第四部 第三章 第六話(3)『南部戦線』
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生き残る――というのは、ある種強さの証明になる場合がある。
運や偶然というのも勿論あるが、死地を潜り抜けてきた数が多ければ、自然とそれに相応しい胆力も持つだろうし、実際に戦士としての実力が備わってくる例もある。
この場合、オリンピア・デュ・ピュイゼという中年女騎士がまさにそうであった。
彼女は元々、騎士ではない。ただの素人である。
戦闘訓練など十三使徒になるまで受けた事はないし、今もロクにしていない。ただ、数え切れぬ残虐行為は行っており、複数の国から懸賞金がかけられるような人物ではある。
オリンピアが使徒になれたのは、天性の戦闘における才能故である。それがあまりに頭抜けていたため、彼女は神聖黒灰騎士団の前身である灰堂騎士団の頃より十三使徒の席にいた。
それでもイーリオを相手に手も足も出なかったり、アクティウム王国との戦では下手を打つなど何度かの苦杯は呑まされている。
だがクルテェトニク会戦では生存した数少ない将の一人であり、他が倒れても彼女はしぶとく生き残ってきた。それらの経験が、彼女を鍛えたのだ。
ただ本人にその自覚はない。生き延びたのは黒母教の主神であるオプス女神の加護があったからとか、自分の実力だからとかだと思い込んでいる。
そういった自己を顧みない性格の場合、大抵は経験を積んでも成長はしないようなものだが、皮肉というか持って生まれた性質というか、彼女は違った。
反省せずとも持ち前の生命力で生き抜き、その度に何故か強くなる。
その結果、今のオリンピアと彼女の鎧獣インドヤギュウの〝アピス〟は、角獅虎以上の戦闘力を持つに至ったのであった。
対するホワイトライオンの鎧獣騎士であるルドルフ=ガグンラーズは、左腕に円盾、右腕に剣盾と、武装も防御で固めた鉄壁の守りを持つ。
我流で読み辛いオリンピアの動きにも反応し、これを何とか捌ききっていたが、手数の多さと読み取り辛いクセの強い攻撃のせいで、圧されているのは紛れもなくルドルフの方だった。
ならば――とばかりにここでルドルフが仕掛ける。
攻防の最中、敢えて作った隙。
それを誘いとは気付かず、オリンピア=アピスが食いついた。
大鉾の巨大な刃が、そこに目掛けて放たれる。大鉾とは、大振りの刃先を持ったいわゆる薙刀状の武器である。長柄なのもあって小回りの効く武具ではないはずだが、オリンピアにかかればまるでナイフのような軽快さとなってしまう。
だが襲い来る刃を前に、ルドルフが号令を放った。
「〝白毛盾〟」
大鉾の直撃と異能の発動が、ほぼ同時だった。
その瞬間、爆発が起きる。
勢いで仰け反ったのは、攻撃を仕掛けた人牛騎士の側。爆発の反動で数歩後退を余儀なくされていた。
「んぼっ?!」
ウシガエルの悲鳴のような、オリンピアの呻き。
ルドルフ=ガグンラーズの体にあった爆風が消えさると、そこには白から銀色に近い光沢を帯びた、ホワイトライオンの人獣の姿があった。
タテガミをはじめとした全身の体毛が複数の毛束となって寄り集まり、一つ一つが小さな板金のようになっている。
まるで全身が鱗状鎧になったかのよう。
ガグンラーズの第二獣能〝白毛盾〟。
見ての通り、体毛を硬質化させて全身を鎧のような姿に変えるという異能である。
しかし真に恐ろしいのは、今の爆発。この鱗状の一つ一つが、攻撃を受けると反動で爆発のような飛散を起こす機能を持っているのである。これは内部に特殊なガスを内包させており、それが攻撃を受けて壊れるか強い衝撃を与えられる事で、爆発を起こすという仕組みになっていた。
火薬ではなく化学物質による爆破。
その煙が人牛の上半身に、濛々とまとわりついていた。
攻撃側が受けた予期せぬ反撃。かつてこれによって、ルドルフ=ガグンラーズは十三使徒の一人を倒している。それほどの威力を持った異能である。
しかし――
オリンピア=アピスを覆う煙が晴れると、そこにあったのは傷を受けた人牛の姿ではなかった。身体中にある、奇妙なヒビ模様――まるで皮膚表面だけがワニの鱗を宿したような外見となっていたのである。
爆発による影響? いや、そんなものではない。
「いやだわ。アナタの異能、アタクシのととっても似てるのね」
「……」
人牛からの、オリンピアの声。その響きから、無傷だという事が知れる。
「アタクシの〝怪異変〟は女神様のご加護によるものだから、さしずめアナタのは異教の神の加護ってトコなのかしら?」
「神の加護……? いや、これは獣能だ。お前のも加護ではなく獣能だろう」
「をーっほっほっほ、無粋な殿方ね。アタクシの〝アピス〟、その能力は女神様より授かった奇跡の力よ。だぁから、アタクシは無敵なの。をーっほっほっほ!」
「言ってる意味がよく分からん……獣能は獣能だろう」
「をほっ、それも含めて神秘の力よ、何を言ってるのかしら」
「含めて……?」
まるで噛み合ってないやり取りに、自身は別の戦いをしている最中のカレルが、思わず横から兄に告げる。
「いやその、兄上、彼奴が言いたいのは例えというか比喩です」
「比喩?」
「ええ。獣能とかそういうのが、黒母教の女神のお陰というような、そんな意味です」
「ふむ。成る程」
冗談の通じないというかおっとりしているというか、そんな兄ルドルフだが、実力に疑う余地はない。
にも関わらず、オリンピアはそれと互角に渡り合っていたのだ。脅威的というかヘクサニアの恐ろしさを体現しているようだが、実は一番の問題なのは、ルドルフ=ガグンラーズと互角だというところではなかった。
カレルが複数を相手にしているものの、ルドルフはオリンピア一騎に抑えられてしまっている。つまり残りの角獅虎は伍号獣隊の隊員やオルペの騎士団員が相手をせねばならないという事であり、到底抑え切れるはずがなかったのだ。
ルドルフらが戦っているその間にも、ディーベンガの街の外壁は既に破壊されている。
雪崩を打って攻め込む魔獣たちの群れを押し留めるのは不可能。これこそがヘクサニア教国の恐るべきところである。
一騎二騎ではない。
主席官級でなくば相手を出来ない化け物が、何騎も何十騎も存在し、それが津波となって襲ってくるのだ。数の論理が通用せぬはずの鎧獣騎士の戦に、その数の暴力を体現させた軍勢。
いくらルドルフやカレルが奮闘しようとも街への蹂躙は、もう止めようがなかった。
それに加え、敵軍には角獅虎を異能化させた空を飛ぶ怪物――飛竜の人竜騎士がいる。空からの襲撃には城壁など何の意味もない。
ドラゴンもどきたちがすぐ様ディーベンガに降りなかったのは、ただ様子を見ていただけのようであり、その様子見はもう終わったという事だろう。
空を飛ぶのは四騎だが、それらが地面に降り立ってオルペ側の防衛軍に挟み撃ちをかけている。しかもその内の一騎は、街の中枢であるロートリンカス城に既に取りついていた。
街と城を同時に攻め落とそうというのか。相手に出来る実力のある者がルドルフとカレルだけになるため、一度に複数地点を攻められると手の打ちようがなかった。
「クソッ」
こうなる状況はあらかじめ想像していたのだが、それでもカレルにとっては歯痒い。
自分達の街が敵によって嬲られているのだから当然だろう。だが己を囲む包囲網を抜け出せる隙はなく、むしろ徐々に苦戦を強いられてさえいた。
ルドルフも身動きが取れない。
何か方法はないか――!
待つだけではなく、カレルも自分で打開する道を必死で探そうとする。しかし良策は何も浮かばない。
ロートリンカス城の尖塔の一部が壊された。神聖黒灰騎士団の人竜騎士を前にすれば、堅固な城でも積み木を崩すような脆さになってしまう。
その時だった。
光が飛んだ。
カレル=ベルヴェルグの頬を掠め、ルドルフ=ガグンラーズの鼻先を通り抜け、恐るべき速度の〝何か〟が閃光となって突き抜ける。
それは空を裂き、天を貫き、過たず人竜を穿つ。
「ギャァァ」
中に駆り手がいるはずなのに、まるで本物のドラゴンのような悲鳴をあげて、城に取り付いた飛竜が落下していった。地響きをあげて墜落したドラゴンもどきの片目には、矢が刺さっていた。
鎧獣騎士に矢が?
当てたのもさる事ながら、どのような強弓でも鎧獣騎士には通じない。そんな事は今更言うまでもない事。
なのに鎧獣騎士を超えた、いや鎧獣騎士と呼んでいいかどうかも怪しいほどの怪物に、矢が刺さっているなど、考えられない。
しかしそれを可能にする者を、ルドルフもカレルも知っている。
振り返った先――。
街の外の更に向こうに、風でタテガミをたなびかせる、獅子の人獣が立っていた。
その手に持つのは、巨大な弓。
「間に合いましたか――!」
カレルが呟く。
それと同時に、ディーベンガの街の中に入り込んだ角獅虎が、突如苦悶をあげて倒れた。その〝犯人〟に対し、人竜の一騎が大剣を振るう。
だが巨剣は届かない。それの手にする槍斧が、剣を防いだのだ。続け様、それは号令した。
「〝絶壊唱撃〟」
呟いた後、大地を割らんばかりの轟音が一帯に谺した。
「ゥオオオオオオオッッッッッ」
地にある砂粒が音の振動で浮かび、音の発生源の大気が、あまりの音圧で歪んで見えるほど。
それは破壊力を持った、凄まじい咆哮。
〝声〟の直撃を浴びた人竜や角獅虎は、一瞬で昏倒してしまっている。周りの者ですら、耳を塞いでこれを耐えんとしているが、悶えて立てなくなっていた。
だが不思議な事に、確かに馬鹿でかいなどという言葉では言い表せないほどの音量なのに、声の向いている方向から外れた位置にいる者は、倒れるほどの被害を受けていない。
咆哮が止み、蹲ってしまった人竜一騎と二騎の角獅虎。音の主は、草を刈り取るような容易さで、それらを葬っていった。
「な、何? 何なの、このおバカみたいにおデッカい叫び声は?!」
いささか滑稽にも見えるが、オリンピアも怒鳴るような大声になっていた。直撃はしていなかったものの、耳も塞がず巨大音を聞いたためであろう。
やがて陽の光を受けて、大絶叫の異能を放った者の姿が鮮明になる。
古代にいた史上最大級のライオン種。古代巨大ライオンの鎧獣騎士。
覇獣騎士団・弐号獣隊のジルヴェスター主席官の駆る〝レクス・エクス・ベスティアⅡ世〟。通称〝R.E.B.Ⅱ〟。
そして城に取り着いた人竜を撃墜した弓矢の主も、配下を引き連れてオルペの軍の加勢にまわった。
同じく覇獣騎士団だが、こちらは漆号獣隊。
バルタザール次席官の駆るアビシニアライオンの〝オレルス〟だった。
「間に合うたな、バルタザール!」
R.E.B.Ⅱの中から発せられたジルヴェスターの声が、戦場に響き渡る。彼の声が大きいのは騎獣の獣能の影響ではなく、持って生まれた大声だからであった。
いつもは耳を塞ぎたくなるような大音声だが、この時ばかりはルドルフとカレルにとって実に頼もしく聞こえてくる。
「はい。カイ様の指示に従い、鎧獣騎士で駆けたのが良うございました」
一方のバルタザールは、実に落ち着き払った恭しさでこれに返す。
「うむ、さすがは我がメルヴィグ一の知恵者! カイ殿下の判断は誠に見事であるな! ところでルドルフ殿! カレル殿!」
いきなり話を振られて兄弟はそちらを向く。
「貴殿らの手が回らぬその他の奴輩は、儂とバルタザールに任せてくれ! 我が覇獣騎士団の席官が四人もここにおるのだ。こんな者どもなど、一気に蹴散らしてしまおうぞ!」
ジルヴェスターとバルタザールの両名は、王都にいるカイ・アレクサンドルの指示でこのディーベンガの防衛に駆け付けたのである。
王都からここまで辿り着くには、もっと日数がかかるのが通常である。しかしカイはこの時、可能な限り到着までの時間を短くしたいと考え、回復薬を大量に持たせた上で鎧獣騎士の足で直接向かうよう命令したのだった。
鎧獣騎士の速度をもってすれば、馬で駆ける何倍もの速さで長距離を移動出来る。ただし通常であれば精力の限界があるため、貴重な鎧獣騎士を疲れさせないためにそんな方法を取ったりはしない。だが事態の重さと性急さを鑑みれば、出し惜しみなどしている場合ではないとカイはレオポルト王に進言。大変に高価である鎧獣専用の回復薬を持たせる事で普通ではあり得ない進軍を可能にしたのだった。
これに対し、焦りを覚えたのはヘクサニア側のオリンピアである。
「んまっ、あんな無粋な大声ジジイに助太刀を頼むなんて、なんて穢らわしい! お破廉恥ですわ! こんなお破廉恥な事、オプス女神がお許しになるはずがありません」
しかし怪女がどれだけ吠え立てようと、文句を言うだけで良くなる状況など有りはしない。
多勢に無勢。こうなっては守備側の勝利は疑いないものかと思われた。
「全くもう……! あのお方は何をしてらっしゃるの?」
何の気なしに呟いたオリンピアの独言。だがルドルフはそれを聞き逃さなかった。
――あのお方、だと? 誰の事を言っている。
それを実際に口に出して問い質す前に、答えの方が先に姿を見せた。
晴天の向こう。遠くの方からこちらに近付く巨翼の影。
それに最初に気付いたのは、ジルヴェスターだった。
「む?」
巨翼はどう見ても、飛竜の人竜。
ここにきて数を増やそうというのだろうか。だがそれにしては、一騎だけというのは妙でしかない。
飛竜は確かに一騎だけでも数百以上の騎士に匹敵する恐ろしさを持っているが、ここに集う覇獣騎士団の席官は、それらを打ち倒せる手練れ揃いなのだ。今更一騎や二騎増えたところで脅威にはならない。
しかし巨翼の輪郭がはっきりとしてくると、その奇妙さに気付く。
人竜の背に、別の影。
ツバメにも並ぶほどの恐るべき速さで、瞬く間に人竜がこちらへ辿り着いた。背に乗せられた影も、そこから降りる。
足をつけたのは破壊された城壁の上。
全員を見下ろす中央の位置。戦場の真ん中に降り立っていた。
飛竜はと言えば――他と変わりはない。
問題は運ばれてきた者の方にあった。
黒灰色のローブを纏った男。髪の色は金髪や黒髪や赤毛に白髪など、いくつもの色がまだらになっている。皮膚の色も同様だった。顔中に縫合跡があり、それらが区分けされたパズルのようになって縫い跡を境いに違う色の肌を繋ぎ合わせていた。
傍らにいる鎧獣も、種別不明の肉食猛獣。猫科でも犬科でも、ましてや熊類などでもない。
「やっとお着きになったのね。もう、淑女を待たせるなんて、いけずな殿方」
どの口で自分のことを淑女などと言うのか。オリンピアの発言に耳を疑いたくなるようであったが、今はそれよりも敵側にもあらわれた加勢らしき騎士である。
ツギハギ顔の男は、横にいる己の鎧獣を一瞥した後、愛獣に頷いていきなり身を投げ出した。
同時に発する「白化」の号令。
白煙と共に着地する。
その白煙が消え去ると共に、見慣れない鎧獣騎士が、そこにいた。




