第四部 第三章 第六話(終)『双子城』
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突如あらわれた顔中ツギハギだらけの騎士は、自らをこう名乗った。
神聖黒灰騎士団・十三使徒の内、第四使徒。エヌ・ネスキオー、と。
彼が纏うのは豹ほどの大きさがある、古代絶滅種の巨大イタチ。
巨大豹型イタチの鎧獣〝ネフェリム〟。
つい先頃、アンカラ帝国に配下を連れて攻め込み、帝国最強の武人皇帝であるセリムを打ち負かしたあのエヌとネフェリムである。
「遅くってよ、エヌ様」
「これだけの相手に全滅をしていないとは。なかなかな指揮ではないか、オリンピア」
実際のところオリンピアは特に指揮などしていない。自分の戦闘にかまけて後は引き連れてきた者たちにやりたいようにやらせていただけである。
エヌもそんな事は百も承知で皮肉のつもりで言ったのだが、オリンピアにはその意味が分かっていないようだった。言葉の上辺だけで理解し、ほくほくとした声で「当然でしてよ、をーっほっほっほ」と笑っている。
それに対し呆れるでもなく、むしろ関心を無くしたように無反応なまま、手に持つ剣を自身の頭部に引き寄せた。
それは細身の刀身をした、片刃の直剣。
だが形状があまりに歪すぎる。
剣の背に当たる部分には、筒状の管が通っている。筒は剣先に行くと折れ曲がり、短い煙突のような不恰好さをしていた。よく見れば、長大な煙管になっているのだと気付く。
エヌ=ネフェリムはそれを煙草にして、吸い込んだ。
吸い口にあたる柄頭から煙を吸い、吐き出す。
ルドルフをはじめとした全員が、初めて目にする類いの騎士だった。剣が煙管になっている事もそうだが、煙草を吸う鎧獣騎士など見た事もない。
その不気味さも相まって、全員の警戒の水位が一瞬で跳ね上がる。
全身の体毛は明るめの茶褐色をしているが、イタチ科特有の特徴ある顔だけは、中央に寄るほど黒になっていた。いわゆるクズリなどとよく似ている。
鎧獣時ではヒョウに似た体躯をしているだけあり、人獣となった今も引き締まった痩身であった。
煙草などというもののせいか、気怠げで胡乱にも見える佇まい。
それだけに、どこまでも不気味だった。
だが胡散臭げで危険な空気を放つエヌ=ネフェリムに気を取られてる間にも、角獅虎らは攻め手を休めていない。それにも注意を向けなければいけないのに、ルドルフやジルヴェスターら席官たちは、どうしても目を逸らせなかった。
「先ずは面倒なのから片付けようか」
巨大豹型イタチが、剣の煙管から煙を長く吸い込んだ。煙草の葉が詰め込まれているわけでもないのに、紫煙が周囲にたなびいている。
深い吸い込みの後で吐き出される、長い長い煙。
それはとても長く、吐き出した煙で視界がけぶり、目の前が曇るほどだった。
と――
音が消えた。
走る斬撃。
衝撃を受けたのは、古代巨大ライオンの鎧獣騎士。
ジルヴェスター=R.E.B.Ⅱの腹部。
瞬間的に身を躱したものの、避けきれなかった。刻まれる剣の跡。傷は深い。
「何?!」
全員が目を剥く。誰もがエヌの方に注意を払っていたのだ。ただならぬ剣呑さをもってあらわれたヘクサニアの騎士、それも十三使徒の高位階者である。油断などしていないどころか、これ以上なく警戒していた。
にも関わらず、誰もがその動きを読めなかったし、見えていなかったのだ。
よろめくジルヴェスター=R.E.B.Ⅱ。胸部の武装まで斬り裂かれている。
被撃した本人も、思わず何が起きたのか理解が出来ぬほど。その隙をついて、更に剣が走った。
舞い飛ぶ血の衣。続け様に斬り裂かれたのは、R.E.B.Ⅱの喉だった。
「さっき見せたあの大声の獣能。それも、これで使えまい」
ルドルフは驚きを隠せない。他の者らも同様だ。
ジルヴェスターは騎士団全隊を教える教導部隊、弐号獣隊を束ねる主席官である。単純な獣騎術の実力ならば騎士団でも指折り。他国にいれば騎士団長を任せられるかそれ以上の使い手なのは間違いない技量の持ち主なのだ。
その彼に、こうも容易く、しかも初手のたった一撃で深傷を負わせるなど――。
「さて、次は貴様か」
エヌ=ネフェリムが、気怠げに首を傾げた。視線が合ったのは、ホワイトライオン。
「確か〝守護聖者〟などと呼ばれていたのであったか。成る程、随分硬そうな」
巨大豹型イタチから、煙が吐き出される。
長く深く、まるで煙自体が意志を持ったかのように、それはルドルフの方へと這い寄っていく。
「〝煙霧の守護霊〟」
エヌが呟く。
同時に、再び姿が消えていた。
凄まじい金属音。衝撃。
ルドルフ=ガグンラーズも躱せなかった。だがガグンラーズの第二獣能は絶対防御の反応装甲。受けた一撃は倍する爆発となって相手に返る――そのはずだったが。
放たれた破裂は、ほんのわずかなもの。
不発になった花火のように、僅かに剣を鈍らせるだけ。反対に、ネフェリムの剣から受けた衝撃が、堅牢無比なはずのホワイトライオンの表皮に傷を走らせた。
「兄上!!」
弟のカレルが叫ぶ。
ルドルフは傷を受けた勢いを借り、跳躍で距離を取った。
R.E.B.Ⅱほどの重傷ではないものの、傷を受けたという事実が与えた精神的な衝撃の方が大きい。
「何をした……」
「何も――。ただ俺の前では全てが虚ろになるだけ。何もかもが無為無益。それが俺、エヌこと〝虚無と欲望〟を司るヘルヴィティス・エポスだ」
一同が目を剥いた。
暗黒の魔道士集団エポスの一人がここにあらわれた事に、少なからず動揺が走る。
しかし実際のところ、エヌの言った発言は正しくなかった。
彼は煙に巻こうとしているだけで、故なく異能が無効になる事などない。真実はネフェリムの獣能〝煙霧の守護霊〟の力である。
これは煙草のように見せかけた煙を相手が吸う事で、吸った相手の獣能を弱体化させてしまうというもの。さっきも述べたように、アンカラ帝国のセリム皇帝が不覚をとったのも、この力によるところであった。
そこへいくつもの閃光が、突如として空を裂いて煙吐く人獣を襲った。
アビシニアライオンの鎧獣騎士、バルタザール=オレルスの放った異能の矢である。
オレルスは〝覇撃獣〟ファフネイルと並び、この世でたった二騎のみの、弓矢を武器とする鎧獣騎士なのだ。
しかし矢がネフェリムに当たる直前、その前に黒々とした巨体が壁となってこれらを防いでしまう。
「――!」
オリンピアの駆る、インドヤギュウの人牛騎士だった。
矢の鋭さは鎧獣騎士ですら一撃で死を齎すほどの威力がある。しかしオリンピア=アピスの獣能〝怪異変〟によるものか、人牛の背には刺さるものの、深いものには至っていない。
それどころか、また巨大豹型イタチの姿が消えている。
まさか――!
そう思う間もなく、今度はバルタザール=オレルスの眼前。
煙を走らせ、刃が閃く。
しかしバルタザールとは距離があったお陰か。それともこの中で最高齢になる彼の経験によるものか、剣にもなる大弓で、かろうじてこの反撃を受け流す事に成功する。
だが、エヌの出現から僅か数分。
僅かの間、たったそれだけの間に、攻守の勢いが完全いに逆転されていたのである。
そこへ追い討ちをかけるように、地響きが谺した。
ディーベンガの街の方。街の中央にあった城が、半壊した音である。
街を蹂躙する飛竜や角獅虎らも、もう止めようがなくなっていた。
「何という事だ……!」
カレルは愕然としていた。
覇獣騎士団でもこれだけの実力者を揃えながら、ただ敵のいい様にされてしまうのか。難攻不落の城塞都市が、こんなにも容易く落とされてしまうというのか――。
カレル=ベルヴェルグもまた、さっきまでのような浅い傷ではなく、かなりの深傷を身に帯び始めている。おそらく獣能の持続時間が過ぎたのだろう。こちらもまた、満身創痍であるという事か。
しかしカレルの心が折れきる前。
突如、巨大な爆音が敵の一群に浴びせられた。
「ゥオオオオオオオッッッッッ!」
直撃を受けて昏倒する角獅虎。
音は放たれながら方向を変え、空から街を破壊していた人竜をも墜落させる。
「ジルヴェスター様!」
獅子の口からは大量の血が吹き出している。大音量にも溺れる様な雑音が混じっていた。
それでもジルヴェスター=R.E.B.Ⅱは、喉に手を当て、胸の傷を無理に抑えながら、音撃を放っていたのだ。
だがやはりそれは無理矢理がすぎるというもの。ドラゴンもどきを倒しきる前に、ガボガボと音を濁らせたR.E.B.Ⅱは、急激に音を萎ませていった。
「ガハッ! ぐ……ぐぅ」
喘ぎ声に吐き出す血が混じる。この苦しみ方、おそらく中のジルヴェスターにまで傷は及んでいるのだろう。でなくば最大級のライオン種であるR.E.B.Ⅱの巨体が、こうまで喘ぐ姿を見せるはずがなかった。それでも、
「は――ガハハハッ! 何のこれしき。ま――ガホッ――まだまだこれからだ。のう、ルドルフ殿!」
体の前面を大量の血で濡らしながら、それでも雄々しく立つR.E.B.Ⅱの姿に、ルドルフは目を丸くしていた。
しかしその意気にあてられ――いや、ジルヴェスターの言わんとするところを察し、彼もまた不屈の意志をその目に宿す。
「無論です。しかしジルヴェスター殿、あまり無理に声をあげずともよろしいのではないか」
「何の何の! こんな程度、蚊に刺されたほどでしかござらぬわ!」
いつもの耳をつんざくような大声で大笑するも、すぐに血でむせこむように喘ぐ。
分かっていた――。
今が無理をせねばならぬ時で、それをすべきだと歴戦の勇士であるジルヴェスターは言葉にせず行動で示しているのだと。
ジルヴェスターが、古代巨大ライオンの視線をぐるりと周囲に走らせる。
引き連れてきた味方も、大半が壊滅していた。敵の角獅虎も、一〇騎ほどは倒したであろうか。それでもその倍近い数が残っていた。
既にディーベンガの街は、壊滅に近かった。
「バルタザール!」
不意にあげた、ジルヴェスターの大音声。
「頼んだぞ!」
何をなのか。どういう意味なのか。
ジルヴェスターは今年で五七歳。バルタザールは騎士団最年長の六七歳になる。互いに半世紀以上もの時を生き、人生の半分以上を覇獣騎士団の戦場で過ごしてきた。隊は違えど戦友であり、気心は知れている。
つまり、今の一言だけで充分だった。
アビシニアライオンの中、バルタザールは唇を噛む。血が流れるほどに。
しかし鋼の如き老兵は、そんな内心を微塵も浮かばせなかった。
「……畏まりました」
距離があっても、鎧獣騎士の聴力ならば何を言ったかは分かる。
ジルヴェスターはライオンの顔ごとニイっと笑みを浮かべると、傷の事など忘れたかの様に槍斧を構えた。
「ではいくぞ! ルドルフ殿! 我らが獣能だけではない事を、とくと教えてやろう!」
「はっ!」
巨大ライオンとホワイトライオン、二騎のライオン騎士が、それぞれに駆けた。
同時に、二人の隊長の覇気に圧倒されていたカレル=ベウルヴェルグの体を、何かが拘束する。
「?!」
後ろから組みついたのは、バルタザール=オレルス。更に味方でまだ傷も深くない二騎がそれに続いてカレルを抑えていた。
「何をなされる?! バルタザール殿」
だがバルタザールはそれに答えず、声を張り上げて告げる。
「息のあるものは撤退せよ! これは主席官の命である!」
「なっ……! 何を言ってるのか?! 巫山戯ないでいただきたい!」
「巫山戯てなどおりません」
「では何か? 臆病風に吹かれたか! 貴方ほどの方が」
「どう仰っていただいても結構。しかしこれはジルヴェスター様、ルドルフ様の命令です。今は一人でも多くの騎士を逃し、この事を王都に伝えて後、再戦を期すと」
「馬鹿な。そんな事、兄上もジルヴェスター様も――」
「最後の一声。先のあれがそうでございます。私には、分かるのです」
「……!」
カレルは何かを言おうとして、何も返せなかった。
状況が告げている。バルタザールの行動は、そして兄の無言の指示は正しいと。
彼もロートリンカス家の血を引く者なのだ。上に立つ者としての教えは、幼い頃から叩き込まれていた。
それでも――
「そうだとしても……例えそうであっても……! 私はここに残る! 兄上と共に最後まで戦う。離せ! 私を離すんだ!」
「いいえ、離しませぬ」
「何を――」
「ルドルフ様が望んだのは、貴方も共に命を散らす道ではございません。生きて、己に代わって仇を討てという道なのです。それがお分かりにならぬ貴方ではございますまい」
「そう――そんな事は――いや、それでも私は――!」
「カレル! カレル・フォン・ロートリンカス!」
不意に放たれた厳しい声が、彼の振り解こうとする動きを停止させた。
「それでも名門、ロートリンカスの一人か! お前が兄から教えられたのは、後を追ってみっともなく死ぬ事か!」
人の心を奮い立たせるのが人の言葉なら、人の心を縛りつけるのもまた人の言葉であろう。
バルタザールの声には、そういった力があった。老年になっても最前線で戦ってきた、有無を言わさぬ迫力の様なものが。
まるで強制解除でもされそうな風に、ベルヴェルグの全身から力が脱けていった。
何も言い返せずに兄を見殺しにする。しなくてはいけない自分に、ただ絶望的な無力感を覚えつつ、カレルはこの場から引き剥がされていく。
それを横目で捉えつつ、ルドルフとジルヴェスターは、十三使徒二騎と飛竜に加え、角獅虎という怪物たちがひしめく群れへと、己が身を踊り込ませていった。
ルドルフは、カレルならばきっと己の思いを受け止めて再び立ち上がってくれる――そう信じて。
ジルヴェスターは戦場で散る事こそ騎士としての本懐であると満足をしていた。しかしその一方で、かけるべき相手に最後にこの一言が言えなかった事を、僅かばかりに無念にも感じていた。
――お前の事は、実の息子のように思っていたぞ。
娘婿であり、己の副官でもあるこの場にはいない赤毛のあの男に向かっての言葉。
奴ならば後を任せられる。そんな思いもあった。
このほんの少し前、ここから離れたアクティウムの地で、陸号獣隊のマルガ次席官が植物状態にさせられていたが、ヘクサニア教国の侵攻で覇獣騎士団の主席官に死者が出たのは、これが初めての事になる。
それも二名もの主席官が、同時に命を落とすなど、前代未聞の事であった。
――この後、半ば廃墟となったディーベンガの街、その中心にあるロートリンカス城の壁面から、巨大な宝石の塊の様なものが掘り出されたと、後になってカイ達は報告を受けた。
これによってヘクサニア――いや、エポス達は、破滅の竜の神之眼であるドラコナイトを六個全て手に入れた事となった。
その事を知るのは、まだほんの一握りの人間だけであろう。
ただし最悪の時が近付いてるという予感だけは、多くの人間が感じ取っていた不安でもあった。
※※※
丁度同じ頃、メルヴィグのオルペ公領より遥か離れたゴート帝国の領内のとある場所。
かつては起伏のある街道でもあった開けた場所。
しかし今や周囲の木々は根こそぎ失われ、無惨な荒れ地と化している。それどころか倒された木々はまだいい方で、森であった場所はその森林ごと、大地が抉られ吹き飛ばされていた。また地面にはいくつも断裂が走り、まるでこの世の終わりの様な様相である。
何か途轍もない戦いでもあったのだろう。しかもつい最近の事か。
まさに人智を超えた存在同士がぶつかったかのような跡。
そんな中に、佇む影が一つ。
見慣れぬ色と形をしたローブを纏い、影は片腕を空に翳した。
そのまま凝っとしていると、やがて影の翳した手の平に、何かの気配がまとわりついた。
目には見えていない。だが気配は感じる。
影の腕は華奢で、女性のような細さに見えた。実際それは、女性なのだろう。
「あれを相手に立派だったじゃないか。最後くらい、褒めてやろう」
呟いた声は、低い響きであはあるが女のもの。
「男前だったぞ、ダーク」
女は翳した手に、もう片方を添える、まるでそこに何かがあるかのような手つきで、そのまま胸に押し抱いた。
「眠るがいい」
言葉の後、まるで幽霊か幻像の様に、女の姿は消えていた。そんな影など、最初からいなかったかのように。
ここはつい先頃、歴史に残る戦いのあった場所である。
最強の名を冠した二騎。
百獣王と黒騎士。彼らが戦った場所だった。
その戦場跡に起きた、誰も知らぬ一幕の幻――。
それの意味するところが分かるのは、もうしばらく後の話である。




