第四部 第三章 第七話(6)『蒸解』
ゴールデンウイークSP 毎日投稿ウイーク 最終日!
イーリオとザイロウの長い旅が、終わろうとしていた。
まさにその時、これを走馬灯というのだろうか。
イーリオの記憶に一瞬とも思えぬような時間の中で、今までの思い出が溢れ出すように流れてきた。そして彼と大狼とのはじまりの時すら超え、遂には知らぬ記憶まで見えてくる。
その中で彼は、平原を駆けていた。
いや、駆けているのは自分ではない。これはザイロウの記憶。
ザイロウが自分と重なっているのだ。
背に乗せているのは、シャルロッタ。まだその名前すらない時代の、彼女。
これはそう、イーリオがザイロウと出会うその直前の記憶だった。
シャルロッタを背に乗せて走る自分。
その中で〝彼〟は思い出す。思い出の中で、思い出していた。
彼は見ていた。
夢を。夢を見ていた――。
永い、永い、永遠ともいえるような、永い夢を――。
幾人もの男達が現れた。
それは彼の使い手となるべき候補たち。彼らは常に、自分に手を差し伸べていた。
けれども、どれも自分の求める〝あの人〟ではない。
千年前、自分が唯一己と彼女を託すに足りると認めた〝彼〟。ロムルス――。
千年前、己は〝彼〟のためにあり、〝彼〟のためだけに産まれてきたと思っていた。〝彼〟以外に、自分の〝騎士〟足り得る者などいないのだ。
だが千年前、ロムルスはエポスらの奸計によって巫女を失い、やがて命は尽きてしまった。それ以降、いくら自分が眠りから覚めようとも、〝彼〟と同じ存在はあらわれなかった。
自分がこの世にいる意味は、彼のためにあったのに、その全てを、自分は失っていた。
それよりずっと、あの帝城の地下で何人の人物が姿を見せたか。しかしどのような者であろうと、私の〝彼〟ではない。
巫女も眠りについて久しい。
このまま自分は、神より授けられた使命を全うする事もなく、老いさらばえていくのだろうかと絶望に染まる時さえあった。
だが、〝彼〟のいない今、私にとって世界は灰色だった。だったらこの身が朽ちてしまう方がまだましかもしれない。それもいいだろう、と。
だが、どうした事か。
〝彼〟は――ロムルスはもういない。もう二度と現れることはないというのに、巫女が〝彼〟を感じるという。
そんなはずはない。私は知っている。〝彼〟が存在するはずはないという事を。
何より、巫女と自分は繋がっている。そのように〝創〟られたのだ。巫女にだけロムルスを感じ取れる事などあるはずがなかった。
だが――
自分にも予感があった。胸騒ぎがあった。
何かざわつく。
何かがはじまろうとしている。
それは巫女が、あのはぐれエポスのエッダとかいう女によって無理矢理目覚めさせられたからではない。
こんな思いを、人は運命だと言うのだろうか。
ならば――。
自分の背に巫女を乗せ、一騎と一人ははじめて、千年後の世界に飛び出した。
〝彼〟はいるのか――?
果てしない荒野の向こう。降りしきる雪原の彼方。どこまでも続く空の先にいるというのか?
〝彼〟の姿を探し、駆ける。
この世を導く、〝世界の開拓者〟の姿を求めて。
果てない原野を超え、降りしきる風雨を抜け、やがて辿り着いた。
薄暗い山の中。
獣しかいない木々の生い茂る中に、その緑の髪の若者はいた。
それは――イーリオだ。
――ああ、そうだ。お前こそ、私の探していた者だ。
途端、記憶の波が途切れ、何もない真っ白な空間にイーリオは立たされていた。
そこには、イーリオがいた。
そして授器を着けていないザイロウが、いた。
一人と一騎が、向き合う形で、立っていた。
※※※
走馬灯の走る中、現実では遂にベリィの剣が振りかぶられた。
しかしこの時、奇跡が起きる。
あまりに残酷で、悲劇的な奇跡が。
剣が下ろされる瞬間、ザイロウの背中から突如白いマントが吹き出したのだ。
いや、マントではない。それは間欠泉の如き白煙。
全身から放たれるそれならよく見ているが、ザイロウの背中にのみ、途轍もない勢いで吹き出したのだ。
何だ、とファウストが思う間もなく、処刑人の剣が振り下ろされた。
背からは白煙、前からは鮮血が迸る。
ずるり、と歪む人狼の体。
※※※
「どうして僕だったんだ?」
お前はロムルスではない。お前は神々の定めた選ばれし者ではない。
だから巫女は――シャルロッタと私は、お前を選んだ。
「どういう意味なんだ? ゴートの皇帝家の血は、関係ないのか」
ロムルスとなるには、魂の素養が必要になる。ロムルスの魂の欠片を受け継ぐ者。それが宿命の者の条件だ。
それはお前が今まで出会ってきた者達の中にもいた。
いや、お前の出会いは宿命の者達との邂逅とも言えよう。
「僕の……会ってきた者……?」
ドグ、レレケ、ハーラル――。
「え?」
クリスティオ、ジョルト、レオポルト、カイ、セリム、ムスタファ、それにファウスト――。
「それが、みんな……」
魂の欠片を持つ者。宿命の者達だ。
しかしその誰もが、〝世界の開拓者〟足り得なかった。
「何で、どうして僕が――」
初めて会ったあの時、あれはただの偶然だった。山深い中に皇帝家直系の者が偶然そこにいた。それ自体はどうという事ではないのだ。ただの運命の悪戯というものだろう。
けれどもあの時、巫女はお前に尋ねた。
あの時の言葉。
お前は覚えているか?
「あの言葉……?」
守ってほしい、と。
それにお前は答えた。
守ると。
お前は無垢な心で、巫女と約束をした。
「そんな――そんな返事だけで、僕が……?」
巫女は確信したのだ。
彼女の魂が纏う、もう一人の器〝シエル〟も。
お前ならこの先どんな事があっても、何があろうとも、巫女との約束を違えぬだろうと。
例え巫女に如何なる事が起きようと、巫女そのものがどのようなものであっても、どうなっても、お前は変わらずにいるに違いない。
仮に千年の命がお前にあっても、お前は巫女に対して変わらなく居続けるだろうと、そう思ったのだ。
「どうしてあの時の一言だけで、そこまで」
先に言った候補の誰にも――いや、千年もの間会ったきたどの人物にも、そんな思いは抱けなかった。
お前だけが、本当の意味で巫女を永遠に愛し続けていられると、思ったのだ。
「だからどうしてそんな――」
直感だ。
「直感……?」
そうだ。巫女と私の直感でしかない。
だがこれは、魂の導きが齎した直感でもある。言いたい事は分かるし、どのようにも言えるだろう。だが私も巫女も、確信に近い思いを抱いたのは確かだ。
お前しかいない、と。
「そんな理由で、僕を――」
嫌だったか?
「い、嫌じゃないよ。嬉しいよ。けど、何か納得がいかないっていうか……。何か凄い、この世の秘密みたいな理由でもあるのかと思ってたけど」
お前達の言葉でも言うではないか。
「え? 何て?」
一目惚れ、と。
「……」
一目惚れこそ、魂が惹かれ合った証拠だ。
「……」
私は千年前、ロムルスと何十年も一緒の時を過ごした。あれは私の生涯で、最も輝かしい時だった。あれ以上に満たされた時間はない。
だがロムルスを失い、もうあの時のような幸福は訪れないと思った。
「……ザイロウ」
だが千年という悠久の時を経て、お前と出会った。
お前との時間は、ロムルスの時のような輝けるものではなかった。
「……」
だがな、楽しかった。
千年前にはない、とても幸せな、楽しい九年間だった。
私の長い生涯で、これほどの時を過ごせるなど、思いもよらなかった。
己の生の最後の瞬間こそ、私にとって最も幸せな時だったのだ。
礼を言う、イーリオ。
「そんな、改まって……。それに最後だなんて、まだまだザイロウの寿命は先でしょ? 縁起でもない事、言わないでよ」
ありがとう。
お前は私の最良の友で、最高の半身で、かけがえのない無二の存在だった。
「だからザイロウ……」
お前とももっと話していたかったが、もうここまでのようだ。
「え? 何? ちょっと、ザイロウ、何で離れていってるの?」
お前に伝えるべき事は、もっと沢山あったのだが、まさか最後がこんな言葉だけになるとはな。
「ザイロウ? 何を言ってんの?」
いいか、お前の本質を見失うな。
お前に才能はない。素質もない。運命も選ばれた定めも、何もない。
だがお前は、誰よりも無垢な思いを持って、どんな時にも折れなかった。
だからお前の全てが消え去るまで、何があっても折れるな。
いや、折れて尚、立ち上がれ。
それがお前だイーリオ。
百獣王の名を継ぎし男よ。
「ザイロウ! 駄目だ! 何処に行くんだ?!」
ありがとう。
「ザイロウ! ザイロウ!」
※※※
ザイロウの背から出た白煙の先。
人狼達からは一〇〇フィート(約三〇メートル強)ほども離れた位置に、彼はいた。
ぐったりと尻餅を着き、まるで呆然と魂が抜けたような顔で。
緑の髪と緑の瞳をした青年――イーリオが。
彼の視線の先で、風と共に白煙が消されていき、立ち尽くす人狼と剣を斬り下ろした状態の神魔王狼の人獣騎士がいた。
己の身がここにあるのに、何故目の前に鎧獣騎士のザイロウがいるのか。
思考の何もかもが追いつかないまま、見つめる先の人狼が、歪んでいく。
斜めに線がひかれたように。
右肩から左腰にかけて、人狼がずれていく。
白煙を出しながら、ずるりと落ちていく。
イーリオの眼前で、ザイロウの命が断たれていった。




