第四部 第三章 第六話(1)『派遣部隊』
アクティウム王国の領海内に突如浮上した孤島の調査へ、マルガとイヴリンの二名が派遣されていた頃。
入れ違いになるような形で、ゴート帝国の帝都ノルディックハーゲン陥落の報せが、メルヴィグ王国のカイ主席官に齎された。
カイは急ぎその事を国王や総騎士長に報告したのだが、当然ながら帝国自体がまだ混乱していたため、不分明な内容しか伝える事が出来ない。情報が齎された時点で、帝都陥落から数日以上の時間は経っていたものの、この段階でメルヴィグ王国側が把握していたのは、皇帝ハーラルが行方知れずになっていた事くらいである。
誰が命を落とし、その数はどれほどなのか。帝国の国土や帝都はどの程度被害を受け、現在も占拠されているのか、それともされていないのか。更に侵略者であるヘクサニア側の目的が何なのかなどを含め、ほとんどの情報が全くの不明だった。そのため報告を耳にした一同も、返すべき言葉を探しあぐねていた。
ただ、皇帝の行方知れずを除いてもう一つだけ確実に言える事があるとすれば、次のカイの告げた一言であるだろう。
「おそらくそう遠くない内に、王都も同じ災禍に見舞われるでしょう」
ヘクサニア側の真の狙いは分からぬものの、彼の国が領土を広げているのは確かで、いずれメルヴィグにも大規模侵攻をするのは目に見えていた。
だがそれとは別に、先頃レオポルト王の元にあらわれた〝銀の聖女〟シャルロッタの幻が告げた話を信じるならば、この王都にはヘクサニアの連中が欲している〝欺瞞の橋〟なるものが眠っているという。
聖女の幻像によれば、近い内にそれを狙ってヘクサニアが王都に攻めてくるのは間違いないらしく、つまりノルディックハーゲンの出来事は、すぐ未来の王都の姿――という事を暗示しているという事になるのだ。
それはつまるところ、漆号獣隊の主席官にして軍司令であるカイが、聖女の発言を全面的に信じると言っているようなものでもあった。
「これは我が国の命運を左右しかねない事態です。でしたら、事は慎重にならなあきません。カイ様はそう仰るが、果たしてその予言のようなもんをホンマやと当てこんでもうてええかどうか。迷うてる場合でないのは百も承知ですが、よう考えて判断せんとあきません」
疑義を口にしたのは、王国宰相であるコンラートである。
「だがカイの言うように考える方が筋が通っている。古代の魔導士に破滅の竜の伝説……。それに陛下が目にした聖女の幻……。最早これは、神話の世界の話だ。そして現に、神話の出来事のような事実が、我々の目の前にあらわれている。信じる以外に何か考えがあるというのか、宰相殿」
カイに同調をしたのは、王国の軍事における最高責任者であり国家騎士団〝覇獣騎士団〟の団長クラウス総騎士長である。
まるで人殺しのような凶相だが、彼はこれが平常の顔であった。
「私かて、考えそのものに異論はありません。せやかて神話の世界の話なら、尚の事現実の問題として落とし込まなあきませんと、そう言うてるんです。何でもかんでもまるっと鵜呑みにした結果、手落ちになってしまった挙げ句、後で痛い目を見るような事だけは避けなあきません。何せ我々のいるのは神話やお伽話ではなく、現実なんですから」
「宰相閣下のお言葉、全くその通りだと思います」
「カイ」
「ですからこの場にもう一人、お呼びしてもよろしいでしょうか」
カイが問うと、国王レオポルトはこれに頷いた。
彼が玉座の間の外から連れてきた女性を見て、やはり――という顔をする王を含めた三名。
「失礼仕ります、国王陛下、宰相閣下、総騎士長閣下」
恭しい――というよりいささか芝居がかった大仰な身振りで礼をしたのは、〝覇賢術士団〟三隊長の一人にしてイーリオ率いる銀月獣士団の副団長レナーテ〝レレケ〟・フォッケンシュタイナーであった。
「お前……カイに頼んだな?」
人殺しの目つきで、彼女の兄クラウスが妹を睨み据える。
だがさすがに兄の扱いは慣れたものと言おうか、レレケは大抵の人間なら竦み上がってしまうこの視線を受けても、まるでそよ風のように受け流していた。
「私は私の責務で罷り越したまでです。私の職責にについてまで、兄上に何か言われる事ではございませんわ」
「咎めようというのではない。お前は陛下より調査依頼を受けたのであろう。それについて何か進展があったから来たのだろうな、という意味で問うているだけだ。そうでなくばさっさと己の職務に戻れ」
「ですから、兄上に何か言われたくありませんわ。私は私の為すべき事のためにここに来たのですから」
仲が悪いというわけではないが、会えばどこか悪態をつきあうのがこの兄妹である。見慣れた光景とはいえ、今は二人の話を長引かせるわけにもいかない。カイが咳払いをして話を進めるよう、レレケに促した。
「仲のよろしい兄妹喧嘩は後でいくらでもしていただくとして……今は話を進めましょう。よろしいですか、レナーテ?」
「あ、はい。失礼致しました、陛下」
レオポルトはにこやかな顔で、気にしてないよと返した。
レレケは王を見ると、内心複雑な思いが浮かんでくる。
少し前、彼女は古文献の調査から読み解いた己の考えを、レオポルト王に直言した。いや、詰め寄ったというべきだろうか。
それは、王から託された王家秘蔵の最重要機密文書〝黄玉秘文〟から導きした内容。
そこにはヘクサニアの魔獣兵器に対抗出来得るものとして、初代王家が密約を交わしたという〝アルタートゥム〟という謎の存在の事が、記されてあったのだ。彼女の師、ホーラーも会った事のあるという半ば伝説の〝騎士団〟である。
ところがそれを召喚するには、王の命を代償とせねばならないという内容が書いてあり、レレケにはそれが承服出来なかったのである。
いくら対策方法が判明しても、王を人身御供にするなど納得がいかない。
いや、それが仮に王でなくとも、命を対価とする事自体にレレケは納得出来なかったのだ。
レレケが王にそう問い質すと、レオポルトは平然としたまま問題ないよと答えたのだった。
アルタートゥムの存在は名前だけなら王家の秘事として代々伝わっているし、その方法も知っている。いざとなれば、王が国のために己を差し出すのは当然だと、笑って答えたのだ。この国王らしい、優しげな表面に包んだ強い覚悟。
彼女のみならず知っている。それこそが、このレオポルト王という人なのだと。
だからこそ余計に、彼女の胸中には複雑な思いが渦巻いていた。
だがレレケが認めようと認めまいと、暴かれた事実は何も変わらない。
今彼女に出来る事は、アルタートゥムの召喚以外に何か他の方策がないかを、探すのみである。
「私がこちらに罷り越した理由は、二つございます。一つは以前よりご報告申し上げております〝神の色の力〟――〝神色鉄〟なるものについての報告です。我が師ホーラー・ブクとの調べの結果、神色鉄なるものは、名前の通り神々より授けられし素材であり、我々では決して生み出せぬもの、この地上ではなく神のいる星の城でなくば生み出せぬものだという事が、文献を読み解いた結論でございます」
「自分達で作るのは無理という事か……。見つけ出す以外に方法がないとなれば、仮にそれを手に入れたとしても、そちらの方途は現実的ではなくなるな」
「どういう事でしょう、陛下?」
レオポルトの呟きに、クラウス総騎士長が疑問を投げかける。それに答えたのは宰相のコンラートだった。
「もしその神色鉄なるものを手に入れたとしても、武器として量産出来るもんやなかったら、意味ないっちゅう事です。敵は一体や二体だけやなく、大軍で迫ってきますから。末端の騎士にまで対抗手段を配備出来ひんのやったら、数で圧されて王国もゴート帝国の二の舞になってしまう。そういう事ですね、陛下、レナーテ殿?」
「はい、宰相閣下の仰る通りです。ですが我々で生成するのが無理でも、まだ調べる価値はあるかと思います」
「と言うと?」
「古代ガリアン帝国の初代皇帝ロムルスが使いし伝説の獣――。物語や神話では詳しい記述のない部分ですが、黄玉秘文にはその名が記されていました。その名を〝罪なる狼〟。西方の読みではこう呼ぶそうです。〝罪狼〟と」
返事を待たずとも、全員に一騎の鎧獣騎士の姿が浮かんだ。
白銀の大狼と、緑金の髪の青年が――。
「かつてロムルス帝がエポスと戦った時、彼は〝罪狼〟の力で神色鉄を己の軍に〝宿した〟のだそうです」
「宿す? どういう意味だ、それは?」
妹の説明に、兄のクラウスが凶相の視線で問い詰める。
「そこまでは書いておりませんでした。けれども遥か千年以上前にもロムルス帝の軍はエポスらと戦い、神色鉄を利用したのです。ですから神色鉄の入手は諦めず、手に入れたらそれを調べ、いずれそれを彼と彼の鎧獣に託せば、もしかすると――」
「イーリオ君とザイロウか」
王の返事に、レレケが頷いた。
「分かった。神色鉄に関しては本格的に探索の任務に当たる者を増やそう。弐号獣隊と陸号獣隊からいけるかい? それとコンラート、君の〝網〟にも頼みたい」
「御意」
「で、報告はまだあるんだったね。続けて聞こうか」
レレケの体と心が身構える。
彼女がここに来た本当の理由は、むしろ今から告げる話の方であった。同時にこれは、憶測の域を出ない、裏付けのない話そのものでもあったのだ。
だが、もし彼女の予想通りなら、事態は間違いなく急を要するものになる。その確信もまた、彼女にはあった。
「これは陛下より託された黄玉秘文からではなく、あの〝北の魔女〟エッダが記したとされる〝螺旋の物語〟から読み解いた内容です」
三人が耳を傾ける。
「敵の中枢とも言えるエポス達ですが、螺旋の物語によると、奴らが破滅の竜の復活を目論んでいるという事は、以前にもお話しました。イーリオ君から奪われたというバール神の指輪も、そのための道具にすぎないと。そのバアラナウトですが、書物によれば、それは破滅の竜の復活にとって最も重要なもの、破滅の竜の神之眼を探すために必要な器具だという事が、書かれておりました」
「竜の神之眼……」
「はい。竜の神之眼は、千年前エポスらがロムルス帝に敗北した事で大陸の各所に封じられたようなのですが、その場所を知るのにバアラナウトが必要だとありました。ただ、書物を記したエッダも独自にその場所を探っていたようで、かなり大雑把ですが、いくつかの候補地を挙げていたのです」
「絞りきれていなかったという事か」
クラウスが値踏みするような表情で呟く。しかしレレケは、それに対して否と返した。
「いいえ、そうではありません」
「――と、言うと?」
「……ここからがこの話の大きな問題の一つ目なのですが――エッダは必要な数の分だけ、候補地を特定していたのです。つまり、竜の神之眼は複数個あるという事です」
三人が怪訝な顔を浮かべる中、まさかという顔にいち早く変わったのはレオポルト王であった。
「そうです。エッダの書物〝螺旋の物語〟によれば、破滅の竜そのものが、一体ではないと書かれていました」
「竜が……何体も……?」
「その数は、六」
「破滅の竜とは、一体だけの存在ではないという事なのか……」
その名の通り、世界を破壊すると言われる破滅の竜が、六体もいる――。
これをどう受け止めるべきか考える前に、レオポルトはある事に気付いた。
「六体――つまり、あのエポスらの数と同じ、だな……」
「はい。ただ、エッダもかつてはエポスの一人で、後にそこから外されたと分かっていますが、それは千年前の戦いの後の話のはず。となればあのエッダも入れて、七人が元々のエポスの人数となります。そうすると竜の数とは合いません。ただ、エッダという存在が〝真理と欺瞞〟の二つ名があらわす通り、元より他とは違う性質や役割を負ったものであったなら、話は変わってくるのかもしれません。これに関しては、何一つ確たる事は言えませんが……」
「成る程。竜とエポスの関係はともかく、少なくともエッダは、その竜の神之眼が隠された候補となる場所を、六箇所挙げていたという事なんだね」
続けたレオポルトの答えに、レレケは無言で頷いた。獅子の王の聡明さは彼女も舌を巻くところがある。
「先も言った通り、具体的には程遠いものではありますが、おそらくその地の何処かに隠されているだろうと書物には記されていました」
その場所を、レレケが順に告げていった――
・大陸を南北に貫くヴォロミティ山脈。
・旧トゥールーズ公国領内のパンノニア平原。
・ゴート帝国領内。帝都のあるリヴォニア州一帯。
・アンカラ帝国の属するユムン地方北部キオス公領、クオン公領の何処か。
・内洋海の島々、または海底に沈んだ地。
「ちょ、ちょっと待ってください。何と仰いました? 今言うた場所、それはもしかすると――」
思わずコンラートが、待ったをかける。
「最初に告げたヴォロミティ山脈というのは、黒母教の旧総本山であったメギスティ黒灰院のあった地。と言っても、大陸の大屋根と呼ばれるほどの長大な山脈ですから、何度も申している通り、特定には程遠くあります。二つ目のパンノニア平原は、今のヘクサニアが治める地。――これについては、ずっと謎でもあったのです。黒母教のかつての総本山がどうしてあんな僻地に建てられていたのか。そしてトゥールーズ公国を狙い、その地を国ごと手に入れたのは何故なのか。黒母教の中枢にいるエポスらが欲しているものが眠っている国だった――そう考えれば辻褄が合います」
「それは確かにそうなんやろうね。そうやのうて、後の三つや。リヴォニア州言うたらゴートの帝都ノルディックハーゲンのあるとこや。それにアンカラ北部は先頃侵略を受けたと聞いとるし……あと、内洋海にある海底に沈んだ島やて?」
「ヘクサニアの脈絡のない侵略はどういう意図のものか。それにノルディックハーゲン襲撃というのも全く意味がわからない行動でした。しかしエッダの残した螺旋の物語に書かれてある内容とここまで符合しているとなれば、答えは明白ではないでしょうか」
「全ては破滅の竜の復活のため……。伝説は、真実……ちゅう事なんか……」
レレケが入室する前、コンラートは伝説や神話をまるまる鵜呑みにするのは危険だと進言したばかりだった。けれどもそうではないと、まるで状況自体が反証となっているかのようである。
しかしここで、クラウスが疑問を口にした。
「待て。竜は六体、候補となる地も六箇所だと言ったな。あと一つは何処だ」
眼鏡の奥で、レレケが目を伏せて視線を落とす。
ここまで話を進めていながら、それでも何の科学的根拠もない古文書の内容で国事を左右していいかどうか、それが躊躇われたのだ。だが、後には引けないし、最初にこの話を持っていったカイがレレケに賛同したのだ。
それは急ぎ陛下に上奏すべきだと。
そのカイはずっと黙したままだったが、レレケの方を見て促すように首を縦に振る。
彼女も意を決した。
「もう一つの場所は、ここ、メルヴィグ王国の南方域。おそらくはオルペの公都ディーベンガのある一帯ではないか――と、書かれていました」
三人の顔が一斉に強張った。
アンカラは既に謎の侵略を受けているし、ゴートは言わずもがな。いずれ知るところになるがアクティウムの謎の島もそれに間違いないとなれば、今聞かされたメルヴィグ王国南方域に攻めて来るのも時間の問題となる。
ここでやっと、カイが口を開いた。
「これ以上の説明は不要でしょう。今すぐに為すべき事は、オルペのディーベンガに部隊を派遣する事です。出来る限り早急に」
ここまで状況を列挙すれば、もう疑えるはずもない。カイは言下にそう言っていた。
レオポルトが表情を厳しいものに変え、クラウスに問う。
「今すぐ派遣可能な精鋭を揃えるんだ。誰が出れる?」
「相手がヘクサニアの角獅虎やドラゴンもどき、それに十三使徒となる可能性もあるとなれば、主席官級となるでしょう。今でしたら私かカイ、ジルヴェスターとなります」
「カイは全体の指揮や状況の把握に、ここに居てもらわなければならん。クラウス、君も今すぐとはいかないだろう。王都の守りもある。となるとジルヴェスターと弐号獣隊だが、リッキーは確かまだクレーベから戻る途中だね」
ここでカイが意見を述べる。
「我が漆号獣隊ですが、私の命でバルタザールを王都に出向させています。おそらく今キルヒェン公領に害の及ぶところではございませんから、バルタザールならば共に加われます」
「分かった。ではすぐに動ける騎士と覇賢術士団から動ける理術師を集めるんだ。そのまま大至急ジルヴェスターを指揮官に、バルタザールを副官にしてディーベンガに部隊を派遣する。王都の態勢も整い次第、第二陣としてクラウス、君も向かってくれ。それとレナーテ、君は先にこの事を伍号獣隊のルドルフとカレルに擬獣で知らせるんだ」
「御意」
レオポルトの指示に、全員が頷いた。
果たしてこれは、凶兆を防ぐ一手となるのか。それとも遅きに失した足掻きとなるのか。
騎士団軍としては異例の精錬さを誇る覇獣騎士団だけに、十五騎という少数ではあったが、この日の内にジルベヴェスター率いる派遣部隊は、オルペ公領へと向かう事となった。




