第三章 第二話(終)『夜猿』
その夜の事――。
警備の騎士の見回りがいる中、漆黒の闇に紛れて、不気味な影がマクデブルクの城壁に手をかけていた。夜警はいるが、その俊敏な身のこなしに、誰一人気付かない。物音一つない。影の大きさは、ゆうに成人男性を超える巨躯だというのに。
〝影〟は、素早い動きで城壁を這い登ると、歩哨らの死角になる位置に、その身を踊らせた。
「大胆やねえ」
突然かけられた声に、〝影〟は思わず飛び上がって距離をとる。
〝影〟の見据える先には、声の主――イェルクと、彼に付き従うようにメルヒオールが、城壁最上部の通路に、道を塞ぐような形で立っていた。
〝影〟は驚く。どうして侵入が、バレた? と。
その考えをまるで読んだかのように、イェルクが告げた。
「こっちのな、メルヒオールが気付いてくれてん。どうにも妙な気配が、この砦に貼り付いてる言うて。こう見えて彼、こういう勘はすごいもん持ってんねんで」
勘? 勘だと?
〝影〟は忌々しげに唸り声をあげる。
「何を考えて、ここを攻めよう思たか知らんけど、相手が悪かったなぁ。よりによって、ここを狙うとは。君やろ? 昼間の爆発する馬車作ったんは? 色々聞かせてもらおか。夜はまだまだ長いしな」
イェルクの言葉が終わると共に、メルヒオールが前に出る。傍らには、いつの間にやら細身の獣が立っていた。
チーターの鎧獣だ。
猫科の猛獣特有の、体重を感じさせない足取り。
だが、淡黄色の体毛に、通常なら、その種、特有の黒い斑点があるはずが、その猛獣の斑点は、帯状に繋がっていた。いわゆる突然変異個体。
キングチーター。
大きさなど、特に通常のチーターと違いはないのだが、模様が違う。
その珍しさから、〝王者〟の名を冠された〝狩猟豹〟。
その名に相応しく、他の隊員が使うチーターの鎧獣とは異なり、どこか風格を感じさせる佇まいをしている。しかも、昼行性であるはずのチーターなのに、何故か闇夜を怖れていない。
「〝ノトス〟」
キングチーターの名を呼ぶメルヒオール。その名は、〝北風の神〟の意であるという。
〝影〟は身構えた。距離を縮め、その姿を月明かりに映し出す。
猿――。
それも、非常に珍しい、大型のチンパンジーの鎧獣、いや、鎧獣騎士であった。おそらく、鎧化できるギリギリの大きさの個体。それだけに、類人猿さながらのその鎧獣騎士は、何とも不気味な風貌をたたえていた。
だが、メルヒオールも〝ノトス〟も、まるで臆する風もない。
隙のない挙動で、「白化」と発した。
巻き起こる白煙と共に、キングチーターの容姿を有した、優美な鎧獣騎士が、その姿を表した。
後頭部から襟足にかけて、チーター特有のタテガミがうっすらあったものが、鎧獣騎士時には、少し長く伸び、まるで黒色の長髪のようである。
授器は、覇獣騎士団特有の、白地に金縁、軍服の趣きのある形状。参号獣隊 の隊章に、浅緑の紋様と、爪を模したエンブレム。
細身の姿とは裏腹に、泰然とした佇まいは、静かな威圧を備えていた。
警戒の度合いを強めた猿の鎧獣騎士は、だが、キングチーターの手に、武器授器がない事を見て取った。
内蔵型だろうか? それとも、無手系? だがどちらにしても、幅のない通路で、俊敏さを頼りに、この鎧獣、〝シンミア五〟と勝負をするなら、例え最速の獣だろうが、相手になるはずがない。ましてやチーターは、昼行性の獣。地の利も天の利も我が方にあると、鎧獣騎士内の〝トレンタ〟は、密かにほくそ笑んだ。
動きは突如あった。
何の前触れもなく、無挙動で動く猿人。
いつ出したのか、手にはカトラスと呼ばれる大型のナイフ。これが〝シンミア五〟の武器授器。巧みな操作で斬りつける。
――獲った!
確実に仕留めた。その間合い。そう、〝トレンタ〟は確信した。
だが、空中に身を踊らせた猿人は、まさに宙空の途中で、その身を突如、ピタリと停止した。いや、させられた。まるで時間が止まったかのように、挙動が凍り付く。
――な、何だ?
見ると、キングチーターの騎士は、こちらを見つめ、わずかに体を動かしている。
時間を停止させた? まさか、そんな獣能など、あるはずがない! だが、現に自分の動きは止まり、相手は動いている。ならば催眠? それもあり得ない。挙動が止まるのはわかるが、空中で動きが止まるなど……! 第一、自分は〝組織〟の中で、あらゆる催眠の訓練も受けてきた。そんな自分が催眠にかかろうわけがない。
改めて目を凝らすと、キングチーターの手元が、何かでキラリと光った。
彼はその手を、ゆっくりと動かす。同時に、猿人の体が、締め付けられるような感覚と共に、さらに宙へと〝吊り上げ〟られていく。
――これは……!
〝トレンタ〟は気付いた。敵の技。
その正体は、糸の授器!
鋼線のような、金属製の非常に堅い、けれども綿糸のごとくしなやかな糸。
それが奴の授器だ……!
糸は通路の壁などに引っ掛けられ、猿人の鎧獣騎士は、さながら蜘蛛の巣にかかった羽虫のような姿をさせられていたのだ。
いつやったのか、まるで見当もつかない。だが、その糸は、確実に猿の肉体を縫い付けており、まるで操り人形のように、自分の意志で体を動かす事が出来ない。
キングチーターの中から、籠った音のメルヒオールの声がする。
「そう。気付いたようだね」
言葉の後、彼は手に持った細くて長い針を目の前に翳した。その針の下部は、糸と繋がっている。
「これが僕の授器。〝針と糸〟さ。こんな武装だから、僕は人に教えるのに、向いてないんだよ……」
メルヒオールが何を言ってるのか、襲撃者はまるで意味が分からない。だが、聞いていようがいまいが、意味が分かろうが分かるまいが、別に関係ないらしい。彼はそのまま、独り言を続けた。
「ところで君、いつ縫い付けられたか分からなかったろう? 僕の〝ノトス〟は、足が速いのが自慢じゃない。――勿論早いんだけどね――〝ノトス〟は、手が早いのが自慢なのさ。――ああ、勿論いやらしい意味で言ったんじゃないよ。君が女性でも、ね」
後半の言葉に、驚きを隠せない。
――何だと? いつ、気付いた?!
そんな〝トレンタ〟の心を見透かしたかのように、メルヒオールは続けた。
「いつ女性の騎士だと気付いたかって? この糸はね、相手を縫い付けたら、ありとあらゆる情報を僕に伝えてくれる。君が女性だって事も。そしてその恰好、それは……」
――いけない!
正体がバレると踏んだ〝トレンタ〟は、すぐさま自身に施された術を発動した。奥歯を強く噛み合わせる。
すると、彼女の体が突然痙攣を起こし始め、やがて目を覆った銀色の眼鏡から、焦げるような音をたてて、彼女が〝溶け出す〟。肉の焦げる匂い。
「まさか!」
驚くメルヒオールとイェルク。
急ぎ、糸の授器を解除するも、時既に遅し。
鎧獣の内部で、女性は見るも無惨にその体を融解させてしまった。しかも、鎧化解除もなしに、中身のみいきなり消えたものだから、猿の鎧獣もその身を保てず、また、内部の女性が溶け出したモノの作用で、猿もまた、その身をもだえさせながら、内側から溶け出していく。
それはおぞましい光景だった。
「正体がバレそうになったら、すぐに自決するなんて……」
メルヒオールは、相手のあまりの決断の早さと壮絶さに、得体の知れない恐怖を感じた。そして、もう何者とも分からない、焦げ、爛れた、肉塊に成り果てた侵入者だったモノを睥睨しつつ、鎧化を解除する。
真横に、イェルクが立った。
「難儀なこっちゃな……。こりゃ」
事態の深刻さに反して、どこか間の抜けた口ぶりのイェルク。
それこそ、騎士を嫌がるメルヒオールをして、信頼と尊敬に足る頼もしきいつもの隊長だった。
ただ気さくなだけではない。いついかなる時にでも、どこか余裕を残したような、飄々とした佇まいを崩さない男。その姿に、異常な〝敵〟を前にして、戦慄を覚えずにはいられなかったメルヒオールは、頼もしさと安堵を覚えた。
だが、事態は彼らの予想以上に深刻な様相を呈しはじめたばかりだった。
馬車から続く一連の襲撃は、これから起こる巨大な企みの、ほんの幕開けにしか過ぎなかったのだ――。
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