第四部 第三章 第七話(5)『業炎魔人』
ゴールデンウイークSP 毎日投稿ウイーク 7日目!
〝破裂の月光〟
イーリオの出したこの技は、超々高速の軌跡がさながら三日月型の残像を網膜に焼き付けるため、そのように名付けられた。
威力は絶大で、出されれば回避はまず不可能。だが動きが大きく、多用するには不向きな技だと言えた。そのためイーリオは、これよりも使い勝手のいい獣王合技として〝心臓抜き〟をこの四年間で覚えたのだ。
では何故それではなく、大技の破裂の月光だったのか?
世に知られた獣騎術ならばファウストとて知らぬはずもない。再度防がれてしまう可能性があった。しかし父・独自のものを更に自分なりに改良したこの技なら、初見で破るのは不可能だろう。だからファウストを相手にこれを出せる瞬間というのを見計らっていたのだ。
軌跡が三日月を描く――その間際だった。
「微温い」
神魔王狼から聞こえた声。
爆破が起きた。
視界が消える。
衝撃は後から続いた。
気付いた時には、全てが終わった後だった。
濛々たる煙の中、大量の血を流し、片膝は折れ、爛れた頭部を晒しているのは――
ザイロウだった。
直後に起きた動きを後追いすると、こうである。
イーリオ=ザイロウが破裂の月光を出すその刹那、ファウスト=ベリィは瞬間的に獣能を発現。しかもそれを両足にのみ出し、自分の足元で爆発を起こしたのだ。
だがそんな事をすれば、下手をすると自分も傷付いてしまう事になりかねない。しかしファウストはここで飛弾駆と瞬転という異なった二流派を混合させた動き――即ち獣合技を発動。爆破による己への被撃をなるべく最小限にとどめながら、回避不能の間合いであったイーリオ=ザイロウの剣から見事に逃れて見せたのだ。
ところが真に恐ろしいのはこの後である。
奇跡のような動きで回避しつつ、ファウストは続け様に獣能・〝掴んだ太陽〟を放ったのだ。
それも腕からなどではなく、己の口から、炎の息として――。
まさかこの間合いで回避をしおおせるだけでなく、反撃までも同時に受けるとは想像だにしていなかったイーリオは、これの直撃を頭部に受けた――というわけであった。
ぐずぐずに爛れた己の頭部から、大量の血の匂いと焦げる異臭が鼻をつく。
既にザイロウの超回復ははじまっているから、これだけの重傷でも、すぐに治りはするだろう。けれど傷の深さよりも、必殺の間合いで出した技が破られた事の方が、イーリオにとっては衝撃だった。
「馬鹿な……!」
あの間合いは、ハーラルを破ったのと同種のものだ。
いや、あの時よりも更に高度ですらある。直前に放った百閃剣すらも撒き餌にし、回避不能の一撃を放つというもの。
「あれが、破られるなんて――」
「それが貴様と俺との差だ。もしこの実力差を紙一重だと思っているのなら、貴様などそこらの雑魚と何ら変わらん。俺と貴様には追いつく事も出来ぬ、天地の開きがあると知れ」
それが己を誇大に見せるファウストの嘲弄であると、イーリオは思いたかった。ほんの僅差の結果でしかないのだと。
しかしその言葉が真実であると、今のイーリオには分かっている。
「貴様は六代目カイゼルンから師事を受け、得意気に思っていたのだろう? だが俺は六代目の師である五代目カイゼルンの最後の弟子だ。それにこの四年間、貴様が騎士の頂点である六代目から教えを受けたように、俺ももう一人の騎士の頂点たる者から教えを受けていた」
「……それは――」
「弟子など取らぬあの者に師事を請うのはおよそ無理だった。だが俺は己の全てをかなぐり捨てでも、あの者の教えを願った。俺の持っていた誇りや経験など、どうでもいい。俺は貴様を確実に破るためならば、何だってすると誓った。そうして教えを許された」
「まさか――」
「俺の新たな師は、我がヘクサニア教国の軍事総帥にして第一使徒〝黒騎士〟ヘルだ」
出自も含め、何もかもが違いすぎると思った。
イーリオもゴート帝国の皇帝家の血筋ではあるが、それを知ったのはつい最近の事である。反対にファウストは生まれながらに王家の王子として生まれ育ち、世界最高の武術指導を受け、敗北後は更にそれすら超えるかもしれない当代無比の者から教えを受けたのだ。
しかも元より、五代目カイゼルンをして「数年違えばカイゼルンの名は違っていたかも」と評されるほどの才能の持ち主なのである。
運と環境に恵まれてきただけでもイーリオは〝特別〟だと言えたが、それを超える者がいるのも現実なのだ。
と――ここで不意にイーリオは得体の知れぬ違和感に気付く。
傷はもうかなり治っているが、ザイロウの消耗が予想以上に激しいのだ。
いや、あれだけの大技と異能を連続で出して消耗しないわけがないと言えるだろうが、それにしては疲労の大きさが尋常ではなかった。それも急速にそうなっている。
――!
咄嗟に己の頭部に手を当てる。
人狼の額にある神之眼。ザイロウの場合、その結石周りに宝石飾りのような器具が着いているのだが、それが半壊していた。
おそらく今の攻撃によるものだろう。
――不味い。
これはトレモロ・ユニットと言い、高齢であるザイロウの消耗を制御するために開発された、特殊な追加授器とも呼ぶべき器具なのだ。これのお陰でザイロウは微細かつ繊細なエネルギーの制御を可能にしており、逆にこれがないと、底の抜けた桶のようにどんどん体力と精力を消費してしまうのである。
つまりザイロウの最大の弱点がこのトレモロ・ユニットであるとも言えるのだが、普通はこれを狙って破壊する事自体が無理なのだ。
三獣王級とまで呼ばれる今のイーリオ=ザイロウを相手に、彼の額を狙って攻撃を当てるなど、一流以上の相手でもまず不可能に近い。更にザイロウには、授器を修復する第三獣能があるため、仮に額のトレモロ・ユニットを砕いても、すぐに元通り再生してしまう。狙うのが困難で、狙っても無意味。
だがこの時ばかりは違った。
この状況で消耗が段違いになれば、これ以上戦わずとも勝敗は決まってしまう。
すぐさまイーリオは、第三獣能発動の号令をかけようとした。
「霊輝――」
しかし何かを察知したのか、この動きをする直前、ファウスト=ベリィは猛烈な速度でザイロウに突撃をかける。同時に、炎の球体をいくつも従わせて。
急速な消耗に回復の最中。
加えて異能を出そうとする直後なだけに、イーリオは咄嗟に出遅れてしまう。
炎球が襲う。かろうじて避けるも、迫る古代猛獣の騎士王。
トレモロ・ユニットの修復まで待てない。
イーリオは本能で判断した。
「〝憑狼身〟!」
剣を持つ片腕から、超巨大な蒼炎の腕が放出される。
第二獣能・巨狼化の応用技。
ザイロウの中では最大級の威力を持つ技でもある。
かつてこれでもって、イーリオはファウストを打ち破ったのだ。ファウストにしてみれば以前の忌まわしい記憶もあるだろうし、瞬間的な判断としては悪くない選択だったろう。
けれどもこれを出せば、間違いなくザイロウのエネルギーは底をついてしまう。通常ならばそうならないだろうが、トレモロ・ユニットが修復出来てない今、消費量はいつもの倍を超えている。それでもイーリオに、躊躇いはなかった。
いや、それしか打つ手がなかったと言えたかもしれない。
もしもこの時、ファウストが以前と同じ鎧獣騎士であったのなら、この技を出すだけで心理的影響があったかもしれなかった。例えどれほどの錬磨を経ようとも、拭えぬ心の傷というのはあるからだ。
しかし今彼が纏うのは、神魔王狼の〝赤熱の鬣〟ベリィ。
あの時纏っていたブラック・ジャングリオンの〝覇剛獣〟ノイズヘッグではない。
振り下ろされる巨人の腕の前に、ファウストは従える炎を一度消した。
――?!
そして叫ぶ。
「〝砕かれる太陽〟!」
巨腕が直撃するのと同時に、巨大な炎の渦が噴き上がった。
それは火柱というにはあまりに凄まじく、さながら炎の竜巻の如く、真紅の豪火を空に昇らせる。
炎は破壊力の塊とも言うべきザイロウの憑狼身を一瞬で掻き消し、そのまま彼らのいるマクデブルク城砦全体に炎と爆発の余波を撒き散らしていった。
手当たり次第に起こる火炎に、堅固かつ王国北部で最大規模の城が、一瞬で何もかもを消し炭にされてしまう。
勿論、城だけではない。
炎の余波はイーリオ以外の銀月団の団員達をも巻き込み、彼らをも火に巻いた。
しかしユンテ達はかろうじて逃げ切るも、参号獣隊の中にはそのまま焼かれる者もいたし、何よりファウストの配下であるはずの角獅虎や角獅虎の変異した飛竜らも、炎に巻き込まれて全騎が倒れている。
もはや敵味方関係すらない。
そしてイーリオ=ザイロウはと言えば――
頭部は元通りになっているものの、今度は右肩が炎で燃やされている。いや、それは火傷などという生易しいものではなく、肉はスープのように溶けて抉られ、中のイーリオの腕まで露出していた。
かろうじてイーリオ自身に傷がないのは、ザイロウの再生機能とせめぎ合ったからだろう。でなければ中の駆り手まで、片腕を失っていたに違いない。
そのイーリオの眼前に、いるだけでこちらが燃やされてしまいそうな炎の魔人が立っていた。
炎球をいくつも従えるのではない。
本人自体が炎の塊。
まさに伝説に言う炎の魔人そのものである。
だがもう一つ驚愕したのは、炎を吹き出すベリィのあちこちから覗き見える輝きだった。まるでそれが水底を見る水中眼鏡のようなレンズとなって、ベリィの姿をこちらに見えるようにしているのだ。
その輝きとは、神之眼。
鎧獣には一つしかないはずの宝石に酷似した神秘の結石。
だが今のベリィに見えるのは、一つや二つどころではなかった。五体の至る所、ベリィの全身いくつもの箇所からそれが露出していた。
「今のはクルテェトニクの時に俺を灼いた技か――」
炎が強い揺らめきを起こし、ファウストの声を掠れさせる。いや、実際に掠れていたのかもしれなかった。
「それもベリィの第二獣能の前では無意味となる」
一歩、炎の魔人が近付いた。
それだけでザイロウの毛先がチリチリと灼かれていく。周囲に放たれる熱量は、煮えたぎる釜の中のようですらあった。
太陽という名の異能は、まさに名前の通りかそれ以上だと言えた。
ベリィの近くにいる者全員が鎧獣騎士か鎧獣術士だから生きていられるのだろう。もし生身のままの人間が近くにいれば、その者はただそこにいるだけで全身は炎に包まれ焼け爛れるに違いなかった。
幸いというべきか、鎧化を解除しているイェルクは、離れた場所にいたから熱波で苦しむだけにとどまれていた。
そのイェルクが暑さのあまり、意識を呼び戻されていた。そしてその場から、声をあげる。
「イーリオ君、逃げるんや……!」
「団長!」
「イーリオさん!」
イェルクだけではない。銀月団の団員らの声もした。
皆、地に伏せるか倒れて身動きが取れていない。この場で立っているのは、炎の魔人とそれに対峙する白銀の人狼だけであった。
しかしイーリオ=ザイロウとて、己の技の悉くが破られ、消耗は限界に近い。
ここまでの絶体絶命は、かつてなかった。既に勝敗がどうのうと言えるような状況ですらない。
――殺される。
目の前に、赫く燃える死の形が迫ってくる。
一歩、また一歩とファウスト=ベリィが近付くたびに、間近にある瓦礫から、溶けるか燃えるかのどちらかになっていった。それは黒くなった後もなお余燼をはらみ、燃え盛る熱を更にばら撒いていく。
助けなどない。
もうカイゼルンもいなければ、数多の戦友たちも、今は遠い。
都合よく奇跡など起きないのだ。
それでもイーリオの目に、まだ諦めの文字は浮かんでなかった。最後まで足掻く、足掻いてみせるのだと彼の内なる獣性が叫んでいる。
動かない右腕から左腕に剣を持ち替え、あらん限りの動きでベリィに斬りかかるザイロウ。
しかしその剣先は、神魔王狼が無造作に翳した腕が触れた直前、有り得ないほどの炎熱に巻き取られ、フライパンに入れたバターのように、一瞬で液状になっていった。
信じられなかった。
この世で最高硬度を誇り、いかなるものでも壊せないはずの聖剣が溶かされてしまうなど。
次の瞬間、炎の魔神はその腕を、今度はザイロウ本体に向けて伸ばす。
それは斬りかかった姿勢のままであったイーリオ=ザイロウの喉を掴み、高く持ち上げた。
「ぐぁぁっっ――!」
炎の腕により、瞬時に人狼の肉が溶かされていく。それに気付き猶予を与えたのか、それともいたぶる目的の為にそうしたのか、ベリィは掴んだ方の腕から炎を弱めていった。
「幕引きだ、イーリオ・ヴェクセルバルグ。最後は俺の剣でとどめをさしてやろう」
みるみる内に炎が弱まり、ベリィの全身にあった神之眼が、体内に吸い込まれていく。だからといって油断などではない。周囲に浮かぶ炎球は幾重にも彼らを取り囲み、隙など微塵も見出せなかった。
ベリィの手から、力が脱けようとする。
剣が振るわれるのだ。
あの処刑人の剣が。
抗う力すら、もうなかった。




