第四部 第三章 第七話(3)『復讐炎王』
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古代絶滅種であるハイエナのような牙科の一種・神魔王狼の両目が、大きく見開かれている。
ジャイアントチーターの人獣騎士に止めをさそうとした直後、乱入があって己の剣が止められたからだ。
当然ながら驚きもあった。だが、怒り、憎しみ、歓喜に渇望――。様々な感情が紅玉のような瞳から、溢れ出しているようにも見えた。
同時に、剣を合わせているザイロウがじりじりと押し込まれていく。
怒張するベリィの両腕の筋肉。とめどなく感情が溢れているせいなのか、無意識に力が倍加しているようだった。肉体、精神共に、そこから発せられる迫力に圧されてしまい、ザイロウが力負けするほどの昂りに見えた。
イーリオ=ザイロウも両足に踏ん張りを込め、必死に跳ね除けようと試みる。しかしびくともしない。
剣を合わせた状態のまま、対峙する両者。
「この刻……! この刻を待ちかねたぞ、イーリオ・ヴェクセルバルグ!」
鼻面がぶつかりそうなほどに肉迫する、ファウスト=ベリィ。
「俺の負った汚点。忌まわしき屈辱そのもの。それが貴様だ、イーリオ・ヴェクセルバルグ。貴様をこの手で灼き尽くす事は、今や俺にとって宿業。これを為さねば、いくら王になろうが大陸の覇者となろうが、俺は自分を誇る事など出来ん」
語りながら、灰色の巨体の全身から、いくつもの炎が次々に燃え盛る。炎の周囲には、微小ながらも凶々しいいかづちが、棘になって幾重にも放出されていた。
さながら怨霊を怪火にして付き従えているかのように、この発火現象こそが、ベリィの率いる軍勢にすら見える。
「今度こそは逃さんぞ。確実に貴様を仕留めてやる!」
吐き出した息と共に、大剣の圧力で大きく吹き飛ばされるザイロウの巨躯。
だがベリィの体格はそれを大きく上回っている。
大狼とて大振りなライオンやトラほどの大きさはあった。しかし神魔王狼はその比ではない。
鎧獣の時ですら十二・五フィート(約三・八メートル)ほどもあるのだ。
鎧獣騎士の今では十六・五フィート(約五メートル)にもなるだろうか。十一・五フィート(約三・五メートル)のザイロウと比べれば、二回り以上も大きく見える。
「〝掴んだ太陽〟」
初手からのベリィの獣能。
いや、この城を灼いたのはベリィであろう。となればイーリオ達が来るずっと前から、獣能を出し続けているのに違いなかった。
剣を持ってない片腕から放たれる、豪火の炎球。
内包された熱量は、鎧獣騎士の肉体ですら燃やし溶かしてしまう。
速度も高速の礫を遥かに超えるもの。
だがイーリオ=ザイロウは、これを一度見ていた。初見であるのとそうでないのとでは、戦いにおいて雲泥の差が出る。
冷静に炎球を躱し、次の炎に警戒しつつも、こちらからの反撃を狙う。
だが躱した目の前にあったのは、更に巨大な炎球。炎だけではなく、火炎の周囲から伸びているいかづちも、大きさを増しているかのようだ。
ここでザイロウの感知が訴えた。己の周囲。そこには既に、自分を取り囲むようにいくつもの炎球が放たれている事を。どの位置に逃げようと、身を焦がす灼熱の豪火がある。
炎で出来た致死の円陣。いや、炎陣か。
圧倒的な火力と底知れぬ放出量で、ひと息にこちらを仕留めようとしていたのだ。
どうする――?
死中に活など、見出せる余裕すらなかった。ならば生存本能が為すべきは一つ。ただ本能に委ねて、己の獣性が導くままに活路を創り出す事。
そうだ。道とは己で創り出すものだ。
「〝巨狼化――炎狼魔導〟!」
目論見があったわけではない。
無意識に放つ異能の応用。
背中に出された長大なエネルギーのマントは、出されるのと同時に己を包む盾となる。
さらに告げる、蒼き炎の術。
「〝狼鬼・障壁〟」
幻炎のマントから、夥しい数の蒼白い炎の狼が放たれた。それらは出ると同時に回転して円板状となる。宙に前に後方左右あらゆる空間に、ザイロウを四方から囲む障壁の群れへと変形した。
術が出現したほぼ直後――ベリィの出した炎球が幻炎の障壁にぶつかる。
まるで反発し合う力同士のように、蒼白の炎と赫灼の豪火がせめぎ合う。
だがこれは技と技のぶつかり合いではない。放たれた現象同士の攻防なのだ。衝突と優劣が直後に決まった。
呑み込まれたのは――蒼白の幻炎。
いかづちを触手のように伸ばし、ザイロウの放った障壁は悉くが掻き消されていく。
となれば、イーリオ=ザイロウは四方八方からの炎に灼かれるのみ。
そのはずだったが――白銀の人狼は障壁が砕かれるのと同時に、高く跳躍していた。
直上からの炎球には聖剣を突き出してこれを掻き消す。それでもベリィの出した猛火はザイロウを絡め取ろうとするが、炎狼魔導のマントが防御の皮膜となる。
着地するイーリオ=ザイロウ。
最初の位置から動いていないファウスト=ベリィ。
動かなかっただけなのか、動けなかったのか。この魔法ともいうべき尋常ならざる高熱の炎の正体が分からない以上、判断のしようがなった。
〝赤熱の鬣〟ベリィの獣能。
〝掴んだ太陽〟。
鎧獣騎士の獣能とは、超自然的な魔法や魔術とは違う。あくまで肉体の超常化によって発動するもの。空の天気を操る事など出来なければ、触れずに物を動かしたりも出来ない。何もないところから水や氷は出せないし、炎とて同じだ。
ザイロウの出す白炎や蒼炎は、あくまで膨大なエネルギーが物理現象となって発露しているだけで、炎そのものではない。鎧獣騎士という存在の特異性が産んだ、極点の姿とでも言うべきものだ。
では、ベリィの炎もエネルギーの放出なのか。
そうではない。
ベリィの炎は、自身の細胞を変異させた結果、言うなれば副産物とし出しているものなのだ。
生物が生命活動をする時には、ガスが発生する。放屁などは分かりやすいが、呼吸、即ち吐く息もガス放出の一種である。呼吸の中には二酸化炭素などの他にも窒素酸化物や硫化水素といった揮発性有機化合物が含まれている。その他にも人間ならば皮膚から皮膚ガスというものが出され、これがいわゆる体臭のもととなっている。
ベリィはこの生体ガスを制御し、全身から体外に特殊変化させたガスを放出。
それにより体表にプラズマを発生させているのだ。
このプラズマが発熱・発火と発光を促し、あの超高熱の炎を生み出しているのである。
プラズマとは、いわゆる個体・液体・気体に次ぐ、物質の第四の姿と言うべき状態の事を指す。雷などもプラズマ化した大気から生み出された放電現象であり、惑星の極点に発生するオーロラなども太陽風のプラズマによって齎される発光現象であった。
このプラズマというものがどういうものであるのか。それを詳細に説明するとなれば、いささか長くなってしまうのでここでは割愛をさせてもらうが、ようはベリィは体表の周囲に熱プラズマを発生させる事により、あの超々高熱の火炎を生み出しているというわけだ。
強引に言えば、太陽もプラズマの塊と言えなくもないわけで〝掴んだ太陽〟とはまさに名前の通りの異能と言うべきかもしれない。
とはいえ、当人はそれがプラズマという科学現象によるものだという事は、分かっていなかった。周りの誰もがそうだ。錬獣術によって科学的な知識などは極端に進んでいるところもあるが、理論立ててそれを分析し理解出来るほどの知識など、さすがにこの時代の誰も持っていない。原理を分かっているのは、このベリィを産み出したエポス達であり、彼らから知識の欠片を与えられたヘクサニア教国の国家最高錬獣術師イーヴォ・フォッケンシュタイナーだけであろう。
だがプラズマという現象の名前や、それがどういうものかを仮にファウストが知ったとしても、おそらく彼にとってはどうでもいい事であった。
目的を達するための力であれば何でもいい。神秘だろうが科学だろうが。
だから漠然と、ファウストはこれをオプス女神と神女ヘスティアの加護による奇跡だとして自身を納得させていた。それ以上は考えもしない。少し振り返れば、奇妙だと思う事もあっただろう。だが宿敵への怨念と世界への憎悪で何も見えなくなったファウストには、それを顧みる余裕などありはしなかったのだ――。
ちなみに、炎球から放電現象が起こっていたのは、あれがプラズマによるものだという証でもあった。
そして全身の細胞からガスを発生させて発火させているため、獣能の発動と同時にベリィの体表は目に見えないプラズマの衣で覆っているような状態になる。
つまり、先ほどジャイアント・チーターの〝ゼフュロス〟が攻撃した際、反対に爆発で吹き飛ばされた理由は、これによるものであった。
そのイェルク=ゼフュロスは、両腕が消し炭のような有様になったまま、ぐったりとなって瓦礫に横たわっている。
何とか敵の猛攻を凌ぎながら、イェルクの部下であり副官のメルヒオールと、参号獣隊の生き残りが隊長を助け起こしていた。その救出のまさに手前で、イェルクは強制鎧化解除となった。
見れば、中のイェルクまで両腕がひどい火傷となっている。衣服がないのは勿論、それどころか溶けて皮膚と一体化しているようだった。
皮膚はめくれて爛れ、水泡は出来たそばから弾けてしまう。ぐずぐずになった肉が、強烈な異臭を放っていた。
果たしてこれは、治るものなのか。
だがそれはまだいい方で、鎧獣に戻ったゼフュロスの方は、もう息絶える間近といったところであった。心臓に近い位置にまで前脚が焦がされ、どう見ても回復など望めない。
メルヒオールはキングチーターの顔で悔しげに歯軋りをすると、配下の騎士に、急ぎここから運び出すよう指示を出す。イェルクは勿論、ゼフュロスもすぐに神之眼を回収すれば、再生する事が出来るはずだったからだ。
そしてイーリオとファウストの方へ、目を向けた。
考えたくもない想像が、どうしようもなく沸き起こるのを止められない。
そんな自分の片腕的存在の様子に気付いたのか、僅かに意識を取り戻したイェルクが、不安げなメルヒオールに向かって呼びかける。
「大丈夫や、イーリオ君なら」
「主席官……!」
火傷の跡が残るくらいならまだいい方で、下手をすれば両腕ともに再起不能になる危険性もあった。おそらくその激痛たるや、地獄の痛みであろう。
それでも彼は、意識を必死に繋ぎ止め、自分たちの勝利を確信する一言を告げようとしていた。
彼が託した若者を信じる事――。
それこそがメルヒオール達にとって最も大事な事だと、彼は息も絶え絶えに言った。
「敵の、あのベリィとかいうバケモンは、まさに悪魔の化身っちゅうやつや。その力は破壊に特化しとる。攻撃は勿論、防御をする事までも破壊行為や。あんなもんに太刀打ちすんのは不可能に近い」
「主席官、もうしゃべらないで――」
「せやけどザイロウにはあの再生力がある。あれはそう、まるでイーリオ君の挫けへん思いが形になったかのような力や。あらゆるものを憎しみの炎で灼き尽くす破壊力と、どんな時にも立ち上がってくる心の強さを形にした力。まさに正反対や。それのどっちが勝ってるんか――それはボクゥにも分からへん」
不安げな目のまま、メルヒオールはチラリとイーリオ=ザイロウの方に視線を走らせた。
蒼のグラデーションが変化する、長大な幻炎のマントをはためかせる、白銀の人狼騎士。
「互いに拮抗した鎧獣同士となったら、後は中の騎士次第や。イーリオ君は本人にその自覚はないし、自信もって戦うような性格でもない。どっちかいうと、あの子の事やったら自信なんかこれっぽっちもないやろうな。やけどな、そんな自己評価と現実は違う。今の彼は、正に三獣王級の実力を持っとるよ」
「三獣王級……〝銀月狼王〟」
「そうや。それは紛れもない、本物や。この……この戦いの勝敗を決するんは、多分そこになる。せやから大丈夫や。ボクゥらだけやない。陛下やクラウス閣下や、あのカイゼルン公が信じてるあの彼を、ボクゥらも信じよ」
土気色となった顔に無理矢理笑顔を作った後、イェルクは糸が切れた様に再び意識を失った。
鎧獣騎士のままだったが、咄嗟にメルヒールはイェルクの脈を取り、息を確認する。彼には医術の心得があるため、人獣の状態でもそれぐらいは出来るし、応急処置も彼ならば可能だったからだ。
まだ、大丈夫――。
確認し、ほんの少し安堵する。しかし極めて危険な状態なのは間違いなかった。
今この場を離れるのは、参号獣隊のただ一人生き残った指揮官として許されない行為と言えよう。しかし銀月団の騎士達は、メルヒオールが何かを言う前に全てを察し「行ってください」と口々に告げる。
申し訳なさに胸が潰されそうになりながらも、「すぐに戻りますから」と言って、急ぎイェルクとゼフュロスを安全な場所まで運ぶため、メルヒオールは一時的にその場から離れた。
全速で駆け、全速で応急手当てを行うメルヒオール。
横たわる主席官を見て思う。
イェルクは紛れもなく超一流の騎士であり、ゼフュロスとなった彼はそれ以上の存在だ。そうでなければ長年もの間、ゴート帝国のあのヴォルグ六騎士とも互角に渡り合うなど出来るはずもないし、だからこそ一度たりとて北方の地を侵される事はなかったのだ。
そのイェルクが手も足も出なかった、傷王ファウスト。
灰と炎の獣ベリィ。
それでもイーリオならば――と、強く願う。
――どうか、主席官の仇を取ってください……!
悲痛な思いは、果たしてイーリオに届いていたのか。
いや、それを察する事の出来ないイーリオであるはずがなかった。
彼は己自身も気付かぬ内に、沢山の人々の思いを背負える人間へと知らず知らずになっていきつつあったのだ。
それは敵であるファウストと同様、皆を率いる者――〝王〟としての資質であった。




