第一章 第二話(終)『白銀人狼』
突然起こった目の前の出来事についていけず、ソルゲルの一団は、ただ立ち尽くしているのみであった。
先ほど斬ったはずの孺子が、何もなかったように起き上がり、今度は銀髪の娘の額が、神之眼のように輝きだしたのだ。神之眼は人間以外の動物のみに発現するもので、人間に神之眼があるだなどと、聞いた事はない。しかも、あの大狼が、孺子の鎧獣だと?
「おい、いい加減にしろ!」
怒りに駆られたソルゲルが、手持ちの短槍で足下の地面を穿った。
火薬でも仕込んだかのように、短槍にえぐられた部分の大地が、辺りに土砂をまき散らす。
事態が呑み込めずにいたイーリオに、現実を思い起こさせるかのような、ソルゲルの威嚇。
「イーリオ」
戸惑うイーリオを、無表情に促すシャルロッタ。
「え……? いや、何が?」
「契約したの、あたしと。だから守って」
「いや……どうしろって……」
「ザイロウの力。イーリオの力よ」
「は? ザイロウ? 鎧化しろって事……?」
こくり、と頷くシャルロッタ。目の前には国家騎士団の鎧獣騎士。
選択肢は――ないようだった。
だが、結印もしていないのに、鎧獣をまとうだなんて、そんな事が出来るのだろうか……。
見ると、ソルゲル達は、今すぐにでも躍りかかって来そうな構えだ。躊躇している余裕などない。
――どうとでもなれ!
意を決して叫んだ。
「白化!」
白化とは、鎧獣をまとう際の音声認識。神之眼を媒介にして白煙を放出する事で、鎧獣はその身を人型に変容させる。この一連の行為を指して、鎧化という。
イーリオの傍らに立ったザイロウが、先ほどのアイベックスたち同様、後ろ足で立ち上がると、白煙を吹き上げながら、その身を包み込むように覆い被さった。
イーリオは、何やら不思議な感覚にとらわれる。全身が、ふわりとした柔らかいものに包まれると、それは広がるにつれ、感覚が研ぎすまされていく。頭の先から指の先まで、体の内と外から力が漲ってくる。目を開けると、いつもより高い視点。けれども、不思議と違和感はない。まるで最初からこの視点で過ごしていたかのような、そんな既視感。
白煙が吹き払われる——。
そこには、狼頭人身の人獣。
腰周りと体の一部には防具。その手には、緩やかに曲線を描いた片刃の剣。どれもが月光を反射して、銀色に輝いていた。
神話を体現したかのような、白銀の人狼騎士。
力強く筋肉で隆起した四肢には力が漲り、黄金色の眼差しは、夜の深奥を見透かす。
そして、額に輝くプリズムの宝石は、金剛石よりも眩い光が溢れていた。
突如現れた鎧獣騎士に、ソルゲル達の動きが止まった。
何が……何が起きたというのか……。
戸惑い。躊躇い、それに本能的な恐怖。それらが綯い交ぜになって、騎士団員達は動けないでいた。いや、事態に混乱していたのかもしれない。とにかく、それが一つ目の生死の分かれ目になった。
瞬きよりも短い刹那。
視界にいたはずの白銀の人狼が、一瞬で姿を消した。
右より斬撃音。
いや、吹き飛ばされた音。
血にまみれた破裂音といってもよかった。
イーリオ=ザイロウが、アイベックスの鎧獣騎士を一人、瞬時に屠ったのだ。
信じられない速度。
気付いた時には、もう既に次のアイベックスに襲いかかっている。
急いで短槍を構えて防御しようとするも、間に合わず、中の人間ごと、胴を両断される。その膂力も凄まじい。
鎧獣騎士となった騎士は、人間を遥かに凌駕する超常の身体能力を持つが、互いが鎧獣騎士同士なら、そうもいかないはず。それをこの大狼の人狼は、達人のそれのように赤子でも相手にするかのように、蹴散らしてみせたのだ。
瞬時に二体の鎧獣騎士を破壊したイーリオ=ザイロウは、今度は距離を取るように後方に跳び退り、片足の跳躍だけで、屋敷の屋根に着地する。
白銀の体毛が、上り始めた三日月を背景に、総毛立つような神秘的な輝きをみせる。
月夜に浮かぶ人狼の騎士。
ほんの数瞬の間に、三割の戦力が削がれた。ソルゲルは戦慄を覚えながらも、恐慌をきたそうとする団員たちを叱咤する。
「お前達! 態勢を立て直せ! こちらは国家騎士団だぞ。あんな鎧獣騎士になりたての孺子など、四方から囲んでしまえばどうということはない」
言っている事がどこかちぐはぐであったが、それすら気付かないほど、焦りを覚えていた。オオツノヒツジの黄色の白眼が、怒気に染まる。
——こんな事! こんな事あってはならない!
ソルゲルの合図で、騎士団員は一斉に跳躍する。高山の山々を、跳ねるようにいとも容易く移動するアイベックス、オオツノヒツジである。屋敷の屋根にいる人狼よりも、遥かに高い位置にまで一気に跳び上がった。
草食獣系鎧獣特有の戦闘方法のひとつ、跳撃である。そのまま四方から串刺しにしようというのだ。
だが、銀毛の人狼は、恐るべき速さで再び姿を消した。
虚しく空を裂き、交錯する四本の短槍。
――何だと!
全員の認知が追いつく間もなく、離れた位置の屋根に、人狼は立っていた。躱したか。そう確認する半瞬前に、未だ宙にいるはずのアイベックスが二体、同時に吹き飛ばされていた。
屋根と思えばもう目の前。速度がもう、補食獣のそれを超えていた。
残りは二体。
この状況に、恐慌をきたしたのだろう。アイベックスとオオツノヒツジの内、アイベックスを駆る騎士は、状況についていけず、悲鳴をあげながら逃げ出して行った。ソルゲルが制止をかける間もなく。
――何と言う事だ! 今、鎧獣騎士になったばかりの、それもつい今しがたまで瀕死だったはずの錬獣術師の小倅に、国家騎士団が壊滅だと? あり得ん! そんな事、あってはならない!
ソルゲルは、自身と人狼が着地すると同時に、短槍を上段で構えた。
「獣能!」
ソルゲルが叫ぶと、突如、オオツノヒツジの両足が異様なまでに膨れ上がった。
獣能とは、人獣を更に発達させたもの。動物の肉体部分の一部を、局所的に異常発達、または形態変化させて行う超常の事だ。
正確には局所的に鎧化時の白煙を発生させているらしく、闘気のようなものもうっすらと見える事があるらしい。
ソルゲルのオオツノヒツジ、〝ラインホーン〟の獣能は、両足の倍力化のようだ。異常なまでに筋肉が発達した両足は、先ほどまでの数倍以上の脚力、跳躍力、俊敏性を生み出す。
――これならば、奴がいくら速かろうと、躱せはせぬ!
疾風のソルゲルと呼ばれた男だ。高速戦闘なら、誰一人負けぬ自負があった。
前方に突進――いや、跳躍するソルゲル=ラインホーン。
姿勢を地面スレスレにまで低くし、長大なツノを前方に、短槍も構えて全力で突進する。単純だが、これにぶつかれば、堅固な城壁でさえひとたまりもない。ましてやこの速度。躱せようはずもない。
まさに必殺必倒の一撃。
轟音。
空から星が降ってきたように、大地が抉れ、砂塵と土塊が舞い上がる。
だがそこに、銀毛の人狼はいなかった。
粉微塵となった?
いや、手応えはなかった。
――躱されただと?
信じられない心持ちで、周囲を見渡す。
見ると、先ほど自分が立っていた場所に、泰然と構えて、イーリオ=ザイロウは立っていた。
イーリオは、己の内に起こりつつある出来事に、ただ驚愕するしかなかった。頭で思い描けば、その通りに体が反応し、力を発揮する。
鎧獣をまとえば、身体能力も驚異的に向上する事くらい、今まで充分わかっていたが、ザイロウの能力はイーリオの想像を遥かに超えていた。これほどのものは、見た事がない。それとも、自分が分かってないだけで、鎧獣の実力とは、これほどのものだったのだろうか。
いや、前方の騎士を見れば分かる。自分に与えられたこの力は、尋常のそれではない。
――シャルロッタ、君は一体……。
思わず彼女の方を見ると、シャルロッタはムスタに庇われるように、離れた場所に避難していた。
人狼は、自分ではなく、別の方向を見ていた。
何という屈辱!
国家騎士団副団長の自分でさえ、敵ではないというのか!
怒りで目の前を真っ赤に染めながら、ソルゲル=ラインホーンは、再度突進する。
視線を戻し、それを認めるイーリオ。
今度は躱さない。
こいつの威力は計れた。
できるな? ザイロウ?
問いかけると、ザイロウは、更なる力を漲らせて、イーリオに応えた。イーリオの全身も、いや、その脳裏も、今までにない暴力的でひとつしかない衝動に満ちていく。それはまるで飢え。力への飢え。流血への渇き。彼の人生で、一度たりとも感じた事のない、衝動的な破壊への欲求。いや、それは抑圧されたもうひとつの己であったか。
視認不可能な動きが迫る。だが、ザイロウの瞳は、その姿を、その筋肉の躍動から、血管の動きまで、ありありと捉えていた。爆発する、補食獣の本能。
迫るツノと短槍を避けつつ、高速のソルゲル=ラインホーンの首元に咬みつく。
咬撃
元来、肉食獣は補食の為に顎と牙、それに爪が発達している事は言うまでもない。そのため、肉食獣系の鎧獣も、その力を活かした、または特化した戦闘方法を特長とする。
それが咬撃。
咬みつきという肉食獣系鎧獣ならではの一撃必殺の攻撃方法。ただし、自身の頭部もさらけ出すので、失敗すれば、即死につながる諸刃の剣。
だが、ザイロウの牙は、正確且つ恐るべき圧力で、オオツノヒツジの頭部付け根に喰らいつく。
まるで振り回されるボロ雑巾のように、空中で一回転。
そのまま地面に叩き付けられる。
轟音。
風圧。
思わず目を閉じるムスタとシャルロッタ。
うっすらと目を開けると、そこには自慢の大角も砕かれ、千切れるような形に鎧獣が剥がれ落ちそうになっているラインホーンの無惨な姿があった。オオツノヒツジの頑丈な大角が緩衝材となったのであろう。
ソルゲルは意識を喪っているものの、生命はあるようだった。
一方のイーリオ=ザイロウは、その牙から血をしたたらせつつ、狼の声で「グルルル」と喉を鳴らす。
「イーリオ!」
駆け寄る、ムスタとシャルロッタ。
イーリオ=ザイロウがそちらを振り向くと、再びザイロウの額が輝きだし、白煙が全身から吹き出す。
倒れているソルゲル=ラインホーンも同じであった。
白煙が霧消すると、そこには、先ほどまでのイーリオと、ザイロウの姿があった。
心なしか窶れているように見えるが、あれほどの血を流したのだ。立てなかろうがおかしくはない。
よろけた足取りで、二人の方へと近寄って行くイーリオ。ザイロウは、それを脇から支えるかのように寄り添った。
「お前……」
イーリオが見つめる。
その姿は、まさに騎士に付き従う、鎧獣そのものであった。
「面白そう」
「これからどうなるんだろう?!」
「続きが気になる」
と思っていただけたら、下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援お願い致します!
面白かったら☆五つ、つまらなかったら☆一つ、正直に感じた感想で大丈夫です。
ブックマークもいただけると本当に嬉しいです!
何卒、よろしくお願い致します。