってやろう。だがもし命を永らえさせたいと願うのなら、そこのイーリオを放り出してここから逃げ出せ。さもなくば消し炭の数を増やすだけだぞ」


 メルヴィグ王国最強の王家鎧獣(ロワイヤルガルー)二騎と最強部隊を前にしても、ファウストに動揺の色は微塵もなかった。それどころか第二獣能(デュオ・フィーツァー)という最強形態を既に出しているあのリングヴルムまでいるというのに、それすらも路傍の石ころ程度としか認識していないかのような発言。


 驕りというにはあまりに行き過ぎたように思えるが、そうではない。

 それほどの実力差があると、イーリオは理解していた。


「陛下、カイ様……! 奴の言う通りです。今すぐここから逃げてください。僕の事は構いません。でないと、陛下やカイ様まで失う事になってしまいます……!」

「イーリオ君、その気遣いなら無用だよ」

「レオポルト陛下」

「僕たちは分かっていて、ここに来た。ただ、来るのがあまりに遅過ぎた……。もう少しだけでも早く着いていれば、事態は変わっていたかもしれない。けれどもだ、メルヴィグ王でありカイゼルン公を師と仰ぐ一人として、君の事を見捨てるわけはない! そうだろう? カイ」

「御意にございます、陛下」


 地に突き立った騎槍(ランス)を抜き取り、それを脇に構えるレオポルト=リングヴルム。

 カイ=ファフネイルも、弓に矢をつがえた。


「愚かな者どもだ。一国を率いる身でありながら、事の軽重も見極められんとはな。よかろう、諸共余さず灼き尽くしてくれる」


 神魔王狼(シンバクブワ)も構えを取る。

 宣言通り、この場の全員を全て灰にしてしまおうという体勢に見えた。



 が、この時だった。



 ファウストは人知れず、己の身に起きた異変に気付く。

 対峙する誰もがそれに気付いた様子はない。ファウストだけが、それに気付いた。


 ベリィの中、ファウスト自身の手が、ほんの僅か――ごく微細で、誰にも分からぬくらいの微かにではあったが、震えていたのだ。


 それが予兆であると、彼は自分で知っている。

 己の事なのだ。何度も経験したこれを、彼が分からぬはずもない。


 ――薬は飲んだ。前よりも保つはずなのに、何故だ。


 思考の中、ファウストは周囲に目を走らせる。瓦礫の山。焼け落ちて見る影もない城砦の跡。そして宿敵の鎧獣(ガルー)の死――。


 ――やりすぎたか。


 限度を顧みず、いささかはしゃぎ過ぎたのかもしれないと気付く。いや、よもやこんな時にこの国の王と軍師が二騎揃って救出にあらわれるなど、想像出来るはずもない。いや、その余力を残す事も出来たはずだと、彼は心中密かにほぞを噛む。


 ファウストの別名は〝傷王〟。


 それはただの見た目からくる渾名だったが、一方で真実を言い当ててもいたのだ。


 己の身に刻まれた火傷の後。

 それが齎す後遺症。

 彼がベリィを纏っていられるのには、限界があるのだ。

 どうやらその限界を、超えてしまったようである。


 だが彼の目的は、ほぼ達成したようなものである。

 もうイーリオが、騎士(スプリンガー)として自分の前に立ちはだかる事はない。その芽は完全に燃やし尽くしたのだ。


 ならばここで気を逸らせ、己に無意味な怪我を負うような愚は犯すべきではないと、ファウストは冷静に状況を見極めた。


 一触即発の空気の中、おもむろにベリィは、炎球を目の前に叩きつける。


 数発もの火炎の災禍。レオポルトは瞬時の反応でイーリオを抱えてこれを回避。カイも避けながらベリィに向かって矢を放つも、その直前に巨大な爆発が起き、視界から姿を見失う。


 緊張が走る。


 目で見えないとなると、いきなり襲われる危険があるという事だ。

 しかし鎧獣騎士(ガルーリッター)の視覚以外の感覚は、超常のそれなのだ。「気をつけろ!」というカイの指令に反応したライオン騎士達に隙はなかった。


 やがて時間がゆっくりと過ぎ――。


 徐々に爆炎と煙が晴れていくと、そこには――



 何もいなかった。



 周囲を見渡す。感度を上げて気配を探る。だがいない。

 あの災厄の魔王とも言うべき〝赤熱の鬣(ロング・レッド・ヘア)〟ベリィの姿が、いなくなっていた。


「逃げた……? まさか」


 レオポルトが警戒を解かずに、カイに尋ねる。


「いえ、そうではないでしょう。何か奴にしか分からぬ事情があって、ここから離れた。我々はただ見逃された――そう捉えるべきだと思います」

「我らが見逃された――か」

「はい。奴にとって目的は、イーリオ君との決着をつける事。それが果たされた今、もうここに用はなくなったと判断したのでしょうね……」


 カイもまだ警戒を解いてはいなかったが、突如姿を消したファウスト=ベリィが、すぐにここへ戻る事はないと、半ば以上確信していた。

 そしてすぐさま、彼は死体となったザイロウの元へ走り、それを調べる。


「誰か、保存液ティンクチャーをここに!」


 カイの鋭い命令に、一騎のライオン騎士が駆け寄った。

 続けて指示を出したカイ=ファフネイルに従い、そのライオン騎士は、焼死体から何かを取り出していく。

 それの意味するところに気付いたイーリオが、こちらへ近付く虎獅子ティグロンの弓騎士を見上げて身を乗り出すように叫んだ。


「もしかして、ザイロウの神之眼(プロヴィデンス)を?!」

「ええ。あれだけ灼かれていながら、神之眼(プロヴィデンス)だけは無事でした。何と言うか……これは通常の神之眼(プロヴィデンス)とは違うものなのかもしれませんね」

「でも――でも、その神之眼(プロヴィデンス)をって事は、まさかザイロウを再生させる方法があるんですか……?! もしかして、王都のホーラー様が、見付けてくれたんですか?!」


 勢いこむイーリオに、カイとレオポルトはライオンの顔を見合わせてから宥めるように言った。


「残念ながらそれは見つかってません。ザイロウの再生は、不可能でしょう」

「そんな……」

「けれども我らをここに遣わしたのは、そのホーラー様なのです。彼が今すぐにイーリオ君を迎えにいって王都へ連れて来るように言ったのです」

「ホーラー様が……?」

「詳細な理由については後で説明しましょう。ただ、今は君も含めてここにいる皆を助け出す事が先です。構いませんね、イーリオ君」


 優しげに諭すカイの言葉に、イーリオは段々と現実世界に引き戻される感覚に陥っていった。



 あまりに――



 あまりに唐突で、惨すぎる別れ。



 通常の鎧獣(ガルー)は、神之眼(プロヴィデンス)さえ無事なら、元通りに再生が可能なのだ。それは製造者である錬獣術師(アルゴールン)が、生成過程を記した調合表(レシピ)を残しているのからである。

 逆に言えば生みの親である錬獣術師(アルゴールン)がおらず、調合表(レシピ)も失ってしまった鎧獣(ガルー)は再生が出来なくなるという事でもある。



 そして千年以上もの時を経ているザイロウの調合表(レシピ)は――


 もう存在しない。



 つまりザイロウの復活は、絶望的という事になる――。



 銀の聖女シャルロッタが託した最後の希望が、ここに潰えてしまった。



 廃墟となったマクデブルク城は、この後に来るであろう暗黒時代を予見しているように、痛々しすぎる姿を晒して風に吹かれるだけ。

 そこにはまだ、熱がくすぶっている。

 レオポルトやカイ達が救出をする中にも、火種は時折姿を見せていた。

 まるで夥しい絶望の余燼が、未だに希望を見出そうと踠く者達を、残り火で焼き尽くさんとしているかのように――。



※※※



 このしばらく後――。


 助け出されたイーリオ達も去り、ただの焼けた跡になったマクデブルク城に、一人と一体の影が姿を見せていた。


 影は焼け焦げた残骸からザイロウの焼死体だったものを見付け出すと、そこから焦げて原型もなくなったいくつかの塊を拾い上げる。


 その者の傍にいる大型の獣は、いささか嫌そうに顔をしかめていたが、その彼は意に介さずに残骸を抱えて袋に詰めた。


 そして呟く。


「さて、俺に出来るのはここまでだ」


 獣はその呟きに、何の反応も示さない。その姿に、彼は笑いを浮かべる。


「ザイロウの言った通りだ。まだ折れる時じゃねえぞ、イーリオ」


 その一言を最後に、男と獣の姿は一瞬にして消え去ってしまう。


 それを見ていたのは、草陰に隠れた虫たちや、空を飛ぶ鳥たちぐらいであったろう。

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