第四部 第三章 第三話(終)『最強双騎』
マグヌスがここにいるのは、帝国南方での戦いの後、急ぎ帝都に戻る途中でたまたまこれに遭遇したからだった。とはいえたまたまと言うにはあまりに戦闘の余波が大きすぎ、通り過ぎようにも無視出来ないほどの戦いだったからというのが正しい。
「あれだけやかましく暴れられてたら、そりゃ俺でなくとも見なかった事になんて出来ねえよ。そしたら戦ってるのはお前と黒騎士じゃねえか。ま、あの見た目で黒騎士と言えるかどうかは怪しいが、ともかくそんな面白い騒ぎを見て、素通り出来るかって」
マグヌスの言う通り、黒騎士の見た目は最早怪物そのものと言った方が正しかった。だが、マグヌスが一目であれを黒騎士だと見て取ったのも頷ける話で、全体的に醸し出される雰囲気や存在感には、変容前の黒騎士の面影が確かにあった。
全身の黒。
基礎になっている黒豹。
一体化しているものの鎧の形状。
マグヌスが言っているそばから、慌ただしい足音が近付いてくる。彼の率いる帝国最強の一団。ロロ家軍だ。
「閣下、速すぎです」
軍の先陣に立つ一際巨体をしたクマ種の鎧獣騎士が、半ば息を切らせながら言った。
「おお、やっと来たな。さて――察するにあれか。あの化け物になった黒騎士相手に手こずってる、それでイーリオをここから逃せない、そんなところじゃあないのか?」
「ああ? 誰が何に手こずってるって言うんだよ」
「まあそう言うな。してみるとあれだな、問題はあの二体の角獅虎と言ったところか」
暴帝北極熊とヒグマの混合種、古代北極羆〝ウェルーン〟の人獣騎士となっているマグヌスが、手にした三叉戟の槍先を向けて、言い放つ。
その先にある、二騎の灰色の異形。
「ならば問題あるまい。ストゥルラ」
「はっ」
先ほどマグヌスに抗議の声をあげたホラアナグマの鎧獣騎士が、己の背後に並ぶ人熊の部隊に指示を出す。
帝国最強部隊と謳われるロロ家軍は、全てクマ類の鎧獣騎士によって構成されていた。ホッキョクグマにヒグマにヒマラヤグマなど、その種類は多数。だが数というより彼らの巨大な見た目の迫力には、誰もが圧倒されるしかない。
「イーリオ様、ここは俺の部隊が引き受けます。貴方は速やかにここから離れなされませ」
マグヌスの言い様がへりくだったものなのは、イーリオが帝国皇室の嫡流になるからという事実による部分もあったが、単純にイーリオという人間と、彼の器に敬意を払っているからという彼なりの感情的な側面によるところもあった。
展開したロロ家軍を見て状況の変化に気付いたのか、竜人が角獅虎を纏って臨戦体勢を取る。
とはいえこれは、黒騎士にとっては予想外であり望まない事態である。そうなりつつある事に、黒騎士は舌打ちをする。
あのロロ家軍を前にすれば、いくら角獅虎とて二騎でどうにかなるはずもないのは明白だったからだ。
だからといって己の本来の主旨というか、名目であるイーリオを始末する事。それを逃すなど、ヘルが許すはずもない。
「おっとぉ、そうはいかねえぞ、黒騎士」
ヘル=レラジェの機先を制するように、マグヌス=ウェルーンが三叉戟を構えて見せる。
「何のつもりだ」
「見てわかるだろ。俺が相手だ」
「おい待て、こいつはオレ様の相手だっつうの。てめ、オレ様がやられたみてえに割って入るんじゃねえ」
「ああん? なぁにを言っとるよ、カイゼルン。お前、そりゃ真性鎧化じゃねえか。それで決着つけれてねえって事ぁあれだ、どっちが手こずってるのは言わんでも分かるっちゅうもんだ」
両者の間に割って入るマグヌスに、奇しくも敵対する双方が共に口を尖らせた。
一対一こそが騎士道。そうでなければ正々堂々ではない、などという概念が、鎧獣騎士の戦いにあるわけではなかった。多対一でもそれが卑怯とは言われない。
だが一騎の性能と実力が戦いの帰趨を決する鎧獣騎士では、上位者の戦いに割って入るべきではないという考えが、暗黙の了解になっていたし、それが当たり前の考えだった。
「オレ様が手こずってるってぇ?」
「違うのか」
「ふざけろ。これからが本番だ」
「なら本番までもつれとるっちゅうわけだな。いつもの余裕がないほどになぁ」
「こんのクソジジイ……」
「おいおい、お前と俺、そんなに年齢は変わらんぞ。俺がジジイならお前もいいオッサンだろうが」
「オレ様は見た目も心も若いの。永遠の若者だっつうの」
「永遠の青二才か……。こりゃ弟子のイーリオ様が苦労するわけだ」
カイゼルンにこんな口がきける人間など、大陸広しといえどそうそういるわけではない。それが男で騎士なら尚の事だ。
マグヌスはその一人で、そうなれるのは彼がカイゼルンに匹敵する実力者だからであった。
「冗談はさておきだ。そういうわけにもいかんのではないか、カイゼルン?」
「ああ?」
「俺も手を貸す。俺とお前でないと、あいつは倒せない。違うか?」
耳にした全員が、驚いた。
百獣王と獣王殺しが共闘する。
そんな事があるだろうか。
あるとすれば、そんな彼らに敵う者など、存在するはずもない。誰しもがそう考えるだろう。
「オレ様に助太刀が必要だぁ? ッざけんな。あんな真っ黒野郎、オレ様だけで鬼退治してやるっての。あとな、オレ様の見た目年齢が若いってのは冗談じゃねえからな」
だがカイゼルンの言葉をまるで聞いてもいないのか、マグヌスの申し出の直後から、黒騎士の体が震えている。それは歓喜によるものだった。
「そうか。まさかここで獣王殺しまで俺に向かってくるとはな。これは素晴らしい。単騎で始末するしかないかと思っていたが、よもやレラジェの全力を出せそうな相手が、二騎まとめてかかってきてくれるとは……! これは実に喜ばしい不確定要素だ」
言葉の直後、黒騎士が両腕を大の字に大きく広げる。
瞬間、暗黒の深淵が、レラジェの胸部から爆発のように噴き出していった。
それは暗黒化の際に出現した無数のカラスとなって飛び立ち、空の一点でトンボ返りをして急降下すると、全てが再び暗黒騎士の元へと吸い込まれていった。
漆黒の体から、今度は翼が生まれた。
広く大きく、まるで異常すぎるほど巨大なコウモリの羽根のような翼。
「ならば来るがいい。この地上で、最強の名を冠する二騎よ。俺を楽しませてみろ」
漆黒の翼が、暗黒の鬼人を空へと舞い上がらせる。
目にした誰もが、何をどう言えばいいかわからない。
四年前の帝都で見た三つ首の人獣も大概だったが、これはその領分にいながら、それすらも超えていると言える。もう誰が何と言おうと、彼ら以外に相手取る事など出来はしないのではないか。
百獣王と獣王殺し以外には。
「あんの真っ黒野郎。何勝手に熱フイて飛び上がってんだ。オレ様だけで物足りねえだと? おお?」
「確かに飛び上がっとるな。いや、飛んどるな」
「うっせえヒゲマッチョ。こうなりゃもうヤケだ。てめえ、オレ様の足を引っ張るんじゃねえぞ」
「誰にものを言うとる。貴様と違って俺は軍の指揮者なんだぞ。相手に合わせる事なら貴様より上だわい」
「だったらてめえがオレ様に合わせろ。オレ様並みになってな」
「言われんでもそうする。――〝赤化〟!」
真紅の竜巻が間欠泉以上の噴煙を上げ、ウェルーンの巨体を包み込む。
カイゼルン=ヴィングトール以外で、獅子王と同じ真性鎧化が可能な唯一騎の騎獣が、その力を解放した瞬間だった。
赤い毛先に、全身を彩る無数の文字列。そして胸に浮かぶL.E.C.T.の文字。
ヴィングトールとウェルーン。
この世で無敵と呼べる二騎が、自身の最強形態で並び立っていた。
四年前と違い、互いが争うためではない。今度は共に戦うために。
大陸最強の二騎による、前代未聞の共闘。史上類を見ない――いや、おそらく二度とはないであろう、古今無双の二人組が、ここに実現した。
漆黒の翼をはためかせ、鬼人が凄まじい勢いで二騎へ向かう。
前に出たのは、マグヌス=ウェルーンだった。
「〝破軍〟」
古代北極羆から白煙が噴き出し、それが巨大な輪郭をもって出現する。ウェルーンと同じ性能、同じ能力を持った、異能の煙で創られた分身。それが五騎もあらわれる。
いきなり出された、ウェルーンの第三獣能。
しかも第一の異能と同じ効果を有しているため、少しでもこの分身に触れたら、相手は凍りついたように動けなくなってしまうのだ。
分身を含めた六騎が、それぞれに白い煙から巨人のような腕を出し、向かい来る黒の魔鬼を迎撃しようとする。
本体含め全騎が、第二獣能〝軍神〟を出していた。
だが黒騎士の勢いは変わらない。
黒刀一閃。
黒の斬撃が全てを両断する。
この世の悉くを斬り裂く異能〝万物両断〟だった。
僅か一振りで失われるウェルーンの分身達。
だがその影から、夥しい数の槍が放たれた。
分身の煙を穂先に絡ませた、獅子王の創大。武器の創造による、破軍の槍陣。
「創大――百刃」
狙いも精度もあまりに正確。避けれる数ではない。
「黒死無双」
飛翔の途中で放つ、巨大化した爪。それが槍衾を、全て弾こうとした。
しかしそこへ、白煙の巨腕が叩き込まれる。
ウェルーンの軍神。
その白煙による一撃は、生体由来のあらゆるものの活動を制止させてしまう。
巨爪の壁が脆くも崩れ、百槍もの穂先が、暗黒騎士の体を貫いていった。しかもそこに、ウェルーンの白煙を絡ませながら。
千切り飛ばされる鬼人の翼。
滑空の勢いを殺せなかったので、それはヴィングトールとウェルーン両騎の遥か後方へと落下していった。
だが、ここで油断する二騎ではない。こんな刹那の攻防で決着がつくなら、はなから手こずったりはしないはずだ。それを両名は分かっていた。
「〝軍神――降臨〟」
体からあらわれている白煙の巨腕から、更に巨大な塊が増幅された。
ウェルーンの頭上に浮かぶ、上半身だけの巨大すぎる人熊の幻像。
まるでホッキョクグマの人獣の姿をした巨神が、この世に降臨したようだった。
その幻像の巨神から、煙で創られた三叉戟が放たれた。ただの幻ではない。明らかに巨大な質量が備わった攻撃。
加えてそこから逃すまじと、カイゼルン=ヴィングトールが大きな跳躍をかけた。
「右に創大――百刃。左に終大」
豪雨の勢いで黒騎士に降り注ぐ百本の剣。
その全てにはプログラム細胞死がかけられ、絶対致死の刃で上塗りされている。
まさに神々による挟撃そのものと言ったところか。
暗黒の鬼人とはいえ、これを防ぐ手立てなどあろうはずがない。
ないはずだった。
「〝万物支配〟」
厳かな声。
刹那、まるで時が止まったかのように全ての動きがゆっくりとして見えた。
そう見えたのは、ザイロウを纏うイーリオだけで、他の者には何一つ理解出来なかったであろう。
三叉戟の穂先が黒騎士の体表に触れた瞬間、それは無害な霧となって儚く散っていく。
頭上に注ぐ剣には、優雅に上を向いて一瞥を送る。
その後、黒騎士の手から泡のような肉塊が無数に生み出されていった。
黒く蠢く肉塊。
不気味すぎるそれは、一瞬で直径一〇〇フィート(約三〇メートル以上)の大きな顎と化す。
同時に、宙へ飛んで全ての剣を呑み込んでいった。
げふん、という噯気が響く。
それらは全て超高速の出来事なのに、まるでゆっくりとした一幕のように、イーリオの目には映る。
その理由が何なのか。今の彼に分かるはずもないのだが、もう一つ不思議な事に思考だけはそこに追い付いていたのだった。
――何が……何が起きている。
巨大すぎる顎は、まるでそれ自体が生命を持っているようにずぶずぶと胎動すると、今度はウェルーンの方へと向かった。
――駄目だ。止せ、やめろ。
精一杯に叫ぶ。だがどれも声にはならない。
イーリオは今見てるものが幻ではないかと思うが、心のどこかではっきりと分かっていた。
これは現実だと。
球体に口だけがあるような、牙だけがのぞいているような、その醜悪奇怪な暗黒の球状が、真っ黒な口腔を古代北極羆に向けて開いた。
マグヌスの目は、何かを察知しているように見開いていたが、身体が追い付いていないようだった。
まるで全てを滑稽劇で見せられているかのような、あまりに緩慢な時間の流れ。
黒の牙が、閉じられた。
その瞬間、時間の流れは元に戻り、あの球体も消えていた。
今のは一体何なのか。幻を見せられたのか。
しかし――
「な……」
目の前の事実が、それを現実だと告げている。
白煙で出来た人熊の巨神が、いつの間にか掻き消えているのだ。
ごぽり
嫌な音が響いた。
そこにあったのは、欠けた姿のウェルーン。
左半身を失った〝獣王殺し〟の姿が、今の出来事を現実だと、無慈悲に告げているようだった。




