第四部 第三章 第五話(終)『魔障侵食』
初期型・角獅虎という異形の怪物騎士の指が鳴らされると、マルガをはじめとした周囲の鎧獣騎士全員から、間欠泉の如き白煙が吹き出された。
「なっ――!」
マルガやイヴリンだけではない。周りの角獅虎達も皆一様に同じであった。
やがて寸暇の間もなく、鎧化を解かれた者達が呆然と立ち尽くす。
鎧獣騎士のままなのは、クリスティオと離れた位置で様子見をしていた角獅虎、そして初期型・角獅虎のドン・ファン=リドワンのみである。
「強制解除だと?」
リドワンが齎した大地の爆発。その直後、全員が全員、敵味方関係なく鎧化を強制解除されていた。
咄嗟の事でクリスティオは回避するだけしか出来なかったが、一連の出来事ははっきりと目にしている。
彼との攻防の最中、突然リドワンが身構えたかと思うと、両方のツノが巨大な矢のようになって前方に放たれたのが最初。それが大地に突き刺さると錐揉み状に深く潜り、あの大爆発を起こしたのである。
それを見た直後は、凄まじい威力だが避けられぬものでもない、遠距離攻撃型の獣能だとクリスティオは思った。だがどういうわけか、爆心地にいた全員の鎧化が解かれている。
そこで思い出す――。
爆発した直後、粉々になった大地の破片の中に、いくつもの輝く光があった事を。それらは細かな礫となって、雨のように全員の体に当たっていた。
おそらくあの光こそが、あのツノの能力の本質なのだろう。
となれば、放たれたツノは攻撃そのものというより、あの光を運ぶための袋のようなものというべきか――。
クリスティオが己の推理を端的に告げると、ドン・ファンは肩をすくめて、琥珀人狼の王に賛辞を送った。
「あのたったの一度だけで、我が〝愛で塗りつぶせ〟を見抜くとは――。いや、本当に空恐ろしい。口だけではないなぁ。いや、それ以上――実力は本物というわけだな」
「貴様こそ……何とも奇妙で恐るべき能力だが――。しかしだ、強制解除をさせただけでは話にならんぞ」
「ああ、君の言いたいのはこうかい、クリス? もう一度鎧化すればいい、と。だが残念。そんな中途半端な獣能が、このリドワンの能力なわけがなかろう?」
ドン・ファンが告げた通り、既にマルガらは再度の鎧化を試みている。だが、何度「白化」と発しても、彼女らが再び獣を纏う事は出来ないようだったのだ。
「いずれ時間がくれば、元の通り鎧化も出来るようになる。が、一定時間は鎧獣騎士になれなくなるのだよ」
厄介な力――。
そう認めざるを得なかった。
だが幸いな事に、クリスティオは被弾しなかったし、マルガ達だけならともかく、敵の角獅虎も強制解除になっているのだ。様子見の一騎は残っているものの、警戒を怠りはしなければ直ちに危機になるという事はないと言える。
クリスティオがそこまで思考を巡らせた時、その考えを読んでいたかのように、嘲笑う声が彼の論理を遮った。
「敵も味方もまるごと強制解除になったのだから、とりあえずは問題ない――そんな事を思ったか? おいおいクリスぅ、忘れたか? ここにいる連中が、どういう者達だったかを」
その意味をすぐには理解出来なかったクリスティオだったが、ただならぬ緊張感が悪寒となって背筋に走った事で、何を指しての発言なのか即座に気付いた。
――しまった!
振り返り、機敏に反応しようとするが、その前にドン・ファン=リドワンが立ち塞がる。
「おいおい、お前の相手は俺だぞ。余所見をするんじゃない」
戦杖が無数の突きとなって、琥珀色の人狼を貫こうとする。
クリスティオ=ヴァナルガンドは双剣へと変化させていた武装を操ってこれを捌き切るも、助けにいく道は阻まれてしまう。
彼の視界の先に見えるもの。それは、異形が数体。
――竜人。
あのトカゲと人間を合わせたような怪人達が、マルガらを取り囲もうとしていたのだった。
身構えるマルガとイヴリンに、彼女らの鎧獣。
この竜人たちは人間離れした運動能力と、鋭い爪や牙を持つ。しかもそれ以上に厄介なのは、竜人らの背後にいる彼らの鎧獣。混合生物、動物形態となった角獅虎たちだった。
角獅虎は鎧獣の状態でも、並程度の鎧獣騎士に近い身体性を有している。となれば、とてもではないがマルガのブラックジャガーとイヴリンのシヴァヒョウでは、太刀打ち出来るはずがない。彼女らの鎧獣は異形の怪物とは違うのだ。
あくまで通常の鎧獣であり、動物形態の時にはその動物と同程度の身体性しか持っていないのだから。
ジリジリと詰め寄ってくる異形たち。
二人は国家騎士団の副官なだけに、並の人間よりも動きには遥かに自信があった。
それでもこんな怪物たちと生身のままで渡り合えると思えるほど、自惚れてはいない。普通の人間が野生の獅子や虎を相手に素手で勝てるとは思わないだろう。ましてや目の前にいるのは、獅子や虎を遥かに超える存在なのだ。
一騎の竜人が、足を前に踏み出す。
同時に、張り詰めた空気が一層息苦しいものになった。
――来る……!
こうなればイチかバチかで何とかするしかない。マルガがその身を固くしながら、取れるべき最善の手段を頭の中で必死で巡らす。
ざりっ
地面を弾く音。
竜人と角獅虎の全騎が、一斉に踊りかかった。
しかしその動きの直後、激しい突風のような衝撃が、突然の雨となって怪物たちに浴びせられた。
飛びかかる動きは地面を離れる前に墜落させられ、悲鳴と共に血飛沫があがった。
竜人も、角獅虎も等しく。
この人智を超えた化け物たちが、共に倒れ伏したのだ。
何が起こったのか。それは陽光を反射する輝きとなって、マルガたちの瞳に刻まれる。
片足を回し蹴りの恰好でとどめている、琥珀色の人狼騎士。
「今のは――クリスティオ様の獣能?!」
クリスティオ=ヴァナルガンドが、タテガミオオカミの顔で告げる。
「お前こそ忘れたか、ロレンツォ――いや、今はドン・ファンか。この俺のヴァナルガンドが、そこらの鎧獣騎士と比較にならんほど、何もかもが違うという事を」
クリスティオはドン・ファンとの攻防の中、相手の攻撃を避けたように見せかけて、回避と同時に回転しながら獣能を放ったのである。
ふくらはぎの体毛を、いくつもの鋭い刃へと変化させ、これをナイフのように蹴りと共に飛ばす異能。
〝風斬刃〟を。
いくら竜人と角獅虎が生物離れした存在だろうが、鎧獣騎士そのものの防御力を持っているはずもなく、ヴァナルガンドの攻撃を被弾して無事なはずがなかった。
敵は全騎重傷を負ったようで、窮地は一転して離脱の好機となる。
マルガとイヴリンが互いに頷き合い、駆け出そうとした。
だが今度は、太陽が雲に隠されたように、二人と二体を覆うような影が、地響きと共に空から降ってきたのであった。
――!
もう一体いた、灰色の怪物。様子見をしていた角獅虎である。
――不味い!
咄嗟に反応するマルガ。跳躍の恰好で、イヴリンに飛びかかった。
人間の持つ反射で、鎧獣騎士の攻撃を躱せるはずがない。そんな事は百も承知だろう。しかしそんな理屈よりも、マルガの体は勝手に動いていたのだ。当然ではあったが、超常の人獣騎士の目には実にゆったりとした動きとして、映っていたに違いない。
牙が並んだような魔獣の大剣が、イヴリンを庇おうとするマルガ諸共、二人の体を真っ二つに切り裂こうとする。
が、剣が振り下ろされた直後、凄まじい金属音が宙で火花を散らし、怪物の凶剣は弾き返されてしまう。
地面に転がるマルガとイヴリン。二人とも無傷だった。
彼女らを救ったのは、飛来した剣。
クリスティオ=ヴァナルガンドの投げた大剣であった。
彼が咄嗟の判断で己の武装を放り投げ、二人を助けたのである。
恐るべき機転だが、同時に自身の武器を手放すという、更なる窮地も招いてしまう事になる。だが今は、この一瞬に賭けるしかない。
「ぼやぼやするな! 走れ!」
叫ぶ若き王。鎧獣騎士を相手に走って逃げるなど無意味でしかないだろう。だがそれでも万に一つの可能性を信じ、彼は命令した。
例えどのような状況でも、自分の目の前で女性が無惨に斬り裂かれるなど、クリスティオにとっては最も許し難い事だったから。
立ち上がり、走り出すマルガとイヴリン。
その時だった。
斥候・偵察の達人であるマルガですら、これほどの窮地の連続では、気付けるはずもなかったのだろう。ましてやイヴリンにこれを気付けというのは、酷な話であった。
重く、焼けるような痛みが、マルガの肩を襲う。
激痛と共に、彼女はそのままうつ伏せに地面に倒された。
組み伏せているのは、トカゲ頭の怪人、竜人。その牙が、彼女の右肩に食い込んでいた。
「先輩っ!」
イヴリンが叫ぶ。同時にマルガの騎獣のブラックジャガーとイヴリンのシヴァヒョウが竜人へ飛びかかるが、その身に攻撃を受けながら、竜人はマルガから牙を離さない。
「うああっ――!」
激しい痛みのあまりおきる、悲鳴。
イヴリンも冷静さをかなぐり捨てたように、トカゲ人間に体当たりを喰らわせた。その衝撃で、マルガの肩肉をごっそり奪いがらも、竜人がマルガの体から離れる。
そこへ、緊迫と混乱を破る声が轟いた。ライオンのようにひび割れながらも、馬やゾウのように伸びのある咆哮が、辺りに谺す。
「ふむ。終わったか」
いきなりの声に反応したのは、ドン・ファン=リドワンだった。
彼は攻撃の手を唐突に止めると、一人呟きながら、その身を翻す。
何だ? ――と思うのも束の間。
クリスティオもドン・ファンの見る視線の先へ目を向けると、そこには地下から這い出したもう一体の角獅虎がいた。
――そうだ。最初のイヴリンの報告だと、こいつらの数は七体だった……!
だがそれは、この攻撃に参加しようとしてあらわれたのではないらしい。灰色の人獣は、何か巨大なものを脇に抱えている。
――何だ……あれは?
陽光が反射し、眩い光が目をさす。抱えているのは六・五フィート(約二メートル)はありそうな、巨大な宝石の塊のようなもの。
「だったらもう、用はないな」
満足そうに確認したドン・ファンが、再び戦杖を構えてみせる。
とどめをさそうというのか――! そんな風にクリスティオも反応するが、しかし初期型・角獅虎の巨体は、人狼を一瞬ですり抜け、目にも止まらぬ速さでマルガ達の方へと向かった。
「――!」
しまった、と思ったが、血飛沫を上げたのは彼女らではなかった。
絶命したのは、己の配下たち。
その身にヴァナルガンドの異能の刃を受けて苦悶していた竜人と角獅虎たちの生き残りを、一瞬で皆殺しにしたのであった。
「な……っ! 何?!」
リドワンの手にかけられなかったのは、後で参戦した鎧獣騎士のままの角獅虎と、血まみれながらもマルガを襲った竜人のみである。
「どういう――どういうつもりだ?!」
思わず叫び声をあげるクリスティオ。何故ここで、味方を手にかけるのか。
竜人と角獅虎の生き残りらはヴァナルガンドによって傷を負いはしたものの、直ちに死ぬほどではなかったはず。
武器を手放したクリスティオや、武装を解かれたマルガ達を始末しようというのならまだ分かる。ところが目の前で佇むロレンツォだった男は、全く理解の出来ない行動をしたのである。
しかし怪物を纏う道化から返ってきたのは、乾いた響きの嘲笑。
「何が可笑しい」
「こいつらはもう鎧化出来ん。鎧化出来ない兵など足手纏い以下のゴミでしかない。だから処分したまでの事」
ドン・ファンが喋っている後ろでは、残った角獅虎がその身を変化させ、飛竜の人竜へと姿を変えている。
同様に、離れた所で巨大な輝石を抱える角獅虎も、同じ変化をしていた。
「処分だと……。お前達のそのドラゴンもどきは、破滅の竜ではないのか。そんな貴重な破滅の竜を、ゴミ扱いだと――?」
一瞬、空白の時が流れる。
やがて耐えきれなくなったようにドン・ファンが口にしたのは、哄笑だった。
「こいつらが、破滅の竜だと? ウッフフフ、ハハハ、それはまた、面白い冗談だ。まさかそんな風に想像していたとはな。ハハハハッ、それは傑作だ」
腹を抱えて笑うドン・ファン=リドワンとは別に、飛竜は血まみれで生き残った竜人を摘むように持ち上げている。
「こんなのはただの使い捨てだ。そうだな、例えるなら擬獣のようなものだ。便利で実に効果的な〝道具〟だが、使い物にならなくなったら消えてもらう。それだけの存在だよ」
「使い捨ての擬獣、だと?」
「そう答えを急くな。さっきも言ったが、そのせっかちな癖は直した方がいいぞ。まあ、お前がどう思おうが勝手だが、いずれ近い内に、本物の破滅の竜をその目で見る事にはなるさ。嫌でもな。その時まで楽しみにしておいてくれ」
言葉の終わりと共に、飛竜が空へと飛び上がった。その両足をドン・ファン=リドワンが掴み、ぶら下がる恰好で宙に浮く。
巨体に掴まれた状態にも関わらず、人竜のはばたきは力強く、上昇速度はまるで落ちなかった。
「待て! どういう事だ! 何故俺たちにとどめをささない」
「そんなものは必要ない。というよりどうでもいい。俺にとって優先すべきが、時間というだけだ。お前に急くなと言っておいてなんだが、今の俺には早くしなければならん事があるだけだ。お前らの生き死になど、チリ以下の興味しかない」
僅かに嘲笑を滲ませた声で、そのまま彼らは空高く遠ざかっていく。
クリスティオは何度もその名を呼んだが、当たり前のように戻ってくるはずもなかった。
晴れた空だけが、人狼の目に残された――かに思えたが。
「先輩! マルガ先輩!」
悲痛な声が彼の耳朶を打った事で、呆然となった意識が呼び戻される。
マルガらの方へ俊足で駆け寄り、彼も急いで容態をうかがった。
「どうした? それほど重傷なのか?」
「その――先輩が、おかしいんです」
「何?」
慌てるようにヴァナルガンドの鎧化を解除し、彼もマルガを診た。
確かに肩の肉はごっそりと抉られていて、実に痛々しい傷跡を露出させている。しかし惨い傷であっても、意識を失うほどには見えない。通常の人間ならばそれもあるかもしれないが、彼女は訓練された一流の騎士なのだ。この程度で倒れてしまうのは、確かに怪訝しいと言わざるを得なかった。
しかもただ苦しんでいるのではない。
いや――苦しんでいるわけではなかった。
脈もあれば息もある。だがその肌に生気はない。
瞳孔は虚ろに開き、全身が脱力している。
まるでそう――死んでしまったかのような……。
「先輩! 先輩!」
イヴリンの痛々しい叫びだけが、三人の取り残された島に響き渡った。
※※※
しばらく後で時間通りに島へ来た船で本土に戻った三人は、最速で近くの街へ行き、マルガの治療を頼んだ。だがそこの医者ではどうにも症状が分からないとなり、急ぎ王都まで戻ってアクティウムで最高の治療師を呼んだのだが、それでもマルガの意識が戻る事はなかった。
その後である――。ブランドがメルヴィグから齎された報告を受け、彼女の症状が判明する。
〝竜牙病〟――。
竜人に襲われた人間がなる、不治の病。
罹った人間は植物状態となり、魂の抜け殻となった後、憔悴するように死んでいく――。
助かる方法は、今のところ皆無。
それを聞かされた時、イヴリンはいつもの毒舌が、嘘のように凍りついてしまった。
「白チーズを奢るって、約束したじゃないですか。ハチミツをたっぷりかけて……桃と梨とイチジクを乗せて――」
やがて迎えに訪れた上官のギルベルトが来た時には、真っ青な顔で目を充血させながら、何度も謝罪を呟くほどの狼狽えようだった。
一方のクリスティオにも、怒りと後悔でいつもの余裕がまるでなかった。
メルヴィグから来たマルガらの迎えを見送った後、彼は自室に篭り考える。
それを案じて訪ねたのは、総騎士長のブランドと国王の相談役であるフランカ・アラゴン、そのフランカの侍女でクリスティオの想い人でるジョルジャだった。
「俺のせいだ。俺が相手を甘く見た、そのせいだ。あの時、島に上陸などせず増援を呼んでいれば、こんな事にはならなかった」
目を血走らせながら、それとは反対に血の気の引いた顔で呟く。
「それは違います。陛下の判断に間違いはなかった。この国で陛下以上の騎士などありませんし、その陛下が事に当たったからこそ、むしろ犠牲がこれだけにとどまった。そう考えるべきです」
冷静な声で宥める仮面の男を、クリスティオは睨み返した。
「そうだ。犠牲だ。犠牲など、出すべきではなかった」
人道的な思いだけではない。
己が弄ばれたという事実が、彼の誇りを傷付けていたし、何よりも心を波立たせていたのは、ドン・ファン・デ・ロレンツォという男が、ロレンツォ・フェルディナンドと同一人物であるという〝現実〟だった。
「あのロレンツォが、ヘクサニアの騎士に……」
「正確には魂ごと乗っ取られた、とでも言うべきかもしれんが、どちらにせよ同じだ。我が王国の重鎮だった者が、我が国だけでなくこの地の全土に恐ろしい災厄を招こうとしている」
「あの時、銀の聖女が言った通り、ですね」
少し前、クリスティオとブランドのいる前に銀の聖女シャルロッタの幻があらわれ、予見を告げている。
その際には、クリスティオはあまり色良い返事をしなかったのだが、もうそう言ってられる状況ではないと考えるべきかもしれない。
ブランドの言葉に、クリスティオが考え込む。
「何を悩んでるのさ」
割って入ったのは、国王相談役の老女、フランカだった。
「あのロレンツォがとんでもない事をしでかそうとしてるんだ。王であるあんたが止めようとしないで、誰がそれをするっていうのかね。しかも相手は一人じゃない。面倒な手下までぞろぞろ引き連れてるんだろう? だったらブランドや他の人間を遣わしただけじゃあ駄目に決まってる。クリスティオ陛下、あんたが行かなきゃ。その聖女とやらも、そう言ったんだろう?」
「……」
「あたしらの事は心配ないよ。あのアンカラとの戦でも生き延びたんだ。相手がこすっからい手を打ってこようとも、そんなのは大した事ないね。だろう? ブランド閣下どの?」
王だろうが総騎士長だろうが、遠慮のない言葉を放つ、杖をついた老女。
かつて共に死戦を潜り抜けた同士であり、戦いではなく心の支えとなって、クリスティオは何度も彼女に救われている。
「はい。そのために新設した〝ヴァン騎士団〟ですから。実力も忠義も、このブランドが保証します」
抑揚なく肯定する仮面の声。だがそれだけに、確かな信頼感があった。
「陛下――」
フランカの付き添いである侍女のジョルジャが口を開く。
彼女の目と、視線が合った。
浅黒い肌はジェジェンの出身らしい色だが、胡桃のように大きく艶やかな黒い瞳は見る人を吸い込むようで、今や美少女ではなく美女となった彼女の容姿は、傾城と呼ぶに相応しい美しさがあった。
「私もフランカ様も大丈夫です。この国はもう、前とは違うのですから。だからどうか、陛下のお信じになる使命を果たしてください」
四年前は皮肉混じりの硬い会話を交わすのみだったが、今の二人はもうそうではなかった。
お互いの想いに気付かぬはずはなく、だからこそクリスティオは躊躇っていたのだ。
――これ以上、うじうじと悩んでいる姿を見せては、格好が付かないな。
俯いて小さく微笑んだクリスティオが再び顔をあげると、その目にはもう、揺るぎない決心の炎が宿っていた。
「分かった」
「陛下」
三人が、声を揃えて呼んだ。
「ブランド、お前も一緒に来い」
仮面の男は、躊躇いなくその命を受ける。
実のところを考えれば、国内事情的には他国の騎士が領土を侵犯し、何かを奪っていただけ――でしかない。傍目に見れば、まだ大した被害もなく、それほどの事態ではないというのが客観的な判断であっただろう。
けれどもクリスティオとブランドには、これがただそれだけのものではないという確信があった。
ただの国家間の小競り合いなどではない、いずれ来る、未曾有の危機の先触れなのだという確信が。
こうして、クリスティオとブランドの率いるアクティウムの一団は、メルヴィグの王都へと向かう事となったのである。




