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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第三部 第四章『新帝と告白』
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第三部 第四章 第二話(2)『緞帳』

 ハーラルと朝のひと時を寛いだ後、いよいよ式の準備という事で、エッダは指示と確認のため城内各所を慌ただしくひと巡りした。

 とはいえ、全ての段取りは決められているし、エッダ自身が指揮する部分は、実際のところここに至ってはほぼないに等しかった。今日の運びは護衛隊のノンナをはじめとした配下の者に手配りをしてあるし、後はこの一日をつつがなく終えるだけである。


 だから合間を縫って、彼女はいつもの己の居室に戻っていた。無論、休むためではない。


 部屋には当然誰もいないはず――なのに、そこには既に人影がいた。

 薄明かりの暗い部屋で、黒染めのマントが闇色を翻す。


 黒衣、黒装、黒の仮面。


 待っていたのは――



「どうやって入った? 黒騎士」



 エッダの問いに当代最強の一人と名高い謎多き騎士が、仮面の下で笑い声をこぼした。


「それを聞くか」


 氷柱のような冷たく鋭い一瞥を投げかけると、重い動作で腰を下ろすエッダ。


「疲れたか?」

「疲れもする。スヴェインめ――何が三獣王に匹敵するだ。まんまと帝都そばまで抜けられているではないか。ようもまあ任せろなど、ぬけぬけと言うたもの。結局、〝ヘルヴィティス〟頼みになってしまうとは……」

「あれの本質は〝混乱と争乱〟だからな。動きの全てを理解するのは、無益な事だ」


 嘲るように、エッダが渇いた笑いを浮かべた。


「それなら、貴方が手を貸してくれるのが一番早いのだけどね」

「俺は見物客だ。一番の特等席で事の成り行きを見ておきたいだけ」

「でしたら見物料は払ってもらわねばなりませんね」


 かつてハーラルがイーリオを追って国境で戦った際、彼女ら帝国の一団はこの黒騎士から横槍を受け不本意な幕引きを余儀なくされている。それだけを思い起せば不愉快な相手ですらあっただろうが、二人のやり取りはまるで数十年来の知己であるかのようだった。


「雇うのではなく、俺から巻き上げるのか」

「ええ。私はどこまでも〝帝国のエッダ〟ですから。貴方だろうが黒の女神(オプス)だろうが、この場の限りは対等です」

「……」

「不服ですか? ここで私を始末でもする?」

「お前からすれば俺も同じかもしれんが、そうでない事も分かっているだろう。なのに何故そのような挑発をする? 何を焦る?」

「焦ってなど……」


 実際は焦っていた。何をそう焦るのか、彼女にも自分が分かっていない。

 時ここに至れば、後は外の連中に任せるだけだし、どう足掻いてもこの婚礼を邪魔される可能性など皆無に等しい。

 にも関わらず、どうにも不快さが抑えきれない。

 何かが安心出来ない。それは何なのか――。


「まあいい。手出し以外で俺に出来る事があるのならな。言ってみろ」

「〝星〟を動かして欲しい」

「何?」

「千年前の時にしたように、この城に〝幕〟を張る事は出来る?」

「外界と遮断すると? 外の動きが分からなくなるぞ。あの時はロムルスらを封じ込めるためにしたが、今ここでする意味はあるのか?」

「ハーラル陛下に外を知られぬためよ。気付かれると陛下の事です。式を中止するとまで言いかねないですから」


 仮面の顎に手を当て、少し考えるような仕草をする黒騎士。本当に思考しているのか、それとも何か別の事を推し量っているのか。エッダにはどちらでも良かった。


「いいだろう。スヴェインの配下に紛れ込ませてある俺のスレイヴ・ユニットを使うとする。しばし〝離れる〟からその間頼むぞ」

「ええ、勿論」


 エッダの答えを待たず、そのままの恰好で水底に沈み込むように、黒騎士は身体を動かさなくなった。

 微動だにせず、小指の先すら動かなくなってしまう。


 もう既に〝離れて〟いるのだろう――その姿から、エッダは察した。




 時を同じくして――

 広大な敷地を有するアケルスス城の各所、北西、北東、南西、南東の端にあたる処に、それぞれ黒灰色のローブを纏った人影がぬらりと表れている。


 目にした者はほとんどおらず、その姿に遠目で気付いた者が僅かにいただけ。だが城の内外は皇帝の結婚祝いで慌ただしく、その事を気に留める者などほとんどいなかった。

 当然の事、ローブ達が互いの姿が認識出来る距離ではない。にも関わらず、ローブの四者は息を合わせたように寸分違わぬ呼吸で同じ動きをしていたのだ。


 ローブらは両手を合わせ、上空にそれを捧げる。

 何かを受け止めるように手の平を杯型にしていた。


 やがてゆっくりと、ローブの中から黒い埃のようなものが少しずつ空へと舞い上がっていく。それは徐々に数を増し、気付けば大量の黒い粒がローブの中から噴き出していた。


 この時、城の大厨房で働く下女の一人が、この不気味な光景を目にしていた。


 何? あれ?


 奇妙で不気味な光景ですらある。思わず誰かにあれは何なのか尋ねようとするも、周りの誰もが忙しさに夢中で彼女の問いかけに答えてはくれない。

 彼女がもう一度外を見た時、一瞬、黒灰色のローブがはだけ、横顔だけれど中の姿が垣間見えた。


 え……?


 獣のような顔形。尻尾のようなものすら見えた。

 人ではなく、鎧獣騎士(ガルーリッター)輪郭シルエットだ。


 しかし遠間だからそんな風に見えただけなのか。本当にそうなのか、よく分からない。

 あんな所でしかもローブなど被って鎧獣騎士(ガルーリッター)がいるなど、どういう事なのかまるで見当もつかない。

 呆然としていると、後ろから「何やってんの!」と彼女に向かって叱責が飛び、思わず視線が外されてしまう。

 平謝りで言い訳をした後、彼女はやはり気になって、もう一度だけ視線を外に戻す。


 けれど――

 そこにはもう既に、何もなかった。


 幻だろうか?


 結局、再度の叱りの言葉を受け、彼女は今見たものがただの幻覚なのだと思い込む事にした。彼女にとってもこの忙しさに比べれば、どうでもいい事だったのだ。



 だがそれは、幻ではなかった。


 黒い粒子は空高く舞い上がる。そのまま大気の層を幾重にも下にしながら、やがて厚い雲の天井さえ超えていった。


 空も超えたずっと先。


 そこは宇宙と呼ばれる遥か彼方。


 黒い粒子は、暗黒の海に漂う有り得べからざる〝それ〟に向かって、信号を送り届ける。

 やがて闇の向こうから、見えざる光の緞帳どんちょうが地上に向かって放たれ、その幕が北の大帝国の主城をすっぽりと覆い包んでしまった。


 しかしその〝幕〟は、誰の目にも見えていない。


 それは可視領域の外にある、特殊なもの。


 けれどもこの瞬間から、〝幕〟の中は外からの音が一切届かなくなり、聞こえるのは中の音だけになっていたのである。

 景色は見える。

 人の姿も何もかも城から見えている。

 だが音だけが完全に遮断されていたのだ。




 仮面の下で息を吐き、黒騎士がエッダに告げた。


「済んだぞ。これでこの城は外から隔離された。……音だけだがな」

「ありがとう。さすが頼りになるわ」


 感謝の言葉に皮肉が込められていたが、黒騎士は何も反応しない。反応が返ってくるとエッダも思っていなかった。

 立ち去ろうとする黒騎士に、エッダは待てと声をかける。


「まだ何かあるのか」

「貴方、本当のところ一体何をしにここへ来たの?」

「言ったろう。特等席でこの芝居を見に来ただけだ。だったら主催者に挨拶も必要だろう?」


 声に含まれる僅かなおかしみの色。楽しんでいるのか嘲笑っているのか。

 仮面に隠れた真意は分からなかった。五年前のあの時、いきなりハーラルの邪魔をしてあの孺子こぞうを救った時と何も変わらない。変わるはずがない。


 彼女からすれば、黒騎士の方がスヴェインなどよりよほど混乱の種を撒いているのではないかと思えるほどだ。

 だがそれでも構わなかった。

 悲願はもう、達成間近なのだから。



※※※



 昇りきった陽の光を浴び、肉塊は不気味に蠕動を繰り返す。

 己で引き千切り失ったはずの頭の部分には、既に筋繊維と頭骨が剥き出しになった屍体のような頭部が生えつつあり、紐にも似た繊維状の物質が絡まって吐き気を催す異形さである。

 細胞組織が剥き出しのまま、眼球も復元されつつあった。


 蠢く全身は、装備された授器(リサイバー)すら呑み込んで一体化し、やがて棘のようなものが身体のいたる所から生えはじめていく。


 肩、腕、足、背中――いくつも。


 体表は硬質製を帯び、無毛な部分があちこちに露出している。また、棘は太い針山のようで、極めて悪魔的な禍々しさを見せつけていた。


 先ほどイーリオは、灰堂騎士団(ヘクサニア)怪物ベート鎧獣騎士(ガルーリッター)になった化け物騎士を目にしたが、目の前のこれはそれすら可愛く思えるほどの奇怪さだった。

 同時に、角獅虎サルクスという名で呼ばれた怪物ベートの人獣騎士と共通している部分もある。鳩尾やヘソの部分をはじめ、身体の各所に複数の神之眼(プロヴィデンス)が表れている点だ。


 複数個の神之眼(プロヴィデンス)持ち。


 そんな鎧獣騎士(ガルーリッター)は有り得なかった。あるはずがないのだ。にも関わらず目の前にそれは確かに存在している。


 一体これは何なのか――


 何もかもまるで分からなかったが、これが戦慄すべき事柄である事くらい、誰であっても容易に想像はついただろう。


 今直ぐここから離れなければ――。


 そう思うも、凍り付いたようにイーリオはザイロウの両足を動かせないでいる。

 ……それは我知らず、本能的な恐怖を感じていたからかもしれない。


 生きる希望や誇り高い意志すら嘲笑う、根源的な恐怖そのもの。



 頭部が前とは違う形で(・・・・・・・)復元され(・・・・)、巨大な悪夢そのものとなった人獣騎士――いや、魔獣騎士が誕生した。



「貴様一騎で不死騎隊(カスチェリス)の隊長以上、いや団長にも匹敵するかそれ以上の実力を見せてくれたが、果たしてこの姿の吾輩にも通用するかな。――とはいえだ、この姿になるのは貴様でまだ二回目。その事を光栄に思え、恐炎公子(エルド・フォース)よ」


 魔獣となったジェイロンから、ヴォルグ六騎士ウルリクの声が響いてくる。棘刃の剣ソーフィッシュ・ソードはもうない。己の武器すら体内に取り込んでしまったからだ。


「一体、それは……」

「そうだな――この姿、ファントムとでも呼ぼうか。かつてこの鎧獣(ガルー)に贈られた称号などではない。本当の意味で怪神騎(ファントム)と呼ぶに相応しい姿こそ、これだ」


 確実に仕留めたはずなのに、ザイロウも及ばない再生力で復活したブルドックベア(ショートフェイスベア)の人獣騎士。

 いや、再生力と呼ぶのすら怪しい。

 何か異形のモノを新たに誕生させたと言うべきかもしれない。


 それに今や、ブルドックベア(ショートフェイスベア)ですらなかった。巨大な刺が無数に生えた姿は、この世ならざる凶々しさを放っている。


 イーリオが言葉を失っていた矢先――


 ファントムの腕がずい、と上がり、漆黒の衝撃がザイロウを襲った。


 ――!


 かろうじて躱すも、それは連続で何度も襲ってくる。躱しきれないものは剣で、或いは鎧で何とか防ぎきるも、状況の整理が出来ていなかった。


「ほう、さすがだ。不死騎隊(カスチェリス)の一番隊隊長は、今ので全身を穴だらけにして絶命したのだがな。やはり同じようにはいかぬか」


 急襲が止んだ事で、やっとイーリオは今の攻撃の正体を知った。


 長く伸びた棘――いや、棘たち。


 ファントムの身体に生えた棘の各部が、触手のように長く伸びたのだ。

 それら全てが、ジェイロンの獣能(フィーツァー)無双突(スピラーリ)〟であった。


「この全身にある棘剣スパイクは、一本一本個別に、そして自由に獣能(フィーツァー)を出せるのだよ。無論、第二獣能(デュオ・フィーツァー)も同じである」


 言い終えると同時に、ザイロウの左手の平に大きな穴が空く。


「なっ……!」


 いつどうやったのかまるで見えなかった。

 行動の〝起点〟がまるで見えない、不可視の消滅技。


 第二獣能(デュオ・フィーツァー)滅却術(スティリッツ)〟。


 こちらも第一と同じく、どの棘からも発射出来るようであった。

 こうなってくると、もう鎧獣騎士(ガルーリッター)と呼べる存在なのかどうか。ここまで自在に獣能(フィーツァー)を放つなど、まるで百獣王や獣王殺しと同じではないか――。


 イーリオ=ザイロウは、失った左手の傷から吹き出る出血を抑え、回復に努めようとする。

 だが、まだ再生は出来ていない。当然だ。こちらの回復能力がとてつもないものでも、目の前のファントムほど化け物じみてはいないのだから。

 あんな風に回復――いや、再生など出来るはずがなかった。


 構えも何も取らず、余裕のままで佇むファントム。


 ――畜生っ。


 何故だろう。

 さっきまではひたすら恐れのようなものしか浮かんでこなかったのだが――見下すその姿に、じんわりと、だが恐怖に勝る感情がイーリオの中から沸き上がってくる。


 ――こんな処で足踏みさせられるなんて。


 怒りのように滾るもの。


 怖れが消えたわけではない。むしろ攻撃を受けた事で、より一層恐怖に全身が舐め回されているような心持ちだった。しかしそうでありながら、イーリオはそれすらも屈服させようとしていたのだ。


 勇気という感情で。

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