第四部 第三章 第五話(3)『神殿島攻防』
白塗りで覆った顔の上に、星型などの模様が原色で描かれている。
口は赤色で大きく裂けたような笑いの形になっており、髪の色も不自然なほどの毒々しい赤をしていた。おそらく染料で染めたのだろう。
それだけならいざ知らず、服装も貴族趣味の高価な仕立てであり、それが顔の化粧とあまりに不釣り合いなため、奇妙さばかりが目に焼きつく。
つまるところ、目の前の男の外見は、誰がどう見ても道化師そのものだった。
だがそこまで顔を化粧で厚く覆っていながら、クリスティオはその下にある正体に気付いたのである。何もドン・ファンの顔かたちに特長的な部分があるからではない。通った鼻筋や彫りの深い目元などから、素顔が整っているのであろう事は窺い知れるが、それだけだった。
ヘクサニア教国国家騎士団、神聖黒灰騎士団。
それを率いる十三使徒の内、第三使徒ドン・ファン・デ・ロレンツォ。
その正体がアクティウム随一の大銀行家であり、クリスティオの母方の実家であるフェルディナンド家の次期当主と目されていた男、ロレンツォ・フェルディナンドであるとクリスティオが見抜いたのには、いくつかの理由があった。
攻撃を仕掛ける時にこの道化が見せた、ロレンツォと同じ指先を重ねる仕草。それと同じく、声。役者のような独特の低音質と、からかうような言い回し。
それらが彼の記憶を強く刺激した。
だが何よりも彼が一瞬で凍りついた最大の理由は、クリスティオをクリスと呼んだ事――だった。
クリスティオの事をクリスと呼ぶ、いや呼んでいた人間は実の家族以外なら、二人しかいない。一人は彼の友人イーリオの想い人シャルロッタ。そしてもう一人が、従兄弟のロレンツォ。
それらが脳裏に走った閃光と共に記憶を蘇らせた時、クリスティオの剣は我知らず振り下ろすことを止めていたのだった。
「しかしクリスよ、俺がロレンツォだとよく見抜いたな。お前がもし俺の事を思い出せていなかったら、危うく命を落としていたところだったぞ」
「巫山戯ろ……。自分で色男のロレンツォなどと名乗っておいてよく言う。その悪趣味な化粧は何だ。今まで何をして、どうしてヘクサニアにいる」
「そう逸るな。それよりも久しぶりの再会だぞ? ここは久闊を叙すところじゃあないか。――いや、そんな目で睨むなよ。相変わらず、お前は王になってもその性急な性格は治ってないようだな」
つい先程、体を両断されかけたばかりだというのに、ドン・ファンの様子はまるで変わっていない。
道化師の化粧よろしく人を喰ったような言い回しだが、おどけているわけでもクリスティオが言うように巫山戯ているわけでもなさそうな声色。どちらかといえば、風貌とは真逆の丁寧な物言いにさえ聞こえる。
「話せば長くなるからまとめると――色々あって、今は見ての通りヘクサニアの騎士だ。十三使徒の第三使徒が今の俺だよ」
「あんたが騎士だなんて初耳だぞ。それもよりによってヘクサニアだと……!」
「能ある鷹は爪を隠すと言うだろう? 隠してたのさ」
そんなはずはない――。
幼い頃からロレンツォの事はよく知っていたし、彼に騎士の素養は微塵もなかったと断言出来る、そうクリスティオは叫びそうになる。
「どうも納得いってないって雰囲気だな。そうだな……五年前、アンカラがトレントに攻めて来ただろう。あの時の混乱に紛れて、俺は父を殺めた」
唐突に衝撃的な事を、ドン・ファンは口走った。
ドン・ファン――つまりロレンツォの父とは先代のフェルディナンド家家長でありフェルディナンド銀行の総帥だったアルベルティ。クリスティオの伯父である。
「は……?」
「アクティウムとアンカラを手玉に取り、俺は全てを操っていると思っていた。だがそれは愚かな自惚れで、俺は国どころかジョヴァンニや父の手の上で踊らされているにすぎなかったのだよ。あの混乱の時、その事を教えられた」
ジョヴァンニとはクリスティオの兄であり、先のアクティウム国王である。彼はアンカラ帝国の侵略で、討死にしている。
「自分は誰よりも世の中を見通している。この世を意のままに出来ると思っていたのに、真実はただの道化者だったと気付かされたのさ。自惚れた憐れな道化だと。――だから、殺した。己の父をな」
「何を……言ってる……」
「道化なら道化らしく、全てを虚仮にして、全てに虚仮にされながら生きてやろうと悟ったのさ。だがそうだと達観していても、父殺しは父殺し。法に照らせば俺は紛れもなく大罪だ。だからそのままでは王国にいられないと考え、彷徨った結果ヘクサニアに流れ着いた。そこで騎士としての才能を開花させたというわけだよ。どうだ? これが俺の五年間だ。この化粧も今言った理由を決意にしただけ。道化そのものになるため、俺は自分の顔を覆い、名前も色男としたのさ」
もっともらしく語っているが、とても本当の事のようには思えない。
人を馬鹿にしたような内容だとクリスティオは怒りさえ覚える。
だがドン・ファンの口振りに嘲るような素振りはないし、むしろ真摯に語っているようにさえ思えるほど。一体どこまでが本当でどこまでが嘘なのか。
それを吐き捨てるようにクリスティオが口にすると、再び誠実と思えるような態度でドン・ファンが続ける。
「真面目も真面目、大真面目な話だよ。嘘は言ってない」
「だったら何でヘクサニアにいる……。拾ってくれた恩だなんて言うつもりじゃないだろうな。あんたはそんな人間じゃない」
ドン・ファンの言葉が真に本当なら、クリスティオは彼の事を全く理解していなかった事になる。だがそれでも、そんな殊勝な事を理由にする人物でない事だけは確かだと、クリスティオは言い切れた。
打算と計算と策謀。それこそがクリスティオの知るロレンツォなのだ。
「騎士になったからな。生き方を変えればものの見方も変わる。お前だって王になってから何もかも変わっただろう? 聞いているぞ、あの女たらしのお前が、女遊びをやめたってな。俺からすればそっちの方が信じられんよ」
「あんたは……!」
会話にならなかった。
どう責めようとものらりくらりと躱されるだけで、怒りが虚しく空回りする感覚さえ覚えてしまう。だがどうあれ、目の前の男が旧知の人物であろうがなかろうが、妨げとなる敵ならば排除するだけである。
「もういい。あんたの事は身柄を抑えてからゆっくり聞かせてもらおう。どうであれ、これ以上俺の国で好き勝手をするというなら、場合によればここにいる不恰好な怪物もどきと一緒に始末するだけだ」
「ほほう。さすがはアクティウム国王にして王国最強騎士と名高いお前の事だけはある。この数の角獅虎を前に動じる事すらないとはな」
「あんたが知っているかどうかは知らんが、五年前、アンカラに手も足も出なかった頃の俺とはもう違う。クルテェトニクの戦の時ですら、もう過去だ。今の俺を止める事は、誰にも出来ん」
クリスティオの宣戦布告を受け、ドン・ファンがニヤリとほくそ笑んだ。
同時にクリスティオ=ヴァナルガンドが仕掛けた。だがドン・ファンも「白化」と発している。またそれと同じくして、両者の間に巨大な影が割って入った。
島にある遺跡の廃墟から発掘作業のような行為をしていた角獅虎の一騎が、躍り出たのである。
しかし角獅虎の放った牙のような大剣を、ヴァナルガンドは華麗に避ける。そのまま生きた突風となって、白煙の方に飛びかかろうとした。
が、琥珀人狼より先に、迎撃が煙を貫いた。
鋭い一撃が高速のタテガミオオカミを撃ち落とそうとする。
瞬きなど追いつかない、刹那の一瞬。
大地に摩擦音が響くほどの足捌きで、身を翻してこれを躱すクリスティオ=ヴァナルガンド。
反転した動きに合わせ、手にした大剣を叩きつけようとする。アクティウム王国発祥の獣騎術、ヴァン流の技の一つ〝回天闘〟だった。
しかし長柄の棒状のものが、国王騎の回転剣を弾き返す。
攻撃は防がれたが、その勢いを利用し、ヴァナルガンドは後ろに大きく跳躍した。
霧が晴れるように白煙がなくなると、そこには通常の角獅虎とはいささか異なる姿の異形の怪物騎士が立っていた。
「これが俺の鎧獣騎士」
怪物の中から響く、ドン・ファンの声。
「初期型・角獅虎の一騎〝リドワン〟だ」
周囲にいる三騎、いや四騎の角獅虎と比べると、見た目は明らかにほっそりとしている。サイに酷似した硬質性の分厚い皮膚は同様だが、鎧のようになっているヒダの表面には、雲型の模様が黒色で浮かんでいた。
ただ、何より異なるのは頭部のツノだった。
通常の角獅虎のツノは、牛科のものに似た、異常に肥大化したほどの大きさのものである。
一方でリドワンと呼ばれたドン・ファンの駆るそれの頭部にあるのは、螺旋を描いて真っ直ぐ錐状に伸びたもの。野生山羊の一種、マーコールのツノと似ていた。
手にする武器も違う。他の角獅虎は大剣だが、リドワンが構えているのは戦杖。
不意をついたつもりの先手が防がれた事からも、性能、能力が双方ともにとんでもないのは充分分かった。それは、特別製の角獅虎だからというだけではない。刹那の攻防だけで、ドン・ファン自身の力量も計り知れないものであると、クリスティオは見抜いたのだ。
だが同時にそれは、ある予測が確かなものであると、クリスティオに確信をさせる事にもなった。
「……確かに貴様はロレンツォだ。喋り口調、クセ、その他の言動もロレンツォで間違いない。だがそれとは別に、騎士としての〝俺〟が言っている。貴様は、ロレンツォではない。お前は違う。ロレンツォだが、ロレンツォではない―― 一体何者だ、貴様」
「……はぁ?」
「貴様がロレンツォの訳がない。騎士の才能が目覚めた? 隠した実力? 馬鹿にするな。貴様の技は、そんな生温いものでない事くらい、俺が分からないと思ったか。才能ではなく、長い年月の積み重なり。修練か何かは分からぬが、貴様の実力はその類いのものだ。俺は天才だからな。才能かそうでないかくらい、一合打ち合えば充分だ。その天才騎士としての俺の本能がはっきりとそう告げている。……お前は、ロレンツォではないと」
意味不明とも取れる、矛盾したクリスティオの発言に、しばし空白の時が流れた。
周りで小競り合い程度の対峙をしていたマルガやイヴリン達も、動きを止めて固唾を呑む。
やがてほんの数秒ほどの間を置いて、ドン・ファン=リドワンが、巨体を揺らしはじめた。
灰色の怪物が、笑っていたのだ。
まるでそんな風に見抜かれる事が、あらかじめ分かっていたかのように。もしくは見抜かれた事自体を楽しんでいるかのように。
「騎士の本能ね……。まったく、貴様らは時に理屈を超えたところで、予想だにせぬ発言をしてくれる。まあ、いつかは見破られる事もあるだろうとは思っていたし、だからこの化粧だったんだが、それにしても会ってすぐ――こうも早くに気付かれるとは、恐れ入ったよ」
当てずっぽうで言ったわけではないし、確信をもったからこその言葉だったのだが、それでもこうも簡単に敵が肯定をするとは、実はクリスティオ自身も思っていなかった。しかしクリスティオが強く断言出来るほど看破したように、ドン・ファンもまた見抜いたのだろう。クリスティオの直感が、揺るぎないものだと。
「俺はドン・ファン――ロレンツォでありロレンツォでない者だ。聞いているだろう? ヘクサニアの魔道士〝エポス〟の名を。その一人、アルナール・エポスがこの俺だ」
「エポス……!」
「五年前はアベティス・ジルジャンと名乗っていた。だがその器を失い、ロレンツォ・フェルディナンドという新たな器を手に入れ、俺はこの姿になったのさ。――ああ、誤解のないように言っておくが、体を奪ったとかそんな低次元の話ではないぞ。さっきも言ったが、俺はロレンツォでもあるし、俺自身がロレンツォだ。ロレンツォの〝魂〟を、己の中に取り込んでいるのさ。つまり俺の発言や行動は、アルナール・エポスではあるが、ロレンツォそのものでもあるという事だ」
聞いても、クリスティオの理解が追いつかない話だった。だが彼は暴走しそうな感情を懸命に宥め、何とか語られた内容を咀嚼しようとする。
「つまり……お前の意思はロレンツォそのものでもあるという事か……」
「呑み込みが早いな、さすがは〝天才〟だ。あとな、さっきも言ったが道化た化粧も含め、そういった部分はまさにロレンツォの意思でこうしている。少なくともアルナール・エポスとしての俺の意志ではない。俺に取り込まれる事を決めたのもそうだし、実の父を殺した理由もだ。――ああ、父殺しは元のロレンツォと会う前の話だったな」
嘘や惑わしで言っているようではないと感じられた。だがそれでも巫山戯た話だと、クリスティオは目眩のような怒りを覚える。
それが殺気となってあらわれたのかもしれない。
ドン・ファン=リドワンが何かに気付いたような動きで、戦杖を構えた。
「さて、お喋りはもう充分だろう。今度はこちらからいかせてもらうぞ」
軽い口ぶりだが、言葉の最後で声が低くなる。
消えた巨体。
琥珀の人狼も反応する。
戦杖と大剣が切り結んだ。火花がいくつも空中で散るが、そのどれもが視認出来ないほどの速度だった。
――こいつ……!
他の角獅虎と違う細身の故か。初期型・角獅虎と呼んだこの騎獣、速さが自慢のようにヴァナルガンドの超高速移動に苦もなく着いてきていた。
だがそれでもやはり、速さの世界でこの琥珀色のタテガミオオカミに敵う者など、あるはずがなかった。
高速攻防の最中にも関わらず、ヴァナルガンドは手に持つ大剣の形状を、次から次に変えていったのだ。威力重視で大剣を振るう中、突如、形を槍へと変え、戦杖との距離の差を補う。かと思えば、二振りに分離した双剣へと変わり、懐へ飛び込んでの撹乱連撃。
目紛しい手数の多さと変化で、徐々にヴァナルガンドが圧していった。
「速さで勝負出来ると思うな」
戦闘の中で放つ、クリスティオの挑発。それは相手の反応を試すためのものでもあった。
しかしその意図を見抜いていたのか、それとも単に無関心だっただけなのか、ドン・ファンはそれに対して何も反応しない。それどころか余裕の素振りで、戦闘をしながら周囲の様子をうかがっているようでさえあった。
一方で、マルガとイヴリンの前には、三騎の角獅虎と、二騎の飛竜がいた。
後から戦闘に参加したもう一騎は、これを観察するように遠巻きで待機している。不気味でもあり余裕の構えにさえ見えた。
しかしそれに注意を払っている余裕など、あるはずがない。
当然だ。いかな覇獣騎士団の席官といえど、これほどの数の角獅虎と、それが変異したドラゴンもどきに対峙した事など、一度もなかったからである。
角獅虎の相手となれば、通常は隊長である主席官があたるものだが、今ここにそれぞれの主席官はいなかった。
それだけに、防戦一方となる。絶え間ない攻撃の波を捌くのがやっと。
二人は徐々に追い詰められようとしていた。
どうすべきか――。
マルガが決断を迫られていると、ここでイヴリン=ジャスティが告げる。
「マルガ先輩、その、先輩にこういう事を頼むのも申し訳ないというか、何というかなんですけど」
「え? 何?」
激しい防戦の中なのに、イヴリンのおどおどした言動はまるで変わっていない。むしろこういう切迫した時には苛立ちさえ覚えそうになるが、そこまで拾って反応している余裕もなかった。
「あ、その――」
「い、いいから、早く言って!」
「ご、ごめんなさい!」
「謝るのも後! で、何?!」
「はい。その……先輩、今から囮になってくれませんか」
「――は?」
「このおっかないのをちょっとだけ引き受けて欲しいんです。一瞬でいいですから」
どういうつもりだと、マルガはブラックジャガーの瞳を一瞬だけそちらに向けた。
しかし意外な事に、イヴリンの――いや、ジャスティの顔におどおどした雰囲気はなかった。手に持つ刺突用短剣を華麗に閃かせ、敵の重い攻撃を悉くいなす姿は、美しささえあった。
「……何か算段があるのよね?」
「はい」
「もし上手くいかなかったら、王都に戻った時、白チーズを奢ってもらうからね。ハチミツをたっぷりかけてイチゴとブトウとリンゴも乗せたやつを」
「は、はい」
返事と共に、マルガ=ウェヌスが前に出て、イヴリン=ジャスティが後方に退がる。
五騎を同時に相手取る――。一瞬であっても無茶な注文だ。それが角獅虎なら尚の事。
「〝偽装隠身〟」
マルガの纏うブラックジャガーの獣能。
体毛と武装の色が周囲に溶け込み、姿が掻き消える。
「――!」
目の前にいたはずの相手を見失った事に、角獅虎らが狼狽えた。聴覚や嗅覚、その他のあらゆる感覚からも完全に消えてしまう。
が、それと同時に凄まじい一撃が、角獅虎の一騎を横殴りに吹き飛ばした。
勢い余って、もう一騎をも巻き込んでしまうほど。
いつの間にいたのか。
さっきとは全く違う位置に、マルガ=ウェヌスが立っていた。
「ほら、鬼さんこちらだよ。アタシを捕まえられるもんなら捕まえてみな」
牙を剥き出して、獰猛さのままにブラックジャガーへ殺到する角獅虎。しかしその刃が届くより先に、再び姿が消えてしまった。速度的なものではない。そういう痕跡もないのだ。
そしてその間に――
イヴリンが再び擬似生体のシヴァヒョウを出すと、それに向かって号令を放った。
「〝娑婆訶〟」
発動と共に、白く光るシヴァヒョウはその身を翻し、まるで被さるような動きで術者であるジャスティへと巻きついたのだ。それは全身を人豹騎士に浸透させながら溶け込ませ、その身を本体と同化させていく。
イヴリン=ジャスティが全身を白く光らせ、刺突用短剣を持たない右手がヒョウの頭部そのものになる。
異形の女豹騎士。
俯いていた顔を上げた直後、ジャスティは凄まじい速さで敵に肉迫。
右腕を突き出すとそれがヒョウの頭部になった拳ごとバネのように伸びて、角獅虎の喉笛を咬み千切った。
噴水の勢いで血飛沫を撒き散らす一騎。
それでも反撃を試みようとするが、既にジャスティの姿はいなくなっていた。
恐ろしい俊足。最早、ヴァナルガンドにも近しい速度だったかもしれない。
気付けば彼女は、地に降りていた飛竜のすぐ近くまで来ているではないか。目の前に突如出現したジャスティに驚きながらも、体勢を整えようとする飛竜だが、シヴァヒョウの敏捷さはそれを勝っていた。
再び右腕のヒョウを放つ。
ところが今度は、目に見えぬ壁のような障壁が邪魔をして、擬似生体の牙が届かない。
しかしそれを見越していたかのように、声が被さった。
「〝マルガ・スペシャル〟!」
消えた姿のブラックジャガーが、消えたままで放った、視認不可の必殺攻撃。
ジャスティの牙を防いだのと同じ位置に障壁を出現させ、激しく火花を散らす。
この意図に気付いたイヴリンが、同じ箇所に刺突用短剣で激しい突きを体当たりしながら浴びせた。
やがて雑音の多い音と共に――ドラゴンもどきの障壁が遂に破られる。
間髪入れずイヴリン=ジャスティが右腕の擬似ヒョウを放ち、飛竜の首を咬み千切った。
「やるね、言うだけあんじゃん」
マルガが姿を見せて褒めそやすと、イヴリンはいつものおどおどした口調で答える。
「お、お役に立てて光栄です。――でもこれは、あれですよね。お役に立てたという事はです、つまりこれって上手くいったんですから私が先輩に奢るんじゃなく、先輩が後輩の私に奢るって事でいいですよね……。その、どうもうありがとうございます、先輩」
「いや、ちょいちょい、ちょい待ち。何でそうなるの……」
「あ、私はイチゴとリンゴとブドウじゃなく、桃と梨とイチジクでお願いしますね」
何をどう解釈してそうなったのか不明だが、毒舌というより図々しいだけのような言葉に、マルガは呆れて苦笑いも出来ない。
しかし実際にイヴリンと彼女の駆るジャスティの力は、主席官級と言って遜色ないものであり、確かに彼女によって敵は見事に討たれたのだ。それだけに、マルガも頬を引き攣らせるだけにとどめていた。
たった二騎なのに、むしろ圧倒しているのはヘクサニア側ではなくメルヴィグの女性騎士二人。クリスティオも速さと手数で優勢に運んでいるようだし、流れは完全にクリスティオ達の方にあるかと思われた。
しかし――
この瞬間に全てが反転する。
空気の壁を突き破って起こされたのは、大地を揺るがす衝撃の波。
マルガとイヴリンのいる一帯の大地が、地の底が膨れ上がったように破裂を起こす。
気付いた時にはもう遅い。巨大な太鼓を叩きつけたような振動と同時に、いきなりの爆発に見舞われたのだ。だからといって、本物の爆発などではなかった。
吹き飛んだ大地と共に宙に飛ばされた二騎だったが、無数の石礫を浴びながらも着地にはかろうじて成功。何が起きたのか、即座に見極めようとする。
その瞳に写し出されたのは――
二本のツノから煙をあげる、ドン・ファン=リドワンの立ち姿。
頭を下げる恰好で、ツノのある頭部を前面に突き出していた。
いきなりの行動が何なのか。クリスティオが激しく詰問する。
「貴様……何をした?!」
頭をゆっくりともたげ、異形の怪物騎士が見下すように言い放つ。
「〝愛で塗りつぶせ〟」
怪物の口の端が、嘲るように釣り上がった。
「何……?」
「さて、誰が俺の愛に塗りつぶされたかな?」




