第三部 第四章 第二話(3)『魔獣突破戦』
打って変わって、目紛しい攻防を繰り広げるザイロウとファントム。
既にどれくらいの時間、戦い続けているだろう。鎧獣騎士とは思えぬほどの長時間――二時間? 三時間? もっとか。
しかし両者共に疲労の色は見えない。大狼であるザイロウはともかく、古代絶滅種ブルドックベアの(正確にはそうであった)〝ファントム〟に至っては脅威的な体力と言うべきだろうか。
それにファントムと名を新たにしたジェイロンだったが、見た目はともあれ、獣能の威力や精度が上がった、というだけではないようだった。
武装である剣がなくとも、一撃の重みは言うに及ばず、運動性能をはじめとしたありとあらゆる能力すら、先ほどまでとは段違いに跳ね上がっていたのだ。
しかし何より恐ろしいのは、獣能そのものをまるで手足を扱うかの如く自在に放てるようになった点だ。それは百獣王ヴィングトールが出した真性鎧化のようですらある。当然、イーリオが付け入る隙など、微塵も見当たらなかった。
ザイロウが回避出来ている事自体、奇跡に近い――。
イーリオとザイロウだから、渡りあえているのだ。
おそらくこのザイロウたちに匹敵する、またはそれ以上の実力や能力がある鎧獣騎士でなければ、一対一でこうも戦い続ける事自体、不可能であっただろう。少なくともこの〝ファントム〟を押しとどめようとするならば、数の論理で押し切る以外に突破口が見出せる事はないように思えた。
倒す方法どころか、逃げ切るなど論外である。
そんな中、太陽が中天に近くなりつつあるという事もあり、帝都の中も人があわただしく動いているようだった。
当然、イーリオとウルリクの戦いも臣民の目に触れており、戦闘域に近い一帯は恐慌に近い混乱を起こしている。
しかしぎりぎり帝都の外というのもあったせいか、または被害が帝都の中にまで及んでなかったお蔭か、かろうじて帝都全域に渡るほどの騒ぎにまではなっていないようだった。それ故か、迎え撃つ帝国側への援軍というのも、来る気配はないようである。
実は迎撃側への援軍が来ない最大の理由は、黒騎士が帝城に施した音を遮断する目に見えぬ〝幕〟があったからなのだが、当然、その事実を知る者は当事者を除けば誰一人いない。加えて帝都に残っているベロヴァ家軍をはじめとした軍のほとんども、総隊長であるヴェロニカやベルサーク騎士団のビョルグ団長らの命によって、待機するように厳命されていた、というのもあった。
もしベロヴァ家軍やベルサーク騎士団がここに介入していたら、事態はもっと違う方向に変わっていたかもしれない。
ヴェロニカとビョルグ二騎の助けが思わぬ形でイーリオらの枷になってしまったともとれるが、そこまで読み切るのはどんな神算鬼謀を持ってしても難しかったであろう。
しかしイーリオも、ここで足止めを喰らっていては、埒が明かない。
もう予定の刻限は、とうに過ぎているのだ。
だが反撃、もしくは逃走を試みようとするも、どちらも相手の攻撃や牽制によって悉く阻まれてしまう。
異形と化したブルドックベアの鎧獣騎士――
ジェイロンだったもの。
ウルリクの駆る〝ファントム〟。
突破口が見当たらない。
――どうすればいいんだ……!
焦る思いを更に踏みつけるように、ウルリクは攻撃の手を休めなかった。
全身から生えた棘剣を伸縮自在に放つ姿は、アンカラ帝国の〝破神〟シャイターンの獣能と似ていたが、最大の違いは速度と耐久性だろう。
シャイターンの異能はツノが伸びるものであり、一本一本が最高位の硬度を有していた。だがファントムの棘剣にあるのは弾力と柔軟性。伸びたそれを叩き斬ろうとしてもグニャリと曲がるだけで切り裂く事が出来ない。
ファントム本体に直接攻撃したら尚の事で、駆り手のウルリクはただでさえ騎士として恐るべき手腕なのに、やっと当てた一撃が異常を通り越えた弾性によって無効にされてしまうのだ。こちらの攻撃が悉く糠に釘となっては、反撃の糸口すら見えるはずがなかった。
加えて、棘剣が弾力性に富む事で、一撃の速度がシャイターンのそれを圧倒的に凌駕していた。でなければ、いきなりこちらの身体を消滅させてしまうかのような第二獣能〝滅却術〟など放てないであろう。
イーリオも焦りが募るだけで、打開策が浮かばない。
――〝あの力〟でどうにかなればいいけど……。
新たに得た力で突破出来るか――それすらも読めなかった。
しかし本来は温存すべき〝力〟だったが、こうなっては一か八かで賭けてみるべきかもしれない――そんな風に決心した矢先だった。
不意に――俄雨のように叩きつける勢いで止まらなかった敵の攻撃が、何の前触れもなくいきなり停止したのである。
罠? それとも誘いか? ――とイーリオが警戒したのは当然だろう。
だが、よく見れば敵の様子が少しおかしい。
肩や大腿部などがビクビクと震えるように蠕動し、場合によっては表皮が裂けて中の筋繊維が露出したり塞がったりを繰り返しているではないか。
――何だ、あれ……?
油断すべきではないが、故意の動きには見えない。
試す意味でも、イーリオは隙を衝く形で横を駆け抜けようとした。が、やはり敵は素早い動きでこれを阻み、通り抜ける事は不可能だった。
しかしこちらへの〝誘い〟でもないと確信する。
そんな動きではなかったからだ。
「フン……不具合まで再現するのが、デッドコピーの難点だな」
ウルリクの独言が何を意味しているのか理解は出来なかったが、どうやら予想外の異変が生じているみたいだと、イーリオは推察した。とはいえそれが分かっていながら、それでも隙を見出せない。
――でも、何か仕掛けるとするなら、この異変を利用するしかない……!
問題は、当然ながら敵もそれを読んでいるだろうという事だ。
見え見えなこちらの意図を許す、そんな単純な相手ではない。
既に周囲は、とうに明るくなっていた。昼時すら近いのではないだろうか。つまり、刻限が迫っているという事である。
イーリオは内心、焦る気持ちが膨らむにつれ、反比例するように障害が大きくなっているようにさえ思えた。
――どうすれば。
その時だった。
空気を突き破る音速にも似た巨弾が、イーリオの背後を通り抜け、ファントムに襲いかかったのは。
〝それ〟を腕で弾き飛ばす、ウルリク=ファントム。
だが威力が防御を上回ったのか。防いだ弾みでファントムの巨体が二、三歩後退する。
「今のは……」
イーリオは視線を背後に巡らせた。
黒紫の輝きと、黒色の深い体毛。
左右両隣には、若芽色に身を包んだ白毛と、淡水真珠の光を纏った茶褐色も見える。
「父さん……! それにおばさんとアネッテも」
黒羆の鎧獣騎士ムスタ=フォルンジュートに、シロオオツノヒツジのマリオン=リンド。そして王野羊のアネッテ=アウロラが、距離を置いた後方にいた。
背後からファントムを撃ったのは、フォルンジュートの獣能〝飛天槍士〟で間違いない。
飛ばした右腕を元に戻した後で、三騎が素早くイーリオ=ザイロウに並ぶ。
「一体どうやって……? 灰堂騎士団の連中はどうしたの?」
「ヴォルグ騎士のヴェロニカやビョルグらの加勢も大きいんだがな……それよりも、後続のマグヌスらが異変に気付いて合流を急いでくれたのさ。マグヌスはともかく、ソーラやエゼルウルフら戦える連中は後続にもいたからな。それで儂らだけ先に来れたというわけだ」
「でも、相手は怪物の鎧獣騎士だよ。その……大丈夫なのかな」
「心配するな。ゴート帝国を――帝国騎士、特にヴォルグ六騎士を甘く見るんじゃない」
確かにその通りだろう。
大陸最大の軍事大国、その武力を支える最強の騎士達なのだ。団長級だと覇獣騎士団の主席官と互角かそれ以上の実力者ばかり。敵になった時はこれほど恐ろしい相手もいないが、味方となれば最も頼りになる存在なのは間違いなかった。
「しかし―― 一体今度は何だ? 灰堂騎士団なんつうバケモノの次は、また別のバケモノが出てくるとは。あれも怪物やらいう連中のお仲間か?」
ムスタが言ったのは、目の前のファントムに対してである。確かに、同類にしか見えない外見であった。
「違うよ父さん。あれ……ヴォルグ騎士のウルリクだよ。あのエッダに味方してるっていう、父さん達の〝敵〟の」
「はぁ?!」
ムスタだけでなく、マリオンやアネッテも驚愕で声を失う。
当然だろう。言われてみればブルドックベアだった面影はあるものの、どこをどう見ても別の何か、いや異形の怪物にしか見えないのだから。
「おい待て。まさか、本気で言っとるのか。あれがあの〝怪神騎〟のジェイロンだと?」
「信じられないだろうけど、目の前で見たから。あの姿に変わるのを」
「……いつから帝国は、得体の知れん連中の巣窟になったんだ? これではまるで、灰堂騎士団どもと同じ――いや、四大騎士団が灰堂騎士団に乗っ取られたようなもんじゃないか」
「そんな事知らないよ。それより気をつけて。あの姿になってから、あいつの獣能が――」
イーリオが言い終えるより先に、全員が殺気を感知して四方に散開する。
螺旋を描いてかすめていく、黒い棘剣。
全員、紙一重の回避だった。
「これはジェイロンの〝無双突〟……! 確かにイーリオの言う通りだわ」
マリオンが声を張り上げる。
同時に、間断なく次から次に螺旋の閃光が四騎を襲った。
全員がかろうじて躱すも、アネッテなどは手傷を負っていた。彼女の実力不足ではなく、それだけウルリク=ファントムが脅威なのであり、また躱せているイーリオ達がそれほどの使い手であるという証でもあった。
「あのトゲ全部が奴の武器で獣能というわけか……。こいつはかなり面倒だな」
「気を付けて! 第二獣能も同じように連発してくるし、獣能よりも強力で厄介だから!」
イーリオの叫びが功を奏したのか、ここから立て続けに攻撃を受けるものの、四騎とも致命傷になる被撃には至らずに済んだ。とはいえ、避けるので精一杯。イーリオが単騎でいた時と状況が変わっていない。
「父さん、僕、あの力を使うよ」
攻撃が少し弱まったのを見計らい、イーリオがムスタに告げる。
「おい、こんなところでか? 後に温存しておくんじゃなかったのか」
「考えがあるんだ。あいつとずっと戦って分かったんだけど、あいつは不定期に攻撃の手を緩める瞬間がある。どういう理由か分からないけど、あんな風に変化した事の反動みたいで、鎧獣の肉体が不安定になるみたいなんだ」
「その隙を衝くって寸法か? しかし相手はあの〝賢者〟のウルリクだぞ。そんな事くらいお見通しだろう」
「だからだよ。どれほどの敵でも、見た事のない攻撃を受けて対処するのは難しい。あの〝獣王殺し〟のマグヌスさんだって師匠の技を初めて見たから為す術がなかった。違わない?」
イーリオの師匠カイゼルン・ベルが放った、三獣王級でなければ放てない絶技〝獣王合技〟の事である。
イーリオが出すのは技ではないが、意表を衝くという意味で引き合いに出したのだった。
「……そいつを成功させるために、儂らに囮になって欲しい――そういう事か」
「御免……」
「いや、悪くない考えだ。聞いたか、マリオン、アネッテ」
二騎の山羊騎士も首を縦に降った事で、イーリオは心強くなった。
ファントムとは距離を取ってあるのでこちらの声は聞こえてないだろうし、よしんば耳に届いていたとしても構わなかった。どうせこちらの意図など読まれている。問題は何を選択するかだけなのだから。
「あいつの変化はすぐ分かるから。時間に規則性はないみたいだけど徐々に間隔が短くなっているから、多分もうすぐだと思う」
そこから一〇分か二〇分ほど過ぎた時だった――
いきなりファントムの背中が大仰に震えると、左右の肩が交互に膨張と収縮を繰り返したのである。
「今だ!」
イーリオが声を大に叫ぶ。
同時に、マリオンとアネッテ両騎が獣能を顕現。
突撃をかけた。
二騎の獣能はほぼ同じ能力。
ツノの先から授器に至るまで、武器以外の全てを羊毛によって覆うというもの。ただし普通の羊毛ではない。繊維一本一本が筋繊維と同じ役割を果たし、強化外装とするというものなのだ。運動能力は勿論の事、防御力も上がっている。
実は、本来の用途は全く別にある異能なのだが、通常戦闘で発揮される威力も尋常でないため、まさにこの瞬間も突撃の武装として発動させているのである。
更にムスタも、先ほどの拳を飛ばす異能〝飛天槍士〟で、ここぞとばかりに連続で攻撃をたたみかけた。
しかしウルリクに動揺の色は微塵もない。こう来るであろうという事は、予測の内だったからだ。
しかし――
肝心のザイロウが動きを止めていた。
大剣を構え、静かに気息を整えた後、号令を発する。
「巨狼化――〝炎狼魔導〟」
白炎が唸りをあげた。
目を見張るウルリク=ファントム。
「何だ……それは」
姿、形――初めて見る。
こんなのは報告に聞いていない。予想の内にもない。
当然だ。戦場で見せるのは、この瞬間が文字通り初めてなのだから――。