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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第四部 第三章「最強と最凶」
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第四部 第三章 第五話(2)『計都曜』

 その島はかなり小さかった。


 巨大な岩礁というにはさすがに無理のある大きさだが、かと言って見た目のゴツゴツした感じも相まって、集落を形成するほどの土地はないだろう。およそ生活するのに不向きな島である事は間違いないように見えた。


 面積も船でぐるりと一周するのにさほど時間もかからない程度しかなく、広さにしておよそ六平方マイル(約九・五平方キロ)ほどだと思われる。


 ただ、取り囲む周囲の海は内洋海の真珠と呼ばれるほどの透き通るような青をしており、気候も穏やかで実に静かな景観をしていた。この島も、遠くからでは突如海底から浮上したなどとは信じられないほど洋上の景色に溶け込んでいるのだが、島に近付くほどその違和感が露になっていく。


 まず、緑がなかった。


 今まで海中にあったのだから当然だが、岩礁や露出した岩肌が見えるのみで、いろどりがないのだ。


 しかしそれでありながら、島には朽ちた建造物や明らかに人の手によるものだろうと思しき廃墟が見え、それらが何とも言えない不気味さを漂わせていた。

 内洋海の燦々とした日差しがあればこそそんな事も感じないが、薄暗い空模様であったなら、さぞ気味の悪い場所に見えたであろう。



 そんな事もあってか、周辺の集落や街の漁師らは、今までこの島に近寄る事さえしなかったのだという。ただそこには、島の浮上によって津波などの被害を受けたから、という側面もあった。

 下手に近寄りたくない、触らぬ神に祟りなしというやつで、ようは迷信深さからくるものだった。


 一方で怖いもの知らずの商船や航海冒険者たちの一部は、何か掘り出し物はないかと既に足を踏み入れた者もいるらしい。だがこれという発掘品なども今のところ出ないうえ、島自体の広さも大してないため、それらの者達も早々に諦めてしまったようであった。



 今や近寄る船影すらなく、その異様な景観を波間に覗かせているだけの孤島。



 クリスティオ達は商船に頼み、とりあえず島に寄せれるような入り江に近付こうとしたのだが――。


「陛下、あれ」


 マルガが指した方向に、何か動いてるものが見えた。

 遠間でよく見えないが、空から舞い降りた海鳥、というわけでないのは間違いないようだった。いや、それはある意味においてこの後すぐに肯定されてしまうのだが。


「俺の事は名前でいい。俺もマルガ、イヴリンと呼び捨てにしていいのであればだがな」

「アタシらは構いませんよ、ねえ、イヴリン」

「え、あ、はい、陛下、いえ、クリスティオ様のように、見た目だけがとてもご立派な、お顔だけの素敵な殿方に呼び捨てにしていただけるなんて、正直鬱陶しいと思わなくもないですけどとても光栄です」


 イヴリンの毒舌に片頬を引き攣らせるしかないクリスティオだったが、気を取り直してマルガの最初の問いに答える。


「ま……あれだ、何かいる――というよりあれは間違いなく――」

「ヘクサニア、でしょうね」


 距離から推し量った大きさやその数から推測しても大型の何かがいるのは間違いなく、そんなものが島にあるはずもない事は言わずもがなである。


 一方でこちらが見えているという事は向こうもこの船に気付いているだろうが、幸いにもまだ距離はある。そのため、こちらが島へ上陸をしようとしている船だという事は、今のところまだ勘付かれてはいないだろう。


 だが、こちらより先んじてヘクサニアの者達が上陸しているとあっては、もう油断の出来る状況ではなくなったという事だった。


 幸い、廃墟群や地形の起伏が向こうの視界を遮ってくれている。まだこちらの存在にすら、気付かれていないようであった。

 とはいえ、少なくとも中型のこの商船で、これ以上近寄るのは危険だと判断する。


 クリスティオが指示を出す。船は島から距離を取ったままにし、そこから三人は小舟に移って島へと向かった。


 帰りについては、時間がくれば中型船が迎えにくるという手筈で、とりあえずは相手に気取られないよう、上陸を果たす事に成功する。


 上陸した場所も、かろうじて小舟一艘が接舷出来そうなほどの小さな窪みである。

 断崖が目の前にあり、普通はここに舟を寄せたりなどしない場所に見えた。だからこそ、敵に見つかる心配もなかろうという判断だった。


「さて――どうするかだな。ヘクサニアの連中がもう来てるとは、正直面倒が向こうからやってきたというべきか、だが」

「敵の数がどれくらいか、にもよりますね」


 クリスティオの呟きに、マルガが補足をする。それに頷きで返すクリスティオだったが、思案を練る前に、そのマルガがイヴリンを振り返って言った。


「ま、そういう時こそあんたの力が役に立つってもんか」

「え、あ、はい。その、まあ……」

「イヴリンの? そのヒョウの鎧獣(ガルー)か?」


 イヴリンに寄り添うように、ヒョウの鎧獣(ガルー)が佇んでいる。


 ただその見た目は、明らかに現生のヒョウとは異なっていた。


 体毛の色は薄く、斑紋も黒点が繋がった形状になっており、どこかウンピョウやオセロットを思わせる。だが体つきは両種よりもかなり大きく、大型のヒョウほどはあった。

 けれども平たい頭部や目の下の紋様などはチーターを思わせ、全体的には肉付きの逞しいチーターだと言われてもおかしくない見た目であり、どうにも種別が分からない。


「ここは崖下だし鎧化(ガルアン)しても気付かれないはずだから。先にいける? イヴリン?」

「え、あ、はい。マルガ先輩の頼みは命令みたいなものなんで断れませんから」

「……」


 字面だけだととても素直とは言い難い返事だが、態度と行動は殊勝そのものだし、見た目のおどおどした感じもあって、マルガもイヴリンに対して怒ろうに怒れない。


 実際、行動も素直である。

 すぐさまイヴリンは、チーターに似たそのヒョウを鎧化(ガルアン)した。


 人獣騎士になった姿からは、防具の形状も通常の覇獣騎士団(ジークビースツ)のものとは異なっているように見えた。どことなくアンカラ帝国のものに似た形をしているが、色は覇獣騎士団(ジークビースツ)らしく、この騎士団特有の白を基調とした金縁の入ったものであった。おそらく入団後に色を変えた――といったところか。


 さて、彼女が鎧獣騎士(ガルーリッター)となって何をするのか――と思っていたら、おもむろにその場に座り込んだのであった。


 片膝をたてた胡座あぐら、西方の地で言う〝輪王座〟と呼ばれる座り方をする。


 そこから告げられる、異能の発動。



「〝計都曜(ケートゥ)〟」



 片手の指で輪を作ると、女人豹騎士のイヴリンがそれに向けて息を吹き込んだ。指の輪を潜った息は、光を放って結実し、大きな塊となる。


 人豹の目の前に、蒼白い白煙が滞留していく。形作られたそれは、白いヒョウ。


 どこからどう見ても、鎧獣術士(ガルーヘクス)の放つ獣理術(シュパイエン)だった。


 その白いヒョウに対し、イヴリンが指で印形を結びながら「〝オーム〟」と告げた。

 すると白ヒョウは体を気体に戻しつつ、己の塊を数個に分裂させていく。


 みるみる内に出現した、九匹の白猫。


 いや、よく目を凝らせば、ヒョウの斑紋が浮かんでいるようにも見えるから、イエネコ大になったヒョウと言うべきか。


「〝フーム〟」


 再びイヴリンが告げると、九匹の白猫は、疾風のような機敏さで散開し、たちまち島の中へと消えていった。

 イヴリンはと言えば、片膝立ちの胡座のまま、その場で目を閉じ凝っとしているのみ。


「今のは獣理術(シュパイエン)……? いや、あれがもしやこの鎧獣騎士(ガルーリッター)獣能(フィーツァー)なのか?」


 クリスティオの発言に、マルガが頷く。


「はい。今のがこの〝ジャスティ〟の獣能(フィーツァー)計都曜(ケートゥ)〟です。見た目はどう見ても獣理術(シュパイエン)なんですけどね。でも、あの踊りのような技もいらないし色々と違うんですよ。何よりこういう事には(・・・・・・・)打ってつけの能力ちからですから」


 古代絶滅種シヴァヒョウの鎧獣(ガルー)〝ジャスティ〟。


 シヴァヒョウとは西方の地で棲息していたという原始的な猫科猛獣の事。見た目通りチーターとは近縁であり足も非常に速い。だがチーターほどの速度はなく、代わりに筋量があるため丁度ヒョウとチーターの中間のような種だと言えた。


 鎧獣術士(ガルーヘクス)獣理術(シュパイエン)を出すには、術式である踊りのような動き、環舞陣法(クライス・タンツェン)が必要になる。だがこのジャスティの異能〝計都曜(ケートゥ)〟は、獣理術(シュパイエン)と似て非なる力のため、そのような術式が不要だった。


 また、目を瞑って瞑想しているようなイヴリン=ジャスティであるが、これは今まさに九体の白猫と意識を紐付け(リンク)していたのだ。


 つまり十八個の目が、この島のあらゆる場所へ散たれたのと同義でもある。


 普通、いくら獣理術(シュパイエン)であろうと、九体もの〝術〟を同時に使役するなど不可能に近い。仮に出来たとしても、駆り手が情報を処理出来ないのは言わずもがな。


 だがこのジャスティとイヴリンは、それを異能として可能にしているのである。


 まさに斥候・探索において、この鎧獣騎士(ガルーリッター)獣能(フィーツァー)の右に出るものはいないだろう。

 何せあの白猫達は速度や観察に能力を割り当てられた擬似生体のため、おそろしい速さで任意の場所に辿り着き、そこを好きなだけ調べられるのだ。しかも本体は一歩も動かずに、である。

 それにイエネコほどの大きさなので見つかってもただの猫としか認識されないだろうし、そもそも小さいから見つかりにくければ、あらゆる場所にするっと入っていけるという特性も持つ。


「これって――」


 目を瞑ったままのイヴリン=ジャスティが、呟いた。


「どうしたの? 何が見えた?」


 マルガが問い質す。


「ヘクサニアですけど、来てるのはあの角獅虎(サルクス)です。おそらく中の騎士(スプリンガー)だと思いますが、カイ様から聞いた竜人(ドラグーン)もいます。数は……ええ、五騎、いえ、発掘で潜っているのを合わせると六、七騎も――ん?」

「何?」

「もう一騎別に……と言いますか、何でしょう……。その、他とは違う角獅虎(サルクス)もいます。見た目がかなり違うというか、何と言うかその、細くてスラっとしてるっていうか……ツノも渦を巻いてまして――あ、あれが騎士(スプリンガー)……の……?」


 見えているのがイヴリンだけなのでクリスティオとマルガは報告を聞くしかない。だが、いつもの臆病そうな言動とは違い、明らかに騎士としての警戒から、イヴリンは何かを躊躇っているのだという事だけは、二人にも伝わっていた。


「そのぉ……何かとってもヘンな人がいます。顔に道化師みたいな化粧をしてて……。でも服装は貴族みたいな紫色の上着で――何かとても気持ち悪い人です……」

「道化師みたいな化粧……」


 マルガの脳裏に、すぐさま一人の人物の名前が浮かんだ。

 彼女はメルヴィグ王国隠密部隊の副隊長なのだ。各国の様々な事情にも通じているし、敵国ならば尚の事、その情報も頭に叩き込まれている。


「多分それ、十三使徒の一人だと思う。確か第三使徒のドン・ファン・デ・ロレンツォって男」

「ロレンツォ……?」


 耳にした名前にクリスティオが何かを言いかけたが、それを割ってイヴリンが擬似白猫からの情景を口にする。


「あ、あの、あいつら、その、何でしょう……。何かを発掘してるような……」

「発掘?」

「あれは……神殿の、跡……? 地面にあるのを引き剥がして……掘ってます。その、掘ってる角獅虎(サルクス)の二騎が鎧化(ガルアン)してて、残りのは周囲を警戒して見張ってます。なので、その、上手く近寄れないっていうか――」

「どうしたの?」

「あ、不味い。気付かれたみたいです。トカゲ人間が一人、近付いてきます」


 いくらジャスティの異能が探索に特化しているとはいえ、この場合は例外的な状況だと言えよう。

 普通の場所であればこうも容易く警戒に引っ掛かるなどないのだが、この島はつい最近海中から出てきたばかりなのだ。つまり、陸上の生き物がここに存在するはずはなく、何処にでもいるようなただのイエネコでも、それは当然棲んでいるはずがないのである。

 だから目についた。


「逃げます」


 イヴリンが告げる。


 固唾を飲んで連絡を待つ、クリスティオとマルガ。


 さて――


 実際の現場ではどうなっているかと言うと、ジャスティの放った擬似生体の内一体が相手に見つかり、身を隠しながら逃げている最中だった。


 ただ幸いな事に、敵もまだはっきりと何がいるのかは、分かっていないようだった。


 およそ聞き慣れぬ不気味な声をあげ、トカゲ頭の爬虫類人間・竜人(ドラグーン)がジャスティの放った擬似ネコを追いかける。だがいくら人間離れした竜人(ドラグーン)でも、超常に等しい敏捷性を持った異能のネコを捕えるのは、およそ無理というもの。

 叫びをあげて必死に探しているようだが、おそらく見失わせたようだった。


 そこへ、道化師の顔をした貴族服の男が近付いてくる。


「おいおい、角獅虎(サルクス)を操る以外は、まるでダメって事か? まあ思考も何も、反射行動だけの赤ん坊みたいなもんだからな。考えろって言っても考えるという行為自体が何なのかすら思い浮かばんのだろうが、それにしても浅はかだぞ」


 口調は軽いが、声と内容には理知がある。

 おどけているようにも見えず、顔の化粧とはまるで違う印象がうかがえた。


「この島に生き物など棲んでるはずがない。とするとこの短期間で外から入り込んできたとでも? いや、それは有り得ない。ではお前らが見たものは何だ? 見間違い? 幻? 勿論そんなはずはない。あっという間に見失った――つまりは消えてしまったとなれば、野生動物とも考えにくい。何せお前らの〝目〟で見失うんだもんなぁ。となると考えられるのは一つ。お前達が見たものは通常の動物などとは違う。そう――擬獣(ルーガビースト)だ」


 ここで一旦、道化師顔の男――ドン・ファン・デ・ロレンツォは言葉を区切る。


 人語を解するとは思えない姿の連中なだけに、遠巻きに見ている分にはドン・ファン一人で独演会をしているようにしか見えない。果たして意味が通じているのだろうか。語るドン・ファンに、凝っと目を向けている五体の竜人(ドラグーン)


「つまりだ。お前達が追いかけて見つけ出さなければいけないのは、その逃げた擬獣(ルーガビースト)か? 違うだろう。あれは術式そのものだ。潜まれてしまえば見つけようもない。だが、術を使っているという事は、術者もいるという事」


 ドン・ファンは素早く指示を出す。

 目的が変わったのだ。それを受けた竜人(ドラグーン)の動きも早かった。

 対するイヴリンも敵の反応を察知し、急いで九体をこちらに呼び戻す。同時に、二人に言った。


「あ、あの男――ドン・ファンって男、ヤバいです。き、危険です。あいつ、その、多分こっちに気付いたと思います。私たちがこの島に侵入はいったって事、気付かれたんだと思います」

「え? こっちの事まで気付いたっていうの? そんな、まさか――」


 先ほども言ったように、状況が特殊で奇妙なだけに、迂闊な事にマルガも判断を誤ったのだろう。しかしそうであっても、マルガとて敵に勘付かれる事態を、予想していないわけではなかった。

 ただ、敵がこちらに気付くのが、あまりにも早すぎたというのはあったが。


「クリスティオ様」

「ああ。分かっている」


 二人が、己の騎獣を鎧化(ガルアン)した。

 そこへ、彼らの頭上を横切りながら、巨大な影が飛んでいく。



 角獅虎(サルクス)を異能で変身させた巨大な人竜の怪物――飛竜(ワイバーン)である。



 すれ違う瞬間、ドラゴンもどきの瞳がこちらを睨むのを、クリスティオは確かに見た。


「仕方ない、出たとこ勝負といこうか。淑女シニョーラのお二方、よろしいか?」


 タテガミオオカミの顔でクリスティオが告げると、三騎は風のような速度で一気に崖を駆け上がり、そのまま敵のいる方向へと疾走する。


 俊敏さならマルガの纏うブラックジャガーの〝ウェヌス〟とて負けていないし、何よりイヴリンの駆るシヴァヒョウの〝ジャスティ〟は、ヒョウ以上の脚力を有している。

 それでもクリスティオが鎧獣騎士(ガルーリッター)となった〝ヴァナルガンド・アンブラ〟の速度には、マルガも舌を巻くしかなかった。


 タテガミオオカミは犬科生物の中で史上最速を誇る。

 その速さはチーターにも並ぶほど。


 加えて、琥珀色という通常にはない色の体毛からも分かる通り、ヴァナルガンドは極めて特殊な鎧獣騎士(ガルーリッター)であった。

 それは大陸最速と言われる覇獣騎士団(ジークビースツ)の〝疾風〟ゼフュロスにも匹敵する速さではないだろうか――。そんな風にマルガは思った。


 彼らの高速は、一瞬で敵のいる島の中央付近にまで三騎を辿り着かせる。


 このまま敵の指揮者であるドン・ファンを葬ってしまえば、いかな角獅虎(サルクス)たちとて混乱もするだろうし、上手くいけば撤退をしてくれるかもしれない。それを狙っての急襲であった。


 が、当然そこには飛来した飛竜(ワイバーン)らやドラゴンもどきになっていない三騎の角獅虎(サルクス)が立ちはだかる。これらは巨体ながらも俊敏で感知も鋭い。一見すると、掻い潜るのも容易ではなさそうに思えた。しかしここで、イヴリン=ジャスティが号令を発する。


 彼女の傍らには、既に九体から一体の擬似ヒョウに合体した擬獣(ルーガビースト)が並走している。



「〝發吒(パット)〟」



 命令と同時に、擬似ヒョウの姿が僅かばかり膨れ上がる。体つきがより筋肉質になり、速度と力感が増したようだった。


 ジャスティが駆けながら、指示を出した。角獅虎(サルクス)らを襲えと。


 空気を貫く音をあげ、鎧獣騎士(ガルーリッター)すら追い越す超々高速で擬似ヒョウが駆けた。しかし視認出来ぬほどではない。

 面倒とばかりに、角獅虎(サルクス)がこれを払い除けようとする。

 だが同時に、イヴリンからの号令。



(オーム)



 瞬間、擬似ヒョウは三本の短槍へと分裂し、角獅虎(サルクス)の頭部を襲った。不意を衝かれながらも、かろうじて二騎は巨大なツノで弾き返す。が、真ん中の一騎の目には命中。


 苦悶の呻き声をあげ、仰け反る化物騎士。


 その隙を見逃さず、怪物騎士の真横をクリスティオ=ヴァナルガンドが、風そのものとなって抜けていった。


 すると――すぐ目の前に、道化師化粧の男。一瞬で迫れるのは確実だった。


 しかもドン・ファンは油断なのか間抜けなのか、鎧化(ガルアン)すらしていない。両手を指先で重ねて、値踏みをするような仕草をしているだけ。

 まさに千載一遇の好機だった。


 ヴァナルガンドが大剣を振りかぶろうとした。

 しかしその瞬間――




「久方振りだなぁ、クリス(・・・)




 道化が放った一言。それがクリスティオ=ヴァナルガンドの耳に届いた時、彼の背筋が一瞬で凍りついた。


 まさに斬りかかる直前で、琥珀色の人狼が急停止してしまう。


「え?」


 見ていたマルガとイヴリンが驚く。何をしているのか――と。


 だが敵はまるでそれが当然だと言わんばかりに、落ち着き払っていた。同時に、停止したクリスティオの前に黒い影が踊り込み、体当たりに近い恰好でヴァナルガンドを吹き飛ばす。


 攻撃を止めたのも体当たりの反撃を防いだのも、そのどちら共に咄嗟の対処が出来たのは、良くも悪くもクリスティオが超一流の騎士だからであったろう――。

 反撃は大剣によって防がれ、吹き飛ばされはしたもののタテガミオオカミは無傷なままであった。


 けれども問題なのはそこではなかった。


「ちょっと……クリスティオ様、何やってるんですか」


 マルガの非難に、琥珀色の人狼は無言のままだった。

 いや、声が出なかったのだ。


 閃光のように走った記憶の欠片と、そこに繋がった思考が示す一つの答えが、べったりと彼の脳裏に貼り付いていたから。

 だが彼は放蕩の気質であっても愚鈍ではない。有り得ないという事実も、目の前のそれが疑いようのない真実であると、心の底では分かっていた。


「まさか……」

「クリスティオ様……?」

「そんな……どうしてお前が……お前が何故?!」


 牙を剥いて怒気もあらわに、クリスティオ=ヴァナルガンドが吠えた。


 敵意を向けられた相手、ドン・ファンは全てを理解しているのか、傍らに灰色の巨獣を侍らせ、不気味に微笑むのみ。




「答えろ! ロレンツォ・フェルディナンド!」




 かつてクリスティオが兄と慕った者の一人。


 その男の名を呼ぶも返事はなく、若き王の声はただ虚しく紺碧の空へと消えていくだけ。


 瑠璃色の海に浮かぶ孤島での混戦は、まさに佳境を迎えようとしていた。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



〈本話登場新キャラ〉

挿絵(By みてみん)

★イヴリン・ヴァルマ

覇獣騎士団ジークビースツ肆号獣隊ビースツフィーア次席官ツヴァイター

現在、同隊を離れている(詳細は外伝小話・雪情花訪を参照)ユキヒメに代わり新任の次席官となった女性。

見ての通り私たちの世界で言ういわゆる〝インド系〟。こちらの世界ではフェルガナ帝国と言う。


挿絵(By みてみん)

☆ジャスティ

イヴリンの鎧獣(ガルー)

古代絶滅種シヴァヒョウ。

画像は鎧獣騎士(ガルーリッター)のもの。

使用武器はジャマダハルと呼ばれる刺突用の短剣。

偵察任務だけでなくあらゆる状況に対応出来る万能型の騎獣。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



〈本話登場キャラ〉


挿絵(By みてみん)

★クリスティオ・フェルディナンド

アクティウム王国フェルディナンド王朝の初代国王。


挿絵(By みてみん)

☆〝狐閃王レ・ヴォールペ・ルーチェ〟ヴァナルガンド・アンブラ

クルスティオの鎧獣(ガルー)

タテガミオオカミ。




挿絵(By みてみん)

★マルガリータ(マルガ)・アイゼナハ

 覇獣騎士団ジークビースツ陸号獣隊ビースツゼクス次席官ツヴァイター。26歳。

 陸号獣隊ビースツゼクスの指揮を任される。


挿絵(By みてみん)

☆ウェヌス

 マルガの鎧獣ガルー。ブラックジャガー。

 武装は三節棍。




★ドン・ファン・デ・ロレンツォ

 神聖黒灰騎士団ヘキサ・エクェス十三使徒・第三使徒。

 顔中白塗りに道化の化粧をした正体不明の人物。

 正体は魔道士集団エポスの一人。

 アルナール・エポス。

 かつてはアンカラの錬獣術師(アルゴールン)大長官アベティスⅨ世に乗り移っていた。

 


☆リドワン

 ドン・ファンの鎧獣ガルー

 初期型(アーリー)角獅虎(サルクス)の一騎。

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